第一話:人気の作品は参考にされるお約束
アルター王国、商業都市ボルシチ。町の中央にある衛兵の詰め所に隣接して建造された重厚な建物の前で、エリサ達はその男を静かに待っていた。
彼女の目の前に聳え立つのは天にも届こうかと思われる程の高い塀。
その奥に鎮座するは無機質さばかりが目立つ石造りの建物。
はたしてこの様な場所に彼女達はなんの用があるのだろうか?
疑問だけが膨らむ中、やがてその答えは煩く軋みながらゆっくりと開けられた建物の鉄扉より現れた人物によって明らかにされる。
「……お勤めご苦労様、ヴェル」
「えと……おかえりなさい、ヴェルダートさん」
鉄門に併設された監視小屋の衛兵に「もう二度と馬鹿な真似をするんじゃないぞ」と激励の言葉を受けながら、のっそりとした覇気の無い歩みで現れたのはヴェルダートだった。
「くそっ……えらく長く服役していたぜ! これが物語にありがちな時間経過のあやふやな世界じゃなかったら今頃おっさんになっている頃だ!」
そう、彼は今の今まで服役していた。
以前彼によって演じられた『異世界料理』における食中毒事件。
あえなく憲兵隊に連行された彼は、その後の反論虚しく実刑を喰らったのだ。
本日は彼の出所日。ようやく刑期を全うし、再度陽の目を見ることをできる記念すべき日だ。
彼は出所するまでに、ずいぶんな時間を無駄に過ごしてしまっていた。
「よかったですねお兄さん! まだ設定では十九歳ですよ! なんどもクリスマスイベントや年越しイベントをやっても十九歳です!」
だが実際にヴェルダートが歳を重ねることはない。
基本的に時の移り変わりを主眼に置いた物語とは違い、短い期間での冒険を主眼に置いた物語は時間の流れがあやふやになりやすい。
なぜか同じ年齢で延々と物語が続く日常物や、明らかに日数が超過しているにもかかわらず学年が一向に上がらない学園物などがその最たる例だった。
「永遠の十九歳!? なんだか魅力的な話だね! 永遠に繰り返される時を過ごす、時間にとらわれし私達、……楽しくなってきた!」
「いろいろと納得がいきませんが、気にしても無駄なのですね……」
シズクはさておき、ミラルダやエリサはその不思議な時の流れにいささか困惑していたが、それを指摘したからと言って解決しないであろうことは重々承知していたので無視して話を進める。
「それで、塀の中での生活はどうだったかしら? 反省した? もう人を不幸にさせるようなことをしちゃダメよ? 真面目にやってればそれなりの生活をできる事もわかったんだから」
「ん……まぁ、そうだな。しかしもう料理ネタは使えないからな。次の話題を探すしか無いが……」
ヴェルダートもその長い牢獄生活である程度の心変わりがあったのか、珍しくエリサの言葉に頷くと何やら思案を始める。
普段なら勢い良く反論するであろう彼の珍しい態度に、エリサ達はかすかな希望を抱く。
「何か良い手があるのかいヴェルダート!? いい加減冒険をしよう! むしろ最近全然敵と戦ってないじゃないか!」
「引きこもったり料理したりでしたからね! マオもここまで戦わない主人公は初めてです!」
わぁっとシズクとマオが畳み掛ける。
二人はあれやこれやと発破をかけ、ヴェルダートが主人公らしい冒険に取り組むように説得する。
やがて奇跡的なことに、その言葉はヴェルダートに通じることとなる。
「確かにお前らの言うとおりだ。俺もそろそろ冒険に繰り出さないといけない。もちろん、ちゃんとした剣と魔法のファンタジー的冒険だ。王道こそ究極。俺は人気を稼ごうとするあまり大切なことを見落としていたのかもしれないな」
「そうよね! それに皆で力を合わせたら冒険なんて楽勝よ! どんな難題もかかってこい! って感じだわ!」
人通りの少ない路地を歩きながら、ヴェルダートは強く宣言する。
その言葉にエリサも感極まった様子で嬉しげに応えた。
眺めるミラルダ達もどこか微笑ましげだ。
久しぶりにヴェルダートに会えたことで、彼女達もまた口に出さないが深く安堵していた。
「でもどうするんですかお兄さん? "チート主"さんの冒険は基本的に巻き込まれる形で進みますよ。いまからよさ気な難題を探すのでしょうか?」
エリサとヴェルダートが普段見られないような意気投合をし盛り上がっている中、やや冷静なマオは差し当たって目の前に存在する問題を提示する。
「それもそうなんだがな……。俺は今までの失敗を踏まえて、まずは冒険の何たるかを学ぼうと考えているんだ」
「むう……勉強ですか? 誰かに教えてもらうんでしょうか?」
「ほう。殊勝な心がけだねヴェルダート! 師匠かい! 師匠が出てくるのかい!?」
シズクが眼の色を変えて騒ぎ出す。
中二病真っ盛りの彼女は特訓や修行と言った言葉に目がない。
ヴェルダートの発言から彼がパワーアップを図っていることを悟ると、最近彼女がハマっている『謎の師匠に特訓されて強くなる』イベントが始まると判断したのだ。
「ああ、その通り。そしてその相手は……」
そして珍しいこと彼女の予想は正鵠を射ており、ヴェルダートが思わせぶりに懐を探っているところから何やらその師匠の正体がそこにあると思われた。
やがてヴェルダートが高らかにその物体を掲げる。
それは、一冊の書籍だった。
「あっ。それって……」
取り出された書籍を目に入れたエリサは思わず声を上げる。
それはエリサがよく知る物で、ヴェルダートに必ず覚えておけと口酸っぱく言われた"チート主"さんの書籍だ。
可愛らしい少女が一面に描かれた書籍、それこそが……。
「イーリス王国のアルトさんだ」
ヴェルダートと同じ書籍化院より本を出している、今人気急上昇中の"チート主"さんのものであった。
◇ ◇ ◇
場所を変えてヴェルダートの自室。
どの様になっていたのか、長らく彼が住んでいなかった部屋ではあったが、最低限の掃除などがされており問題なく使用が可能となっている。
いつもの様にベッドの上でふんぞり返るヴェルダートを囲むように座った彼女達は、早速彼の思惑についてその詳細を尋ねる。
「先ほどの本……確か同じ書籍化院から冒険を本にしてもらっている方の物でしたわね。この国とは別の、果てしなく遠い国に住んでいると聞いた記憶がありますけど……」
イーリス王国のアルト……。
その人物はヴェルダートとは別の国で冒険者をしている"チート主"さんで『帰っちゃった元勇者』と言う名の書籍を出している人物だ。
ヴェルダートの数倍強く、ヴェルダートの数倍女性の信頼を得て、何よりヴェルダートの数十倍は人気がある。
普通ならばそのような人物と交流を持つなど不可能に近かったが、同じ書籍化院より本を出した縁で何度か話をする機会に恵まれた。
今回ヴェルダートはそのコネを利用することにしていた。
「ああ、実は何度か俺も会って話はしたことがあってな。この前冒険で悩んでいることを伝えたら快く相談に乗ってくれて、今回いろいろとアドバイスを貰いに行こうと思うんだ」
「へぇ! 誰かさんと違って親切な人なのね!」
「しかもお兄さんよりも書籍が売れています! 人気も上だと言うことですね!」
「わあ……楽しみです。それで、そのアルトさんはどういう人なんですか?」
久しぶりにヴェルダートと話せたことを嬉しく思っていたのか、普段より好意的な意見がエリサ達から沸き起こる。
ヴェルダートはその様子を見て満足気に大きく頷くと、さっそく自らが師と崇めるイーリス王国のアルトという人物が如何に素晴らしいかをしたり顔で語り始める。
「アルトさんはそれはもう、男の夢が詰まった"チート主人公"さんだ。基本的にヒロインとベッドインすることしか考えていない」
「「「…………」」」
先ほどまで盛り上がっていた、女性達の歓声は、ヴェルダートの一言によって一瞬にして静まり返る。
「しかも最強だ。その絶大な戦闘力をもって敵が来ても基本的に一瞬で倒してしまう。もちろん、ピンチの女の子は必ず助けるぞ!」
だがヴェルダートは止まらない。もはや彼にとって重要なことはエリサ達の同意を得ることではなく、自分の思いを如何に伝えるかだけだった。
「そのピンチの女の子はどうなるの?」
静かに、一縷の望みをかけてエリサが尋ねる。
「数十ページも経たないうちにベッドインする。当然だな!」
間髪容れずに返された答えは、残念なことにエリサの予想通りだった。
「そう、まぁ、そういえばヴェルと同じ書籍化院から本を出しているのよね。当然よね……」
少々の呆れがエリサを襲うが、落胆や憤慨は驚くほど少ない。
エリサは他人の冒険に口を出すほど傲慢ではなかったし、そもそもどの様な状況でベッドインになるかも詳しくは説明を受けていない。
安易に判断することは危険だし、失礼であると判断したのだ。
「おっと! 勘違いするなよ! 一見すると典型的な"チート主"のアルトさんだが、彼がこうなったのには訳があって――」
エリサは様々な思慮を持ってヴェルダートが師と呼ぶ人物について判断していたが、当のヴェルダートは違った。
彼は自らが尊敬し、同時にライバルと認める人物についてエリサ達にもっと知って欲しかった。
「うわ、なんか語りだしたわ!」
「でも物語のネタバレになるのでカットされるんですけどね!」
泉から水が湧き出るかの様に件の"チート主"さんの設定について説明を続けるヴェルダート。
他所様の物語の詳細について語られることはご法度な為、バッサリカットされているが本人が気づいている様子はない。
「でも楽しそうだね。私達が違う国に行くってことは、こことは全く別の世界が待ち受けているってことなんだろ?」
「でもそんな簡単に他所様の国へ伺っても宜しいのでしょうか? ふらふらと主体性のないヴェルダートさんと違って、あちらは真剣に冒険をやっているのでしょう?」
「あう……また迷惑かけることになっちゃうのかな?」
「今回も早めに止めたほうがいいかもしれないわね」
ヴェルダートが一人演説を続ける中、エリサ達の疑問は当然のものだった。
彼らの物語はギャグの為、基本的に最終的に落ちをつければ解決する。
だが、他の"チート主"さん達についてはその限りでは無い。
彼らは皆真剣に生き、真剣に戦っているのだ。
場合によっては明日死んでしまうかもしれない様な極限状況下での冒険もある中、土足で踏み込んで荒らすような真似をされては堪らないと危惧するのも無理からぬことだ。
「いやいや、勘違いするなよお前ら。コラボってのは書籍化院でもわりとポピュラーなんだぞ」
「コラボ……? よくわからないけど、そうなのね」
しかし彼女達の疑問は演説を終えて話を聞きつけたヴェルダートによって否定される。
「ああ、コラボをすることによってお互いの読者さんがお互いの物語に興味を持ってくれることがある。そういったメリットがあるから書籍化院も機会があればコラボをするようにしているんだ」
「もっとも、世界観とかお互いの物語に対するリスペクトが必要ですからいろいろと敷居が高いのは事実ですけどね!」
――コラボ。
コラボレーションの略として使われ、一般的に書籍同士で行われるそれは一風変わった読者さんに対する特別サービスだ。
人気の有る特定の書籍同士が双方の世界を共有し、普通では決して実現しないような共闘や対立を演じる。
それによって双方の読者さんへ普段と違うは違う物語を提供する。
また、コラボはその性質上互いの作品に興味を持ってもらえる貴重な機会でもある。
『Aと言う作品が好きだからコラボを読んでみたけど、なんだかBも面白そう!』
この様に書籍化院側、読者さん側どちらにもメリットがある面白い試みだった。
ヴェルダートによる説明、その後のマオの補足。
二人からことの詳細を聞き、エリサ達も多少安心感を覚える。
ある程度習慣として存在するのであれば無作法では無いだろう。
今までに様々な問題を起こしてきたヴェルダートを見ている身として、エリサ達は何がなんでも彼にこれ以上余計な事をして欲しくなかった。
「でもヴェルにリスペクトってあるのかしら……」
「何を言ってるんだ? 俺なんてリスペクトの塊だろうが!」
「パクるのはリスペクトとは言わないのよ!」
「とにかく、俺はイーリス王国へ行くぞ! アルトさんも来ていいって言ってくれたんだしな!」
「設定とかはどうするのですか? 二つの物語が合わさったら矛盾が生じるとおもうのですが……」
問題点は一つずつ潰していかなければいけない。
息巻くヴェルダートとは裏腹に、ミラルダは己の頭脳を全て使いあらかじめ問題になりそうな点を見つけると直ぐ様指摘する。
「そこはコラボ用に特別な舞台が用意されるのが『お約束』だ。大抵が短い話で本来の物語とは完全に隔離されて行われるのが主流だな」
コラボは様々な種類があるが、基本的に小冊子やペーパー等でその場限りで終わるのが一般的だ。
特定の店舗で購入すると貰える『店舗特典』や初回購入分で入手できる『初回購入特典』などが手段としてよく用いられていた。
故に、その場限りの設定であっても物語本編が破綻せずに進めることが出来る。
「くくく。希望が湧いてきたぞ! アルトさんは書籍化院でも一、二を争う売れっ子だ。ここであの人のスタイルを真似できれば俺も返り咲くことが出来る!」
己の作戦の成功を信じて疑わないヴェルダート。
書籍化院で目立った結果を残している彼を参考することによって、自分も同じ高みに必ず登れると言わんばかりだ。
「簡単に真似できれば苦労しないと思うけどね……」
「えと……頑張ってください、私も頑張ります!」
「でも楽しそうじゃないか! どんな出来事が待っているんだろう? アルトさんも凄く強いらしいし、ヒロインの子達も強いんだろうなぁ!」
エリサが一抹の不安を吐露する中、ネコニャーゼとシズクがヴェルダートのヨイショに走る。
すでに売れっ子になった気分の愚かなヴェルダートはこの言葉に気を良くしたのか、大声で笑うと大層機嫌よくまたアルトの話を始める。
「ねぇ、マオさん。本当に今回の話は大丈夫なんでしょうか?」
どうにも嫌な予感がしてたまらないミラルダ。
確認の為マオに尋ねるが……。
「え? 全然大丈夫じゃないですよ?」
あっけらかんとした答えは、やはり彼女達が心のどこかで予想していたものだった。
「ど、どういうこと、マオちゃん!?」
「"チート主"さんには熱心な読者さんがつくのはみなさんご存知ですよね。アルトさん程有名な"チート主"さんならその数は膨大。もしお兄さんが失礼を働いてその方々を怒らせるようなことをすれば……」
"チート主"さんにはファンが付く。
その種類や特徴は千差万別だが、一貫して言えることが一つある。
『人気作品の読者さんには凄く熱心な読者さんがいる』と言うことだ。
もし万が一ヴェルダートが失礼を働いたり、相手の不評を買ったりした場合、読者さんが激怒するであろうことは間違いなかった。
それはアルトが許そうが許すまいが関係ない。
読者さんはヴェルダートを徹底的に追い詰め、決して許すことはないだろう。
……つまり炎上の再来である。
もはやリスペクトが必要と言っている場合ではない。ヴェルダートは簡単に言ったが、予想以上にリスキーな方法にエリサはサッと顔を青くすると胃を押さえ始める。
「あっ、あいたたた、これはちょっとヤバイわね……」
「賽は投げられました! 後はお兄さんの良識に期待するだけですね!」
高らかに宣言するマオ。屈託の無い表情は彼女の言わんとしていることを如実に表している。
ヴェルダートの笑い声とシズク達の盛り上げる声がどこか遠くで聴こえる中……。
エリサはヴェルダートのどこに良識が存在するのであろうか? と密かに絶望するのだった。




