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これが異世界のお約束です!  作者: 鹿角フェフ
新第五章:異世界料理は魅力的なお約束

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第二話:料理は異世界の胃袋を掴むお約束

 アルター王国の繁華街。飲食店が軒を連ねる場所から少し離れた路地の奥。

 詳しいものでしか知らないような辺鄙な場所に、いつの日からかのれんが掲げられ、暖かな光が灯るようになる。

「いらっしゃいませー! ようこそ、食堂『お約束』へ!」

 好奇心旺盛な外食好きの客が新規開拓にと扉を開けると、威勢のよい掛け声と共に芳しい匂いが漂ってくる。


 そう、この場所こそがヴェルダートが新たに開店した冒険の舞台。

『異世界料理』の店。食堂『お約束』だった。


「……らっしゃい」


 小さな店舗は人が十人も入ればいっぱいになってしまいそうな広さで、壁にはいくつかのメニューが貼られている。

 店内は比較的小綺麗ではあったが、何故かぶっきらぼうなヴェルダートの挨拶が興味本位で入店した客を気負いさせる。


「ねぇ、なんでそんなに無愛想なの?」

「やめろ、気難しい店主を演じているんだ。あんまり話しかけるな……」

「面倒臭いわねぇ」


 まるで喧嘩でもしてきたかの様に不機嫌な様子のヴェルダート。

 客商売で流石にそれはどうかと思ったエリサが小言を漏らすが、それすらも計算の範囲内らしい。

 彼本人にしか分からない理由で店の評判を落としかねない行為をするヴェルダート。

 そんな彼に反抗するかのように、エリサは精一杯の愛想を客に振りまいた。


 店の入りは上々だ。

 地元の人間でも知らないような辺鄙な場所にあるにもかかわらず、それなりに客入りがあるのが不思議だが来ないよりは何倍もマシである。

 さほど忙しくもならないだろうとエリサだけが手伝いに赴いたが、これならば他にも手伝いを頼む方が良かったかもしれない。

 忙しなく店内を行き来しながらヴェルダートが用意する料理を運び、客の注文を取るエリサ。

 ふとある事実に思い至ってしまう。

 つまり、これなら普通に飲食店で働いているのと変わらないのではないか? という疑問だ。


「ねぇヴェル? 『異世界料理』って言ってもなんだか普通にアルバイトしているのと変わらない気がするわね……。盛り上げる為に事件が必要なのかしら? 急にモンスターが現れた! みたいな!」


 客の注文もひと通り受け、運ぶ料理も今はまだない。

 忙しい中でほんの少しの時間を見つけたエリサはここぞとばかりに厨房の中で難しい顔で包丁を握るヴェルダートに疑問をぶつける。


「待て、そういうのはいらない」


 しかしながら、ヴェルダートの反応は冷淡だった。

 それどころか何か機会を窺う様にじっと店内を見つめ、同時に素早い仕草で料理を更に盛り始めた。


「必要なのは料理描写なんだ。……よしっ! 今だ!」


 威勢のよい掛け声とともに、カウンターに料理が載せられる――。



 ――じゅうじゅうと湯気を立てながら差し出されたそれは、見たことも無い肉料理だった。

 皿の中央に盛られた物は鶏肉だろうか?

 タレに漬け込んで揚げたのか、黄金色に焼きあがった表面はカリカリながらも肉汁が溢れており、見ただけでも柔らかな食感を想起させる。

 また、肉を囲むようにとろみのあるあんがかけられており、ごろごろとしたじゃがいも、人参、玉ねぎなどが入っており食べる者を飽きさせない。

 ちょこんと皿の端に載せられた緑は香草であろう。色合いのバランスが取れており、また肉の油濃さを和らげる配慮がなされている。

 香りは濃厚。揚げたての肉にすぐさま餡をかけた為か、食欲をそそる香りが一瞬にして店内の雑多な香りを押しのけて満たした。



 ほぅ、と店内の誰かが感嘆の声を漏らす。

 ごくり、と料理を受け取った客が喉を鳴らした。

 カウンターで料理を受け取った彼は、フォークとナイフを手に取ると、待ちきれないとばかりに肉汁あふれる鶏肉へとむしゃぶりつく。

 その瞬間、彼は本日この店にやって来たことを神へと感謝した。

 はふはふと、いまだ頬張るには熱すぎるそれを咀嚼しながら、初めて経験するその味覚に名も知らぬ客は歓喜とも幸福とも言える笑みをこぼした。


「す、凄く美味しそう! ヨダレが止まらないわ!」


 突然入った料理描写。

 ねっとり書かれた胃袋に直撃する表現にすでに食事を取っていたはずのエリサさえ空腹感を覚えてしまう。

 それはエリサだけではない。

 どうやら店内の別の客達も同様だ。

 全員がすでに自分の料理を注文し、それなりに腹は満たされているはずだ。

 それでも尚、食べたいと思わせる魅力がその料理にはあった。

 わっと勢い良く声があがり、俺も、私も、とこぞって追加の注文が入る。

 堰を切った様に湧き上がる注文の嵐にエリサは戸惑いながらも一人ひとり処理していく。

 何とか全員の注文を受け、大きく安堵の息を漏らしたエリサを待ち受けていたのはヴェルダートのしたり顔だ。

 その様子から察するに、この現象も含めて『お約束』の流れだったらしい。


「これが『異世界料理』で定番の料理描写だ。読者さんの胃袋を掴んで離さないんだよ。上級の主人公さんになると読者さんが食事を済ませたにも関わらず飯を食いたくなって感想が阿鼻叫喚になることもあるんだぞ?」

「す、すごいわ……」


 エリサはもはや驚きの声しか出なかった。

 今まで数多くの『お約束』と出会い、無理やりヴェルダートから説明を受けてきた彼女だったがこれほど感動的で人を幸せにさせるものは初めてだ。

 目の前で繰り広げられる光景。

 人々が語らい、笑い、幸せそうに料理を口へ運ぶその姿。

 彼女はどこか幻想的な雰囲気すら感じさせるそれをうっとりと眺めながら、人生で初めて『お約束』を評価した。


「さ、分かったらさっさと持って行ってくれ。このあと読者さんサイドでの"料理ウメー"描写も入れないといけないんだからな」


 パンパンと手を叩く音が夢見心地のエリサを現実へと引き戻す。

 今のエリサの立場は客では無く店員だ。ぼうっとしている暇はない。

 幸福なひと時に水を差された形のエリサだったが、彼女に不満は無い。

 それほどまでに今の彼女は舞い上がっていた。


「ね、ねぇヴェル! それでこれってなんていう料理!? 後でエリサちゃんも食べてみたい!」


 興奮冷めやらぬのか、ヴェルダートに若干飽きられていることにも気にしないエリサ。

 彼女はキラキラと瞳を輝かせながら、この不思議で魅力的な、人を幸せにする謎の料理の名を尋ねる。


「ん? よくわからん。俺もどういう料理かあまり深くは理解してないな」


 しかし、ヴェルダートもこの謎の料理について詳しく把握していなかった。


「なんでよ!!」


 思わず目の前にある料理とヴェルダートの顔を交互に見比べてしまうエリサ。

 何故作った本人が理解していないのか? そもそもどうやって作ったのか? じゃあこれは何なのか?

 かぐわしい香りがともすればエリサの不満をどこか遠く彼方へ連れ去りそうになる中、彼女は必死に己を保ちながらヴェルダートに抗議の声を上げる。


「いいんだよそれで。そうだな、とりあえず……ンポポホーイだな!」

「……なにが?」

「その料理の名前」

「ンポポホーイ……」


 エリサはよくわからなかった。

 明らかに今考えましたという適当な名前もそうだし、なぜこんな適当な名前にもかかわらず、こんなにも素晴らしい料理なのかも分からなかった。

 そしてなにより、なぜその様な素晴らしい料理を、この適当極まりないヴェルダートが生み出せるのかも理解できなかった。

 ンポポホーイは恐らくヴェルダートの創作料理だ。

 今まで客に出してきた料理もどれもこれもがエリサが知らないものばかりだった。

 目の前で相変わら食欲をそそる香りをたてているンポポホーイを見る限りヴェルダートの料理の腕に関しては問題ないらしい。

 では何故普通の料理も出さないのだろうか? そこに何か秘密が隠されているのだろうか?

 もはやどこから手を付けてよいかわからぬ程混乱したエリサは、取り敢えず話題を変えることを含めてその疑問について尋ねる。


「……ねぇ、普通の料理は出さないの? 私いろいろ知ってるわよ? 例えば――」

「やめろ!!」

「ど、どうしたのよ!?」


 大したことではないと思われた質問はヴェルダートによる予想外の叱責によって阻まれる。

 驚いたエリサが言葉を選んでいると、ヴェルダートがンポポホーイに視線を向け、顎で合図を送る。

 どうやら早く客の所へ持っていけと言いたいらしい。

 しぶしぶながら料理を運ぶエリサ。

 盆を片手に納得いかない様子で帰ってきた彼女に、ヴェルダートはゆっくりと客には聞こえない声量で説明を始める。


「本当は具体的な料理名を出したかったんだが、それをすると現行の『異世界料理系』の"主人公"さん達からヘイトを買ってしまうからな。もちろん、表現力で勝てないと言う理由もある……」

「…………」

「料理の種類は有限。ネタかぶりは死刑に値する。分かったな?」

「い、意外と厳しい業界なのね……」


 そう、これこそがヴェルダートが普通の料理を出さなかった理由だ。

『異世界料理』ジャンルは様々な料理を魅力的に演出することがその肝となる。

 逆に言えば、料理の数だけしか物語の演出を増やせないとも言い換えることができる。

 もちろん、世界には無数の料理が存在する。

 その全てを用いれば何話であろうが物語を進めることはできるだろう。

 だが、いつの時代も映えるテーマとは少ないものだ。

 数多くある料理ではあるが、物語と絡ませ、かつ誰しもが想像でき、魅力的に映る料理となると途端にその数は少なくなってしまう。

 よって『異世界料理』の"主人公"達は魅力的な料理を我先にと奪い合っている。

 全く同じテーマの料理を出した所で、最初と二番目どちらがより映えるかどうかなど火を見るより明らかである。

 故に彼らは料理の選定に余念がない。

 彼らにとって料理の仕込み――選定とは、まさに戦争と言っても過言ではないほどの厳しいものなのだ。


 その様な厳しい場所に迂闊に飛び込んでヘイトを稼ぐ愚をヴェルダートは侵さない。

 彼はさり気なく架空の創作料理を出し、現状日々邁進する『異世界料理』ジャンルの"主人公"さんへと白旗を挙げているのだ。

 先人に対する敬意とはヴェルダートの言ではあるが、実際の所尻尾を振っているだけである。

 もちろん、架空の料理を用いた理由はそれだけではない。

 実際の料理を出してしまい、料理好きな読者さんから盛大なツッコミを受ける事を回避する目的も含まれているのだ。

 読者さんは時として……否、大抵の場合"主人公"の知識を上回る。

 生半可な知識で大して知らない料理を語っては盛大に自爆するだけということをヴェルダートはよく知っていた。

 その点、ンポポホーイを含めた創作料理はとてもよく出来ており、非常に便利だ。

 どんな指摘をされても「あ、これ異世界の料理なんでこういう感じなんですよ」とふわっとした返答をすれば全て解決するからだ。

 全てにおいて計算しつくされたその行動。

 間違いなく『料理』に対する思い入れは皆無だ。

 注文と料理提供の合間を縫って語られるその事実。

 エリサは少々呆れてしまったが、それでも目の前で次々と繰り広げられる様々な創作料理の魅力には抗えなかったのか納得してしまう。


「まぁいろいろと言いたいことはあるけれど料理の件は納得するわ。でもやっぱりこれならアルバイトとそんなに変わりは無いわね。折角手伝いに来たのにちょっと拍子抜け」


 ンポポホーイの魅力に感動したエリサではあったが、それとこれとは別だ。

 やはり彼女の仕事はいまだアルバイトの域を出ない。

 客の喜ぶ姿を見て満更ではないものの、やはり物足りなさを感じているのは事実だった。

 口を尖らせ、ぶーぶーと文句を言い出すエリサをどう思ったのか、ヴェルダートがニヤリと笑い、料理の仕込みをしながら一言だけ告げる。


「そう言うなよ看板娘。お前が愛想よくしないと店が盛り上がらないだろうが」

「か、看板娘!? な、なんだか照れるわね!」


 殺し文句は効果てきめんだった。

 途端に頬を染め上げ、気恥ずかしそうに盆で顔を隠したエリサはもじもじと誰が見てもわかるほどに照れ始める。

 あまりにも簡単に機嫌を直してしまうちょろい性格にヴェルダートは内心ほくそ笑みながら追撃の言葉を畳み掛ける。


「しかも人気の……だぞ! お前が目当てて店に通う客もいる位だ!」

「えっ!? そ、そうなの? な、なんだか恥ずかしいわ! じゃあちょっと頑張っちゃおうかしら!」


 しゃん、と姿勢を正して客へと愛想を振りまき始めるエリサ。

 身につけたエプロンが様になっており、看板娘の何ふさわしい愛らしさと美しさを振りまいている。

『異世界料理』系に必要不可欠な看板娘要素の『お約束』を見事に演じきったエリサに満足気に頷くヴェルダート。


「ちょろい女だなぁ……」


 ポツリと呟かれた本音は、舞い上がるエリサには聞こえることは無かった。


「店主! おかわり!」

「私も! ンポポホーイを下さい!」

「俺は二皿だ! 早く持ってきてくれ!」


 エリサとヴェルダートの会話も一区切りつき、空気を読んでいた客がここぞとばかりに注文を再開する。

 その量は膨大だ。

 何故かンポポホーイばかりが注文されるが、それ以外のメニューの設定を全く考えていないヴェルダートは不満を言ったり他の料理を薦めたりすることなく注文を受け取る。


「へい、ただいま! エリサ! もうひと踏ん張り頑張るぞ!」

「わかったわ! 看板娘のエリサちゃんに任せておいて!」


 小さな食堂に活気が溢れかえる。

 巨大な王国の大きな街、路地の一角にある、小さな小さな店。

 だがそこには街中を包み込んでしまう程の幸せがある。

 食堂『お約束』。

 とある"主人公"が始めた一風変わった料理を出す食堂。

 そこでは舌鼓を打ち、語り合う声が遅くまで聞こえていた。


◇   ◇   ◇


「ふぅ、疲れたー」


 日はとっぷりと沈み、すでに辺りは暗くなっている。

 営業時間いっぱいどころか優に過ぎ去ってしまった頃、ようやく最後の客を見送ったエリサは疲労を感じさせる声を漏らしながら、うんと大きく伸びをした。

 すでに閉店の看板も出してある。

 最後の客がゆっくりと食事を楽しむ間に後片付けも殆ど終わっている。残っていることと言えば件の客の皿を洗う位だ。

 普段の冒険では決して感じないような別種の疲労感を覚えたエリサは、疲れた表情を見せながらもどこか満足気に今日の出来事についてヴェルダートに話しかける。


「なんだかんだで凄い人がやってきたわね! あんな謎の料理なのになんでかしら?」

「『お約束』だからな。基本的に異世界で料理を作る時は補正がかかる。今回はそれが良い形で働いたんだろう」


『異世界料理』ジャンルは通常の冒険とは違い少し変わったジャンルだ。

 とは言え、彼らしか料理をしないかと言えばそれは間違いである。

 異世界における料理は"チート主"さんも得意とする所であり、以前出会った"三歳児"の主人公が持ちだした『卵かけご飯』の様に和食を異世界で再現して"俺スゲー"を行う者も数多くいる。

 彼らの様な、転生前は一切料理をしていなかった者でも異世界で俺の料理スゲーを演出する為、初心者でも素晴らしい料理が出来上がる『お約束』が異世界には存在していた。

 だからこそ、ヴェルダートによる一見無謀と思われる料理も成功する結果となっている。

「ふーん。まぁいいわ。でもこれなら今後は皆が交代で看板娘のお手伝いすればいいわね! 何だかんだで上手く行きそうじゃん! エリサちゃん安心したわ!」

「そうだな。まだ一つやり残したことがあるんだが……」

 普通の店員とさほど変わらぬ仕事で多少の不満はあるとは言え、エリサは乗り気だ。

 いつもの様に訳の分からない『お約束』に振り回されるよりは何十倍も建設的でやる気が湧いてくる。

 このままずっと『異世界料理』ジャンルでやっていくのも悪く無い。

 冒険者らしからぬ考えを抱くエリサであったが、ヴェルダートはまだやり残したことがあるようで少々不満げだ。

 だがそれもすぐに解決することになる。


「すいません、まだ空いておりますかのう?」


 不意にドアを開ける音がなり、視線を向けるヴェルダートとエリサ。

 現れたのは営業時間に間に合わなかった客だった。

 ややみすぼらしい恰好に身を包んだ老齢の男性。

 品の良さを感じさせる雰囲気を持つが、その服装とのギャップがどこかチグハグな印象を感じさせた。


「あら? ごめんなさい、今日はもう店じまいしちゃったんです」

「いや、いいんだエリサ。どうぞ座って下さいお客さん」

「……ヴェル?」


 謝罪の言葉を述べ、引き取ってもらおうとしたエリサだったが、ヴェルダートによって制止される。

 何かあるのだろうかと訝しむ彼女を他所に、ヴェルダートは客を店内に招き入れ席へと案内し始めた。


「材料を切らしてまして……出来合いの物しかありませんが、それでよろしいでしょうか?」

「ええ、構いませんぞ。寒空で長く歩いたせいか体が冷え切っていましてな、できれば暖かいものでお願いしますかのう」

「わかりました、丁度良い料理があるんですよ……」


 どうやらヴェルダートは閉店後にもかかわらずこの客を持て成す算段の様だ。

 調理場の片付けはすでに終わっている。

 今から料理を始めようとすれば二度手間となってしまい、全ての作業が終わり帰宅するのは深夜になってしまうだろう。

 流石にそこまでして料理を提供する必要があるのか?

 できれば帰宅は早めにしたいエリサは客には聞こえぬ様に、小声でヴェルダートへと不満を漏らす。


「ちょ、ちょっとヴェル。どうしたの? お店閉めちゃったでしょ?」


 ぷりぷりと怒りを露わにするエリサ。

 ヴェルダートが残るのだ。もちろんエリサも残らなければいけない。

 店はすでに閉店してしまったのだ。別に今日にこだわることはない。

 多少ご足労願うことになるが、件の客には別の日に改めて来店してもらうのが筋だと彼女は考えいてた。

 だが、その考えはヴェルダートによって真っ向から否定される。


「ばっか! これが人情だよ! こういう人の温かみを感じさせる演出が必要なんだ! アイツを見てみろ、あのみすぼらしい装いを! どう考えても曰く有りげな身分だ! きっとお忍びだぞ! ここで知らぬふりをしつつ快く迎え入れて飯を出すとか最高に人情味あふれるじゃないか!」



 そう、人情だ。

『異世界料理』と人情は切っても切れない関係がある。

 人とのふれあいやそこに生まれる温かさを前面に押し出すこのジャンルにとって、重要なのはルールを守ることではなく如何にして人の優しさを演出することだ。

 確かに本来ならばエリサの考え通りに謝罪の上で退店してもらうのが正しいのであろう。

 だがその道理を曲げてこその人情だ。

 そこに人の温かさが生まれ。それが物語に深みを与える結果となる。



 だがヴェルダートの人情は善意や思いやりといった無私の心ではなく、完全に打算や計算と言った下衆い物で出来上がっていた。


「ええ、ええ、ヴェルが最高に不誠実な人である事を再認識したわ! まぁ、お客さんに罪はないから私も手伝うけど……」

「頑張れよ、一番の見せ所だぞ!」

 夜遅くにもかかわらず、やたらと張り切りだすヴェルダート。

 この場での人情演出は必ず物語の評価へと繋がる。

 もはや何らかの事情で遅めの夕食を取ろうとする客は完全に蚊帳の外だった。


 ………

 ……

 …


 ややして、料理も出来上がったのか湯気立つ一皿が客の前へと静かに差し出される。

 初めて見る不思議な料理――だが食欲をダイレクトに刺激する見た目と、何よりむしゃぶりつきたくなるような香りに客は思わず腹が鳴ってしまったことに気が付かなかった。


「これは……?」

「ンポポホーイ……ですよ」

「ほう!」


 むしろヴェルダートの店ではこの料理しか具体的な描写がない。

 その事実を知ってか知らずか、老人は感嘆の声を漏らすと美しい所作でナイフとフォークを使い料理を口へと運び始める。

 店内に響くのは老人が食事する音だけだ。

 それすらも彼の教養の高さが現れているのか、注意してようやく聞こえる程に微かだった。

 静かな時間が流れ、やがて食事も終わったのか静かにナプキンで口元を拭いた老人は、満足気に頷くとヴェルダートに聞こえる様にひとりごちる。

「いや、今までいろんな物を食ったが、これほどに旨い料理は初めてじゃ。……何より、この料理には心が篭もっておる。真の料理とは、こういうものを言うんじゃろうな」

 静かに立ち上がり、エリサを呼びつけ懐より貨幣を取り出しエリサへと渡す老人。

 受け取った貨幣を確認したエリサはそれが料理の代金としては不釣り合いな程に高価な金貨であることに気がつき、慌てて釣り銭の計算を始める。

 老人は、すでに入り口の扉を開けて外に出ようとしていた。


「お客さん。お釣りがまだよ!」

「馳走になった。それは、ほんの気持ちばかりじゃ。いや……本当に良い物を食べさせてもろうた」


 呼び止めるエリサに反して、ゆったりと答える老人。

 彼はそのまま店の外へと消え去ってしまう。

 エリサは慌てて店の外へ出ると、まだ近くを歩いているであろう老人を追いかけようとしたが、すでにそこには誰一人として存在していなかった。


「行っちゃった……。こんなにくれて。でも喜んでくれたし良かったのかな?」


 黄金色に輝く貨幣を見つめながら、店内に戻ってきたエリサ。

 ヴェルダートはどうやらこの一連の流れ全てが想定の範囲内だったらしく、調理器具を片付けながら、エリサを迎える。


「ああ、旨い料理を通じて、人と人とを繋げて行くのが『異世界料理』の真骨頂だ。あの人はまた来てくれるだろうな。常連ゲットって訳だよ」

「ふーん。遅くまで頑張ったかいがあったってわけね。ホラ見てヴェル。あのおじいちゃんあんなにあった料理をぺろりと平らげちゃってる。なんだか嬉しいわね!」


 それなりの量があり、さらには肉料理でもある為、あの老人には完食など無理かと思われたンポポホーイ。

 だが余程の健啖家なのか、それともそれほどにまで魅了されたのか……。

 エリサが下げて来た皿は、綺麗に平らげてあった。


「なぁ、エリサ……」

「ん? なぁに、ヴェル」


 ヴェルダートが皿を洗う音だけが流れる中、ポツリと彼は呟く。

 普段より幾分トーンを落とした声に、エリサも静かに応えた。


「普段言わないけどな。何だかんだで俺もこの街の人達が好きなんだよ……」

「ヴェル……」


 少し恥ずかしさがあるのか、エリサから顔を背けて皿に向かいながそう告白するヴェルダート。

 普段なら到底聞けないであろう彼の言葉にハッとしながら耳を傾けるエリサ。


「だからさ、自分でも驚きだったんだが……どうやら俺はこの仕事が好きになっちまったらしい」

「そうね! そうよね! いいんじゃない、もうこのままずっと続けていれば。案外私達にお似合いだったのよ!」


 パアッと明るく告げるエリサ。

 瞬時に明るい未来が彼女の頭のなかを駆け巡る。

 それは幸せで穏やかな物だ。

 ヴェルダートが料理を作り、エリサやヒロイン達が店を手伝う。

 代わり映えは無い。だが、大きな危機も、気疲れのする騒がしい出来事も無い。

 彼女が求めていた小さな幸せが、確かにそこにはあった。

 エリサはあれやこれやと今後の展望を並べていく。それはどれもこれも夢に溢れ、希望に満ちている。

 ニコニコと心底楽しそうに語るエリサ。安心感を覚えさせる笑みにヴェルダートも思わず吊られて口の端が緩む。

 冒険は無い。強大な敵も、深い陰謀も、世界の危機も何もない。

 だがここには確かに読者さんを魅了する物語が存在していた。


「旨い料理と人情……へっ! 悪くないかもな!」


 自分自身に、そして目の前の読者さん達に告げるように、ヴェルダートはそう締めくくる。

 エリサが今日一番の笑顔を見せた。

 新しい冒険が、優しく、ぬくもりのある冒険が今始まる。

 深夜の店内に、一条の光が天より舞い込んだ気がした。


 新たな時代の幕開けを、この時エリサは確かに感じたのであった。


 …………そんな浮ついた、おおよそギャグには相応しくない気持ちだったからだろう。

 エリサはヴェルダートが料理しいていた食材の消費期限が完全に過ぎ去って腐っていることに、遂に気づくことはなかったのだ。

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