第三話:竜
ガルアテナ山の中腹、ヴェルダート一行は麓の街『フモート』での描写などを一切を飛ばしてチュヴァーシの住処へと向かう道すがらであった。
「ねぇ、ミラルダ。
私達結構歩いたと思うんだけどチュヴァーシの住処まで後どの位かしら?」
「もう見えてくる筈ですわよ」
ガルアテナ山へ入ってかれこれ二刻程経っている。それほど大きな山ではない、先導するミラルダの見立てではそろそろ到着するかと思われた。
そうして不意に視界が開けた、チュヴァーシの住処は広場の様になっていた。
辺りには灰色をした大小様々な円錐状のモニュメントが立っており、竜言語と思わしき文様が刻まれている、広場を取り囲むように配置されたそれは異様な光景を醸し出している。
奥の山腹には大きな洞窟が見える、あそこにチュヴァーシが居るのだろうか。
祭祀場、その表現が一番適切な、どこか神秘的雰囲気のある場所であった。
「へー、見たこと無い様式のモニュメントだな、竜族の文化ってやつか?」
冒険者という職業上様々な文化を見聞きしきたヴェルダートであったが、この様なものは見たことがなかった。
ヴェルダートが新たな経験に興奮を感じていると微かにだが品のある香りが近くのモニュメントより漂ってきた、どこかで嗅いだことがある匂いだ。
ヴェルダートはその匂いの正体が貴族街ですれ違う貴族が漂わせていたものによく似ていることに気づく、これら全てが竜の魔力にあてられて変質した香石なのだ、その価値は計り知れない。
「凄いわね! 竜の住処ってこんな風になってるんだ! 神殿みたい!」
興奮の様子を隠せない二人を微笑ましく見ていたミラルダだが、しばらくすると本来の目的を思い出したのか広場の中心へ歩みだした。
辺りをキョロキョロと見回していた二人もそれに続く。
そうして広場の中心につくと、ミラルダはあらん限りの大声を張り上げた。
「チュヴァーシ! 盟約に従いミラルダ=ローナンが『戦人の儀』に参った!
その姿を現したまえ!」
「ふむ、ローナンの者………『戦人の儀』か。よくぞ参った」
響き渡るような声が広場に木霊する、
やや遅れて洞窟の奥よりチュヴァーシが現れる。
赤く巨大な竜だ、身の丈は家程もある、硬質さを感じさせる鈍い赤色の鱗は見るだけでも生半可な武器では傷ひとつ付けられない事が理解できる、また歓迎の言葉を語りかける口からは鋭い牙が見える、人が作った鎧など紙切れの如く噛みちぎるだろうそこからは吐息とともに炎が溢れていた。
ヴェルダートとエリサはその威風に圧倒される。
強大な存在を前に人ができる事など何があろうか? そこには人と竜の決して覆すことのできない種族としての大きな差があった。
「ごきげんようチュヴァーシ、御尊顔を拝す栄に賜れて光栄に思いますわ」
「良い、良い、強きものと出会え、我も嬉しく思うぞ……」
恭しい礼と共にミラルダがチュヴァーシへと語りかける、チュヴァーシは威厳に満ちた声でそれに答える、叡智を感じさせるその語りは目の前の存在が只々超越種であるという事実を否応無しに理解させられるものであった。
「古き盟約に従い、『戦人の儀』を執り行いと思います。
用意は宜しいでしょうか? 我が武技を披露致しますわ」
ミラルダが早速『戦人の儀』の開始をチュヴァーシへと告げる。
その時である。突如地面が揺れ出したのは。
何事かと慌てふためく三人を他所にチュヴァーシは落ち着き払っている。
そして唐突に地面が割れ、チュヴァーシを含めた全員が飲み込まれた。
「「「ぎゃーーーーー!」」」
…………
………
……
…
「いつつ、何だここ? 皆大丈夫か?」
「いったーい! もう何なのよー!」
「洞窟………みたいですわね、出口は無いようです」
彼らが落ちた先は洞窟の様に思われた、ざっと見る限りそれなりの大きさはあるが出口らしきものは無い、遠く先の天井には落ちてきたと思われる穴から光が差し込んでいた。
「ふふふ、驚いたか? ここは我が作りし闘技場だ」
先ほどの自身で三人同様に地下へと落ちてきたチュヴァーシが語る。
この場所はチュヴァーシによって作り上げられた場所だったのだ。
「………なぜこの様な事を? 説明を求めますわ!」
「もちろん、貴様らに我と戦ってもらう為だ」
「何故!? 『戦人の儀』は研鑽の披露のみの筈! そんな話聞いておりませんわ!」
慌てたようにミラルダが叫ぶ、それも当然の話である。その力量差に大きな隔たりがある竜と人が戦う、それは死ぬ事と同義語であった。
たとえチュヴァーシが『戦人の儀』として多少の手心を加えたとしても、その絶望的なまでの差を考えると彼女達の死は確実であるのだ。
しかしながら、こういった死ぬ死ぬ系の煽り文句が出てくる時は大抵死なないので安心して欲しい、これもまたフラグなのだ。そしてこの話はどこまでいってもギャグである。
彼らの安全は保証されたも同然であった。
ミラルダの問いにチュヴァーシが口を開く、その有様は威風に満ちている。
「理由など無い! 納得いく理由を考えたが思い浮かばず面倒だったので止めた! ご都合主義なのだ! 竜と人は出会えば戦わなければならぬ! この落とし穴もわざわざそれっぽい雰囲気を演出する為に作ったのだ。 落とし穴からの絶望的展開は『お約束』であろう!?」
「そんなっ!?」
チュヴァーシが厳かに宣言する、この竜は『お約束』的に戦いたいだけであった。 そして、ご都合主義である。物語において強引な物語展開が為される時に使用されるそれは全ての矛盾を消し飛ばす伝家の宝刀であった、そしてこの物語において極日常的に使用される宝刀である。
今回は伝家の宝刀を抜いたが、大抵の場合において竜と人が戦う時は"荒ぶる竜の討伐"だの"敵側の工作による竜の暴走"だのそれっぽい理由が採用される。そうして竜を倒したチート主さんは竜の力や竜の武器を手に入れ"俺ツエー"を成すのだ。
「なんだか一見それっぽい雰囲気は作られているけどこれ完全にギャグ時空よ! 背景の考えられていない強引な物語展開が行われているわ!」
「止めろエリサ! その考え方で行くと俺たちもこの後のギャグ展開から逃げられない事になる!」
その通りである、彼らは必死であったがすでにこの展開から逃げる事は不可能であった。
無知とは時に悲劇をもたらす、慌てた二人はこの場からの脱出を決意すると無駄とも知らずにすぐさま準備にとりかかる、取り敢えずミラルダの事は見捨てるつもりであった。
「おい! さっさと逃げるぞ! 命あっての物種だ! こんな仕事やってられるか! 俺達はトンズラさせてもらうぜ!」
「そっ、そうよヴェル! 竜と戦うなんて契約違反だわ! 私達は命が惜しいの! こんな所で死んでられない! 一瞬で安全な場所へ逃げられるこの"転送石"を使って脱出するわ! ………あれ? なんだかこれフラグっぽくない?」
「さて、戦うにあたり生き埋めになってはいけないのでご都合的フィールドを張った。 デスゲーム系やダンジョン攻略系で使われる強力なやつだ。 ありとあらゆる物を防ぐ、思う存分暴れるが良い」
エリサが転送石を使うより一瞬早く。二人の脱出が間に合わない様、絶妙なタイミングで謎のフィールドが洞窟内を覆う、遅れて転送石が効果を発現できずに砕け散った。
これこそがダンジョンを攻略していたりすると突然閉じ込められ、レベルに見合わない強敵と絶望的な戦いを強いられるあの悪名高きフィールドだ、もちろん帰還魔法や転移魔法は無効化される。
このフィールドが発生する危険性がある為、ダンジョン攻略時にモブキャラクターが主人公と同行する事は厳禁とされている、お手軽な絶望感演出の為にあっさりと殺されてしまうからだ。
「ぎゃあああ! 転送不可領域! 逃げ出せない! 綺麗にフラグが回収されたわ!
立った直後の即回収、見事な匠の技だったわ!」
「おいい! なんで余計なフラグ立てるの? そこもうちょっと慎重にならないといけない所でしょ!?」
「うるさいわね! ヴェルのセリフの時点で立っていたわよ!」
立ったフラグは全て回収する、匠の妥協を許さない強い思いが感じられた。
「さて、それではいくぞ! 耐えてみせよ!」
ヴェルダートとエリサの漫才を無視するかのようにチュヴァーシが口を開く、咆哮と共に迫り来る強大な炎はご丁寧に二人を巻き込むように吐き放たれていた。
「「うぎゃあああああああ!」」
ヴェルダートとエリサの悲鳴を合図に、人と、竜の戦いが始まった。
お約束的に二人の漫才を黙って聞いていたミラルダはチュヴァーシの炎を相殺せんと自らの火炎魔法を放つ。
「我が隻手は硫黄なり! 火炎、力を貸しなさい!」
ミラルダが自らの固有スキルへ宣言をすると同時に炎の渦がその両手より放たれる、固有スキルの宣言はその能力を開放する際に利用される独特の儀式だ、宣言を行う事でより明確に、より強大に力を行使できる。
語彙力が試されるその宣言はチート主人公にとっての登竜門だ、発想が貧弱だと何かに頼らざるを得なくなり、結果、荒野に突き刺さる剣群や、怒りの日を読者に幻視させる事となる。
「ほぉ! 火炎魔法強化の固有スキルか! 素晴らしい!」
彼女の両手より放たれた炎がチュヴァーシが放つ炎に打ち勝つ、荒れ狂う炎はそのままチュヴァーシを飲み込むがダメージを与えている様子は無い。
「我は火を司りし竜! その程度の火では傷一つ付かんぞ!」
「狭い空間でボカスカ炎を使うんじゃねぇ! 窒息死するだろうが!」
「熱の逃げ場が少ないから一瞬で高温になるわ! ローストチキンになりたいの!?」
「安心しろ『お約束』の前ではその科学的見解も無視される! 読者から突っ込まれても書き込みをスルーだ!」
「もう少し真剣に考察しろよっ!」
ツッコミに全力をかける二人を他所にミラルダは次弾を撃つ準備を完了させていた、両腕を掲げた先には今まで放ったどれよりも巨大で熱量を感じさせるであろう炎球が浮かんでいる、いか程の力があればそうなるのか、その中心はあまりの高温に白色に輝いていた。火を司る竜を焼き尽くす、道理をねじ曲げるに足る熱量であった。
「これならどうです!?」
一瞬の空白の後、ミラルダの全ての力を集約したであろう一撃が放たれる。
「面白い! どれ、試してやろう! 互いの全力を賭けた勝負だ!」
チュヴァーシは敢えてそれを耐える方法を選んだ、火竜たる自負と己の力に対する信頼がミラルダの一撃に対して回避や相殺等といった対応をすることを良しとしなかったのだ。
チュヴァーシへ常識を超えた熱量と殺意が込められた炎が迫り来る。瞬きする間も待たずに全てが決する、目と鼻の先、まさしくその通りの距離に達し、そして――――
唐突に直角に曲がり、ヴェルダートとエリサに向かう
「ぎゃああああ! 全力勝負じゃねぇのかよ! 全然できてねぇだろ!?」
「ああ、死亡フラグが、死亡フラグが見えるわ、うふふふふ」
「しっかりしろエリサーー!」
その日、二人の冒険者の悲痛な叫びがガルアテナ山に木霊した。
◇ ◇ ◇
「本当に、エライ目にあった……」
「私、まだ筋肉痛なんだけど」
火竜との死闘より数日後、いつもの酒場でヴェルダートとエリサは疲れたように呟いた。
結局あの後必死に逃げまわり、チュヴァーシとミラルダが満足するのを待ち続けた二人であったが、終了するや否や今度は落とし穴の修復をチュヴァーシより命じられたのだ。
この竜は来る人、来る人、全員に戦いを仕掛ける迷惑な竜であった。
蓋を開けてみれば土木作業が殆どであった今回の依頼、多めの報酬をミラルダより貰っていなければ訴えているところだ。
ヴェルダートがふと顔をあげると、酒場の雰囲気が違っている事に気がついた。どうした事か? 浮ついた雰囲気だ。
それが漂って来た香りによるものだと納得するのに時間はかからなかった、今までに感じたことのない感覚を己の嗅覚が訴えてくる。
まるで太陽の下、一面に咲き乱れる花々を思わせるかのように清涼感のある甘い香り、決して主張せず、かと言って存在感を失わないそれは天上の世界に香りがあるとしたら正しくこれであると言わんばかりであった、そう黙想したヴェルダートは酒場の入り口へと目をやる、覚えのある声が聞こえて来るのは同時であった。
「おーっほっほっほ! 皆様、ごきげんよう!」
香りが一層強くなる、酒場に居る誰かから、ほぅ、と言う感心の声が聞こえる、現れたのはヴェルダートの予想通りミラルダであった。
彼女はツカツカとヴェルダート達が座る席に向かうと断りも得ずに当然と言わんばかりに開いている椅子に座った。
「ふふふ、ごきげんようヴェルダートさん、エリサさん。 先日はお世話になりましたわ」
「俺は全然ご機嫌じゃねぇけどな」
「何しに来たのよ! 未だに筋肉痛が治らないのよ! 痛いのよ!」
「今日は先日のお礼をと思いまして、お伺いさせて頂きましたのよ」
「ん? 報酬ならタンマリもらったが? これだけあればかなりの間働かなくて済むからそれだけは感謝だな」
「いえ、護衛の報酬ではありませんの」
ミラルダはやや固めの調子で語りながらヴェルダートの前に一つの小瓶を置く、丁寧な装飾が施されており瓶だけでも決して安くはないであろうと思われるそれには中に琥珀色の液体が入っている。
チュヴァーシの香石より作られた香水である、香石を巡るあれこれ、そう言えばそんな話であった。
「件の香石より作りました香水ですわ。
男性用に調合しているのでヴェルダートさんにも使って頂けます」
気のせいか、少しだけ顔を紅く染めたミラルダがそう説明する、どこと無く不安げで、いつもの快活とした調子が無い。
「どういう事だこれ?」
ヴェルダートはそんなミラルダのいじらしい様子にも我関せずと質問する、女性が男性に香水を送るという事はこの世界にではやや特別な意味を持つ。『貴方に私の香りを付けて欲しい』つまり親愛の表現であるのだ、それもとびっきり上級の。
男なら一度は女性にして貰いたい事の一つではあるのだがヴェルダートとはなぜそれが自分に贈られたのかまったく理解できない。
そんなヴェルダートの心中を知ってか知らずか、ミラルダは信じられないと言った表情でヴェルダートへと詰め寄る、その有様は半ば叱責するかの様だ。
「もう! 信じられませんわ! どこまで説明させれば良いのですか?
鈍感キャラは今時流行りませんわよ?」
「おい、少なくとも俺は鈍感じゃねぇよ、気配りはできる方だと自負してるんだぜ。
それを踏まえて聞く、なんだこれは?」
「あの時、チュヴァーシの攻撃によってあわや命を失う所であった私。 それをあれほど華麗に助けておいて、まだその様なことを言いますの? つれないお方ですわね。私、殿方に守られるなんて初めてでしたのに。 貴方にとっては気配りの内に入っていないんですね」
「いや、そんな事実無かったよな!? なんで無理やりそんな話にしたんだ!?」
「ごまかすのですか!? つれないお方。 まぁいいですわ、とりあえず本日のお話はこれまで。 大切に使ってくださいね、香水、これでもお渡しするのに緊張しましたのよ」
「いや、完全にそんな素振りなかっただろ!? お前どこの時空間にいたんだよ!?」
ヴェルダートの訴えを無視したミラルダは席を立つ。
「ではごきげんよう、そうそう、エリサさん……」
「なぁに? アタシにも何かくれるの?」
「私、貴方には負けませんからっ!」
ミラルダは、そう宣言するかのように少し強めの口調で言い放つと、唖然とするエリサとヴェルダートを他所に、高笑いをしながら酒場を出て行ってしまった。
残された二人を重苦しい空気が包み込む。
「なぁ、おい……」
「ええ、言わないで」
「なんでミラルダの中ではちょっといい話的な感じで纏まったんだ?」
「言わないでって言ったでしょ、しかもなんだかフラグまで立っていたわね。 強引すぎるほどに強引よ。 でも良かったわね、お望みのハーレムに一歩近づいたわよ」
ミラルダの中では、苦楽を共にした冒険者、気の置けない友人ともなっていた彼があわやチュヴァーシの前に命を落とさんとしていた自分に対して身を呈して守ってくれた!
そして始まるラブロマンス!
みたいな感じで話が纏まっていた、しかもかなりの強引さを持って。
違和感のある恋愛フラグ、これこそが『お約束』の真骨頂である。ミラルダほど酷くは無いが物語における大抵のヒロインは脈絡もなく大したエピソードも無くチート主に惚れる。そのチョロさっぷりや読者に「こいつ誰にでも股開くんじゃね?」と錯覚させてしまう程だ。
そして、ちゃっかりとこの『お約束』に則ってヴェルダートにアプローチしたミラルダはこれからもヒロインとして物語に関わり続けるだろう、それを狙っての贈り物である。完全に計算しつくされていた。
こうして、竜を巡る強引な一連の事件は幕を閉じた。
テーブルの上では窓から入り込む日の光を浴びて、新たな友人からの贈り物が黄金色に輝いていた。