不貞を働いた主人公はひどい目に遭うお約束
ガルダント帝国、マテリア魔法学園学生食堂。
昼間であれば貴族平民問わず腹を空かせた学生で賑わうここも放課後では歓談を楽しむ一部の学生がチラホラと見られる位だ。
マテリア魔法学園の生徒は勉学に忙しい。剣術等の近接戦闘術から魔法学、場合によっては政治学や経済学も学ぶ必要があるのだ。
普通ならば学園の生徒に余裕のある時間などあまり無い。
にもかかわらずこの様な場所でだらだらと歓談する時間があるということはつまりよほど優秀であり時間を持て余しているか、もしくは学業に対して不誠実であるかのどちらかしかない。
そして食堂に並ぶ席、その端にて我が物顔で椅子とテーブルを占領してふんぞり返っているのは典型的な駄目学生のヴェルダートだった。
対面する席には不満顔のシズクが座っている。
ヴェルダートは先ほどからシズクの説教を受けていた。エリサとミラルダにボッコボコにされた彼はまったく堪えていなかった。
包帯でぐるぐる巻きにされていたにもかかわらずわずか数日で復活した彼はさも当然の様にエリサ達、そしてシズクに接している。
そこには一切の反省や後悔といった感情は読み取れない。
だからこそ、毎日のようにシズクはここで彼に反省を促す意味で同じ言葉を繰り返していたのだった。
「ヴェルダート! 話の聞いているのかい? 私は君のその不誠実さに本当に怒ってるんだけど!」
「はっはっっは。なんのことだシズク。俺にはさっぱりわからないな!」
「エリサから聞いたよ! キミは何人も女の子侍らせているそうじゃないか! わ、私のことも遊びだったのかい!」
ぷりぷりと怒りを露わにするシズク。
彼女はヴェルダートが包帯ぐるぐる巻きになっている時にエリサ達からヴェルダートに関する全ての説明を受けた。
そうしてようやく自らが共に過ごした男がとんでもないろくでなしであることを理解した。
もっとも、だからといってシズクが「さようなら」と言えるはずも無い。
一旦フラグが立ちヒロインと化してしまった少女は基本的にハーレムから逃げることは叶わない。
そうでなくてもシズクはチョロい女なのでいまだにヴェルダートのことを憎からず思っているし誠意を持って謝ってくれるならば今までのことも水に流そうかと考えている。
むしろもう半分位は許してしまっている。
とんでもない駄目女だった。
「いや、お前のことは遊びじゃないさ。本気だよ」
「う、嘘だ。だ、騙されないから! この色欲の権化! 淫欲の悪魔!」
「お前が一番だよ、シズク。信じてくれ、前世からの仲じゃないか」
「え、えっと。ほ、本当かな? ま、まぁ私とヴェルダートは前世からの仲だし許してあげないことも無いけど……」
ごらんの通りの有り様だった。
ここにエリサかミラルダがいたのならば調子に乗って天狗となったヴェルダートの鼻をへし折ってくれるのだが残念ながら二人共仲良くなった他の女生徒と遊びに出かけてここにはいない。
そのことをよく理解しているのか、ヴェルダートもあくどい笑みを隠さずにシズクの叱責にふざけた態度で臨んでいる。
「ちなみに全員一番です」
「後でエリサとミラルダに報告するよ……」
エリサ達と仲良くなったシズクはヴェルダートに反省を促す為にはエリサ達を持ち出すことが一番であることをここ数日で理解した。
彼女達……特にエリサはヴェルダートと一番付き合いが長いのだ。何か問題が起こったら彼女に相談するのが一番早い。
そう考え、何かあるとすぐエリサにチクるようになったシズクはあらゆることをエリサに報告し、度々彼を困らせる状況に追い詰めていた。
テコ入れの為にエリサ達を呼び寄せたヴェルダートだったが、早くも良くなかったかと後悔し始める。
だが呼ばないという選択肢はなかった。
――テコ入れは重要な要素だ。
物語がマンネリ化した際に行われるこれらにはいくつかパターンが分かれている。
新章に入る。新しい舞台が用意される。新しいヒロインが出てくる。今までの人気キャラが復活する。新しい敵が現れる……等。
酷い場合など現代物の物語だったにもかかわらず異世界バトルになっていたり、ラブコメだったにもかかわらずシリアスなバトル展開になっていたりと物語の方向性そのものが大きく変わる場合さえある。
そのようなことが引き起こされるテコ入れ。人気が落ちたりマンネリ化した物語には避けては通れない道だった。
ヴェルダートの物語もその様な理由で定期的にテコ入れが行われている。
そうしなければ物語を続けることが出来ないのだ。
……ヴェルダートにとっても苦渋の決断だった。
だがそもそも彼が余計なことをしなければ平和に過ごせていたはずだ。
全て身から出たサビなのだ。
「む、無闇矢鱈にエリサ達にチクるのは勘弁して欲しいな……ちょっと今はヒロインにビビって何も言い出せない『お約束』が発動しているからしばらくは頭が上がらないんだよ」
「嫌だよ! ち・な・み・に! キミと仲の良い女の子ってあの二人で全部かな? これ以上いるとかまさか言うつもりは無いだろうね!」
「いや、そのまさかでまだいるぞー」
「まだいるの!? 本当に君という人は……」
あっけらかんと言い放たれる衝撃の事実に思わず席を立ち上がり大声で叫んでしまうシズク。
食堂内にいる幾人かの生徒達の視線が集中していることに気がつくと羞恥で頬を染めながら着席し、幾分トーンを抑えてヴェルダートに詰め寄る。
「それで、君が言う一番の女性はあと何人いるのかな?」
「あと二人。シズクを入れると合計五人かー。俺も泊が付いてきたかな? そろそろ来るのかな? エリサが言うには遅れて来るみたいだが……」
「いままでいろんな人を見てきたけど、君ほど不誠実で欲望にまみれた人物は見たことがないよ……」
ヴェルダートは動じない。
もうこうなってしまっては野となれ山となれといった様子でなすがままに任せているようだ。
そんな自暴自棄とも取れるヴェルダートの態度にシズクも呆れ果てしまう。
新しい女の子が来たら全員でヴェルダートを再度とっちめてやろうと心の中で決意する。
もちろん、死なない程度にだ。
包帯でぐるぐる巻きになるのもちょっと可哀想な気がするのでもう少し控えめに。
『お約束』の効果か、まるでミイラの様な容姿となりベッドの上で唸っていたヴェルダートの哀れな姿を思い出しながら、シズクはヴェルダートに今一番大事な質問を投げかける。
つまり、残りの女性がどこにいるか――だ。
「それで他の子はどこにいるのかい? エリサ達と同じくその子達も怒り心頭だろう。闇に落ちた人間は必ず裁きを受けるんだよ。つまり、怒られるということ」
「うーん。一人――ジト目の方はおとなしいから大丈夫だけど、魔王様の方はヤバイなー。どうしたもんか。場合によってはエリサ達以上に酷い目にあうかもしれん」
心底困った様子でそんなことを呟くヴェルダート。
事実マオは今回の出来事で非常に激怒している。
ヴェルダートがどの様な目に合うかは予想も付かない。
だがシズクはマオがどの様な人物かなど露程も知らなかった。
ヴェルダートのハーレムに本物の魔王がいるなど思いもよらないのだ。
「魔王様……? 魔王みたいに怖いってことかい? もしかして本当に魔王とか? なんだか仲良くなれそうな雰囲気が……ねぇ、ヴェルダート。その子はどの位魔王様なのかな?」
「どの位って……。うーん、アイツが怒ったらマジで世界滅ぶ位かな?」
「え?」
「世界が滅ぶ。ガチで」
魔王マオを怒らせたらガチで世界が滅ぶ。それは事実だ。
想い人が自分を放って他の女と楽しく冒険していたからと言う理由で世界が滅ぼされるのもどうかと思われるが、それは事実だった。
ヴェルダートは物語がシリアスに向かわない様に必死で祈りながらなんとか今のうちにマオの機嫌を直す方法を考えようと頭を捻らせる。
「むむむ、世界を滅ぼす魔王とは中々素敵な設定。でも流石にそれは言いすぎだと――」
「こんにちは! マオがやって来ましたよ!」
「げぇっ!!」
だが、時は既に遅かった。
魔王はいつだって突然やってくるのだ。
カエルが潰れた時に上げるような声を漏らすヴェルダート。
いつの間にか彼らが陣取るテーブルの側に立っていたマオはニコニコとして屈託のない笑顔をこれでもかと振りまいている。
ヴェルダートは死を覚悟した。
「えっと、こんにちは。初等部の子かな? 私達に何か用かい? 今は世界の命運をかけた大切な話をしているんだけど……」
事情を知らないシズクはマオが幼い少女であることから自分達より学年が大幅に下の初等部の学生であると常識的に判断。
先ほどまでヴェルダートに向けていたどこか咎める様な言葉から幾分和らいだ声色でマオに語りかける。
「はい、そこにいるお兄さんに用があって来ました!」
無邪気に一点を差すマオ。指差す先は顔面蒼白のヴェルダートだ。シズクは気がついていない。
「あっ! もしかして! 貴方がヴェルダートと仲の良い女の子なのかな? そっか、良かったねヴェルダート。おとなしい子の方が先に来て。一番こわーい女の子は最後に残ったってことだよ。じゃあさっさとこの子に謝るといい。本当に酷い人だよ君は……」
シズクはマオが幼くニコニコと比較的機嫌が良さそうにしていることからヴェルダートが言うおとなしい方の女性だと勘違いしてしまう。
故にさっさと謝罪をして許してもらえればいいと楽観的に考えてしまっていたのだ。
ヴェルダートが小さな女の子に怒られて縮こまる姿を楽しもうという気持ちもあったかもしれない。
シズクの中ではごくごくほんわかとした展開が浮かび上がっていたのだ。
だが事実は違った。
「本当にスイマセンでした!!」
ヴェルダートは、それはそれは綺麗な土下座を見せた。
「ヴェ、ヴェルダートぉぉぉぉ!!」
唐突に行われるガチ謝罪。おもわずシズクも叫び声も上げている。
ヴェルダートの額は食堂の床に擦り付けられる様に下げられている。
完璧な土下座だった。
ぷんすか怒る少女にぺこぺこ謝るヴェルダートを想像していたシズクは、あまりのそのギャップに思わず思考が停止する。
だが、彼女の混乱を他所にヴェルダートへの断罪は続いていた。
「雲ひとつ無い良い天気ですねお兄さん! 主人公がフルボッコにされるにはもってこいの日ですよ!」
「こ、ここからは空が見えないから俺はわからないなー、あっはっはっはは……」
頭を下げたまま決して顔をあげようとせずにどこか歪で引きつった笑いを上げるヴェルダート。食堂からでは確かに空の様子はわからない。だがそれはマオにとって関係の無いことであった。
「そうでしたね。よいしょっと」
天地を揺るがす爆音が響く。
マオが軽く右手を握り、天上に向け開いた瞬間それは起きた。
一瞬によって練り上げられた魔力は強力な爆炎魔法となって食堂の天上を破壊する。
丸くぽっかりとあいた天上の先からは、美しい夕空が見えていた。
「ひ、ひぃぃぃぃ。天上が……」
思わず情けない声を上げながらシズクはようやく理解する。
この子が怒らせたら世界が滅ぶ魔王だったのだ。
こんなに小さいにもかかわらず今ではエリサ達以上に魔力とオーラを迸らせている。
シズクは彼女の怒りが自分ではなくヴェルダートに向いていることに心底感謝しながら、同時になんでこんな怖い子がいるのに平気で怒らせるようなことが出来るのかとある意味でヴェルダートを尊敬してしまう。
ヴェルダートは不動の体勢だ。
ピクリとも動かずに土下座を維持してマオの怒りを一身に受け止めている。
「マ、マオさん……その、怒っています?」
「お兄さんは面白いことを言いますね。大丈夫ですよ! 怒っています!」
「で、ですよねー」
ヴェルダートとマオの付き合いは短くはない。今までに数多くのやりとりを行ってきた中でヴェルダートはマオの機敏の完全に把握出来るようになっている。
その上で判断すると、今回は完全にアウトだった。
「マオになにか言うことはありますか?」
「その、新しい冒険を始めようかなって。せっかく三巻出すからちょっと違ったパターンで攻めたら読者さんが喜ぶかなって」
「読者さんのせいにすれば許されると思っているのでしょうか?」
「め、めっそうもございません!」
ヴェルダートはもはやまな板の上の鯉だ。マオに調理されるのを待っている。
ドS極まりないマオもじわじわとヴェルダートをいたぶっている。
彼女の怒りはまだまだ続く。そう思われた時、唐突に食堂の入り口より叫びがあがる。
「ま、魔王の手下が襲ってきたぞー!!」
慌てふためきながらやってくるのは見知らぬ生徒だ。
息を切らせ慌てふためきながら、まるでヴェルダート達に報告する為に来たかの様に食堂内を叫びながら一周すると帰っていく。
その不思議な様子に疑問を持つこともなく瞬時に状況を把握したシズクは、遠くから爆発音と叫び声が流れてくるのを聞き流すこと無く捉えると真剣な表情で土下座するヴェルダートと彼の頭を素足でふみふみするマオに向け声をかける。
「大変だよヴェルダート! えっと、その……マオ……さんもここは一旦置いといてまずは魔王の手下を倒さないと!」
「い、いいこと言ったぞシズク! 確かにそうだ! おいマオ! お前の許可を得ずに魔王の手下を名乗る奴が現れたんだ! これはどうにかしないといけないな! 早速行くぞ!」
ヴェルダートはこの突然の襲撃に活路を見出した。
素早い動作で土下座から復帰した彼は、キリっとした表情で先ほどまでの情けない姿など初めからありませんでしたと言わんばかりにまくし立てる。
「あれ? おかしいですね。魔王の手下が来るはずないのですが……」
「事実はそこにあるんだよ! 何があったか分からないが俺達が解決すべきだ! さぁ、早く!」
訝しむマオを無理やり納得させ騒ぎの中心へと走りだすヴェルダート。
シズクは慌てて、マオは腑に落ちないものを感じながらその後をついていくのだった。
………
……
…
騒ぎの中心は学園の広場だ。
魔王の手下が放った攻撃はそうとう強力なものらしく、既に学園の建物に甚大な被害が出ている。
このままだと学園が全て崩壊するのも時間の問題だろう。
どのような能力なのか、まるで砂で出来た城が崩れるかの様にグズグズと崩れ落ちる学園の建物を見ながら、恐怖を振り切る様にシズクが敵を指さして叫ぶ。
「あっ、あれが魔王の手下! なんて邪悪なオーラ! でも大丈夫。私達のヴェルダートの方がもっともっと強い! それに進化して新たな力を手に入れた私もいる!」
騒ぎの中心にいたのは一人の少女だ。
どす黒いオーラを放っておりその瞳と髪の毛は邪悪な魔力の影響か黒に染まっている。
もこもことした黒の服装に身を包み、頭からはちょこんと可愛らしい猫耳を生やすその少女。
雰囲気はややダークになっているが完全にヴェルダートのハーレム員の一人であるネコニャーゼだった。
「…………」
「あ、あれ? どうしたんだいヴェルダート? いつもならここで正義の宣言をするんじゃないのかい?」
ヴェルダートは動きを止める。何が何やら分からなかったからだ。
ネコニャーゼの瞳、そのハイライトが消えている。服装の色も何故かいつもの白から黒に変わっているし適当に設定だけ用意された四天王固有スキルをガンガン使って学園を破壊している。
何か非常に面倒なことが起きている予感がした。
「ああ、あれはジト目さんですね」
「なんでジト目がここでやってくるんだよ! ここは四天王が部下の敵を撃つ為にやってきて学園が炎上する予定だったんだぞ! その為の台詞とかも考えていたんだ!」
やや遅れてゆっくりとやって来たマオはその有り様をみるとあっけらかんと答える。
ヴェルダートの予想ではここで魔王デモニアークの手下、それも四天王クラスがやってくるはずだった。そうしていくつかのかっこいい演出と共にヴェルダートが勝利するのだ。
その計画は目の前で絶賛学園を破壊するネコニャーゼによって脆くも崩れ落ちてしまっていた。
「本来の四天王さんは邪魔だったので退場していただきました! むしろここら一体にいる魔王デモニアークの軍勢とやらは既にこの世にいませんよ!」
「なんでそんな余計なことをするかなぁ!」
「お兄さんに迷惑をかける為です! いまどんな気持ちですかお兄さん!? "俺ツエー"をしようとしたら片っ端からイベント潰されていてどんな気持ちですか!?」
笑顔でマオが尋ねる。
マオは相変わらずのドSだった。
彼女はヴェルダートこの国で"俺ツエー"をしていることを把握すると、直ぐ様ありとあらゆるイベントの要素となる物を潰して回ったのだ。
彼女のお陰で魔王デモニアークの軍勢は半壊しているし、地域一帯の聖剣魔剣は全てへし折られている。
新しいヒロイン候補になりそうな個性豊かな女性は全てひとまとめにした後魔法で遠くの地に飛ばされているしライバルキャラっぽい人物も全員打ち倒されている。
100%混じりっけなしの嫌がらせであった。
「え、えっと……あの子は誰なのかな?」
「あの人はネコニャーゼさん。通称ジト目さんですね! お兄さんの最後のハーレムで本当は心優しい人なのですが現在暴走中です!」
そして仕上げがネコニャーゼである。
マオはヴェルダートが自分のヒロインになんだかんだで甘いことを知っていてこの様なことを行ったのだ。
暴走するネコニャーゼにヴェルダートは簡単に手出しできない。
彼女が傷つかずに元に戻る方法を探す必要がヴェルダートはあった。
マオはその様子を眺めながら自らの溜飲を下げることにしていたのだ。
「めっちゃ闇堕ちしてるじゃねぇか……」
「毎晩散々ジト目さんに『捨てられたんですよー』って洗脳したかいがありました!」
「なんという邪悪。まさしく魔王! ……えっとマオさん? その、どうしてそんな事を?」
全ての元凶がマオであると理解したシズクは相手が年下にもかかわらずさん付けで恐る恐る尋ねる。
恐ろしい相手だが話は通じる。なぜこの様なことをしたのか純粋に興味があった。
「お兄さんへの嫌がらせです! このろくでなしお兄さんはなんだかんだで主人公属性なので自分のハーレム員を見捨てることが出来ないんですよ!」
だがその理由は非常に理解し難いものだった。
全ての理由と出来事が、シズクの常識の範囲外にあったのだ。
シズクの視線の端では学園の建物が崩壊しており、中から生徒たちがパニック状態になりながら逃げ出している。
怪我人や死者がいそうにないのは不幸中の幸いであったが、少なくとも嫌がらせで行う様なことではない。
シズクは自らが考えた中二病的設定では到底叶わないような現実が無造作に転がっていることに半ば考えることを放棄しながら成り行きを見守る。
基本的に全てヴェルダートが蒔いた種なのだ。ならばヴェルダートが責任を取るべきだろう。
そう判断したシズクはなるべく自分に被害が及ばないよう空気に徹した。
自分まで勝手に闇堕ちとやらをさせられたらたまったものではないからだ。
そういうのはノリだけで十分。設定で楽しむ分には良いが実際にするものではないとシズクの冷静な部分が警告を発していた。
「お、おいマオ! どうするんだよ。ジト目をあのままにしておく訳にはいかねぇぞ! どうやって元に戻すんだ!?」
「面白い質問をするお兄さんですね。本当は知っているくせに。どうすればいいんでしたっけ?」
不敵な笑みを浮かべながらマオが挑発するように言葉を返す。
その瞬間ヴェルダートはいつになく表情を歪める。
そう、ヴェルダートは知っていたのだ。ここでネコニャーゼを助ける方法を。
だがそれはヴェルダートにとって非常に不本意で、できることならば避けたいことだ。
もちろんマオはそのことを知りつつネコニャーゼを闇堕ちさせていた。
「く、くそっ……!」
「ほらほら、さっさと言えばいいじゃないですか! マオが聞いてあげますよ! ちなみに録音の用意もできています。 闇堕ちしたヒロインを助けるのはどういった『お約束』が必要でしたかね!?」
そう、闇堕ちしたヒロインを助ける『お約束』。
それには"くさい台詞"が必要だった。
今までヴェルダートがシズクとの冒険の端々で言って来た様な中途半端な言葉ではない。
心からの愛が篭った、いわゆる『愛の力』という実態がよくわからないがわりと物語で頻繁に出てくる要素が必要になった。
つまり、ヴェルダートはこの場でガチの告白をしなければいけなかったのだ。
ネコニャーゼは虚ろな瞳で学園を破壊し続けている。
マオはニヤニヤとした野次馬根性丸出しの表情をしており、シズクは話についていけないのか不思議そうに首を傾げている。
やがて、覚悟を決めたヴェルダートは大きく深呼吸する。
そうして両手を口の方にもっていき、ネコニャーゼに聴こえる様な大声で愛の告白をした。
「ネコニャーゼぇ! いつものお前に戻ってくれぇ! あの頃の様な笑顔を俺に見せてくれ! 俺は……俺は……。お前がいないと駄目なんだ! 愛しているぞネコニャーゼェェ!」
その瞬間。ネコニャーゼが強烈に発光すると先ほどまで彼女を覆っていたどす黒い魔力が霧散する。
そうして現れたのはいつもの彼女だ。今までの出来事をよく覚えていないのか目をパチクリさせている。
そう、真実の愛が彼女を救ったのだ。もちろん、何を持ってして真実の愛と言うのかまったくよく分からない概念ではあるがそこを指摘しないのも『お約束』だ。
「おお! なんだか凄い……じょ、情熱的だね!」
突然放たれる愛の告白。その言葉にシズクも思わず赤くなってしまう。それほどまでに心のこもった熱烈な言葉だった。
なおヴェルダートが告白するように仕向けたマオは絶賛爆笑中である。
「あっはっはっはっは! お兄さんたらあんな情けない顔でこーんな恥ずかしい台詞を言っちゃっいまいたよ! これは後でお姉さん達と一緒に聞き直さないといけませんね。何度も何度も!」
マオの手には音声を記録する魔道具が握られている。
それを操作して先ほどの告白を何度も流しながら、マオはここ最近で最高の笑顔を見せた。
「ぐおおおおお! 殺してくれぇ!」
「まだまだです! まだまだマオの怒りは収まりませんよ!」
ヴェルダートが地面を転がりながら悶え、マオが大爆笑する。
シズクはその様子をぽかんと眺めている。するとシズク同様あまり事態を理解していないであろうネコニャーゼがトコトコとやってくると不思議そうにキョロキョロ辺りを見回す。
「あれ……私何をしていたんだろう?」
「えっと、貴方は学園を復興不可能な位に破壊してたんだよ……」
「あう……どうしよう。謝ったら許してくれるかな?」
「そ、そういう問題なんだ」
闇堕ちしていたとは言え散々暴れまわって学園を壊滅に追い込んだにもかかわらず謝ってすまそうとするその精神。シズクは目の前の少女もまた一筋縄ではいかない人物であることを把握すると、小さく首を左右に振りヴェルダート達の様子を確認する。
「ぐおおおお。せ、精神的にキツイ」
「なまじいつも斜に構えているせいでこういった台詞は苦手ですよねお兄さん。いい気味です。格好良かったですよ! なんでしたっけ? 『お前がいないと駄目なんだ!』でしたっけ!?」
「もう、もう許してくれ。正直キツイ。これかなりキツイわ……」
ヴェルダートとマオは相変わらず楽しげなやりとりをしている。
はたから見れば男女がじゃれあっているようにすら見える。
つまり、二人共学園が崩壊したことについて何ら感じる所はなくイチャついているのだ。
「えと……はじめまして。私ネコニャーゼって言います。猫族です」
「わ、私はシズク。闇の……えっと、もういいや。その…………素敵な名前だね」
「わあ……嬉しいです!」
シズクの周りは非常識な人間ばかりだ。
ヴェルダートも非常識だったしエリサもミラルダも非常識だ。マオはぶっ飛んだ行動を平気でするし、最後の砦だと思っていた心優しいと噂のネコニャーゼですらこの有り様。
もしかしてこの位の図太さがないと世の中生きていけないのだろうか?
世界の法則――つまり『お約束』はここまで突拍子もない物だったのだろうか?
『お約束』を具体的に知らないシズクはヴェルダート達の非常識さに圧倒されながらもなんとかそのノリについていくことにする。
理解できる所は少ない。だが少しずつでもいい、皆と価値観を共有しよう。
そう密かに心に決めるシズク。
「あの……シズクさん。えっと、お友達になってくると嬉しいなって……」
「え? 友達かい!? こ、このタイミングで!?」
「うう……駄目でしょうか?」
「いや、友達になることは駄目じゃないよ。けど明らかにタイミングがおかしい気がするんだけど……」
だが価値観の共有はどうやら無理らしい。
根本的に考えが違うのだ。決心してわずか数秒。短い決意であった。
「わあ……嬉しいです。またお友達が増えました!」
「よ、良かったね」
嬉しそうにピョンピョンと跳ねるネコニャーゼ。
背後には崩壊した建物。
明日からどうすればよいのか、シズクの心は晴れない。
「……学園が灰燼に帰したのだけど、これからどうなるのかな?」
「あれ……明日になったら元に戻るんじゃないですか?」
「ふ、普通一日で学園は元に戻らないよ……」
「むう……おかしいですね。ところで、おすすめしたい本があるんです。薄いですけどとっても面白いんですよ」
「その、学園が崩壊したことはいいんだ……」
「あっ……そうだ、ヴェルダートさんに挨拶しないと。本当に酷い人ですよぅ」
どうやらこのネコニャーゼと言う少女はあまり人の話を聞かない子らしい。
だが残念なことにヴェルダート含め、彼のハーレムは基本的に人の話を聞かない人物ばかりだ。
自分のキャラ設定を出すことも出来ずただオロオロと心の中でツッコミを入れる彼女は今や気苦労ポジションに居座っている。
ヴェルダートの一番新しいハーレム員。自分でも気が付かずその位置におさまったシズクは『お約束』を知らないことによりこれからも大いに苦労することが運命づけられていた。
「えっと、えっと。ヴェルダートは前世からの因縁で選ばれし者だからその仲間の女の子も当然秘められた力を持っていた。だから学園が崩壊するのは当然で……あ、駄目。なんだか頭が痛くなってきた……」
学園が崩壊したにもかかわらず極普通に日常の一コマを演じるヴェルダート達。
シズクは彼らと自分の中に大きな壁があり、もの凄い温度差があることを感じると肩を落としため息をつく。
明日からこれどうするんだろう? ってかさっきさらっと魔王の手下に退場してもらったとか言う台詞があったんだけど、どういうことだろう?
シズクの疑問は尽きない。
キリっと胃が痛み出すのを感じながら、自分が考えた中二病設定以上に痛い設定を持つキャラががんがん出てくる事実に目を逸らすように、シズクは崩壊した学園をぼんやりと眺めるのだった。




