閑話:ヒロインは主人公に鍛えられるお約束
ヴェルダートの怪我も無事治り、束の間の平和が二人に訪れたある日のことだった。
帝都の宿で休むヴェルダートの部屋にシズクが何やら思いつめた様子でやってくる。
普段の元気有り余る様子の無いシズクに何があったのかと訝しむヴェルダートであったが、彼が尋ねる前にシズクは自らの想いを口に出す。
「ねぇ、ヴェルダート。私は足手まとい……かな?」
「いや、そんなことないぞ……。シズクは十分頑張っているよ」
どうやら彼女の不安は先日の敵との戦いの際全く役に立てなかったことらしい。
実際普段から中二病的な発言をしているもののシズクの戦闘能力は雑魚に等しい。
そのことを彼女も気に病んでいたのだろう、普段のどこか格好つけた設定ありきの台詞ではなく本心が見え隠れしていた。
場当たり的な答えを返しながらヴェルダート内心困ったことになったと毒づく。
むしろヴェルダートとしてはこのまま足手まといでいてくれた方がよかったのだ。
彼のヒロイン――エリサ達はそもそも全員が強すぎた。魔王であるマオはもちろんのことエリサやミラルダ、ネコニャーゼに至ってまで四天王となっており強力な力を有している。
そうそうピンチにならない彼女達とは違ってすぐピンチになるシズクはヴェルダートにとって非常にありがたい存在だった。
つまり、ピンチの度に"俺ツエー"をして悦に浸ることができる。
その為にも彼女には弱いままでいて欲しかった。ヒロインが無力感を感じて力を求める『お約束』など起きて欲しくなかった。
「でも! 私だって自分でわかってる! あの時何も出来なかった! もう弱いままでいるのは嫌なの。ねぇ、ヴェルダート。お願い、本当のことを言って! 私は足手まといだって断罪して!」
「いや、そんなこと言ってもな――ん、まてよ……」
悲痛な願いにヴェルダートも気圧される。
本当なら彼女の願いを聞いて強くなる手助けをしてやりたかった。
しかしそれでは"俺ツエー"ができなくなる。彼は普段出来ない"俺ツエー"をこの地で思う存分やりたかったのだ。
その為には彼女に訓練を施すといったことは避けたかった。
だが彼はその瞬間とある『お約束』について思い立つ。そう、訓練について『お約束』があったことを思い出したのだ。
そうなってしまっては後はもう誰にも止められない。
彼は満面の笑みを浮かべたかと思うと未だ悲痛な表情のシズクに爽やかな、それは爽やかな笑顔で言い放つ。
「そうだ! いいこと思いついたぞ! お前は本当に足手まといだよシズク!!」
「ちょっとまってヴェルダート! 今のわりと本気で心にきた!」
シズクはかつて無いほど凹んだ。
まさかこんなド直球に否定されるとは思わなかったのだ。
だがそれも仕方ないことである。
ヴェルダートは『お約束』を行う為ならどの様な下衆い行為でも平気でする男なのだ。
その為シズクはその心を根本からへし折られたのだ。
そう、今回の『お約束』は『ヒロインを心身ともに鍛えるお約束』だった。
◇ ◇ ◇
「はい。私は無力ですヴェルダート。本当に生きてる価値も無いゴミです。今すぐ死にます」
ハイライトの消えた瞳で虚ろにシズクは言う。
その様子を見ながらヴェルダートは満足気に頷いた。
まずは心を全力でへし折り、そこに新しい価値観を打ち込む。
そうすると人という生き物は簡単に洗脳されるのだ。
どこぞのカルト宗教で行われているような恐ろしい手法を平然と自分を慕う少女に施す外道。それがヴェルダートという男だ。
だが仕方ない。それもこれもシズクを強化する為だ。そして『お約束』を実践する為だ。
ヴェルダートはそう自分に言い聞かせ、鬼の心を持ってシズクを洗脳したのだった。
そしてその成果がようやく実を結ぼうとしている。
「よろしい。自分の無力さをこれでもかと理解した所でそろそろお前を鍛える段階に来たと思う! これから厳しい訓練になると思うがめげずについてこいよ!」
「でもヴェルダート。私を強くしてくれるってのはとっても嬉しい、けどやっぱり時間がかかると思うんだけど……。魔王の配下達を追っている最中なのにそれって大丈夫なの?」
消えていたはずのハイライトを一瞬で元にもどしたシズクは自らの疑問を口にする。
もちろん先ほどまでの洗脳キャラはなかったことになった。
面倒くさい設定は引きずらないのが『お約束』だからだ。
「大丈夫だ、誰でも簡単に強くなれる魔法の様な方法があるんだ」
「凄い……。流石ヴェルダート。でもそれって代償が必要なんじゃないかな? 悪魔に魂を売り渡して力を手に入れるみたいなのは正直ちょっとどうかと思うんだけど」
「安心しろ。リスクは無い。だからこれは秘密中の秘密なんだ。誰にも言うなよ。俺とお前だけが知っている秘技だ」
「ふ、二人だけの秘密……。誰にも明かせない秘技……」
謎めいたその忠告が彼女の心にヒットしたらしい。
シズクは途端に瞳を輝かせると、ニコニコとご機嫌な様子でヴェルダートの言葉――秘技の正体が明かされる瞬間を待つ。
そんな彼女の目の前、テーブルの上にドカリと置かれたのは一つの書物だった。
「…………? これは何?」
突然出されたそれにぱちくりと目を瞬かせ、シズクはしげしげと眺める。
ヴェルダートが満足気な笑みを浮かべていることからその本に強くなれる方法が記されていると判断したからだが、彼女にはそれが一向になにやら分からない。
ヴェルダートが取り出した本、その表紙には「化学A」と記載されていた。
「転移したての学生"チート主"さんから二束三文で買い叩いたんだ。幸いなことに異世界で何故か言語が通じる『お約束』のお陰で俺達も難なく読むことができる。普通は言葉は通じても文字は違うんだがそこはご都合主義的に読めることになっていて助かったぜ」
ヴェルダートが説明する言葉が何一つわからないシズク。その思わせぶりな態度に珍しく文句を言いそうになったがそれをぐっと堪えて本を読み始めることにした。
強くなりたいという気持ちは嘘ではないのだ。
どの様な形であれそれにヴェルダートが応えてくれるのなら頭ごなしに文句を言うのは憚られた。
複雑な気持ちでページを捲るシズク。だがすぐにその思いは驚愕に変わる。
「化学A」と銘打たれたその本は、彼女が今まで見たどんな本よりも美しく、そして驚くほど緻密だった。
「凄い、まるで実際にそこにあるかの様に綺麗な絵……それにこの紙、貴族……ううん。王族ですらこんな美しい紙はもしかしてこれって古代文明から発掘された――」
「あ、ストップ。そういうのはもう既に俺がやったからやらなくていいぞ」
「え? えっと……そ、そうなの……」
テンションも上がりノリノリで解説しようとしていたにもかかわらず理由も分からず否定されたことにショボンリとするシズク。
それもそのはず、この「化学A」は"チート主"さんが転移時に一緒に持ってきた現代性の書籍であり『お約束』としてヴェルダートが入手時にさんざん現代アイテムスゲーをやっていた代物なのだ。
ファンタジー世界の技術力で作ることが出来ない現代アイテムを見て驚くのは典型的な『お約束』だった。
ちなみに、ヴェルダートがこれら現代アイテムを"チート主"さんから入手していたのは時間が経った頃に"チート主"さんがその価値を正確に把握して買い戻すことを見越してだ。
当然その際はふっかけるだけふっかける予定である。
ヴェルダートとはそういう男だった。
そしてヴェルダートがこの「化学A」――つまり化学の教科書を取り出したのには訳がある。
科学の概念を理解しての魔法力強化。
これもまた『お約束』だった。
「シズクは確か魔法剣を使うんだったよな? 難しくて普通のやつには中々使えないことで有名な"チート主"さん御用達の技だが……この本を読めば魔法の発動が今より何倍も効率的になるぞ」
魔法剣は刀身に様々な魔法を纏う"チート主"さん御用達の技だ。
その難易度と見た目の派手さから非常に人気がある。
シズクが魔法剣を習得していたのも単純に"チート主"さんと同じ理由からであったが、ここにきてそれが良い方向に向かっていた。
「え? 本を読むだけで魔法の発動効率が上がるの? 本当に?」
夢の様な話にシズクは信じられないと言った表情で尋ね返す。
科学の概念を修得することによって魔法は強化される。
通常ファンタジー世界の人々は科学的な知識を持たずに魔法を使用している。
つまりなぜ炎が燃えるのかということを根本的に理解せずに炎を魔法によって生み出しているのだ。
そこに科学の概念を導入するとまるで火に油を放り込むかの様に魔法の威力が上がる。
それが"チート主"さんの強さの一端であり、ヒロインをお手軽に強化される際に高頻度で使われる手法でもあった。
もちろん、そもそも魔力という概念がある世界で現実の科学法則が適応されるのか? だとか、なんでイメージを変えただけで魔法の威力があがるのか? 等といった空気の読めない発言はしてはいけない。
科学を勉強すると魔法が強くなる。
それが真理であり、『お約束』だった。
ヴェルダートはその法則にのっとってシズクに科学を学ばせる。
まずは火の発生する仕組みに関してだ。それが一番オーソドックスな科学知識であり、比較的専門知識が無くても説明できることであるからだ。
そうこうしている内にシズクも教科書の内容をあらかた読み終え本を閉じる。
「じゃあ、空気の燃焼について理解した上で、試しに魔法を使ってみろよ」
ヴェルダートに促され手をかざし魔法を詠唱するシズク。
半信半疑ながらも、先ほど学んだ科学知識を意識しながら魔力を手に流す。
すると驚いたことにヴェルダートの言う通りいともたやすく手のひらに炎の塊を生み出すことが出来た。
「す、凄い! ヴェルダート! 本当に魔法の発動効率が上がっている!」
「だろ? だろ? いやー、教えた俺も鼻が高いわ」
今までに無いほど簡単に生み出された炎を喜びの表情で眺めるシズク。
ヴェルダートもヒロイン強化の『お約束』が出来たのが嬉しかったのが満足気に頷く。
だが、笑顔で炎を眺めていたシズクは何かに気がついた様子で表情を変えると炎からヴェルダートへと視線を移し自らに湧いた疑問を口にする。
「私に秘められた力が古代文明の遺産によって遂に開花した……。所で、これって本の通り考えるなら酸素が燃焼によって別の元素と結合されていると思うんだけど、魔力がその触媒になっているとして化学式はどうなっているのかな?」
「えっ!? う、うーん。ちょっとあんまりそういのはわからないな。別にそこまで詳しく把握しなくてもいいんじゃないか?」
突然の質問に動揺するヴェルダート。
まさか中二病溢れるシズクが科学的な根拠を求めるとは思ってもいなかったのだ。
正直な所、彼も適当にそれっぽいことを言っているだけで専門的知識を有しているわけではない。
そしてそれらに触れることは非常に危険な行為だった。
シズクがその様な科学知識の『お約束』について知らないことを重々承知しているヴェルダートであったが、彼はシズクがその豊かな想像力を持って適当に理解してくれると判断していたのだ。
だが残念なことにシズクは意外と頭の回転が早く物事を理解する能力に長けていた。
自らの降って湧いたお手軽に強くなれる機会。
彼女は中二病的な解釈を交えつつも科学と呼ばれるその仕組を全力で理解しようとしたのだ。
ヴェルダートの頬につつ……と冷や汗が流れた。
「あ、ちょっと待って。水素の燃焼反応を思い出してみる。きっとヒントが隠されているはず……」
「おい、それ以上はやめるんだ」
「ど、どうしたの怖い顔して……」
真剣な表情でシズクの考察を止めるヴェルダート。
シズクも突然のことに驚き、炎を消してキョトンとした表情でヴェルダートを見つめ返す。
「俺達はいつだって半端な知識でそれっぽくやらないといけないんだよ。無駄に拘ると粗が出て設定の矛盾が起きる」
「えっとそれは?」
ヴェルダートの言うことが理解できず思わず聞き返してしまうシズク。
彼はふうと大きなため息をつくと、真剣な表情でシズクを見つめ返し簡潔に答える。
「難しい話をしだすと間違った時に読者さんが指摘してくるから深く考えずフィーリングでやれ」
沈黙が支配した。
つまりヴェルダートはこう言いたいのだ。
専門的知識を専門的な話をせずに使え……と。
もちろんそれで納得するでシズクではなかった。
「世界の謎を紐解く機会があるのにそれに挑まないのは私のポリシーに反する。ヴェルダート、悪いけれども貴方の忠告はきけない……」
「おい! だからやめろって! 内容を読んで覚えた体で話を進めろ! ただし細かい法則の話はするな! さっきみたいに化学式を持ち出すとか本当になにが起こるかわからないんだからな!」
「安心してヴェルダート。私はこんな所で終わる人間じゃない。必ず――世界の謎を解き明かしてみせる。そして貴方の元に戻ってくるから……えーっと、まずは燃焼温度と光度の関係性から――」
「やめろって言ってるだろ! したり顔で難しい専門用語使って間違い指摘されたらどうするんだよ!!」
結局、シズクは魔法の発動と科学的仕組みについて考察することをやめず、ヴェルダートはそのシーンをバッサリとカットすることによってことなきを得たのであった。




