物語は回想から始まるお約束
陽の光が木々の隙間より差し込み涼しげな風が頬を撫でる麗らかな午後。
ガルダント帝国と呼ばれるはるか遠くの地、そのとある場所。
比較的視界が開け、道が舗装されて人の往来を感じさせる林道を歩むのは一組の男女だ。
一人はヴェルダート。
普段と変わらぬ格好――冒険者としての装備に身を包みながら同行する相手を気遣うように普段よりペースを落として歩いている。
もう一人は見慣れない少女だ。
見た目から判断する年齢はヴェルダートと同じく十七歳位。長い黒髪が特徴的で、謎の国家である東の国特有の紫の和服に身を包んでいる。
もちろん、和服と言ってもこの世界はファンタジーなので一般的に認知されている様な物ではない。
ファンタジー世界における和服は大抵の場合丈が短く足が露出されるようになっており、全体的にヒラヒラとした装飾がついている。
和服と言いながら雰囲気が少し似ているだけの全く別物。
それこそが一般的なファンタジー世界に現れる和服の『お約束』だった。
この様な法則にのっとって少女の服装も丈が膝上までしか無いミニスカ和服だ。
更には左右非対称の独特な袖をしておりその右腕にはこれみよがしな包帯をぐるぐると巻いている。
もはや和っぽい格好と表現するだけでもクレームが付きそうな装いだ。
更にはその背丈から考えるとかなり大きなサイズの『お約束』武器"KATANA"を背負っており、その瞳は不思議な事に左右非対称で赤と黒であった。
そんな独特の雰囲気を持つ少女は、やや疲れた様子で眉を顰めると半歩前を歩くヴェルダートへと声をかける。
「ヴェルダート。……後、どの位で街に着くの?」
「そうだな……地図によるとそろそろなんだが。長旅で疲れたのか、大丈夫か?」
懐から地図を取り出し何やら現在地を確認していたヴェルダートは、少女の方へ向き直ると彼女の表情に疲労の色を確認する。そうして今まで誰も見たことが無い様な優しげな表情で少女の瞳をじっと見つめ労りの言葉を告げる。
その言葉を聞いた少女は頬を赤らめ、もじもじと何やら己の腕に巻いた包帯をいじりだす。
包帯はまるで腕全体を隠すかの様に巻かれており非常に痛々しい。
だが不思議なことに少女は包帯を巻いたその腕をかばう様子も無くごく自然にしている。
怪我をしているから付けているはずの包帯。
彼女の行動だけを見ているとまるで怪我をしていない様にすら見える。
ヴェルダートと少女、二人共がその包帯に言及しないまま会話は続けられていく。
「大丈夫。この位なんてことは無い。だが、もし、もし私が耐えられず――」
すぅっと息を飲む少女。
ヴェルダートは彼女の視線をまっすぐに見つめ返しながら言葉を待つ。
そして。
「もう一人の私――堕天使の力が暴れだしたら、その時は……ヴェルダート。君に止めて欲しい」
非常に痛々しい台詞が放たれた。
「…………任せておけ、俺が全力で止めてやるからな」
ヴェルダートはどの様な想いか、少しだけ沈黙し返答する。
「その言葉を聞いて安心したよヴェルダート。これで闇の力が暴走しても大丈夫そうだ」
包帯を巻いた腕を抑えながらどこか嬉しそうに語る少女。
そう、この少女はいわゆる中二病と呼ばれるキャラだった。
中二病。
この単語、そもそもは中学二年生頃といった思春期に見られる背伸びした言動や行動を指している。
だが現在では言葉が使われていくうちに少々別の解釈が行われており、自らに秘められた闇の力や別人格の存在を頑なに信じておりそれらの設定をこれみよがしに人前で披露したりする人物のことを指していた。
そしてここ数年、中二病という言葉は大いに広まることになりいわゆる中二病キャラといった奇抜な発言を行い読者さんを楽しませるキャラが増えている。
まるで最近厨二病が流行っているから入れてみましたと言わんばかりのそのキャラ設定。
ブームに乗っかるのもまた『お約束』だ。
中二病キャラの言動に呆れながら脳内でツッコミをいれるやれやれ主人公。
そして空気を読まずに中二病的な言動を繰り返して喜ぶヒロイン。
世にはそのような構図がしばしば見られていた。
だがどうしたことか、本来ならツッコミ役となるはずのヴェルダートは少女の言葉に何かを指摘するでも無く歩みを進めている。
その表情も普段見せないような真面目くさったものだ。
普段は見せない男らしい表情で真剣に前を見つめるヴェルダート。
少女もそんな彼の凛々しい表情をチラチラ盗み見ながら、「彼が選ばれし者? いえ、でもまだ判断する訳には……」とブツブツつぶやいている。
しつこく説明するが普段のヴェルダートはこんな表情はしない。
彼はどこまでいっても自分に正直で真面目に生きるという概念の存在しない男だ。
先ほどの少女の言葉も普段ならすぐにツッコミを入れて矛盾点を指摘して相手を泣かす位のことはするだろう。
だが、残念なことにこの様な状況にあってもヴェルダートは彼女へ何らかの指摘を行うことは無い。そして痛い発言を繰り返す少女の違和感ある発言を指摘する者は他には誰もいない。
いつもなら当然の様に側にいるであろうエリサ達も不思議なことにどこにも見当たらなかった。
ツッコミ役不在の為ひたすらこの微妙な空気が流れている。
この場はどこまで行っても茶番が続くだけ。正直見ている方も飽き飽きしてくる。
そのことをヴェルダートもよく理解しているのだろう。
これみよがしなチラチラで何やらシリアスっぽい雰囲気をアピールした彼は、そろそろ読者さんが話についていけなくなって来たであろうことを察して少々大げさな態度で空を見上げ呟く。
「それにしても……俺達が出会ってもう一週間になるんだな」
「そう、あのからもう一週間も経つの……」
唐突に思わせぶりな台詞を吐くヴェルダート、同じく思わせぶりな台詞で頷く少女。
ツッコミ不在の為、非常に気持ちの悪い会話が続く。
もちろん止めるものは居ない。
風に揺られた木々の隙間から少し強めの日が差し込みヴェルダートの瞳に入り込む。
彼は眩しそうにその光を自らの手で遮ると何かを思い出すようにため息をつく。
そして同じく空を見上げた少女と共に、場面は回想シーンへと入っていった。
◇ ◇ ◇
「き、君は誰だい……」
魔物に襲われていた少女は自分が助かったと安堵した瞬間思わずそう呟いた。
一週間程前のことだ。少女を襲った魔物による襲撃は突然だった。
かねてから冒険者になりたいと希望していた少女が自らが住んでいた村より許しを得て初めての冒険に繰り出したその日の出来事。
街を定期的に行き来し物品を運ぶ商人の護衛の仕事を請け負った彼女を待ち受けていたのは予想外の敵襲だった。
突如現れたゴブリンの群れ。
普段から帝国の騎士団が治安を預かり滅多なことでは魔物等が現れることの無い主要街道における護衛任務だったが、なぜか今回ばかりは都合よくゴブリンの群れが討ち漏らされ偶然少女達にその牙を向けることとなってしまっていた。
現れても野犬程度だろう。その様な気の緩みが少女にもあったのかもしれない。
気がつけばすでに包囲されており、なんとか自らの護衛対象を逃がすことで精一杯。
商人はすでに彼女と荷物を捨てて遥か彼方に逃げている。
責任感の強い彼女だけが取り残されていた。
念の為にと雇われた経験乏しい新米冒険者の彼女だけが泡を食った形だ。
後は死を待つのみ。
ジリジリと包囲が狭まり、彼女が恐怖に心折れそうになったその時――。
「大丈夫か!?」
彼女にとっての英雄は現れた。
そこからは圧倒的だった。
モルゲンステルンと呼ばれる殴打武器を振るうその男はまるで暴風が木々をなぎ倒すかの様にゴブリン達を蹂躙すると、未だ恐怖に立ちすくむ少女の元へとやってくる。
「無事……みたいだな。俺の名前はヴェルダート。お前は?」
「あ、えっと、えっと……」
先ほどまで襲っていた死の恐怖から思わず素が出そうになった少女は慌てて自ら作り上げた設定を思い出すとコホンと咳をして居住まいを正して包帯を巻いた腕を抑える。
幸いなことにヴェルダートもさして気にしている様子もなかった。
気づかれぬよう胸をなで下ろした少女は、今度こそはと命の恩人へと礼を言う。
「わた……我が名はシズク。堕天使の力をこの身に秘めし龍の血を引く戦士」
ようやく明かされた彼女の名前はシズク。
そして新しいヒロインでもある。
もっと早くに説明しても良かったにもかかわらずもったいぶってこの段階まで伏せられていたのはその為だ。
彼女こそがこの新しい物語を彩るヒロイン。
だからこそこれほどまでに過度な演出を持って紹介された。
出会いを劇的に演出するのは『お約束』だ。劇的な出会いと様々な冒険を通じて、二人の絆は育まれていくのだ。
「しかし良かった。あのままだと私の腕に封じられたもう一つの人格が開放され大変なことになっている所だった」
謎の設定を早速披露するシズク。
もちろん彼女は龍の血など引いていないし別の人格も無い。堕天使も関係ないし生まれも完全に田舎にあるなんの変哲もない村の一つだ。
中二病を患っている人物が好きな設定の一つがこれだ。
自分は特別な存在であり、その力を封じている。
その様なテーマで作られる設定は千差万別であり、中二病を患う人物それぞれのキャラクターが色濃く現れる。
もっとも、大体が前世だの闇の力だのと言い出したり難しい読みをする単語を引っ張ってきてしまうので、あまり代わり映えは無く傾向としては一緒になってしまっていた。
シズクもそんな典型的な中二病患者の一人だ。
彼女の設定の中では自分は竜の血を引く一族の末裔で、更には堕天使の力を持ち封印されし第二の人格が存在していることになっている。
瞳の色が左右違うのも力を瞳に封印するあまり抑えきれぬ魔力が朱色として現れている設定だ。基本的にシズクはいろいろ封印されまくっている。
もちろん彼女の瞳は実際のところ特注の色付きガラスをつけているにすぎない。
今まで数多くの友人や家族、知り合いがシズクの言動を諌めてきたが彼女はその言葉全てを謎の組織による暗躍とし納得している。
ちなみに彼女が持つ第二の人格とやらも謎の組織が関係しているらしい。
もちろん中二病患者がそれらの設定の細かい矛盾を気にする様なことはない。
とりあえず思いついたからそれでオッケー。よく分からず強大な敵を出すのも中二病患者の悪い癖だった。
だからこそ、彼女は大げさな表現でいかに第二の人格が暴走すれば危険かを初対面のヴェルダートに伝える。
それこそが彼女のアイデンティティであり、彼女が最も満たされる……つまりテンション上がってドヤ顔になれる瞬間だったからだ。
「ああ、確かに俺もその波動を感じた。危なかったな。もし封印が解けていたらここら一体が更地になっていた所だ」
「え!?……あ、ああ!」
そしてヴェルダートはその設定に全力で乗っかる。
今まで誰も自分の話を信じてくれなかった。むしろ何故か発言に関して注意を受けたりもした。
その件に関して謎の組織による集団洗脳と言う形で自分を納得させていたシズクではあったが、思いもよらず賛同者が現れて一瞬素が出てしまう。
今まで彼女の周りにはその発言を否定する者しかいなかった。
ようやく彼女の言葉に耳を傾ける人物が現れたのだ。
これはもう完全にこの人は仲間だ。そうに違いない。
シズクがその様に判断するのは当然のことであった。
「その……少々驚いているのだが、やはり君も選ばれし者なのかい?」
「ん? ……バレちまったか、あまり大きな声で言うなよ? どこで奴らが聞いているかわからないからな」
「……っ!? す、すまない! 私としたことが!」
既にシズクの中ではヴェルダートは特別な存在だ。彼の来歴がどの様なものであるかウキウキとした様子で設定を練っている。
最終的にシズクの中で光の戦士にされてしまったヴェルダートはその事実を知ること無くシズクの話に真剣に応えている。
ちなみに、このやりとりを通じてシズクはヴェルダートに惚れた。
ヒロインが主人公に惚れるのはなるべく早いほうが良い。
納得のいく流れよりはどれだけ早く主人公に惚れるのかがより重要だ。
それが現在のトレンドだった。
ヴェルダートがシズクの言葉に対して何を思ったのかは定かではない。
だが彼女の言葉に合わせる方が良いと判断したのは確かだろう。
ヴェルダートはその内心を悟らせること無くシズクの発言を肯定する。
何も知らないシズクは当然ヴェルダートになついている。なんだかんだで自分と同じノリの仲間が欲しいのだ。
中二病とは厄介な病気だった。
謎の力を有していたり、邪悪な敵と戦っていたり、謎の問題を抱えていたりで人との付き合いを避けようとする彼らだがそれは事実は少し異なる。
人を避けようとしているのはあくまで設定なのだ。
彼ら自身が本心から人との交流を避けようとしている訳ではない。
どちらかと言うと数々の中二病話で盛り上がることの出来る仲間が欲しいのだ。
それが彼らの実情であった。
「私もこの人について行けば……きっと」
「ん? なにか言ったか?」
「いや、なんでもない。」
「そうか、ならいいんだが」
「君は冒険者だよね? じゃあ――」
故に、彼女がここではいさようならと別れるはずがなかった。
こうして中二病という設定を持ちながらも典型的ヒロイン素質を持つシズクは当然の流れの様にヴェルダートへの同行を申しでる。
この後いくつかのやりとりがあり、まるで予定調和の様にシズクとヴェルダートは仲間となる。
否、全て予定調和なのだ。
もちろん、出会ってちょっと助けられたからって惚れるってどうよ? とか、初対面でそこまで信頼するって危険すぎない? なんて野暮なことは聞いてはいけない。
出会いは劇的であり、感動的でなければいけないからだ。常識は関係ない。
それが『お約束』なのだ。
ヴェルダートとシズクはお互いのことを話しながら街へと戻ってゆく。
こうして、シズクと言う名の新ヒロインはヴェルダートと出会った。




