第二話:賊
ミラルダから依頼のあった日から数えて二日後の早朝、入場門前で彼ら三人は出発の待ち合わせをしていた。
本日はガルアテナ山麓の街、『フモート』まで向かいそこで一泊、翌日ガルアテナ山のチュヴァーシを訪れる予定となっていた。
そして『フモート』は明らかに適当に付けられた名前であった。
使い慣れた革の鎧を着こみ、愛用のモーニングスターを腰に付けたヴェルダートが待ち合わせの場所に行くと、すでに二人は到着しており、自分を待っている所だった。
もう少し早めに来るべきだったかとヴェルダートが思いながらエリサとミラルダに近づくと、二人共ヴェルダートに気がついたようで挨拶をしてきた。
「おっはー!」
「おはようございます、ヴェルダートさん」
元気の良い挨拶だ、朝に弱いヴェルダートはこのような早朝からでも元気一杯な二人に感心しながら返事を返す。
「おう、おはようさん、久しぶりにこの時間に起きると眠いわ」
「ふふふ、お寝坊さん! 冒険者としては何時いかなる時でもすぐさま対応できるようにしておかなくちゃ失格よ!」
「うっせーよ、俺は夜型なんだよ、闇夜に吠える俺は一味違うんだぜ? 体験してみるか?」
ヴェルダート童貞である、悲しき負け犬の遠吠えになんとも言えない気持ちになったエリサは努めて優しい笑顔を返した。
「おいコラ、何だその微妙な顔は! 馬鹿にしてんのか!?」
「だって、その………ヴェルってば……あれでしょ? まだでしょ?」
「オーケー、エリサ、それ以上は言うな。俺が悪かった、いいか? 何も言うなよ?」
「べっ、別に気にする事ないじゃん! 女の子はそういうの気にしないわよ!」
「何も言うなって言ってるだろうが! そういう微妙なフォローが傷つくんだよ! 夜、不意に思い出して枕を涙で濡らすんだよ!」
「ウジウジすんなっ! 気にしないって言ってるでしょ!」
童貞に不用意なフォローは厳禁である、この場合エリサが全面的に悪い。
二人のやり取りを他所にミラルダは本日の行程を考えていた。
フモートまでは『老騎士の休息亭』がある商業都市ボルシチより徒歩で半日程度である、この調子だと少々時間がかかるかも知れないがそれでも問題ない。見立てでは夕刻までにはフモートへたどり着ける予定だ、そろそろ出発したほうが良いだろうと判断すると未だに言い争いをする二人に割って入る。
「まぁまぁ、お二人とも落ち着いてください、とりあえず出発しましょう、いくら時間があるとはいえ歩かないことには目的地には着きませんわ」
「む………まぁそうだな、とりあえず適当に歩いて行くか、"主要街道じゃ間違っても面倒事なんて起こらない"だろうしな」
「ふーんだ! ヴェルなんて知らない!」
不満が残るのか、ブツブツと文句を言いながらヴェルダートが歩き出す、同じく歩き出したエリサは不貞腐れている。二人に緊張感は一切ない、危険性があるとも思っていない様子であった。
故にフラグも気づかずに立ててしまうのであった。
◇ ◇ ◇
「ミラルダってば意外と体力あるのね!」
先ほどの不機嫌はどこへ行ったのやら、数分も歩かずにいつもの調子を取り戻したエリサがミラルダへ楽しそうに話しかける、貴族にも関わらず軽快に道中を進むミラルダに感心した為だ。
「こう見えてもローナン家の娘ですもの、幼い頃から身体は鍛えておりますわ、魔法使いとは言え、この程度できなくては笑われてしまいますわ」
この世界では、訓練や魔物の討伐等によって得られる"経験値"と名付けられたある種の力を用いて自らに必要な能力を取得・強化する仕組みとなっている。
スキルと呼ばれるこの能力は、様々な分野、様々な種類において存在し、無数にあるスキルから取捨選択を行い、自らの力量を上げていくのだ。
尖った設定は嫌がる読者が出る。この物語はごくオーソドックスなスタイルを採用していた。
そしてミラルダの名乗る"魔法使い"とは、魔法系のスキルを主に習得していると言う事を端的に表した言葉であった。
「へぇ! 魔法使い! 得意分野は何かしら?」
「属性攻撃魔法が得意ですわね、自慢じゃないのですが、固有スキルもありますのよ?」
「凄いわ! ねぇねぇ! どんなスキルなの? 良かったら教えて!」
固有スキルとは稀に発現するとされる通常のスキルとは別種のスキルである、生まれた時から所有している者も居れば、何かの事象をキッカケに発動する事もある固有スキルだが、その効果は小さいものから大きいものまで様々だ。
転生時に神様がくれるスキルがこの固有スキルにあたる。チート主はこれら固有スキルを利用して"俺ツエー"や"俺カッケー"を成し遂げていくのだ。
「ええ、特定魔法能力上昇系の固有スキルで―――あら?」
自分の能力について説明しようとしたミラルダだが、不意に違和感を感じる。気づかれぬようにそれとなく周囲を観察すると、周囲に複数の気配が感じ取れた。
(囲まれていますわね……)
「……ヴェル」
「ああ」
ヴェルダートとエリサも気づいたようだ、ヴェルダートはすでに武器を構えており、エリサも腰のベルトよりダガーを抜きつつ強襲に備えて辺りに注意を向けていた。
「へへへ、命が欲しければ金目の物を置いていきな、おっと! もちろんそこの女も置いて行ってもらおうか」
目の前に現れたのは小汚い男だった、何日もまともに身体を洗っていないであろう黒く薄汚れた肌、使い古されたボロボロの服、これ見よがしにチラつかせている赤く錆びついたショートソードはろくに手入れもされていないことが明らかだった。
少し遅れてこちらを包囲する形で他の仲間が現れる、種族は様々だが、どれも初めの男と似たり寄ったりであった。彼らは一様にへっへっへと不思議な笑い方をしている。
ちなみに、見通しの良い平原のど真ん中であり商業都市ボルシチより徒歩三〇分の地点である。追い剥ぎを働くには不適切この上ない立地であった。
「五……六かぁ、ねぇヴェル、一応聞いておきたいんだけどここって主要街道よね? なんでごく自然に賊さんが出現しているのかしら?」
「『お約束』だ、それで全てが片付けられる。ちなみにこの場合、主人公がここぞとばかりにチートスキルを使用したり、ヒロイン候補が襲われそうになって助けを求めていたりもするがこれもお約束だ」
「んー、襲われているヒロイン候補はいそうに無いわね? 拠点にでも囚われているのかしら? もしかしてアタシがヒロイン候補!? 助けてください! 襲われているんです!」
テンプレ、または様式美とも言う。非常に矛盾した、疑問に思う状況であるが、世界には守らなければならない法則というものがある、それに比べれば突然湧いた賊の出処など些細な問題である。
もちろん拠点もどこにもない、今回のお約束においてそこまでの背景は考えられていないからだ。彼らは引き立て役として死んでいく為だけの存在である。
お約束における賊の死亡率は優に九割を超える、絶望的な数字であった。
「くっ、俺は人を殺すなんてできるのか? 平和な日本に生まれて、いきなり人を殺せだなんて! でもやらないと………やられるんだっ!」
不意にヴェルダートがうずくまったかと思うと震える声で謎の決意表明をしだした。
「ねぇ? なにそれ?」
不思議そうにエリサが尋ねる。
「これがお約束上級技法『殺す覚悟』だ、殺したくないアピールと、殺人に対する嫌悪アピールは重要なんだ、だけど最終的には皆殺しにする、重要だから覚えておけよ」
『殺す覚悟』は物語において需要な意味を占める。
様々なタイプのチート主がトラックやら神様やらの力で転生を果たしファンタジー世界に乱入してくるが、それらチート主さん達が必ずといっていい程テンプレ的に通過するのがこの『お約束』である。
もちろん、大体がその場限りの演出として使用されるだけなのでその後はさっくりと人を殺す様になる、チート主さんは精神的にも強靭でなくてはいけないのだ。
そうして物語が進むに連れ、最初の葛藤はどこに行ったと言わんばかりに気軽に人を殺す。酷い場合など殺人に対する苦悩を出汁にヒロインとイチャイチャし出すチート主人公さんなどもおり、殺される方々が浮かばれない。
『殺す覚悟』とはこの様に屍の上に屍を築く修羅道なのだ。
「てめぇら! ぶつぶつと相談しやがって! 殺されてぇのか!?」
ヴェルダートとエリサが話をしている間、終始不思議な笑いをしていた賊であったが、ついに痺れを切らしたのか、各々手に持った武器を振り回しながら威嚇してきた。
もちろん、彼らは未だ行動に移さない。
「所で、お小遣いさん達は随分と待ってくれるのね? アタシ戦闘準備完了しちゃったんだけど」
地域の安定を害す賊は、退治する事によって領主より報奨金が出る。
すでに賊の事を降って湧いた小遣い程度にしか見ていないエリサは矢をつがえたショートボウを構えながら告げる。
森の民であるエルフ族はその全てが弓術の達人であり熟練の狩人である、放たれた矢は捉えた獲物を決してを逃がさない。ありがちなエルフ族に共通する設定だった。
「『お約束』だからな」
「貴方それさえ言えば全てが解決すると思ってるんじゃないでしょうね?」
話が一段落するまで決して襲ってはいけない、お約束とは宮廷作法の如き厳格さと繊細さを要求される洗練された儀式とも言えるものであった。
ヴェルダートが続けて何かを言おうとしたが自身の真横を巨大な炎の球が通り過ぎるのを見ると驚きながら後ずさった。
炎の向かう先で賊の一人が叫び声を上げたかと思うと火達磨になり焼け死ぬ、あっさりとした最後は正に様式美だ。
「うおぉっ! 危ねぇよ!」
不意の事で驚いたヴェルダートが炎の出処を見る。掲げた右手に炎を纏わせ、不敵に笑うミラルダであった。
「あまりにも皆さん悠長にしていらっしゃるので、先に仕掛けさせていただきましたわ!」
右手に纏わせた炎が更に勢いを増す、間髪入れず次弾を撃つ腹づもりのようだ。
エリサはその威力にも関わらず術式の発動がなされていないことに気付く。
本来この規模の魔法を使用する場合は何らかの術式行使を行わなければいけない、無詠唱では不可能だ。
エリサはその答えに思い当たるとミラルダに自分の考えが正しいのか問うた。
「すごい火力ね、術式発動を感じなかったんだけどそれがミラルダの固有スキル?」
「ええ、火炎と言います、簡易儀式級の火炎魔法を高魔力効率、無詠唱で放つ事ができる能力ですわ」
「すごいなそれは、術式発動すら無いなんて、よっぽど高位のスキルなのか?」
ヴェルダートも興味深そうに質問を重ねてくる。
ミラルダは悠長に説明して良いものかどうか少し逡巡したが、賊が律儀に待っている事実に気付き会話を続けた。
会話中は攻撃されない。彼女もようやくお約束について理解したのだ。
「ええ、確かにこの能力は強大で身に余る力です、ですから使用に関してちょっとしたデメリットがありまして――」
そう言いながらミラルダは火炎魔法を賊に向かって放つ、ゴウッという音と共に放たれたそれは離れている場所でもなお熱気を感じられる。激しく燃え盛るそれは全てを焼きつくす圧倒的な死を感じさせた。
炎はまっすぐと賊に向かっていく、迫り来る炎を前にした賊は顔を青くするだけで避ける様子が無い、足がすくんでいるようだった。
そのまま炎はまっすぐと進み―――
「この様に制御が効きません」
唐突に直角に曲がった。
「うぎゃぁあああ!」
憐れな青年、ヴェルダートが叫びつつも炎を避けれたのは奇跡であった、そろそろオチが来るだろう、そう考え警戒していた彼は間違っていなかったのだ。
「お、大いなる世界の意思よ! 神々よ! 理に従いて我に守護の力を与えたまえ! 魔法障壁!」
慌てた様子でエリサが防御魔法を行使する、両腕を交差させ、詠唱とともに解き放つ様に両腕を広げると淡い緑色の術式が空中に記述されガラス状の障壁がエリサを囲むように現れる。
流れ的に次は自分の番である、そう考えたエリサは早かった。
「エ、エリサさん! 俺にも障壁を! 障壁を掛けて下さい!」
ヴェルダートがエリサにそう懇願する、先ほどの火炎魔法が自分のすぐ横を通り過ぎた時に理解したのだ、これ当たるとガチで死ねる。ヴェルダートは必死だった。
エリサはそんなヴェルダートを一瞥すると困った様な顔をしながら顔を左右に振るとペコリと小さくお辞儀をした、両手は防御魔法強化の為に今も魔力供給を行なっている、余裕が無い。ヴェルダートは見捨てられたのだ。
「おいぃ! なんだよそのリアクションは!? なんでそんなにあっさりと見捨ててるんだよ! 助けてください! お願いします! なんでも言うこと聞きますから! あ、ヤバ、火が着いた」
ヴェルダートがエリサに命乞いをしている間にもミラルダは我関せずと火炎魔法を撃ちまくっていた、数撃ちゃ当たる、それがミラルダの基本戦術だった。
「あはは! ヴェルったら必死な顔しちゃって、可愛らしいところもあるのね!」
エリサは高笑いをしながらヴェルダートへからかいの言葉を投げかけた、安全な所から他人が慌てふためくさまを眺めるのはとても楽しかった、相手がヴェルダートであるなら尚更である。
「エリサぁ! 覚えてろよ! 絶対復讐してやるからな! 絶対だ! 絶対にだ!」
ヴェルダートはまるで地獄から聞こえてきたかの如き怨嗟の声を上げる、完全に死ぬ前の悪役のセリフであった。
そうして賊の死体と満身創痍のヴェルダートが後に残った。
ヴェルダートは『殺す覚悟』のテンプレートに則って、死体を見て嘔吐しようかと思ったが、汚いし面倒なので止めておいた。
ヴェルダートの『お約束』に対するこだわりなど所詮その程度でしか無かったのだ。
その後、彼らは商業都市ボルシチへ戻り賊討伐の報告を行う。
通報した警備兵によると彼らはこの当たりを荒らしていた有名な盗賊団らしく、少なくない懸賞金とともに大いに感謝された。
もちろんこれもテンプレートに則った流れだ。チート主が倒した賊が実は付近を荒らす有名な盗賊団! それをあっさりと蹴散らす"俺ツエー"! を演出する為だけに用意される。
この為だけに普段より地域の安全を守っているにも関わらず無能設定を押し付けられる騎士団や領主はその典型的な被害者である。余りにも不憫で同情を禁じ得ない。
結局その日は解散となる、日も暮れており移動には危険が伴う為だ。
そして翌日、フモートの街へ向かう道すがらエリサは終始ご機嫌であった。
昨日とは違う服を装備している。ヴェルダートに賊討伐の報奨金で買わせた物だ。
もちろん色は緑、エルフ族は『お約束』により緑の服以外を着てはいけない、エリサの服も全て緑を基調としたものである。
新しい装備が気に入ったのかピョンピョンとはしゃぎ回るエリサ。
ヴェルダートはそんなエリサの一向に揺れない胸と、歩いているだけにも関わらずユサユサと自己主張をするミラルダの胸をまじまじと見比べて世の残酷さについて思いを馳せていた。
そうしたヴェルダートの様子を目ざとく見つけたのか、エリサが声をかける。
「ヴェルってばさっきからどこ見てるのよ! このケダモノ! 変態紳士! でも、溜まってるってやつなのかな? 仕方ないにゃぁ………このエリサちゃんの豊満なおっぱいをちょっとだけ触る権利をあげよう! 特別だよっ!」
エリサはそう言うと強調するように両腕で胸を挟みあげた。ミラルダはその様子を微笑ましく眺める、これこそが豊かなる者の余裕であった。
「大平原………」
ヴェルダートが真剣な表情で突如ボソリとつぶやいた。
「は?」
「いや、ここまで平坦に出来るとは相当な測量技術だなと思ったんだ」
ビュオッ。
一陣の風が駆け抜けたかと思うと少し離れた場所にいたはずのエリサがヴェルダートの首筋にピタリとダガーをあてがっていた。
先程までの笑顔はどこへ行ったのやら、エリサは無表情であった。
「…………おい」
「スイマセンっした!」
ヴェルダートは直立不動でエリサに謝罪した。
「もうっ、さっさと行きますわよー」
呆れたように声をかけるとミラルダは二人を置いてさっさと歩き出す。声には出さないがその表情には勝者の余裕が浮かんでいた。
貧乳キャラの胸をからかい、怒られる。
これもまたありふれた話である。
だがしかし、気にしているにも関わらず『お約束』の為だけに事ある毎にからかわれる貧乳キャラさんはしかるべき司法機関に訴えても良いかと思う。
セクハラ・パワハラに厳しい昨今、確実に勝訴できる事案として金に飢えた法律の専門家達が懇切丁寧に手続きを行なってくれるだろう。
そして時々でいいので思い出して欲しい、慎ましい方が嬉しい人々の事を………