第三話:帰還
この日ヴェルダート達は転移者の希望により、ミラルダの実家であるローナン家にて会談の席を設けていた。
用意された長テーブルの片側にはヴェルダート一行、そしてバールベリー公爵の文官達が座っている。
その反対側にはアリアや各クランの代表など、数人の人間が座っていた。
本日の議題は一つ、バールベリー公爵に返還する資金の用意が出来たのだ。その期間足るや僅か一ヶ月、彼らが持つ希少なアイテムの多くを売りに出したとは言え驚くべき速度だ。
その裏には彼らの主人公である"暗黒"さんとそのハーレムによる不断の努力があった。
「まさか、これほどまで早く金を用意できるとは思わなかったぞ」
「あ、ハイ。皆で頑張りましたので……」
ヴェルダートは高級椅子に足を組みながら深く座り込み、ゆっくりと切り出す。
対面するのはどこかぱっとしない雰囲気の若い男性だ、この場の空気に萎縮しているのか所在無さ気にオドオドとしている。
彼こそが"暗黒"さんだ、重要なこの場での交渉に遂にその姿を現したのだ。
「どうだ? お前達の活躍を我々はとても買っている。このままバールベリー公爵家に仕える気はないか? 待遇は約束するぞ?」
「ねぇ、ミラルダ? どうしてヴェルはあんなに悪役っぽい感じなの?」
ヴェルダートは先程からふんぞり返りながら下衆な笑みを浮べている、身を包む派手派手しい服はローナン家より借りたものだ。
「なんだか死亡フラグギリギリの所を見極めてスリルを味わいたいとか仰っていましたわ。あんまり危ないことはして欲しくないのですが……」
「なるほど、アホなのね」
悪徳貴族ごっこ。
ヴェルダートは子供らしい所があった、エリサの言うとおりである。
「ふむ、望むのなら美しい奴隷も用意するぞ? バールベリー公爵もお前達が残ってくれるのであればある程度の援助は惜しまないと仰っている。その実力やスキルなら適当に依頼をこなしながら爛れた生活を送る事も不可能ではないが?」
「スイマセン。そ、そのお誘いはとても嬉しいです。で、でも僕達は帰るって約束しましたから」
「む、でも帰ったらまた前の生活に戻るんだぞ? 聞いたんだがヒッキーなんだってな? これはお前にとって二度と無いチャンスなんだ。ここではなんでも出来る"チート主"さんなんだぞ?」
驚いたヴェルダートは素に戻ってその真意を問う、こちらの世界での待遇を捨てて彼らの世界に帰ることはあまりにも愚かしい選択だと思ったからだ。
「わ、わかっています。でもダメです、彼女達と約束したんです。み、皆で帰って、そうしてもう一度会って、今度はゲームの中だけじゃない友達になろうって。辛いことがあっても励まし合おうって」
―――だから、頑張ろうと思うんです。
彼は、そう静かに告げた。
その姿は相変わらずの挙動不審で、ビクビクと所在無さげに縮こまっている。
だがその瞳には、決して揺るがぬ強い意志の光が宿っていた。
「………そうか、決意は固いんだな」
彼の瞳から並々ならぬ思いを感じ取ったヴェルダートは早々に彼の説得を諦める。
こういった類の人間は俗物的な物では決して動かないからだ、もっと魂に訴えかける何かが必要であった。
「ちょと、ヴェルダートさん。お話はどうなりましたの!?」
慌てたようにミラルダが声を荒げる、ヴェルダートはチラリと彼女に視線向けると諭すように説明する。
「諦めろミラルダ。これ以上は無理だ、俺が悪役っぽく死ぬ事になる。まさかここまで真剣に考えているとは思わなかった。期待に答えれなくて悪いな」
「もぅ、仕方ありませんわね。貴方に死なれる訳にはいきませんもの」
「すまんな」
呆れた様子のミラルダはそのまま引き下がる、あまりにもあっさりとしたその態度であったが転移者でそれに気付くものはいなかった。
「それでは、皆さん。1週間程お時間を下さいませ。それだけあれば十分に大規模召還魔法の準備が整いますわ」
ミラルダは転移者達にそう告げると誰にも気づかれないようにチラリとマオに視線を向ける。
マオはミラルダと視線を合わせずにその合図を確認するとおもむろに「お約束」と書かれた手帳を取り出しそのページをめくり出す。
そうしてとあるページを暫く眺めていたかと思うと急に部屋全体に響き渡る声を上げる。
「しかしそうなるとあっちの世界で"暗黒"さんを取り合って修羅場が起こるわけですね! マオその様子を見られないのが残念です!」
「あう……取り合うって、皆で仲良くできないの? マオちゃん」
マオの発言に合わせるように今度はネコニャーゼが質問する。その声はいつもの彼女には珍しく大きく、よく響き渡るものであった。
「一夫多妻制や一妻多夫制があるこっちとは違ってどうやら向こうは一夫一妻制みたいなので難しいでしょうね! ここに書いてありますよジト目さん!」
ほら、と隣に座るネコニャーゼへとマオが手帳を見せる。へー、とネコニャーゼが興味深そうにそれを眺めている。
この場に同席していた"暗黒"さんのハーレムがピクリと反応する、当の"暗黒"さんは交渉も終わり気が抜けたのか、ぼーっとマオとネコニャーゼのやり取りを眺めている。
そうして、暫く手帳を見ていたマオとネコニャーゼだが、不意に転移者達に気づかれないようにヴェルダートへチラリと視線を投げ掛けた。
「まぁ仕方ないわな、精々あっちで"暗黒"さんを取り合って楽しくラブコメってくれよ。ところでミラルダ、残ってくれた時に感謝の印として"暗黒"さん達にやる予定だった秘薬ってキャンセルきくか?」
「もう錬金術師に依頼をかけていますからね、精力剤や避妊薬、香水などは安価で日持ちしますから市場に流せるとしても若返り薬がキツイですわね、一番グレードが低いとは言え高価ですぐダメになりますから……」
待っていましたと言わんばかりにスラスラとミラルダが説明する、心なしか若返り薬の部分で声が大きい。
「そうか、貴重な薬なんだが残念だな」
「仕方ありませんわよ、彼らの意思を尊重するとお決めになったのでしょう?」
二人はそう残念そうに言い合うとチラリとエリサの方に合図を送る。
だが、しかし。暫くたっても声が上がらない。
不思議に思ったヴェルダートがよくよくエリサの方を確認すると彼女はポケーッと窓の外を眺めている。どうやらベランダの手すりで羽を休める小鳥の数を数えているようであった。
ヴェルダートは自らの心中で何かの緒が千切れかける音を聞いた。
慌ててネコニャーゼがテーブルの下からエリサを軽く小突く。
「へ? …………あっ! わっ、若返り薬って奮発したのね! えーっと……えーっと」
焦りながら棒読みで台詞を喋りだすエリサにヴェルダートの何かはブチブチと嫌な音を立て続けている。
「むう……ちなみに」
「ちっ、ちなみにどの位若返るのかしら!?」
しかも台詞を忘れてネコニャーゼにフォローされる始末だ。
ヴェルダートは転移者達が不審がるのではと内心焦っていたが、彼ら転移者達、特に女性陣は若返り薬の衝撃でそれどころではなかった。
彼女達は金銭を稼ぐことに集中していた為、さほど関係のない高級秘薬の情報収集を怠っていたのだ。
「えと……一番低いグレードだと1回で1年程だって聞きました、お値段は100ゴールド位だと思います」
ネコニャーゼがその特徴的なジト目をさらにじとーっとさせ、エリサを咎めるように答える。だがエリサは台詞が言えた満足感で胸いっぱいだ、気づいていない。
一方転移者の女性陣は一斉にVRMMOのシステムウィンドウを開くと、あるソフトを起動させ一心不乱にウィンドウ上のキーを叩き始める。
彼女達の豹変とその必死な形相に"暗黒"さんはビクリと身を震わせるとオドオドとその様子を伺い出す。
彼女達が起動しているのは電卓であった。
「え、100ゴールド? 随分安くなったものね! 普通その倍以上はするんじゃなかったの?」
気が緩んだのか、ニコニコと屈託のない笑顔でエリサが質問する。
明らかに予定していないお馬鹿な発言にヴェルダート達はさらにイラッとした。
お手軽感を出すためにわざと相場の最安値を出す。
エリサはこの事実をすっかり記憶の彼方へ放りやってしまっていた、ベランダの小鳥を7羽まで数えた時のことであった。
「……お姉さん、少しお口チャックしましょうか?」
マオが引きつった笑みを浮かべながら指をパチリと鳴らす。
と同時にエリサの口が強制的に閉じられた、魔王から四天王に対する上位権限を利用した強制沈黙命令だ。
「……相場を間違えて覚えるなんて致命的だな、後でお説教だぞエリサ」
「もがもが!」
ヴェルダートが疲れた様にフォローの言葉を言い放つ。
エリサは自分の相場情報が間違っていないことを主張しようとしたが出てくるのは声にならない声だ、マオの英断が功を奏していた。
「あっ、あの。では僕達もそろそろキャンプへ戻ろうと思います……。その、いろいろスイマセンでした」
女性陣の豹変に恐怖を感じたのか、この場から早く去りたい"暗黒"さんは上ずった声で会議の終了を申し出た。
その申し出にヴェルダートも"暗黒"さんへと別れの言葉を告げる。
「まぁ残念だがな。がんばってくれ、お前ならやれるさ。なんせ"主人公"なんだからな!」
「はいっ!」
元気の良い答えが帰ってくる。
それは"暗黒"さんの決意表明だ、おそらく彼の前途には多くの困難が待ち受けているのだろう。だがしかし、それらを踏み越える意思がそこには込められていた。
こうして、彼が経験した一つの物語が終わり、新たな物語が始まらんとする。
だが何も心配する事はない、なぜなら彼は"主人公"なのだから―――
「もう、それ以上自分を傷つけないで下さいお兄様!」
「え?」
―――だが新しい物語は始まらなかった。
突如瞳に大粒の涙を浮かべたアリアが声を荒げて席から立ち上がる。
"暗黒"さんは何がなんだか分からなかった。
「どうして、どうしてそこまで頑張ってくれるんですか! あの世界に戻って何があるんですか! 辛いだけのあの世界に!」
"暗黒"さんのハーレム員である僧侶の女性が同じく涙を零しながら立ち上がる。
"暗黒"さんは突然の出来事に対して混乱の極みにいた。
「えと……え? いや、皆で戻るって決めたから……」
「貴方は何時だってそう! 私達の為、私達の為って! じゃあ貴方の幸せは何処にあるの!?」
お次は鍛冶師の女性だ、彼女達の方針は若返り薬の登場によって180度転換していた。
そもそも、現実に戻っても"暗黒"さん同様ピザでヒッキーかつコミュ障なハーレム員達である。
少し冷静になり、現実世界に帰っても家族にゴミを見るような目を向けられるだけでメリットが何も無いことに気がついたのだ。
あとはどの様に"暗黒"さんを言いくるめるかだけである。
「いや……あれ? 向こうで頑張るって……」
「私達は貴方についていきます! 貴方がいれば、どこだって生きていける! 貴方が居ればもう何も怖くない! あっちの世界に未練なんてありません!」
僧侶の女性がさらに被せる。
その場にいる上位クランの男性マスター達もウンウンと頷きながら彼女達の言葉に賛成している。
そもそも健全な男子である彼らは雰囲気に飲まれて帰る的な気分になっていたが、奴隷という単語が出てきた時点で本来の世界への未練をあっさりと捨てていたのだ。
"暗黒"さんはあまりの出来事に苦しそうに腹を抑えだす、ストレスのあまり胃をやられているようであった。
「じゃ、じゃあ。帰るって話は……」
「「「自分を偽らないで!!!」」」
「え? え? は、はぁ……」
強引に流れが作られた。
生来より気が弱い"暗黒"さんは彼女達に言い返すこともできない、取り敢えず全員がそう言うのであれば自分が間違っていたんだと無理やり納得した。
悲劇的な男であった。
「わかっちゃいたが、ものすごい手のひら返しだな……」
「若く美しいまま、愛する人と誰憚れること無く共に過ごせるという事は、女性にはとても魅力的に映るのですよ」
半ば人為的にこの状況を作ったヴェルダートではあるが、女性陣達のあまりの豹変っぷりと強引さに引き気味だ。
反面、ミラルダ達は少なからず共感する所があったようで微笑ましいものを見るように"暗黒"さんとハーレム達のやり取りを眺めている、エリサだけは小鳥を数えることに夢中であったが。
「まぁ帰りたいってのは所詮『お約束』だからな。ある程度力があるのならこっちの世界のほうが過ごしやすいに決まっている、元の世界に残す家族にゃ悪いがな」
むしろ彼らの家族は諸手を上げて歓迎するだろう、ガチニートの家庭内順位とその価値は最低であるからだ。
女性達とのやり取りが終わったのか、"暗黒"さんが辛そうに胃を抑えながら心底申し訳なさそうに切り出す。
「あっ、スイマセン。ヴェルダートさん、やっぱりこの世界に残ります。本当にスイマセン……」
「女って怖ぇよな。まぁ強く生きてくれ……」
ヴェルダートは彼の心境を察して、そう励ましの言葉を述べた。
最終的に、元の世界へは配偶者や子供を残している者、未練がある者のみが帰還する事となり、"暗黒"さんを筆頭とする大多数の引きこもりやニート、一般人はこの世界へ残る事を選択してバールベリー公爵を大いに満足させる事となった。
また、召還魔法使用時には『お約束』として魔法陣よりラスボス"深淵の者"が復讐の為に出現するが、待っていましたと言わんばかりに魔王と四天王全員でフルボッコにされ一瞬にして撃破される。
なお、この時アイテムの取得権が発生するルートと呼ばれるものをエリサが取ることとなったが、彼女はそのドロップ品の配分に文句があるとの事で散々喚き立てたあげくヴェルダートにお仕置きされてしまうのであった。




