閑話:『暴力ヒロイン』
「サトシの馬鹿ーっ!」
エリサとネコニャーゼを連れたって、商業都市ボルシチの繁華街を歩いていたヴェルダートがその現場を目撃したのは偶然であった。
16~17歳位であろうか? "チート主"さんと見られる男性が同じ年の頃であろう二人の女性に一方的に責められているのだ。
男性の方に非があるのか、彼はしきりに女性に対して頭を下げている。
「何あれ? 喧嘩かしら?」
「わぁ……二股ですね」
「ん? あれは……」
痴話喧嘩にも見える一方的な糾弾をしばらく面白そうに見ていたヴェルダートであったが、何かに気付いたのかイタズラを思いついた子供のようにその笑みを深くする。
「あれ……どうかしましたかヴェルダートさん?」
「オイ、ジト目。ちょっとあの男にぶつかってこい、謝る時はなるべく上目遣いでな」
ヴェルダートが謎の指令をネコニャーゼに命じた。
突然の無茶ぶりにネコニャーゼも目を丸くしている、基本的にコミュ障な彼女にこういった役割は荷が重かった。
「ええ!……そんな事できませんよー!」
「ジト目ちゃんにわざわざそんな事させるなんて何か意味があるの、ヴェル?」
驚きながら拒否するネコニャーゼをフォローする為にエリサがヴェルダートへその目的を問う。彼がこの様な反応をする時は大抵ろくでもない事態になるからだ。
「ああ、面白い物が見れる、この場合庇護欲を誘うジト目の方が適任なんだ。 GO! ジト目!」
「うう……無理です! 無理です!」
ネコニャーゼは顔を青くしながら勢い良く首を左右に振る。
「どうしてもか? 俺がお願いしても?」
「うっ……知らない男の人なんて怖いです!」
ヴェルダートは嫌がるネコニャーゼに視線を合わせるように軽くしゃがみこむとその瞳をまっすぐと見つめる、そうして普段とは打って変わって優しい声をかけだす。
エリサは嫌がるネコニャーゼを助けるためにヴェルダートを止めようかどうか迷ったが、彼がどのようにして彼女を説得するのか興味があったので二人のやり取りを見守ることにした。
「なぁ、ネコニャーゼ。お前にしか頼めない事なんだ。やってくれないか?」
「あっ……あう」
不意に、愛称ではなく名前で呼ばれたネコニャーゼは顔を真っ赤にしている。
戸惑いを隠せないのか恥ずかしそうに視線を逸らしながらもチラチラとヴェルダートの様子を伺う。
ヴェルダートは困ったように眉尻を落とす彼女の手を優しく取ると続けて語る。
「頼むよ、ネコニャーゼ」
「わわ……わかりましたっ! 頑張りますから見てて下さい!!」
ついにいたいけな少女はその毒牙の餌食となってしまう。
顔を真っ赤に染め上げたネコニャーゼはその猫耳と尻尾をピコピコとせわしなく動かしながら大きな声で告げると返事待たず痴話喧嘩に興じる"チート主"さんの方へ勢い良く駈け出していった。
「チョロい女だなー」
「ねぇ、貴方女の子の気持ちをなんだと思っているの?」
ヴェルダートはごく自然にエリサの突っ込みを無視すると腕を組みながら満足そうに頷いてネコニャーゼの方を見つめ続けた。
遠くの方でネコニャーゼが"チート主"さんとぶつかった。慌てていたらしくすごい勢いだ、二人共倒れ込んでいる。
そうして、"チート主"さんの連れている女性達の助けもあってなんとか起き上がったネコニャーゼは見ているこっちが申し訳なくなるほどの勢いで謝り出すと、一転今度はこちらに向かってすごい勢いで戻ってきた。
「ジト目ちゃん、こっちよー!」
「うう……恥ずかしかった………」
建物の物陰に移動し、様子を伺っていたヴェルダートとエリサが手招きをしてネコニャーゼを呼び戻す。
相手の"チート主"さん達は気づいていない、それどころか先ほどの出来事が気に入らなかったらしく女性達がさらなる大声で"チート主"さんへの非難を再開し始めた。
「おう! お帰りジト目! ご苦労だったなー」
「え?……あれ?」
ヴェルダートは涙目になりながら息を切らせているネコニャーゼに笑いかけながら彼女の頭を軽く二度三度撫でるとさっさと"チート主"さんへ視線を戻す。
ネコニャーゼは先程と違う軽い対応に戸惑うが、生来の気の弱さのせいで何も言い出せなかった、そんな彼女を見るヴェルダートは非常に満足気である。
「ねぇ、貴方一度死んだほうがいいんじゃないの? ヴェル」
エリサは、あれ……おかしーな? と首を傾げているネコニャーゼともっと仲良くなろうと人知れず決心した。
「まぁ、いいからあいつら見とけ」
二人の少女は何か釈然としないものを感じながらも言われたとおりに"チート主"さんを観察する。
叱責は最高潮だ、"チート主"さんに詰め寄る女性の怒りは遂に爆発した。
「サトシなんてもう知らないっ!!」
「ゴメぐぼぉえああっ!!」
華麗な右フック。手加減を知らない女性に全力で殴られた"チート主"さんは豚のような声をあげながらしばしの空中遊泳を楽しんだ後、勢い良く地面に落ちる。
「「えっ!?」」
「よ、予想以上だな」
"チート主"さんが地面に落ちた瞬間鈍い音がした、血であろう赤いシミも見える。
ヴェルダート達はその様子を目の当たりにしてドン引きする。
殴った張本人はプンスカと言った感じで明らかに場違いな反応を示していた、もう一人の女性も似たような様子である、彼女達は悪いとも思っていないようであった。
「どっ、どういうことなのヴェル!? 人が空を飛んだわ!」
「あう……痛そうです、血が出ています」
「あ、ああ。あれは『暴力ヒロイン』なんだ。ああやって"チート主"さんが他の女に鼻の下を伸ばしたり、自分に対してデリカシーにかける事をした時に暴力を働くんだ。大抵やりすぎる」
「や、やり過ぎってレベルじゃない気がするんだけど? えっと、ヒロインって事はあの女の人達は男の人の事が好きなのよね?」
「好きだろうな。好きだからこそ暴力を振るう。行き過ぎた照れ隠しや嫉妬だな。うん、この『お約束』だけは理解できん」
「もう少し違うアピールの仕方があるじゃない……」
「うう……あまりにも理不尽です」
『暴力ヒロイン』、これこそが数ある中でもその理不尽さで悪名が高い『お約束』である。
この悲劇の原因は大抵"ツンデレ"の誤解にある。
スケベキャラがヒロインにお仕置きを受けるという構図がいくつかのラブコメ物で見られたせいであろうか? ツンデレを上手く表現できないヒロインは必ずといって良いほど主人公に暴力を振るうようになる。
もちろん、頬をつねったり軽く叩く程度ならスキンシップとも捉えられよう。 しかしながら過激にすればするほど受けると勘違いするヒロインさん達のせいでその暴力は年々酷くなる傾向にある。
場合によっては自分が主人でヒロインが奴隷にも関わらず暴力を振るわれたりしてツンデレどころかただ単に頭の悪いDVヒロインとなっていることも少なくない。
そして何故か"チート主"さんもそれに対して具体的に対応しようとはしない、精々が小言を漏らしてヒロインに睨まれたあげく謝る程度だ。
この様に『暴力ヒロイン』とは現代社会のコミュニケーション不足を象徴するかの様に歪な相互関係を持つ困った『お約束』なのであった。
「いやー、恐ろしいなあれは。さて、面白いものも見れたし帰るか」
地に倒れ伏した"チート主"さんが子鹿のように震える足で健気に立ちあがり、流れ出る血をいとわず再度謝り始めたのを見たヴェルダートはこれ以上見るものもないと判断しエリサとネコニャーゼへと声をかける。
「むっ! はい! はーい!」
「なんだよ、エリサ?」
このタイミングを待っていたエリサが少しだけ嬉しそうに、手を上げならピョンピョンと飛び跳ねヴェルダートへとアピールする。
「次はエリサちゃんの番だと思うの!」
「はぁ? あれに追い打ちかけるの? お前どんだけドSなんだよ?」
ヴェルダートは面倒くさそうに答える、これ以上"チート主"さんに悲劇をお届けするのも悪いと思ったからだ。
基本的に『暴力ヒロイン』を相手にしてしまう"チート主"さんに罪はない。大抵は優しさと甘さの区別が付かないその温厚な性格が災いするのである。
「いいじゃん別にー! さぁさぁ! エリサちゃんにお願いするのだ!」
「んー、エリサGO」
指を指し、短く一言だけのゴーサイン。
「ちっがーう!」
だがエリサはそれでは満足しない。
「何が?」
「全然違うの! ジト目ちゃんだけズルいわ!」
自分もネコニャーゼの様に優しくお願いされたいエリサはプリプリといった様子で膨れている。
もちろんエリサがここで暴力を振るうような事はない、それはヴェルダートによる完璧なフラグ管理の賜物であった。
「えー? 面倒くせぇ……」
「ズルい! ズルーい!」
「わぁったよ。じゃあ文句を言わずに行ってきてくれたらエリサには特別にご褒美をあげよう」
「えっ!? ごっ、ご褒美!? 何かしら!?」
エリサの表情が喜びに変わる。
彼女はご褒美という単語から特別に凄いなにかを想像していたのだ。
「馬鹿だなぁ、俺とお前の仲だろ? エリサの考えている通りだよ」
「本当!? うっ、嘘じゃないよね!?」
エリサが顔が真っ赤に染まる、エルフ族特有の長耳までもが朱色だ。
そうして、彼女はヴェルダートに詰め寄ると何度も本当だよね? 嘘じゃないよね? と念を押す。
「ああ、本当だぜ。 俺を信じろ、エリサGO!」
「らじゃぁ!!」
ヴェルダートが見たこともない勢いだ。
彼は気合はいってるなーと他人事ともとれる感想を抱きながらエリサを見送る。
「あいつ頭の中で何考えているんだろうな?」
「うう……エリサさん、チョロいですよぅ」
先ほどのやり取りを黙って見守っていたネコニャーゼが呟く、彼女から見てもエリサは完全にヴェルダートの手玉に取られていた。
「……お前も大概だったよ、ジト目」
ヴェルダートはそう小さく言い放った。
エリサは気合十分であった。
若干わざとらしさを滲ませながらも"チート主"さんにぶつかるとしなまで作って上目遣いで謝っている。
そうして散々"チート主"さんにモーションをかけ、『暴力ヒロイン』がキレる寸前まで持って行くとこれまたヴェルダートが見たこともない勢いで彼らが隠れる場所へと戻ってきた。
「やってきたわよヴェル! じゃあ、ごっ、ご褒美よね! えっと、今から来る? あっ! 私の部屋ちょっと散らかってるかもしれないけど笑わないでね!」
「はいー。ご褒美の頭ナデナデですー」
ヴェルダートは照れながらモジモジと話すエリサに笑いかけるとその頭を軽く二度三度撫でる。そうしてこれにて終わりと言わんばかりにそのまま視線を"チート主"さんへと向けてしまった。
「え?……あれ?」
「あう……エリサさん、不憫です」
ネコニャーゼは、あれ? おかしーな? と一人首を傾げているエリサを見ながらもっとこの人と仲良くなろう、そして頑張ろうと人知れず決意した。
「さてさて、次はどうなるかな!?」
ヴェルダートは先ほどのノリ気ではない様子をどこにやったのか、ウキウキとした表情で"チート主"さんを観察する。
女性の怒声はこちらまで届いている、先程以上の事態が起こると思われた。
そうして、遂に惨劇が起きる。
「サトシったら他の女の子にデレデレしちゃって!」
「ウチ達の事ほったらかしっていい度胸ねぇ!」
"チート主"さんに詰め寄っていた二人の女性に魔力が集まる。
彼女達の手が強い光に包まれ、強力な魔法が行使されんとその時を待つ。
ヴェルダートはその様子を冷や汗をかきながら見つめると、フラグ管理を完璧に行った過去の自分に感謝した。
「こっ、これは違うんだよ! ちょっと待っ――」
「「問答無用!」」
「たわばっ!!」
雷鳴、そして爆炎。
繁華街は一瞬にして騒然となる、ヴェルダート達は完全にドン引きしていた。
明らかに照れ隠しや嫉妬などで使って良い規模の魔法ではなかったからだ。
この様にギャグパートだからと全力で致死レベルの魔法や武技を行使するのも『暴力ヒロイン』の悪い癖であった。
爆裂魔法によって辺りを覆っていた煙幕が晴れる、そこにはやっちゃった! とでも言いたげな反省のない二人の『暴力ヒロイン』と、黒焦げの奇妙な物体が残るだけであった。
「え?……もしかして死んじゃったのですか?」
「えっと………ヴェル、私は無実よね?」
エリサがその顔を青ざめながら縋るようにヴェルダートへと問う。
ヴェルダートは沈痛な面持ちで首を左右に振った。
「こんな下らない事でお前とお別れになるとは思わなかったよエリサ。ムショでも元気でな……」
「そんなのイヤーー!」
結局"チート主"さんは『暴力ヒロイン』の使う回復魔法で一命を取り留めたらしく、黒焦げの物体から人の形をしたゴミクズまでランクアップすると引きずられていった。
こうしてこの事件も一件落着かと思われたが、珍しくエリサとネコニャーゼが不機嫌あらわにヴェルダートを責め立てるので、そのゴキゲン取りとしてエリサの部屋で皆を呼んで鍋パをする事になってしまった。
もちろん、買い出し、準備、費用に至るまで全てヴェルダート持ちであった。




