第一話:お嬢様
アルター王国北部にあるバールベリー公爵領、その中心である商業都市ボルシチ、街の一角にある酒場『老騎士の休息亭』、時間は昼すぎといったところか、空席が目立つがポツポツと食事を取る人が見える。
ここアルター王国は多種族他宗教国家だ、全ての存在が法の範囲内で生活する事を許されている。それ故か、酒場にいる少ない人数ですら多種多様だ、猫や犬の耳をつけた獣人族や屈強なドワーフ族、森の民エルフ族に地下の民ダークエルフ族、役職も戦士を始めとして魔法使いや神官、中には死霊使いまでいた。
そんな中で、ヴェルダートとエリサは働きもせずにダラダラと日々を過ごしている。
彼らの現時点での職業は"ニート"であった。
「エリサ、そろそろ俺もハーレムを築き上げる時期に来たと思うんだが」
唐突にヴェルダートが切り出す。
「ハーレムなんて安直ね、ヴェルってば本当にそんなもの作れると思っているの?」
「いや、俺ぐらい溢れんばかりの甲斐性を持つ男ならば、ハーレム位朝飯前だろ」
「ねぇ朝飯前の意味って理解してる?」
「理解しているぞ。確かに今はハーレムなんて一人もいない。 だが俺はピンチに見舞われた女の子を救い続けることによってハーレムを作り上げる!」
「現実を見なさいよー、そうそうピンチの女の子なんて居ないわよー」
エリサは疲れたようにヴェルダートの言葉に相槌を打つ。
物語におけるハーレムの構築は最重要課題である、主人公の周りに存在する女性は魅力的かつ個性的でなければいけない、そして重要なのがヒロイン達を印象づけるイベントである、様々な特徴的出来事を経て、各ヒロインの推しメンが生まれるのだ。
ヴェルダートはそんなハーレム物の『お約束』に従い、ハーレムを構築する算段であった、もちろんアテはない、しかしながらアテは無いのにいつの間にか出来ているのがハーレムである、少なくともヴェルダートはそう信じていた。この物語がギャグであると言う事実を忘れたまま。
不意に二人の座るテーブルに影が刺す、両手に料理の乗ったプレートを持った男だ、禿げ上がった頭、人族にも関わらず熊と見間違えるかの様に巨大な体躯、ノッソリと現れた彼は酒場の主人である。名前は"親父"だ、酒場の親父は"親父"と呼ばなければいけない。
親父は『お約束』に忠実に沿った存在であった。彼は丁度二人に注文された料理を運んで来た所である。
豪快な見た目にも関わらず静かに注文の品をテーブルに置いた親父は続けてゆっくりと、口を開く。
「エリサの言うとおりだぜ、ヴェルダート、お前ら最近朝から晩までずっとうちに入り浸っているが金はどうするんだ? どうせお前らの事だ、ギリギリまで粘るつもりだろうが備えって言うのは重要だぞ」
「うるせぇ! 言われなくてもわかってるよ! だからこうやって飯の量も極力減らしているんじゃねぇか。哀れに思うならなにか恵んでください親父様」
「今日の親父さん、なんだかとてもカッコイイわ。私お腹がとっても空いているの、だから何か恵んで」
「はぁ……いいか、頭の中になーんも入っていない馬鹿でどうしようもないお前らにもわかりやすいように教えてやる、―――働け、仕事の時間だ、現実とやらがやって来たぞ」
「止めてくれ親父! 俺の前で仕事の話をしないでくれ! 全身に蕁麻疹が出るんだ!」
「現実と戦うには私達にはあまりにも無力すぎるわ! もう少し休息が必要なの!」
ギャーギャーと二人が騒ぎ出す。親父はこの日何度目かの大きなため息をついて彼らに計画性と労働の大切さを教えようと向き直る。
別に彼らが無一文になろうが構わないが無銭飲食でもされたらたまったものではないからだ。
親父が口を開こうとするのと、酒場に高笑いする声が響き渡るのは同時であった。
「おーほっほっほ! ごきげんよう! 皆様!」
酒場の扉が勢い良く開かれた。澄んだ声と共に現れたのは一人の女性だ、フリルがあしらわれた真っ赤なドレスを着ており、両サイドを縦ロール状に巻き上げた金髪は腰ほどまであろうか、絹のように美しく流れている。
ごちゃごちゃとした装飾等は付けてていない、付ける必要はないと言わせるだけの説得力がその女性の美貌にはあった。
身なりからどこかの貴族の令嬢かと思われるが、その様な人種にありがちな厭味ったらしい雰囲気は無く逆にハツラツとした雰囲気があった、もちろん、謎の高笑いを除けばの話ではあるが。
彼女が入り口よりキョロキョロと店内を見回していると、不意に声が上がった。
「おいおい! これはこれは麗しいお嬢様、こんな場末の酒場へ何の用だ? ここはお嬢様が来るような社交場じゃねぇぞ!」
下品な声だ、酒場の入り口、最も彼女に近い位置に座っていた常連の男だった、口より除く牙、緑色の肌にパッと見ても分かるほどに盛り上がった筋肉が特徴の彼は、オーク族と呼ばれる種族の者だ、その野蛮な風貌は小さい子が見れば泣くかも知れない。
「おーほっほっほ! もちろん存じ上げておりますわ!」
なんでこいつは一々高笑いをするんだ? オーク族の男はそう思ったが、元気よく返事をしてもらったしまぁ良いかと納得した。男はオーク族の『お約束』に漏れず馬鹿であった。
続けて親父が話しかける。
「ようこそ『老騎士の休息亭』へ……と言いたいところだがそこのゴロツキの言う通りだぜお嬢さん、見たところ貴族様だろ? 賢いお散歩とは言えねぇな」
「ええ、承知しておりますわ! 私の名前は『ミラルダ=ローナン』ローナン男爵家の長女ですわ、本日はお仕事の依頼に参りましたの!」
「仕事なら大通りのギルド|(冒険者組合)にでも行きな、酒場に依頼を持ってくるのも間違っちゃいねぇが効率が悪いぞ」
冒険者への依頼は基本的にギルドを通して行われる、より多くの人の目に付く為だ。酒場へ直接依頼を持ってくる場合は大抵、特定の冒険者への依頼を行いたい場合か人目に付くことを避ける厄介な依頼がある場合だ。
そしてローナン男爵家はここ一帯を収めるバールベリー公爵家に仕える武術の名門だ、公爵の私設軍や王国軍に数多くの将校を輩出している。公爵からの信頼も厚く、国王からの覚えも有る。
その様な家柄の令嬢が、なぜか街の外れにあるこの酒場に依頼を持ってきた。
親父は嫌な予感を感じつつも彼女との話を進める。
「いえ、実は今回のお仕事はあまり人に知られたくはないのです、ギルドに仕事を持って行くとどうしても多数の人の目に触れてしまいますので」
「なんだそりゃ? おい、厄介事なら御免被るぞ。貴族のイザコザなんて百害あって一利無しって奴だ」
「ああ、その点はご安心下さいませ、単純にあらぬ噂を立てられたくない――と言った程度のものですので」
「まぁいい、仕事の内容っていうのは何だ? あと噂については安心しろ。ここの連中は頭の中身は空っぽだがあれやこれやと碌でもない噂をばら撒くほど落ちぶれてはない………はずだ、多分」
絶対とは言い切れないのが辛いところである。時として酒場の連中は本当に頭の中身があるのかと思われる程に突拍子もない行動を取るからだ。
(まぁここの連中も特別騒いでいないし、噂になるような事はないだろう)
「そうですか、皆さん信頼出来る方達なのですね!やはり私の目に間違いはありませんでしたわ!」
おーっほっほっほ! と、何が楽しいやら高笑いを上げながら納得したミラルダに親父は心配になる。だがこの程度の事を一々気にしていてはこの酒場の主人など到底やってられない。
親父は自らの心配を他所へやり、ミラルダへ依頼について聞く。
「失礼しましたわ! 依頼内容は護衛、私を火竜『チュヴァーシ』の住む『ガルアテナ山』まで連れて行って欲しいのです」
何かしらの事情はありそうだがそれ程警戒する話でも無さそうだ。なるほどな、親父はそう呟くとヴェルダートとエリサの方へ振り向く。
「おい」
エリサと親父の視線が交差する、慌ててエリサが下を向く。
「おい、エリサ、今、目があったな? 良かったな、手頃な仕事が目の前に転がってきたぜ。わかったならさっさとお嬢さんの話を聞いてやれ」
「ヴェ、ヴェルぅ、助けて……」
ヴェルダートなら助けてくれる。 迂闊にも親父と目を合わせてしまったエリサは一抹の期待を胸にヴェルダートを見つめる。
「石だ、石になるんだ、俺は今なんの変哲もない石なんだ……」
瞳に光がない、ヴェルダートは自己暗示によって石と化していた、そして同時にエリサの事も完全に見捨てていた。
「おい! 無視すんな! 少女のピンチなのよ! さっさと助けてハーレム作りなさいよ!」
エリサがテーブルを叩く、ドンッと大きな音がなり虚ろだったヴェルダートの瞳に光が戻る、漸く石から人間に復帰したらしい。
「エリサさんは攻略対象外キャラなので助けません」
「巫山戯んな! どう考えてもヒロイン枠でしょうが!それに……えっと、そう、デレ! デレるの! 流行りのツンデレよ!だから助けて下さい!」
「じゃあ今デレろよ!ツンデレとか言いつつ全然デレを理解していないキャラとかもう十分なんだよ!暴言吐けばツンデレだとか誤解してるんじゃねぇぞ!」
「愛してるわ! 両親が挨拶したいって言ってるの! 婚姻届も役所から貰ってきたし! あと子供が出来た時の為に貯金も必要ね!」
「それデレじゃねぇよ! 重いわ! 生々しい話は止めろ! 夢を見せろよ!」
ヴェルダートが怒りあらわにエリサへ抗議する。
ヴェルダートは昨今のなんちゃってツンデレキャラに苦い思いがあったのだ。
「あまり乗り気ではないご様子ですが、彼らに任せても大丈夫なのでしょうか?」
ミラルダは若干不安そうだ。困った顔で親父に尋ねている。
「まぁなんとかなるだろう。後は本人たちで話を詰めてくれ、
ついでに何か注文でもしてくれれば俺としちゃぁ万々歳だ」
そう声をかけながら親父はカウンターの中へと戻る。
「おーっほっほっほ!……げぇほっ! げほ! それでは紅茶をいただけるかしら!」
「おい、ここは酒場だぞ……」
親父は深い溜息をついた。
◇ ◇ ◇
「おーっほっ――げほっ、げほ! それで護衛の件は受けて頂けますでしょうか?」
「ねぇ、さっきから気になっていたんだけど、無理して高笑いしなくていいんじゃない? 辛そうだわ」
「エリサ、これも『お約束』なんだ。貴族の令嬢は金髪縦ロールで高笑いをしなければいけない。そして高笑いをしてからむせるまでが作法だ。そういう点ではこのお嬢さん、なかなか分かっている」
お嬢様は金髪縦ロール、これはお嬢様業界における必須事項だ。
最低でも金髪でなくてはいけない。
傲慢だけど根はいい子、みたいなキャラもありがちで良い。もちろん執事はセバスチャンだ。とにかく規定によって定められた条件を満たす必要性があった。
具体的には画像検索で「金髪お嬢様」と入力すれば出てくる様なお嬢様。
それが『お約束』であった。
「無理してこんなキャラになった訳ではないのですけどね。高笑いもある程度やって印象づけたら終了しますし。さて、依頼のお話をしても宜しいでしょうか?」
ミラルダはサラリと重要な話をぶっちゃけつつ依頼の話に移る。
「まぁ、俺らに金がないのも事実だしな、とりあえず話を聞こう。それにしてもガルアテナ山か、目的は何だ?」
「ええ、チュヴァーシより香石を譲り受ける事が今回の目的ですわ」
「ちょっと、ちょっと、そのチュヴァーシってのは火竜なんでしょ? 危なくない?
エリサちゃん貧弱だからあっさりと死んでしまうわ」
エリサが慌てたように話を遮る。
「チュヴァーシは人との盟約によりガルアテナ山を守護する守護竜ですわよ? 余程の不敬を働かない限り危険なんて事はありませんし、話も通じます。この辺りに住む皆さんなら御存知かと思っていたのですが……」
「俺は知っている、一般常識だぞエリサ」
「気にしないで。わざと質問して自然に説明を入れる技法よ。それはそうと香石ってなぁに?」
エリサが先程とは打って変わって落ち着いた様子で訪ねる、会話誘導も中々骨の折れる仕事であった。
「………香石は香水の原料となる素材ですわ、特に竜の香石より作られる香水は貴族の間でも非常に人気がありまして、その希少性も相まってかなりの高額で取引されるのですわ」
『竜の香石』は数多く有る香水の原料の中でも非常に高価な部類だ、竜の魔力に長年当てられた岩石が変質するそれは一部の錬金術の素材としても有用である。
「ふーん、竜の香石ね、でもそれって別にミラルダ様が取りに行くこと無いんじゃないの? 冒険者に頼めばいいし、信用が無いならそれこそ実家が持つ家来や私兵でも事足りるわ」
「呼び捨てで結構ですわ、堅苦しいのは嫌いですの。香石を私自身が取りに行くのには少々事情がありまして……」
ミラルダは頭の中で話を整理しながらゆっくりと話しだす。
「チュヴァーシは本来それほど簡単には香石を譲ってくれないのです。香石が非常に高価である事は彼の竜も知っておりますからあまりホイホイ譲って争い事や市場の混乱が引き起こされるのを危惧しているのでしょうね」
事実チュヴァーシはかなりの量の香石を溜め込んでいる、それらが考えも無しに一度に放出すれば香石や錬金素材関係の市場が大きく混乱するであろう事は確かだ。
「しかしながらそんなチュヴァーシでも必ず香石を譲ってくれる場合があります。それが『戦人の儀』と呼ばれるものです。これは我がローナン家とチュヴァーシが過去に結んだ盟約で、"齢十八になったローナン家の者がチュヴァーシを訪れ、今までの研鑽の成果を披露する"というものです。その賞賛の証として香石を譲ってくださる約束になっているのですよ」
今回の目的はまさしくそれだ、ミラルダは数週間前に十八になったことにより自らの父から『戦人の儀』の実施を言い渡されたのだ。
ローナン家は武術の名門である、男女問わずその全てが幼少より厳しい訓練に明け暮れる、そうして国家の繁栄に寄与するのだ。
『戦人の儀』とは、その研鑽をチュヴァーシに披露し、アルター王国とバールベリー領の安寧を約束する、守護の誓でもあった。
「へー、と言うことはその火竜の所へ行って腕前披露してちょっと雑談しつつ香石をもらって帰る簡単なお仕事なのね」
ミラルダの話より危険性が無いと納得したのか、エリサは今回の仕事が非常に簡単な部類であると判断したようだ。事実その通りである。
「ええ、そのとおりですわ、この辺りは危険な魔物もいません。チュヴァーシも研鑽を披露するだけで戦う訳ではありません。本来ですと一人でも問題は無いのですが流石に貴族の女性が一人旅と言うのは良くはないかと思いまして」
これこそがミラルダが冒険者を雇った理由だ、近い場所とは言え付き人も連れずに旅をするのは初めてである、そもそも旅をするといった行為自体ミラルダはそれほど経験したことが無いのだ、自らの力を示すという『戦人の儀』の性質上、無闇矢鱈に実家に頼ることも出来ない為、経験豊富な者に助力を求めるのは自然の流れであった。
話を聞き問題ないと判断したのか、ヴェルダートは依頼を受けることを決める。
「まぁ、話を聞く限り問題無さそうだろう、"火竜と戦う訳じゃない"しな」
「そうね! "火竜と戦わない"んだったら問題ないわ! さっさと済ませましょう!」
「ご了承頂けたようで嬉しく思いますわ! 安心して下さい、"火竜と戦う事などあり得ません"ので。 さて、費用に関してですが道中の宿代等についてはこちらで持たせて―――」
これ見よがしに火竜と戦わない事が強調された。
フラグ、それは物語において必ず回収される物である。
火竜と戦わないから大丈夫、これは明らかにフラグであった。
ファンタジーにおいて竜が現れた場合、ほぼ確実に戦う事になる。何故なら竜の様に強力な生物を倒せると言うことはすなわち"俺ツエー"を体現する事となるからだ。
竜と出会えば戦わなければならない。
明らかなフラグを立てながら、ヴェルダート達は火竜の元へと向かうのであった。