わだいがない 9
百田さんの場合
誰かが、学生時代に言っていた。たしか、学生時代だったような気がする。だんだん記憶がはっきりしなくなってきている。
「好きな子をいじめたくなるなんて、男ってガキよねぇ。」
「ねー。さいてー。」
「まったくだわー。」
という、女子の会話に、そのときからもう自分はついていけなかった。なにが原因だったのか、いまだによくわからない。
「好きな子をいじめて、なんのメリットがあるの?」
そういったあたしを見て友人は離れていき、誰もいなくなった。
なぜそんなことを言ったのか、なぜそんなことを思ったのか。そんなことさえも、もう思い出せない。誰が言ったのかさえも、記憶にない。
ただ、そんな夢で目が覚めた。昔の話だ。もそもそ起きだして、コップについだお茶を飲んだ。きっと朝食は入らない。そして30を過ぎたあたしが思うのは、「あたしは、誰も愛せない」が正解だと。
好きな人はいた。いや、人たちというべきか。
だけど、なにも話せないまま終わる。かつての友人たちのように、なにか違った生き物でも見るように去っていかれたら、なにも残らない。むしろ、なにかを持って行かれる。これ以上、なにも渡すものはないのだ。
好きな人は、好きな人のままで終わる。次の好きな人ができるまで。明るくてクラスの人気者の彼は、中学の卒業と同時に離れた。進学先が違ったことさえも知らぬまま。
高校時代に好きな先輩は、同じ学年の子と付き合いだしてそのまま卒業した。大学時代の好きな人は学校よりもバイトのほうにはまって、学校に来なくなった。会社に入ってできた好きな人は、理由を知る前に会社を辞めた。
好きになる理由もその人によってさまざまだ。だが、おそらく誰もあたしの好意には気が付かないだろう。言わないし、聞かれもしないのだから、当然なのかもしれないが。
あたしは一人だ。
友人はできた。言葉を選んで、同調して、悪口は言わずに、微笑むだけ。自分の意見は大きく出してはならない。少なすぎてもいけない。相手に頼りすぎても、頼らなさ過ぎてもいけない。外見は関係ない。
本の世界に逃げても、音楽の世界に逃げても、誰かが邪魔をしてくる。それなら、いまだけ友人ごっこをするのだと、その時は決めた。好きな相手のことも話さずに、嫌いな相手のことも話さずに。向こうが話すまでなにも聞かずに。
だが。
いい友人ができた。
これは奇跡だ。ごっこが本物になった。人数は減ったけど、人数は問題じゃない。メールの相手には困らない。でかけるのは、好きじゃないから問題もない。会話の幅もドラマだけじゃないから会話にも困らない。お昼の食べる相手にもなる。情報も勝手に話してくれる。
すべてを共有することはできないけれど、共通の楽しい時間も悲しい時間も一時なら共有できる。それだけでいい。それだけで、幸せなのだ。
ずっと傍にいてくれるわけではないけれど、それでもあたしはまったく困らない。行先を教えてくれるからだ。私も行先を伝えておく。それで関係は細い糸になっても続いていくのだ。
あたしは、幸せだ。いい友人がいれば幸せ者だ。誰かは友人というものはダイヤモンドだという。あたしはそんなものをゴロゴロもっている。
そして、好きな人ができる。だが、話すことはない。きっと今回もこのまま時間だけが過ぎるのだ。話したこともない相手に好意を持つ者などほとんどいない。自分とて、話したことのない人に好意を持たれても、好意を持つ自信はない。
好きだと言われたら、少しは気になるかもしれないが、おそらく無理だ。
あたしはあなたが好きだ。でもあなたの返事はいらない。いい返事でも、悪い返事でもいらない。あたしは、好きになっても愛せないから。
「百田さん。百田さん、どうぞ。」
ドアの向こうから、聞きなれた声が呼ぶ。ドアを開けると。
「はい。」
「座ってください。最近、体調のほうはどうですか?」
白衣も着ずに、聴診器もない、にこやかなお爺さんの先生が聞いてくる。最初に会った時よりも老けている。当然だ。あたしだって、歳をとった。
「ふつう……ですかね?」
「寝れていますか?」
「比較的。」
「最近、なにか変ったことはありませんか?」
「ないです。」
先生はパソコンを打つ。慣れていないのか、一本の指でちょこちょこ打つのがかわいい。これは昔から変わらない。
「食事はどうですか?とれていますか?」
「朝食はとれませんでしたが、昼食はとりました。」
先生に、嘘はつかない。嘘をついてもなにもいいことはない。
「そうですか、それでは一か月分の薬を出しましょう。気分が悪くなったら、飲むといいですよ。」
「はい、わかりました。ありがとうございました。」
「はい、お大事に。」
聞きなれた声が安心感をもらたすのかもしれない。ただ、この先生はいつまでここにいてくれるのかが、ちょっと不安な部分でもある。もし、この先生がいなくなって、自分がまだ病院を必要としていたら、ほかのところを探さなければならないからだ。
あたしは、友人を失って、心ごと壊した。心を壊して、体も壊れた。食事がとれずに、ふくよかだった体型がほっそりになった。だが、いまは、友人がいる。体もまたふくよかに戻ってきている。体型だけはほっそりのままでも良かったのかもと思うが、食べても吐く苦しみはもう嫌だ。
体も心もゆっくり直していける。
「いいですか、必ず治ります!時間がかかりますが、根気よく、ゆっくり確実に治しましょう。四年くらいを目安に時間をかけましょう。」
そう先生は言った。もう倍の年がたったが、まだ完治はしない。それでも、だいぶ良くなった。昔にくらべて毎日の薬が減った。量も個数も、飲む日数も。行動範囲も行動手段も広がって、ほかの健康な人とそんなに変わらない生活ができる。
誰も愛せないけれど。
翌日。会社に行く。昔は乗れない満員電車も、薬をカバンの中に入れて、乗っていく。いまでも、慣れない人に急に会うと手が冷たくなる。それでも、毎日会えば、もう冷たくはならない。友人にならなくても、毎日話していれば、仲良くなって大丈夫になる。
でも、それは愛ではないでしょう?あたしは誰も愛せない。
それでも、幸せな方に転がっていくダイヤモンドを見つめながら、にまにま笑う。きっと角が折れて、もっと輝いていくだろう。
急に、不安に襲われることがある。急にダイヤモンドにふさわしくないのではないかと思い込む。急にダイヤモンドたちに去られてしまうのではないかと、夢でうなされる。汗と涙で溺れる日もある。だが、大丈夫だと言い聞かせて歩くしかないのだ。
「えー、百田さん、彼氏いないんですかぁ?」
会社の同僚は無邪気に言う。
「ねぇー。いたらねー。」
会話は合わせるものだ。
「誰か紹介しましょうかぁ?」
そう言ってくれる人もいる。
「いやいや、いいよ。」
「えー。なんでですかぁ?」
あたしは、ただ微笑む。
誰にでも自分の病気は明かさない。なにかを持って行かれるような気がするからだ。
伝えておかないと困る相手だけを選別して言っておく。理解はしてくれなくていい。おそらくわからないだろうから。わかるのは、同じような状態になったことがある人だけだ。
だが、一度たりとも、友人にわかってほしいと思ったことはない。わからなくて当然だ。そのうえで、あたしの友人なのだ。わからないに越したことはない。あたしだけで、こんな思いは十分だ。
誰かを紹介されても、愛せない。愛せるまでに時間がかかりすぎる。
そして、なぜ愛せないのかをわかってもらえない。そんな迷惑な恋人など誰が欲しいものか。
あたしにできることはと言えば、誰かを好きになって、思う。
あなたに会えてよかった。あなたが好きだわ。言わないけど。いえ、言えないけれど。
幸せになってね。あたしが本当は幸せにしてあげたいけど。
本当はあたしが隣で笑っていたいわ。本当はあたしが、ずっとずっと隣にいたいわ。あなたの世界で見ているものをあたしも見たいし、あたしの世界もあなたに見せたいわ。白髪になってもしわしわになってもあなたの手を取りたいわ。
そんなことはできないけれど。
あなたが好きだわ。あたしのすきなあなたのままで、きっと幸せになってほしい。
そう願うだけだ。