決戦
開戦から一夜明け、戦場に再び朝がやってきた。
数百、数千の男たちが、傷つけあい、殺し合い、血を流す戦場の朝は、それに似合わないほどの、静謐さを醸し出している。
深夜の内に立ち込めていた霧が、朝日を浴びて、徐々に消えていく。
一面を覆う、深い緑の草原。
そこに、今日もまた、男たちの血が流れる。
夜明けから、しばらく経った頃。
戦場では両軍が再びにらみ合う。
前日の結果は、王国側優勢なまま引き分け。
王国軍の用意した新兵器は、絶大な破壊力を持ち、その力の前に公国軍は撤退戦を余儀なくされた。
しかしながら、王国軍は追撃戦を行わず放尾、そのまま一時休戦とした。
兵力で圧倒的に勝るはずの王国軍が、追撃をしなかった理由は、当然ながら存在する。
その昔、王国内で他国の戦術研究の第一人者と呼ばれた、今は亡き王国軍元帥曰く、
『公国軍の撤退戦こそ、必勝の戦術』
公国は、建国以来、周辺諸国と比較して、人も金も領土も、常に劣っていた。
それは、戦場でも同じである。
戦場では、彼らは常に、形勢的に不利な状況を強いられていた。
だからこそ、その不利な状況を利用し、覆すことが、彼らの戦術、戦略の基本にある。
戦争は、兵数が多い方が有利。
それは、いつの時代も基本原則の一つである。
数の少ない側が突撃戦法をとることは少ない。
それもまた、基本原則の一つである。
公国軍は、その長い歴史の中で、幾度もの『勝利を得る撤退戦』を行ってきた。
彼らは、決してタダでは撤退しない。
その逃げ道に幾重にも罠を張り、のこのこ追撃に来た敵軍をおびき寄せ、罠に堕ちた相手の戦力を、徐々に、しかし確実に削っていく。
だから、撤退戦に入った公国軍を簡単には攻められない。
王国軍もそうだった。
兵力にして、およそ三倍であったにも関わらず。
にらみ合う、両軍。
どちらともなく、進軍の合図が上がる。
ややあって、両軍の歩兵が土ぼこりを上げながら、前に進み始める。
王国側は横方陣。数で勝ることの多い王国軍の、伝統的な陣形である。
公国側は錐形陣。三角形の陣形で、敵軍を分断、各個攻撃するのに適した陣形である。
規則正しい双方の歩み。その一方に、大地を揺らす雷鳴の如き轟音が襲い掛かる。
仕掛けたのは王国側。前日と同じ、彼らの新兵器による遠距離攻撃だ。
前回は、これにより隊列を乱された公国側が、撤退戦を選択。そのまま休戦に持ち込んだが、今回は違った。
公国軍の歩みは、留まることも変わることもなく、真っ直ぐに進んでくる。
これこそが、公国軍の青年兵士が考えた、第一の策。
遠距離型の武器に共通の弱点である、『味方への誤射』。
極力早い段階で、敵軍に接触。接近戦を始めることで、味方への誤射を恐れて援護射撃は止むはず。あれだけの威力で、未完成の兵器ならばなおのこと。
王国軍の本陣より前方。
遠距離攻撃を行う新兵器部隊〈重弩中隊〉本隊の陣のさらに前方。
紅いマントと、白銀に輝く鎧を身に着けた、ほかの兵士達よりも頭一つ大きい、大男が前線の様子に顔をしかめる。
「オルフェウス卿」
その後ろにやってきた若い兵士が、彼に頭を下げる。
その眼は、彼の指示を待っているように見えた。
「全隊に武装準備を。俺たちも仕事開始だ。本隊は奴が指揮する。心配はいらん」
「了解しました」
手短に用件だけを聞くと、若い兵士は駆けていく。
指示を仰がれた大男――ブライアン=オルフェウスも、長らく自身と共に戦場を駆けた武器を手にする。
それは、巨大な斧であった。
長さは、この男の胸元まで――つまり普通の兵士の身の丈ほどもある。
柄は、持ち主の、丸太の如く太い二の腕にも負けず、丸太そのものを彷彿とさせるほど太く、固い木製で黒く鈍く輝いている。
刃は、全長の半分を占め、大人の男の上半身ほどもあるだろうか、巨大な半月型をした鋼鉄で作られて、男の鎧と同じく、白銀に輝いている。
男は、その斧を軽々と片手で持つと、刃の真ん中、刃を柄に固定するために空けられた場所を握り、他人を気付付けないように、その巨大な刃を上向きに胸に抱いている。
かつて〝血染めの竪琴〟と、国内外で畏怖と敬意を込めて呼ばれた英雄の、在りし日の姿がそこにはあった。
〝血染めの竪琴〟。
その二つ名は、今も多くの人間を魅了する、伝説の英雄のものである。
その男の家紋は『ユリの絡み付いた竪琴』であること。
男の白銀の鎧に描かれたその家紋は、倒した敵の血しぶきで真っ赤に染まっていたこと。
味方を傷付けないようにと、血染めの刃を胸に抱くその姿は、まるで竪琴を持つ詩人のようであったこと。
その姿から、人々は彼をそう呼んだのだった。
彼の背に、栄誉ある王国最強部隊〈紅軍〉の兵士のみが着用を許され、例え退役した後でもその着用が義務付けられる、紅いマントが翻る。
そのマントもまた、王国軍の兵士には、畏敬の念を抱かずにはいられないものである。
歩みを進める英雄の背後には、彼に憧れ、彼をめざし進んできた、頼もしい部下たちが続く。
彼らが準備を終え、整列したころ。
前線の戦局が、また少し、変化を見せた。
十頭程からなる公国軍の騎馬隊が、一部隊だけ突出してきた。
歩兵よりもはるかに、突進力と破壊力が高い騎馬隊だが、十騎余りで突破できるほど、王国軍の陣は柔ではない。
にもかかわらず、彼らは恐れることも、その速度を緩めることもなく、突き進んでいく。
その隊列は、不自然なほどに縦長であるが、そのことに気付ける人間は、前線には少なかった。
馬の脚であと数十歩の距離までに、彼らが近づいてきたとき、不意に先頭の二騎が側面に流れ、列の最後尾に着いた。
その時、前線の王国兵が見た物は、木製の台車に乗せられた巨大な、一抱えでは足りないほど太い丸太であった。
これが、公国軍の青年兵士が考えた、第二の策。
どんな陣をも貫き通す、〈牽引式陸走型破城鎚〉である。
仕組みは至極簡単、単純明快。
その辺に生える木を切り倒した後、先端をやや鋭く加工して、糧食運搬用の荷車に固定。後は、そのまま騎馬隊を使って突進するだけという、乱暴にも程がある兵器である。
ちなみに、これは事前の準備では無く、後方部隊が徹夜して今朝方完成させた、応急品である。
馬が最も走りやすい平地で、本来城攻めに使う兵器を対人使用し、しかも、馬に牽引させてその速度を利用する。
破壊力は、重量と速度に比例する。
この兵器は、突進力の一点のみならば、この戦場のいかなるものも寄せ付けないであろう。
この兵器を見た、王国軍の前線兵士たちの予想通り、公国軍の騎馬隊は、王国軍の陣を蹂躙し、突破していく。
巨大な丸太を乗せた車が、整列した兵士たちを、なぎ倒し、轢き千切り、弾き飛ばしていく。敵陣を1/3程残し、荷車は動きを止めた。が、これ程ならば騎兵にとっては突破は容易い。
そうして、僅か十騎余りの騎馬隊は、王国軍の厚い陣を突破し、敵本隊を左右に二分することに成功した。
公国軍は、僅かばかりの精鋭を、敵の喉元に送り込むことに成功したのだ。
「進めぇえええええぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
剣を振り、声を張り上げながら、この作戦の発案者たる公国の青年兵士は、馬上で味方を鼓舞する。
ここまでは計画通り。
あとは、最後の策を残すだけである。
自軍の本隊は、このまま敵本隊を各個撃破に持ち込むはずだ。
数的同数ならば、負けることはない。
青年はそう確信し、部隊を前に進める。
「アマルフィターノ卿!」
走り続ける馬を寄せ、一人の兵士が青年に叫びかける。
「作戦通りいきます!わたしが敵指揮官を!皆さんは、護衛隊と敵砲撃部隊の方へ!」
「了解!」
その言葉を聞いて、離れていく兵士。青年――アレッサンドロ=アマルフィターノは前を見据え、また一つ、大きく鞭をふるう。
濃い茶色の毛をした馬に跨る彼の姿は、右手に剣、左手に丸盾を持つ、伝統的な騎士の恰好。
白銀に輝く鎧は、一筋の光の矢のように、戦場を駆けぬけていく。
彼が見据える先には、『紅いマントを纏った大男』を先頭に、数十人の王国兵たちが立ちふさがっている。
数的不利はいつものこと。
こんなものは、あの地獄の訓練の日々と比べれば、苦しくもなんともない。
「さぁ!行くぞ!!」
味方に声をかけ、敵陣に突進していく。
「…やられたな。各員、戦闘ぉ用意っ!!」
「「「「「応っ!!!!」」」」」
英雄の掛け声とともに、一気に殺気を強くする一団。
彼らの目の前には、十騎余りで自軍を突破してきた、公国軍の精鋭たちが迫っている。
ここから先は、通すわけにはいかない。
それが俺の仕事。俺の役目。俺の約束。
「この〝血染めの竪琴〟!ブライアン=オルフェウスが刃!!超えられるものなら、超えてみろおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
あらん限りの大声を上げ、味方を鼓舞する。
それもまた、英雄としての務めである。
そして、騎馬隊と、護衛隊の――両国がこの後、長く語り継ぐことになる――激しい戦闘が始まった。
騎馬隊は、衝突寸前で一騎を残し左右に分かれる。
残った一騎は、王国の英雄〝血染めの竪琴〟、ブライアン=オルフェウスを前に、馬を下り、剣を構えた。
かつての英雄は、前に出ようとした部下を抑え、後方の援護に回るように伝えると、目の前の青年兵士に向き直った。
「貴公が我が相手か!若き公国兵よ!」
「伝説の英雄と剣を交える誉、お許しいただきたく存じます。我が名は、アレッサンドロ=アマルフィターノ。公国〈翼軍〉第四中隊参謀付きであります」
自分に怯むことなく、名乗りを返してきた青年に、英雄はにやりと嗤って見せた。
「この俺と、正面切って殺り合おうというやつは久しぶりだ。我が名は、ブライアン=オルフェウス。王国軍第八東方大隊所属〈重弩中隊護衛隊〉隊長補佐である。いざ、尋常に」
「「勝負!!」」
双方が駆けだす。
詰まる間合いは、既に一刀足。
英雄は、その長大な武器を上段に構え、長い柄の先端を持ち、気合一つに振り下ろす。
青年は、その鋭い打ち込みを、盾や剣で受けることはせず、後ろに飛ぶことで回避する。
両者の間にできた、一瞬の間合い。
双方が確信する。
強い、と。
青年は、左手の丸盾と兜を躊躇うことなく捨てた。
ばかりか、自身の纏う鎧を、繋ぎ合わせる革ひもを剣で斬って、脱いでいく。
そして、空いた左手には、腰から抜いた短刀を構える。
一振りで分かる。
あの男の斬撃に、盾も鎧も意味はないと。
今の青年の恰好は、上下に薄黄色の麻の服、鋼鉄の脛当てを縫い付けた革靴と、同じく鋼鉄の板を縫い付けた革の籠手。
甚だ戦場に似合わない軽装で、目の前の英雄に向き直る。
英雄もまた、目の前の青年を見ながら、兜を捨てる。
過去、彼の初撃を避けたものは、まず間違いなく強敵であった。
そして、目の前の、まだ若く見えるこの青年も、そのかつての強敵に匹敵するのかと、驚嘆と、歓喜を持って見つめていた。
兜を脱ぐのは、自信故でも相手を軽んじるが故でもない。
視野を確保するために。
そして、英雄は、自身の武器を構えなおす。
柄の先端ではなく、刃の中ほどに空いた穴に、握りを移す。
力ではなく、技で。
でなければ、この青年には当てられない。
そんな確信めいた何かが、英雄の頭の中に浮かんだ。
共に向き直った二人は、しばしの間、視線を交わらせる。
そして、お互いに、同時に、一歩。
また一歩。
平時と変わらぬ歩みで、相手に近付いていく。
やがて、その歩みは早足になり、走りになり、そしてまた一刀足の間合いに。
青年の右手が薙ぐ様に振るわれる。
――ガイィンッ
英雄は、その剣を受けると、力で持って押し返す。
よろめく青年に、横に払われた刃が迫る。
青年は身を屈めると、その金に輝く髪を何本か散らしながらも、その刃を避ける。
そして再び開く、間合い。
「なかなかどうして。卿程腕が立つ者は久しぶりだ。こんなにも心が躍る打ち合いも、だ。……俺としては、まだまだ卿の相手をしていたいが、後ろが気になる。行かせてはくれまいか」
半身になりながら笑いかける英雄。
「貴方こそ、さすがは『英雄』と呼ばれるだけはある。……わたしの役割は貴方をここに足止めすること。まだまだお付き合いいただきますよ」
左手の短剣を掲げ、返答する青年。
――背を見せれば、あの短剣が飛んでくる…か。
――足止めに徹する。それがわたしの務め。
そして、再び、二人の間は詰まっていく。
刃を振るう二人の戦士の顔は、どちらも笑っているように見えた。
英雄と互角に打ち合うAさん・・・
正確には、互角じゃありませんけどね
Bさんを倒しに行ったら、Aさんじゃ敵いません
足止めに徹しているから、なんとか互角で戦えています




