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Side-A②

 公国軍の首脳部が集まるテントは、重苦しい空気に包まれている。

 誰もが言葉を発することをためらうような、そんな息苦しさが漂う。


 といっても、別段、気温や湿度が関係ある訳ではない。

 むしろ今夜は、湿気も少なく、気温も昼間からはだいぶ下がって、夏場にしてはとても過ごしやすい方だ。


 この息苦しさの原因は、先ごろ開かれた戦端において、王国軍が使用してきた兵器にある。


 決して広くはないテントの中。

 十数人の男たちが、ユラユラと揺れる蝋燭の明かりの中で、中央の机の上におかれた丸太を見つめている。


 それは中央で上下(前後?)に二本に割れているが、元々は一繋ぎだったものだ。

 太さは大人の腕ほどもあり、長さは二本合わせると、兵士たちの身の丈よりも少しばかり長い。

 よく見ると、この巨大な円柱(と呼ぶこともできる構造体)の一方の底には溝のようなものが、円の直径をなぞる様に彫ってあり、その少し上にはなにか板状のものが挟まっていた痕跡がある。


 円柱の側面を底とは直角に。

 ぐるりと三か所。

 まるで矢羽があったかのように。


 だが、ここにいる男たちが見ているのは、そんな、丸太の些細な形状ではない。

 彼らの目線を集めているのは、もう一方の端にある、巨大――と形容しても異論は出ないほどの――鉄の塊だ。


 大人の頭、あるいはそれを包む兵士たちの兜ほどもあるだろうか。

 重量も見た目通り、とても一人では抱えられないほど重い。

 先端は良く研がれた刃物のように鋭く、その形状はまさに、矢じりをそのまま巨大にしたものだった。


 ではいったいこの丸太がどうかしたのか、という話だが…。


 今日の戦闘中に飛んできたのである。


 これは、比喩でもなんでもなく、敵の、王国側の陣地から、兵士たちの頭の上に、文字通り飛んできたのである。

 それも、二十本×十回。しめて二百本。


 兵士たちが夜通しで築き上げた高い土塁は、さながらバターの壁のように、容易く貫かれた。

 太い丸太で組み上げられた防御柵は、焼き菓子のように、容易くへし折られた。

 彼方からの飛来物は、さながら、終末を告げる雷鳴のごとき爆音を轟かせて、地面に深々と突き刺さった。

 そうして出来上がった、巨大な矢の森、総数二百余りは、鍛えられた公国軍兵士たちの心を折るには十分すぎる衝撃を与えた。


 事実、この兵器が使われてからは、公国軍の士気がまるで上がらず、上層部はやむを得ず戦略的撤退の命令を下した。


「さて…」

 重苦しい空気の中、ようやく口を開いた男がいた。

翼軍(よくぐん)〉総司令官パブロ=ルジェロ将軍である。

 戦場では〈翼軍〉が指揮権を握るため、現在のこの戦場における、公国軍最高司令官でもある。


「王国軍の新兵器について、思うところが有る者は述べて欲しい。この場では階級も経験も問わない。忌憚(きたん)のない意見を聞かせてほしい」


 公国最強の兵士、史上最強の英雄。そう民衆に形容される、公国軍の名実ともにトップに立つ男は、ここ数年で大きく後退してしまった頭髪を撫で付けながら、机の周囲を囲む男たちに向かって問いかけた。

 しかしながら、しっかりとした返答は聞かれない。

 皆一様に、困惑の表情を浮かべたまま、言葉にならない呻き声を上げるか、ぼそぼそと誰にも届かないようなつぶやきを漏らすだけだった。


 総司令官であるルジェロ将軍以下、〈翼軍〉第一から第四中隊の隊長、参謀、参謀付きの三役、〈爪軍(そうぐん)〉情報統括官トンマーゾ=ベルリーニ伯、〈牙軍(がぐん)〉総大将フランシスコ=ディ=マッテオ将軍に至るまで、歴史に残る輝かしい経歴と武勇伝を持つ勇将たちが、葬式のように陰鬱な表情のまま、机の上におかれた巨大な矢を、言葉を無くしたようにただ見つめている。


「宜しいでしょうか?」

 意見を求める若い声と共に、小さく手が挙げられている。

 が、光は弱く、陰になっているため表情は分からない。


「誰か?」

「〈翼軍〉第二中隊参謀付き、アレッサンドロ=アマルフィターノと申します」

 問いかけられた言葉に返答したのは、公国の人間ならば誰もが知っている苗字を持つ青年だった。

 ただし、その苗字を戦場で聞くことは、殆ど無い。


「噂の〈賢政(けんせい)〉の家の者か。ベロージ卿。卿の参謀付きは別の者ではなかったかな?」

 ルジェロ将軍は、青年が名乗った所属部隊──〈翼軍〉第二中隊の隊長に向けて確認をするように問いかけた。


「はい。前任者は負傷のため帰還させました。この者は戦時特進で現地徴用しました者にございます」

 兵士にしては、やや恰幅が良過ぎるように見える男――マッシモ=ベロージは、自慢の腹を撫でながら、この会議に先立って将軍に伝えた言葉を繰り返した。


 この男、戦闘技術はからっきし(といっても軍人ではあるので、身を守るくらいはできるが)なのだが、人懐っこそうな顔と、丸々とした体格のおかげ(?)で人受けが良く、部隊のまとめ役、指揮官としては極めて優秀なのである。


 ちなみに戦時特進とは、公国軍独自の仕組みである。

 部隊に欠員があり、下から人が繰り上げられたとき、その者の持つ権限が役職に見合っていない場合に用いられる。


 例えば、参謀が負傷なり死亡なりで空席になったとする。

 その時に、参謀付きの人間が参謀に繰り上がるのではなく、役職なしの隊員が参謀に就くことが、公国軍の場合多々ある。

 役職によって求められる素質が異なることと、その人の持つ素養そのものを評価する公国の文化から考えると、その方が効率のいい時があるのだ。

 ただ、その場合、参謀という役職に対して、その者の持つ権限が十分でないことが起こりうる。つまり、本来は他人に指示できる権限のない者が、いきなり支持する立場になってしまうことは、部隊に混乱をきたす場合がある。

 権限の委譲は、正式な書類と所属中隊の隊長及び、総司令官のルジェロ将軍のサインを必要とし、全軍に毎月配布される広報誌で公表されることで完了となる。

 が、戦場でそんな悠長なことが許されるはずはないので、当該の戦場限定で、時限的に権限を委譲する、という仕組みである。


 参謀付きは、現場から上がってきた情報の整理、参謀からの指示の伝達など、現場と部隊の首脳部を繋ぐなんでも屋である。

 この役職は、指揮能力や作戦立案能力よりも、高い調整力が必要とされる。


「了解した。アマルフィターノ参謀付き。卿の意見を聞きたい」


 ルジェロ将軍は若い兵士にそう促した。

 その言葉に釣られるように、この場にいる全員の視線が、一人の青年に向けられる。

 中には、ベルリーニ伯の訝しむような視線や、ディ=マッテオ将軍の値踏むような視線も含まれている。


「はい。申し上げます。此度の王国側の新兵器は、恐るべき性能を持っています。その威力は言わずもがな。射程に関しても、当方の弓兵部隊のものよりも遥かに優れているものと思われます」


 言葉が紡がれるたび、青年に集まる視線は明らかに失望の色を濃くしていく。

 そんなことは分かっている…。さも、そう言いた気に。


 だが、

「ですが、わたしが考えるに、この兵器は未完成ではないかと思われます」

 この言葉を聞いて、再びテントの中の視線は青年に集まった。


 ざわめきがテントの中に溢れ、自分の声が通りにくくなってしまったのを感じ、青年は一度口を噤んだ。


「アマルフィターノ卿、詳しく教えてくれないか」

 そう聞いてきたのは、〈牙軍〉総大将のディ=マッテオ将軍だ。


 ディ=マッテオ将軍率いる〈牙軍〉は戦場における主力部隊。即ち〝数の軍〟だ。彼らは決して天才ではない――特別に優れた才覚を持たない一般人で組織された、公国軍の中で最も人数の多い部隊である。

 この新兵器による被害を最も受けているのもまた〈牙軍〉である。


「先に申しておきますが、これはあくまでも、わたし個人の推測であり、同時にわたしならばこうする、という類の話なのですが…」

と、言葉を切ると、青年はルジェロ将軍の横まで歩いて行き、おもむろに巨大な矢の先端――巨大な鉄の矢じりを指さして、こう告げた。


「わたしならば、ここに火薬を詰めます」

 その言葉に、テントの中は、先刻以上の喧騒に包まれることとなった。




「先ほどの話、本当なのか?」


 テントの外、星空の下を、月の光を浴びながら三人の男が歩いている。

 その中の一人、軍人には似合わない、大きな腹をした男――マッシモ=ベロージ〈翼軍〉第二中隊隊長が、隣を歩く新米の参謀付きに問いかける。


「ですから…わたしは、あくまで私見を述べたのであって。それが真実である保証はありません」

 先ほどの会議は、アレッサンドロ=アマルフィターノの一言によって混乱を極め、結局何一つ滅論が出ぬまま解散となった。

 彼ら三人もまた、自分たちの中隊の休憩場所に向かっているところである。


「しかしなぁ…。お前の言うことも一理あるからなぁ…」

「だからこそ、会議もあれほどまでに混乱したのでしょう」

 ベロージの言葉を継ぐ形で言葉を発したのは、部隊の参謀、クリスティアン=ペドローニである。


 しばしば女性に間違われる、中性的な顔つきと金に輝く長い髪が特徴の、知略に優れた優秀な参謀である。

 人心を集めることに長けた隊長と、優秀な参謀。

 この二人は私的な付き合いは殆どないものの、部隊行動では絶妙な相性を発揮することから、次代の大将軍、とひそかに期待されている。


「一応、お前が未完成だ、と考える根拠でも聞いておこうか」

 ベロージが隣を歩く青年に問いかける。

 といっても、これは半分確認のようなものであり、彼も、そして彼らの後ろで黙って歩く彼の参謀も、自分なりの答えを既に持っている。


「はい。申し上げます。一番大きいのは、費用対効果の問題です。弾体の大きさから推測するに、発射台まで含めた全体の大きさはかなりものになるはずです。当然移動のコストも膨らみます。それに比べてこちら側の被害、つまりは相手に与える影響が少ないように思います」


「だが、土塁や防御柵は一撃で破壊されている。それでは足りないか?」

 ベロージは疑問を口にするが、


「攻城兵器としてならば十分過ぎるでしょう。ですが、今回のような開けた場所での合戦では、違うと思います。対人兵器として使用するには不十分と考えます」


「具体的には?」

 ペドローニも更なる情報を求める。


「今回使われた弾体ならば、よほど兵同士が密集していない限りは、被害は矢一本につき兵一人でしょう。それも矢が当たれば、ですが。発射間隔や発射本数も決して褒められた物ではありませんし。重量のある弾体を使いたいのであれば、わが国でも研究中の〝大砲〟を使えばいい話です。あちらは、我々よりも人も金もありますから、作るだけならば可能でしょうし。それらを踏まえると、どう考えてもあの兵器は未完成です。時期は我々に味方した、と考えるべきでしょう」


 アレッサンドロは年長の二人からの質問に、よどみなく答えていく。

 そしてそれらの答えは、二人の持つものと、大きく変わらぬものであった。


 火薬を戦場に利用するのは、数年前に考案された新技術だ。

 衝撃を加えたり、少しの火があるだけで爆発し、周囲に甚大な被害と衝撃を与える、文字通りの爆薬である。

 公国でも人と金を集めて、火薬を使用した新兵器の開発を進めてはいるが、未だに完成からは程遠い。


 確かに、アレッサンドロの言う通り、弾頭に火薬が詰められていたら、公国軍の被害はこんなものでは無かっただろう。


 加えて言うなら〈爪軍〉の小隊が収集してきた情報によると、続けて十回の斉射を行った後、王国軍の兵器は整備に入ったとのことだった。

 前線は、戦闘状態を維持していたにもかかわらず、だ。

 このことから、公国軍首脳部も、本格稼働は難しいのではないか、という結論を一応出している。


〈爪軍〉は、機動力に長けた兵を集めた部隊である。偵察、間諜、奇襲、暗殺など決して表に出せない類の任務を行う、数で劣る公国軍の影の主力だ。

 今回の戦場にも小隊規模でいくつかの部隊が展開している。


 公国軍の部隊編成は基本的に五の倍数になっている。

 兵士五人で『班』。

 五班集まると『小隊』。

 五小隊集まると『中隊』。

 五中隊集まって『大隊』である。


 公国の今回の戦場における兵力は、〈牙軍〉から三大隊、〈翼軍〉から四中隊、それと〈爪軍〉が何小隊か、といったところだ。

 ――〈牙軍〉は八大隊、〈翼軍〉〈甲軍〉は八中隊ずつ、〈爪軍〉は正確な数自体は公表されていないが、全体で四中隊規模ではないかと言われている。


 公国軍全体の1/3程にあたる兵力を持ち出してきてはいるが、数の上では未だ王国軍を下回っている。

 それに加えてあの新兵器の登場である。

 今後の戦局は厳しいものとなるだろう事は、だれの目にも明らかであった。


「これは、未確定情報ですが…」

 先を歩く戦友二人に向けて、ペドローニは〈爪軍〉の友人から伝えられた情報を明かす。

「件の新兵器の周囲を、あからさまな護衛部隊が囲んでいたそうなのですが、その中に『赤いマントを羽織った男』がいたそうです」


「!?」

「!!…間違いはないのか?」

 新たにもたらされた情報は、アレッサンドロを絶句させ、緩い顔が自慢のベロージの顔を緊張させた。


『赤いマント』。それは王国軍が誇る最強部隊、〈紅軍〉の証である。

 中でも、武に秀で、知略に通じ、一人で千万の敵兵に値すると言われる〝騎兵隊〟の化け物じみた逸話、噂話の類は、公国軍の内部でも信頼のおける話として知られている。


「ただ、『赤いマントの部隊』ではないようです。もし〈紅軍〉が本格的に出張って来るようならば、我々はその場で白旗を上げるべきでしょう」

 冗談でも言うように、軽く流すペドローニだが、発した言葉自体は決して冗談ではない。


 王国の首都から離れた戦場で〈紅軍〉がその力をふるうことは多くない。

 が、もし仮にこの戦場に彼らがやってきたとすれば、公国軍はこうして戦場の夜を過ごすこと無く、昼間の内に半数の兵を失い、残る半数は敗走することになっただろう。


「となると、護衛部隊の指揮官だけが元〈紅軍〉の出戻り兵、ということになりますね。それはかなり厄介ですが……」

 口を開いたのは、アレッサンドロだった。

 何か含む所がありそうな青年の様子に、同僚の二人は揃って彼の言葉を待つ。


「同時に好機(チャンス)かもしれません」

 この年若い青年は、普段の性格に似合わず、ニヤリと不敵に笑って見せた。


 もちろん内心はそれほど穏やかではない。

 しかし、現状を打開できる、逆転の一手になるかもしれない策を、今はすっかり呆気にとられたような顔をしている、仲間の二人に話し始める。


 月は時折雲に隠されながら、千万の瞬く星々と共に、戦場の夜を照らし出す。


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