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プロローグ


 一面の青い花畑に立つ二人の女性。

 二人とも青い瞳と金の髪。


 一人は少女。

 年の頃は五つか六つ。白いワンピースにつばの大きな白い帽子。

 初めて見る、見渡す限り一面の花畑にくぎ付けのその瞳は、右に左にせわしなく動く。

 首を回して、あっちへふらふら、こっちできょろきょろ。


 ついさっきまで、この旅行に同行できなかった両親を恨むように、今にも泣きだしそうな表情をしていたのに。

 まるで「もうそんなことは忘れた」とでも言いた気に満面の笑みであっちこっちと駆け回っている。


 一人は老婆。

 淡い青のドレス。同じく淡い青の帽子と白い日傘。

 凛としたその立ち姿は若々しく、しかし、その顔に刻まれたしわの数々は、彼女が重ねた年月以上の苦労を滲ませる。

 孫娘のはしゃぎように目を細めるその顔は、若かりし頃に数多くの男たちから、「蝶よ花よ」と称えられた美貌を思い起こさせる。


 一緒に来るはずだった息子夫婦は、屋敷で今も急ぎの仕事に追われていることだろう。

 思い起こせば、自分も若いころは仕事に明け暮れ、息子には随分とさみしい思いをさせたものだ。

 せめてこの孫娘にはそんな思いはさせないようにしようと常日頃から気を配るようにしている。


 ふらふらと歩き、あちらこちらと走り回っていた孫娘が老婆の元へと戻ってくる。


「すごいですね、おばあさま」

 

 この旅行では、彼女が生まれて初めて目にするものばかりを見せているので、すっかり〝すごい〟という言葉が口癖になっている。

 普段は年不相応に聡明なはずのこの少女も、今はまだ、初めて目にする光景を形容するのに十分な語彙を身に着けているわけではなかった。


 老婆は静かに笑いかける。


 この場所は、彼女が、その決して短くない人生の中で訪れたことのある土地の中でも一、二を争う美しい場所だ。

 特に、この小高い丘の上から下までが一面花で埋め尽くされるこの時期は格別に素晴らしい。

 自分もこの孫娘と同じ頃、同じように祖母に連れられて、初めてこの地に来た時のことを思い出す。


「おばあさま、このおはな(・・・)はなんというのですか?」


 指の先ほどの小さな花を小さな手に握って、少女が尋ねてくる。


「これはね〈虹の花〉というのだよ」

 かつて自分もそう教えられたように老婆は答える。


「〝にじのはな〟?」

「本当の名前は私も知らない。ただね、この花はいろんな色の花をつけるんだよ。毎年違う色の花をね。だからみんなはそう呼んでいる」

「すごいっ!」

「そうだね」

 少女は目を輝かせてはしゃいだ。


「ことしはどうしてあおなのですか?」

「去年のこの辺りは雨が多かったからだろうね。いっぱい雨が降った次の年はこんなきれいな青になるんだそうだよ」

「すごいすごいっ!」


 何が嬉しいのか、少女は今までよりもずっと楽しそうだ。


「ほかにはどんないろがあるのですか?」

「雪がいっぱい積もった次の年は白。晴れた日が多ければ黄色い花が咲くらしいよ。わたしはそれくらいしか見たことはないけれど、まだ他にもあるかもねぇ」

「すごいすごいすごいっ!!おばあさまはものしりですね」


 老婆は少し苦みのある顔で微笑んだ。少女にはわからないように。


 本当はもう一つ知っている色がある。

 ずっと昔、彼女がこの花を初めて見たときに咲いていた色。

 この花のつける色の中で最も鮮やかで、最も悲しい色。

 目にした一瞬で心を奪う鮮烈な色と、耳にしただけで心が痛くなる理由(ワケ)

 それを聞かせるには、少女はまだ幼すぎた。


 少女は、ふと考えるようなしぐさを見せて、

「では、らいねんはなにいろのはながさきますか?」

 と聞いた。

「来年は…」

 老婆は言葉に詰まる。


 きっと来年は咲かないだろう。

 この丘は戦場になる。


 東の王国と西の公国。隣り合う両国は、これまでも小さないざこざを続けてきたが、ここ数か月で二つの国の緊張がさらに高まっている。

 息子夫婦が屋敷に残って処理している仕事は「いざ戦争が始まったら」を想定してのものであるし、今回の小旅行も、少女には話していないが、戦火を避けるために国境線から離れた別邸へ避難するためのものだ。


 老婆と少女と御者が一人。護衛もなしに馬車で旅できるほどに整備されたこの道は、東西両国にとって好都合な進軍路だ。

 そして両国はおそらく──いや、十中八九、この丘で激突するだろう。

 障害物が無く、ほぼ平坦なこの地で。

 数多の兵士達の行進で踏み荒らされてしまえば、ここに咲く小さな花は容易く薙ぎ払われてしまうことになる。


「…どうだろうね。わたしにも分からないね」


 こうした大人の事情は、少女に聞かせるにはまだ早すぎる。

 せめて今だけは。今この時だけは、この少女に悲しい思いをさせたくない。

 老婆はそう思い、幾分苦みの強い微笑で少女に言葉を返した。


「ではまたらいねん、ここにみにきましょう。こんどはおかあさまとおとうさまもいっしょに」

 老婆の気持ちを知ってか知らずか、少女はにこやかにそう言った。

 その笑顔は足元の花のように可憐で、今日の日差しのように眩しかった。


「そうだね…。今度は二人も一緒に」

 そう言って、老婆は遠くの空を見上げる。

 どこまでも青く澄んだ今日の空が、せめて一日でも長く続くように願いながら。



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