【5】主人公の?
月明かりのまぶしい夜。それもそのはず。この時代には電気がない。夜の明かりといえば月と、星と、灯籠と、蛍くらいなものだ。
ここは杉彦の生きる時代から約四〇〇年前の時代。
刀を振るって、敵国や妖怪を倒す武士が人の世の上に立つ、そんな時代。
将軍様の城下町から山を一つ、二つと越えた山奥にある武稽古場に、彼はいた。
彼の名は『幾久』。
若干、十二歳にして大人と剣の腕を並べられるくらいの少年だ。
その上、非常に剣術に熱心で真面目な少年であり、今日も丑三つ時にも関わらず、無心に木刀を降り続けていた。
将来、立派な武士になり、将軍様のお側に使えることが彼の夢だからだ。
「はっ!はっ!はっ!はっ!はっ!はっ!はっ!はっ!」
木刀を振るうと共に、気迫のある言霊を発する幾久。
一糸乱れぬ素振りの音と言の葉は、月の満ちた静かな夜に力強く響き渡る。
「はっ!はっ!は、……ん?」
幾久は急に動きを止めた。稽古場の外で物音がしたからだ。
……あやかしだろうか?
幾久が廊下に出てみると、月明かりでうっすらとしか見えないが、誰かが倒れているのがわかる。その人物から小さいうめき声が聞こえてきた。
「ぅぅ……いたたぁ……ふあ」
その声の主は幾久が来たことに気づくと、幾久に顔を向けて照れた笑みを浮かべた。
「あ、幾ちゃん、御免ね。お稽古の邪魔しちゃって」
その声の主を、幾久は知っていた。
「……またか、陽黄」
陽黄と呼ばれた女の子は、にっこりと笑い、
「えへへぇ~厠の帰りに幾ちゃんの声が聞こえたから」
舌を出しておどけてみせた。どうやら廊下から落ちて転んでしまったらしい。
「まったく仕方ないやつだ。お前はよく転ぶ。暗がりでは通った道以外は通るな」
厳格な態度だが、語気を弱めて陽黄を諭そうとする幾久。
「う、うん、そうだよね。御免ね、幾ちゃん」
陽黄は少しシュンとなった。反省しているつもりなのだろう。その表情にはいつも勝てない幾久は、ため息混じりで、
「……次からは気をつけろよ」
「うん!」
陽黄にまた明るさが戻る。
「じゃあ寝室までついていってやる」
「うん!有り難う幾ちゃん!」
幾久は廊下から手を伸ばし、陽黄の手を取る。
陽黄が廊下に上がると、幾久はゆっくりと陽黄をひっぱって廊下を歩いた。
なかばつまづくように歩き出して、陽黄の髪がサラっとなびく。長く綺麗な黒髪が月明かりに照らされ、美しい黄金色に輝く。
陽黄は幾久の幼なじみで、年も同じ十二歳だ。陽黄はこの稽古場の師範代の娘であり、幾久の想い人でもある。
想い人と言ってもまだ幼少であり大げさだが、幾久にとっては彼女が初恋の相手であり、大切な唯一無二の女性なのだ。
師範代の娘であるにも関わらず、ドジで間抜けで天然。剣の腕前もよろしくない。
だが、幾久のことを家族のように慕い、どこに行くにもちょこちょことついてくる。
そしてなんといっても、陽黄の髪はきらびやかで美しかった。
特に自然光に当たると財宝の如くキラキラと黄金色に輝くのだ。
原因は不明だが、陽黄を知っている一部の人間だけが目撃していて、周りからとても寵愛されている。
今はまだ噂でとどまっているが、いずれ陽黄の髪の事が将軍様の耳まで届くことだろう。
それまでに彼女を守れる強さを身につけておくことが、幾久のもう一つの目標でもあった。
陽黄を寝室まで送ったら、続きをしよう。
幾久はいつも以上に気合いをいれて、稽古を続けた。