二人の旅人
空は嫌になるほどの青空だった。断片的に浮かんだ雲はどれも透き通る様に真っ白で、まるで白いシルエットのようだった。太陽はここぞとばかりに照りつけて街道を歩く二人の旅人を焦がしている。
旅人たちはどちらも簡易な革鎧を身につけ、巨大な荷物を背負っている。これではどんなに屈強な人間でもたまらないだろう。特に背の小さい方は今にも倒れてしまいそうなほど背を丸めて辛そうに歩いていた。
しかし傍らを歩くもう一人の背の高い旅人の方はそれより更に多くの荷物を背負っている。にも関わらず背筋を伸ばし疲れの見えない無表情を貫いて、ただ前を向いて淡々と歩いている。小さい方の旅人は傍らを歩くその姿を見上げて大きな溜め息をついた。
巨大なリュックサックと背中の間に然り気無く挟まっている巨大な剣、サックに収まりきらず腰からぶら下がる鉄のグリーブ、そして身に纏ったままの革鎧と肩当て。こんな格好をしてこれだけの荷物を運ぶのは例え筋骨隆々の男戦士だとしてもかなり骨が折れるだろう。しかし平然とそれを成しているその旅人は長い黒髪の長身の女性であった。
「…やっぱり、自分で持つよ」
しばしその姿を見上げていた小さい方の旅人は、耐え兼ねたように口を開いた。
「気にするな。大した重さじゃ無い」
しかし対する女性はそれに軽い口調で言葉を返す。普通に考えれば彼女の背負う荷物は誰から見ても「大した重さ」に相当するだろう。しかし女性の表情を見るに、彼女が無理をしたり強がりでそう言っているのでは無いようだった。
小さい方の旅人はそんな女性を見て苦笑いを浮かべた。女性の顔を見た後その視線を背負っているリュックサックへと移し、最後に自分の背中の荷物を意識するように方紐に手をやった。おそらく彼の背負う荷物は女性の背負っている荷物と比べると3分の1程度の重さにしかならないだろう。彼女のあまりに桁外れの腕力に対する賞賛のためか、それとも自分自身の腕力に対する落胆のためか、少年は小さな溜息を漏らした。
「……休むか?」
女性が言葉を発した。相手を気遣う言葉ではあったが、その声音は心配している風な響きではない。感情の薄い事務的な言葉であり、感情というものが感じられない硬質な響きだった。
それに対し少年は慌てたように首と手を左右に振り回し、傍らで首を傾げる女性の顔を見上げてわざとらしく笑顔を浮かべてみせる。
「いや、別に全然疲れてないよ?流石の僕にだってこの位の荷物は持てるって」
本当のことを言えば、荷物は肩に食い込み「重さ」よりも「痛み」を少年に与え続けている。しかし目の前に自分の何倍もの荷物を背負う女性が居ると言うのに「重たい」だの「疲れた」だの言えるはずがない。どんなに自分の非力を自覚していたとしてもそんな弱音を吐くことだけは出来ないのだった。
「……そうか?」
「僕のことは気にしないで良いってば。そっちこそ、疲れないの?」
尚も感情のこもらない気遣いの言葉を投げかける女性に対し、少年は質問を投げ返す。本音を言えば少し休みたい気持ちはあるのだろうが、それを自分から言うのだけは絶対にしたくない。
その言葉に、問われた女性は空を仰いだ。足取りが不意に緩み、少年が彼女の一歩先を行く。何事か考えているらしい。
「……そうだな」
たっぷり三十秒は沈黙してから、彼女はようやく口を開いた。
「腹が減った」
言うが早いか、その腹の虫が大きな蛙のような声で一つ鳴く。あまりのタイミングの良さに少年は思わず笑い声を漏らした。
太陽は空高く上りほとんど真上に来ており、二人の影も円に近いほど短くなっている。少年は首に下げていた銀色の鎖を引いて細工の施された美しい懐中時計を手に取った。文字盤を見ると、その針は既に午後に入りかけている時刻である。
「そっか、もう昼過ぎてたんだ。お腹空いてるならもっと早く言ってくれれば良いのに」
「……いや、私も今気づいた」
口を尖らせて少年が言うが、彼女は相変わらず感情の薄い声で言う。その言い種が可笑しくて少年はまたも笑った。
「それじゃ何処かで休もう。小川でもあれば良いんだけど…」
少年のその言葉に、女性は再び空を振り仰ぐ。しばらくそのまま黙り込んだかと思うと、突如として歩みの方向を変えた。どうやら水の音を聞き取ったらしい。
「ちょっと待ってよー」
無言で歩く彼女を慌てて小走りで追いかける。その向かう先はおよそ人の踏み込んだことの無さそうな暗い森の中だった。
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さわさわと鳴る木の葉と耳に心地よい鳥の声。透き通る清水の流れる小川を前にした草地に、二人は荷物を下ろした。肩に手をやり腕を振り回す女性を他所に、少年は一目散に小川の淵へと駆け寄る。
透き通る清水で手と顔を洗い一息つくと心地良さそうに呻った。その隣に革鎧を外し終えた女性が革袋を手に現れる。あれだけの荷物を運んだ後なのだから汗もかき喉も渇いている筈なのだが、どうやら彼女にとってそれよりも水汲みの方が優先事項だったらしい。
少年は顔から水を滴らせたままでそんな女性の顔をぼんやりと見つめた。
「なんだ?私の顔に何か付いてるか?」
その視線は水を汲む自分の手元に落としたままで、やはり感情の薄い口調で女性がそう言う。少年は少し決まり悪そうな顔をしてから悪戯そうな口調で言い返す。
「うん、目と鼻と口が付いてるよ」
「そうか、それは気づかなかった…眉毛はどこに落としたかな?」
少年の冗談を更に冗談で返す。ほんの少しその口調に楽しげな色が浮かんだ。水が革袋に一杯になったところで少年の方を向き、不器用そうに口の端だけを持ち上げる独特の笑顔を見せる。彼女にとってはそれが精一杯の笑顔らしい。少年の方も笑顔を返した。
「顔でも洗ったら帰ってくるんじゃないかな?」
「そうか、ならそうしよう」
尚も続ける少年に向けてそう言うが早いか頭を勢いよく水の中へと突っ込む。水が跳ねて水面がさざめき、彼女の長い黒髪が川の流れに浮かび上がって流れる。魚にとってはたまったものではないだろう。
そんな野性味溢れる行動のせいで顔どころか着ている服までびしょ濡れになっているが、彼女はそんなことはお構い無しの様だ。流れに頭を突っ込んだままで何事か言っているらしくゴボゴボと水面に気泡が浮かんでいる。それを見て少年が更に笑った。
「乾くの時間掛かるよ!……って聞いてないか」
呆れたように独り言を言ってから、マイペースに冷たい皮の水を楽しんでいる女性の傍らから水でいっぱいになった革袋を取り上げる。草原に放り出したままだった荷物の方へと先に歩き出すと、水音が後ろから追いかける。清水を楽しんでいた女性の方が漸く顔を上げたようだった。
振り返ると、まるで獣のように頭を降って水気を飛ばすその姿が少年の視界に入ってくる。そのあまりにワイルドな姿に少年は再び笑いを漏らした。
この先の道は遮蔽物が少ない上、太陽も陰りを見せる気配が無い。午前中よりも苦しい道程になることは想像に難くないだろう。ここでしっかり休息を取っておくことは間違っていないだろう。
ただし、少年には一つだけ不安の種があった。噂に聞いた話によるとこの川沿いには時折盗賊が出ると言うのだ。二人とも戦えない訳ではないのだが、盗賊の撃退によって休憩時間がつぶされてしまうことだけは避けたい。
「眉毛が帰ってきたぞ、チェロ」
そんなことを真剣に考えて居た少年の横にほとんど全身びしょ濡れになった女性がひょっこりと現れる。しかもまだ冗談を続けているらしい。難しい顔をしていた少年の表情が思わず緩んだ。
「眉毛は大切にしないとね」
「大切にしてるさ。…そんなことより、今日の昼飯は?」
「そんなこと、だなんて言ったら眉毛が拗ねるんじゃない?」
更にそんなことを言いながら、少年は鞄から出した大きな包みを手渡す。それを受け取って女性は木を背にして座り込んだ。
「私の眉毛はそんなに狭量じゃないから大丈夫だ。……なんだか思ったより小さいな」
やや乱暴な手つきで包みを開いて中身を確認した女性は、帰ってきたばかりの眉を八の字にした。その手の上には誰がどう見ても「特大」サイズであろう立派な握り飯が3つ綺麗に並んで鎮座していた。
「特大で頼んだんだけどなぁ……足りなさそう?」
「少し物足りない感があるな。……まぁ言っても仕方がないからな。頂こう」
そう言って女性は両手を合わせる。少年は彼女に気付かれないよう思い切り不可解そうに眉をしかめてみた。まさか、あれだけ大きな握り飯を3つも用意したのにまだ足りないと言うとは思ってもみなかったのだ。
「俺、ちょっと周り見てくるよ。ヴィオは食べてて」
「了解。……気をつけてな」
握り飯を頬張りながら手を振る女性に背を向けて、少年は小川に沿って歩き出した。