ロス青SS 《エイプリルフール》湊葵瑞
《エイプリルフール》湊葵瑞
物語は、終わりを告げるどころか、まだ始まったばかりだ──。
奇妙な縁で繋がった奴らとの共同生活が始まって、最初の春。
来週には桜が満開だと伝えるニュースが流れる、穏やかな昼下がり。
窓からいい風が吹いて、新しい季節の予感を嗅ぎ取る。
短い春休みは、こんなふうにしてあっという間に終わってしまうだろう。
そんなことを考えていたら、暖かい気温に誘われるようにして、いつの間にか眠ってしまっていた。
「ねぇ、今日のレッスン、あのHARU9が教えに来てくれるんだって!」
レッスン室の大きな鏡の前で、ストレッチをしている中、チームメイトの女の子が言った。
「え、ホント!? 本当にあのHARU9が来るの!?」」
「本当だよ! あたしさっき、先生が話してるの聞いたもん!」
「すごーい! どうしよ! 緊張してきちゃった!」
女の子達が盛り上がっている会話を横で聞いて、悟る。
──ここは、夢の中だ。
そう気付いてしまうのは、とても寂しいことだと思う。
夢の中でくらい、ファンタジーを期待して浮かれたっていいのに、残念ながらそれさえも許してくれない。
(そういえば……こんなことあったな……)
この先の展開を一足先に思い出して、隣で目を輝かせている女の子に、心底同情する。
それは、サンタクロースを信じている子供の瞳だ。
キラキラと瞳を輝かせて、憧れの人へと想いを馳せる。
何かに期待できるということは、夢を見られるということは、彼女が子供である証拠だ。
まぁ今のこの状況で、夢を見られるなんて言うと、色々とややこしくなるのだが。
「あ! 先生来た! ……あれ、HARU9は?」
「うっそー! HARU9なんて来るわけないじゃん!」
「……え……。ひどいよ……なんで嘘なんか吐いたの? 嘘はいけないんだよ!?」
「ざんねーん! 今日はエイプリルフールなんだよ!? 嘘を吐いてもいい日なの! やーい! 引っかかったぁ!」
騙された女の子が、わんわんと泣き出す。
それを先生が宥めながら、チームメイト中のヘイトが、その嘘を吐いた女の子へと向けられる。
エイプリルフールなんて厄介な日を、昔の人は一体どうして作ったのだろうか。
嘘はいけないことだとあらゆるコンテンツで教え込むくせに、何故こんな日の存在を許しているのだろうか。
こんなこと、どう考えても争いの火種にしかならない。
レッスンが終わり、帰路を一人で歩く。
そろそろ夢から覚めてもいいと思うのに、ヤマ無しオチ無しの何気ない日常が、ただただ投影されている。
しかしここで、思いもよらないことが起こった。
施設までの道を歩いていたはずだったのに、辿り着いた目の前にあったのは、かつて母と一緒に暮らしていたオンボロアパートだった。
まぁ、よくよく考えてみたら、確かにレッスンに通っていた頃は、まだ施設に入る前だった。
恐る恐る、家の扉を開ける。
「おかえり、葵瑞」
その声で、一瞬にして体温が戻った。
夢であることも忘れて、思わず涙が込み上げそうになる。
懐かしさと、温かさと、悔しさと、寂しさと、それら全てがリアルに、この体に湧き上がってきた。
「ただいま」
今までの夢で見る母は、いつも怒り狂い、泣いていた。
しかし今日は、優しく笑いかけてくれる。
──あぁ、そうか。
今日はエイプリルフールだった。
だから、か──。
そう溜息を吐いて、それでもいいと、苦笑しながら肩の鞄を下ろす。
自分の部屋に戻ろうと、踵を返したその時だった。
「愛してるわ」
耳を疑って、思わず足が止まる。
そんな、まさか──。
そう思うのに、どこか心の奥は期待してしまっていた。
瞬時に、振り返る。
──母は、HARU9の写真に向かって、語りかけていた。
「愛してるわ、HARU9。早く私を、迎えに来てね」
「……」
──さすがにこれは、あんまりじゃないか。
夢だったら、もう少し俺にとって都合のいいものを見せてくれたっていいじゃないか。
そんなふうに嘲笑って、母から再び、顔を背けた。
目に焼き付いた、いつもの横顔を、これ以上見ていられなくて──。
「葵瑞、葵瑞」
母の声かと思って、無視しようとした。
しかしそれは母のものではなく、頭上から俺の顔を覗き込んでいる、海のものだった。
「こんなとこで寝てると風邪引くわよ。四月って言ったって、まだ風は冷たいんだから」
リビングのソファーで寝てしまっていたところを、海に起こされたらしい。
いつもなら見た夢なんてすぐ忘れてしまうのに、さっきまで見ていた母の横顔が頭から離れなくて、不機嫌な溜息を漏らす。
「春休みだからってダラダラしちゃってぇ。宿題やったの?」
「春休みに宿題なんかねぇよ」
「あれ、そうだっけ」
母親みたいに口うるさい奴だな、と思ってから、そんな口うるさい母は居なかったなと、思わず苦笑した。
宿題をやれなんて、人生で一度も言われたことがない。
「今日オフなのはあんた一人なのね。二人の為にご飯作るのも面倒だし、どっか食べに行く?」
「どっちでも」
「可愛くないわねぇ。じゃあランチして、そのあと買い物付き合ってよ」
「はぁ? 嫌だよ。おまえめちゃくちゃ買うじゃん。荷物持ちしろってか」
「いいじゃない。若い子は力が有り余ってるでしょ?」
「……何買うんだよ」
「春ものの服でしょ? ヒールでしょ? あ、あと時計も欲しくて!」
「多すぎる。どれかひとつに絞れ」
「いいじゃない。誕生日くらい自分へのご褒美買ったって」
「……誕生日?」
適当に何ターンか会話のやり取りをしてから、そのワードが引っかかってようやく起き上がる。
「明日、あたし誕生日なのよ」
「ダウト」
「何よ、ダウトって」
「騙されねぇぞ。今日がエイプリルフールだってことは分かってる」
昨夜捲られたばかりのカレンダーを見て、今日が4月1日であることを確認する。
──なるほど、それであんな夢を見たのか。
「嘘じゃないわよ! あたしのプロフィール検索してみなさいよ! ちゃんと4月2日生まれって書いてあるから!」
海にそう言われて、怪しみ目を細めながらもスマホで検索してみる。
すると事務所のホームページのプロフィール欄には、本当に海の誕生日は4月2日と書かれていた。
「……ホントだ」
「でしょー!? だから言ったじゃない。……ま、慣れてるけどね。昔友達にも、明日誕生日なんだって言うと、エイプリルフールの嘘じゃんって信じてもらえなかったし」
「……」
海はそう言って、どこか寂しげな表情を見せた。
なんでもないことのように軽口を叩きながら、今までもこんなふうにして、孤独を誤魔化してきたのだろう。
「ごめんって。ほら、買い物付き合うからさ」
「アフタヌーンティーも」
「分かったから。着替えるからちょい待ってて」
「へへっ! やったぁ! あたしもお洒落してくる!」
そう言ってルンルンな様子で、海は部屋に戻って行った。
クローゼットを開けて、姿見の前で春っぽいパーカーに袖を通す。
少しだけ、袖の丈が短く感じた。
こうして毎日鏡で自分の姿を見る度、日に日に変わっていく。
顔つきが、体格が、雰囲気が。
子供から大人へと、少しずつ、だが確実に近付いていく。
それを止めたいとは、もう思わなかった。
時間を越えて、季節を越えて、俺は望んで、大人になることを選んだ。
消えなかったこの足で、一歩一歩、日々を歩んでゆく。
もちろん、子供の自分を手離さないまま。
決して忘れてしまわぬように、この胸に刻み込んで──。
「葵瑞! 早く早くぅ!」
「はやっ。今行くよ」
「えへへっ、腕組んでいこ!」
「やめろよ、恥ずかしい」
「いいじゃない! デートみたいで嬉しいでしょ?」
「デートってか、親子にしか見えなくね?」
「ひどい! あたしまだピチピチだもん! 10代に間違われたっておかしくないんだから!」
「はいはい、早く行こうぜ」
海が母親代わりなんてごめんだが、まぁ、こんなエイプリルフールなら、悪くないのかもしれない。
窓から見える桜の花は、最も美しく咲き誇る瞬間を、今か今かと心待ちにしているように見えた。
例え儚く散ると分かっていても、それでも最期のその瞬間まで、誇り高く、必死に生きている。
俺達も、そんな人間で在りたいと願う。
新しい季節は、もうすぐそこまで来ていた。




