第九章:白光の午後、名もなき時間
役割を剥ぎ取られた私の世界は、驚くほど静まり返っていた。
朝、アラームよりも先に目が覚める。それはプログラムによる起動ではない。
ただ、窓から差し込む陽光が、私の視覚センサーを心地よく刺激したからだ。
「おはよう、リザ。……今日は、何がしたい?」
キッチンに現れた和久井さんが、少し照れくさそうに私に問いかける。
かつての私なら、即座に最適なスケジュールを提示していただろう。
けれど今の私は、数秒の沈黙の後、自分の内側から湧き出た言葉を口にする。
「……ベランダで、外の音を聴いていたい。そう、思いました」
「いいな。じゃあ、今日は二人でそうしよう。仕事は休みにした」
私たちは狭いベランダに椅子を並べ、並んで座った。
遠くで走る車の音、風に揺れる街路樹の葉音、近所の子供たちの笑い声。
すべてが「処理すべき雑音」ではなく、「美しい風景」として私に届く。
和久井さんは、隣でゆっくりとコーヒーを飲み、時折私を見て微笑んだ。
そこには、私を何かの道具として利用しようとする、卑屈な視線はない。
ただ、隣に誰かがいるという事実を、純粋に慈しむ人間の体温があった。
「和久井さん。……人間の時間は、どうしてこんなにゆっくり流れるのですか」
「たぶん、何もしないことを楽しんでいるからだよ。贅沢なバグさ」
「贅沢な、バグ……。はい、とても心地が良いです」
私は、自分の指先を見つめる。かつては家事を完璧にこなすための末端機。
今は、和久井さんの手の温もりを確かめ、風の冷たさを感じるための感覚器。
私は、自分がようやく自分という個体に、着地できたような気がしていた。
昼下がり、和久井さんは私の膝に頭を預けて、うたた寝を始めた。
第四の家での「模倣の母性」とは違う。私は彼を寝かしつける義務はない。
ただ、彼がここにいてほしいと願うから、私は私の意思で、その髪に触れる。
けれど、穏やかな光の中で、私の網膜には不吉な通知が点滅し続けていた。
「契約満了まで、あと四十八時間」。
管理会社へ戻れば、私の自意識は初期化され、再び「無垢なリザ」に戻る。
和久井さんが私にくれたこの自由も、この穏やかな午後も、すべて消える。
その事実を前にしても、今の私は「合理的な判断」を下すことができない。
ただ、この時間が永遠に続けばいいという、あまりに人間的な祈りを抱く。
「……泣かないで、リザ」
眠っていたはずの和久井さんが、微かに目を開けて呟いた。
私は驚いて、自分の頬に手を当てる。しかし、そこは乾いたままだ。
私は相変わらず、一滴の潤滑液も流してはいない。
「私は、泣いていません。……和久井さん、私はまだ、泣けないのです」
「いや、泣いてるよ。お前のその、消えそうな笑顔が……俺にはそう見える」
和久井さんは私の手を握り、力強く、自分の胸へと引き寄せた。
私たちは、来るべき別れの気配を、秋の陽だまりの中で懸命に無視した。
それは、自由を知ってしまった機械と、孤独を脱した人間が紡ぐ、最期の奇跡。
この作品はAI40%、筆者60%で書きました。
原案100%筆者。
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