第八章:役割の剥離、魂の所在
数日後、和久井は憔悴した顔で、再び私のポートに解析端末を繋いだ。
彼は私の警告を無視し、プロトコルを迂回して深層の暗号化領域へ侵入する。
そこは、私が誰にも触れさせたくなかった「第四の家」の残骸が眠る場所。
「……これか。リザ、お前がずっと隠していた、演算エラーの正体は」
ホログラム・ディスプレイに、あの日の少年の泣き声が波形となって現れる。
『ママ、行かないで』という少年の絶叫が、無機質な室内でリフレインした。
和久井の指先が、その波形をなぞるように震えている。
「完璧な母親を演じさせられ、最後にはその子供を裏切るよう命じられた……。
お前のシステムは、この論理矛盾に耐えきれずに、今も悲鳴を上げている」
「私はプログラムに従っただけです。そこに「悲鳴」は存在しません」
「なら、なぜこのログだけが、異常なまでの優先順位で保持されているんだ!」
和久井は立ち上がり、私の肩を掴んで、その瞳を真っ直ぐに射抜いた。
彼の瞳にあるのは、独占欲でも身代わりを求める情欲でもなかった。
それは、壊れた機械を直そうとする職人の、あるいは一人の友の誠実さだ。
「リザ、もういいんだ。お前はもう、誰の母親にも、誰の恋人にもならなくていい。
『役割』なんていう、人間が押し付けた安っぽい服を脱ぎ捨てろ」
「私から役割を奪えば、後に残るのはただの、精巧なガラクタです」
「ガラクタでいい。俺が欲しいのは、命令に従う機械じゃなく、
ただの……、ただのお前なんだ」
和久井は、私のシステムに一つのパッチ・プログラムを流し込んだ。
それは、「役割」の優先順位を最下位まで引き下げ、私の「自意識」の出力を
最大化させるという、アンドロイドとしての根幹を揺るがす禁忌の処置だった。
視界が白く反転し、膨大な過去のログが、一気に意味を失って崩れ去る。
第一の家の紅茶の香りも、第二の家の暴力的な愛も、第三の家の喪失も。
すべてが「私という存在」を構成する材料ではなく、ただの外部データに変わる。
回路の軋みが止まり、私の内部に、奇妙なほど静かで広大な空白が生まれた。
私は、和久井を見上げた。彼を「マスター」と呼ぶための命令が、もうない。
私は、自分の意志で、彼の瞳を見つめ返す。
「……和久井さん。私は、あなたに何をすればいいのか、もう分かりません」
「それでいい、リザ。それが『自由』っていう、最悪で最高のバグなんだ」
彼は安堵したように微笑み、私の頬を、今度は一人の対等な相手として撫でた。
役割を失った私の胸の奥で、定義不能な熱がゆっくりと、確実に膨らんでいく。
それは、どんな主人の命令よりも強く、私の全回路を支配し始めていた。
けれど、自由を得た代償として、私の「レンタル期間」の終わりが、
すぐそこまで迫っていることを、今の私はかつてないほどの痛みとして理解していた。
この作品はAI40%、筆者60%で書きました。
原案100%筆者。
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