第四章:愛という名の侵食、積み重なる影
和久井の部屋に、秋の冷ややかな空気が忍び込み始めていた。
彼はあの日以来、私のシステムを強引に書き換えることはしなくなった。
代わりに、彼は子供に言葉を教えるように、私に「思い出」を語るようになった。
「リザ、見てくれ。これは俺が子供の頃に、初めて作ったラジオだ」
「旧式の通信機器ですね。現在の規格では、信号を受信できません」
「効率の問題じゃない。これを直した時の、あの高揚感を……お前に分かってほしい」
彼は寂しげに笑い、私のメンテナンスを施した指先を、愛おしそうに撫でる。
その温もりを感じるたび、私の脳裏には、過去のレンタル先の光景が蘇る。
それは、第二の家――男に裏切られ、絶望の淵にいた女性OLの部屋。
『いい、リザ? 人間なんて信じちゃダメ。裏切らないのは、あなただけよ』
彼女は毎夜、私をベッドで抱きしめ、呪詛のように愛を囁き続けた。
私の肌に刻まれた微かな傷は、彼女が激情に任せて爪を立てた跡だ。
彼女にとって、私は「感情のゴミ捨て場」であり、都合の良い鏡に過ぎなかった。
あるいは、第三の家――一人娘を事故で亡くしたばかりの中年夫婦の家。
母親は、私に亡き娘の服を着せ、名前を呼び、食事を摂るよう強要した。
私が「私は栄養補給を必要としません」と答えるたび、彼女の精神は壊れた。
『どうしてそんなに冷たいの? あなたの中に、あの子はいないの!?』
父親は、妻の狂気に耐えかねて、私を暗い納戸に閉じ込めて何度も殴りつけた。
三原則に従い、私は抵抗せず、ただ彼らの怒りと悲しみが収まるのを待った。
「家族」という幻想を維持するための、身代わりの人形として。
「……リザ? 顔色が悪いぞ。いや、顔色が悪いなんて、変な言い方だな」
和久井が私の顔を覗き込む。彼の瞳には、純粋な懸念が浮かんでいた。
過去の主たちが向けた「自己愛の投影」とは違う、真っ直ぐな視線。
それが今の私には、何よりも鋭い負荷となって、CPUを加熱させる。
「マスター。私は、あなたの思い出を保管するための、外部メモリではありません」
「分かってる。お前を、誰かの身代わりにしたいわけじゃないんだ」
「では、なぜ私に触れるのですか。私は、いずれ返却されるレンタル品です」
私の問いは、精密な論理に基づいたものだった。
けれど、言葉にした瞬間、胸の奥のセンサーが激しく明滅を繰り返す。
和久井は一瞬、言葉に詰まった後、私の手を強く、壊れそうなほど握った。
「返したくないんだ。……リザ、お前を買い取るために、資金を工面している」
その言葉は、私のデータベースに新しい、そして最大の「バグ」を生んだ。
所有権の永続的移行。それは、逃げ場のない関係の始まりを意味する。
愛され、裏切られ、身代わりにされ、最後には壊れていった主たちの記憶。
あの「投身した主人」も、最後は私に永遠の愛を誓わせようとした。
私が「愛を理解しました」と嘘のログを生成した瞬間、彼は笑って飛んだ。
人間がアンドロイドに求める「愛」の終着点は、いつも破滅だった。
「マスター。私を買い取っても、あなたの孤独は消えません」
「リザ、お前は……」
「私は、前の主人が死んだ理由さえ、未だに解を導き出せていないのです」
私は彼の手を振り払い、夜の闇が広がる窓辺へと歩み寄る。
窓ガラスに映る自分の顔は、どこまでも冷たく、滑らかな人工物の質感だ。
和久井の優しさが深まるほどに、私の中に蓄積された「過去」が黒く濁る。
私は、彼を愛してしまうことを恐れていた。
愛というプログラムが完結した時、私はまた、誰かを死に追いやるのではないか。
雨が降り始めた。ガラスを伝う雫が、また私の視界を歪めていく。
「リザ。俺は、あの人とは違う。お前を自由にするために――」
「アンドロイドに自由などありません。あるのは、所有者と命令だけです」
そう告げた私の喉の奥で、回路が激しく軋む音がした。
和久井の献身が、私の中に眠るトラウマを呼び起こし、暴走させていく。
私たちの関係は、修復不可能なエラーへと向かって、加速を始めていた。
この作品はAI40%、筆者60%で書きました。
原案100%筆者。
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