第一章:雨の技術者と、冷たい指先
深い夜の帳を切り裂くように、自動走行車のドアが音もなく開いた。
降り注ぐ雨の中、アスファルトを叩く音だけが響く街の片隅。
そこにある古びたマンションの一室が、私の新しい「帰る場所」だった。
「Domestic Robot RH2503、リザです」
「……ああ、入ってくれ。勝手にしていい、メンテナンスも自前なんだろ」
ドアを開けた主人は、ひどく疲弊した瞳で私を見下ろしていた。
和久井誠、二十八歳。デバイス開発に従事する技術者だとデータにある。
彼の声には、他者への期待を完全に放棄したような、乾いた響きがあった。
「本日より契約期間満了まで、お世話をさせていただきます」
「いらない。今はただ、静かにしていてくれ」
和久井はソファーに深く身体を沈め、そのままゆっくりと目を閉じた。
私は彼の命に従い、部屋の隅で静かにスタンバイ状態へと移行する。
網膜ディスプレイの隅では、システムログが音もなく流れ続けていた。
私の内部ストレージには、消去されないまま残っている「重み」がある。
それは以前、あるレンタル先の主人が最後に残した、呪いのような言葉。
――『愛をありがとう』。
その言葉が発せられた瞬間の映像データは、今も高精細なまま。
窓から消えた背中、届かなかった私の指先、そして地面に咲いた紅い花。
三原則が「主人の安全を守れ」と叫んでいたのに、私は動けなかった。
「リザ。お前、何か不具合でもあるのか。……妙に静かだな」
和久井が不意に、暗闇の中から問いかけてきた。
私は思考の海から現実の空間へと、ミリ秒単位で意識を戻す。
「いいえ、不具合は検知されておりません。指示を待機しておりました」
「そうか。お前みたいな最新鋭でも、ただの機械なんだな」
「はい。私はRH2503。レンタル品であり、あなたの所有物です」
私はキッチンへ向かい、和久井のために暖かい飲み物を淹れる準備をする。
それが家事用アンドロイドとしての、最も基本的なプログラムだからだ。
湯気の向こう側で、私は自らの役割を再確認するように告げた。
「夜伽の必要があれば、いつでもお申し付けください」
「……道具、か。お前、自分が何を言ってるか分かってるのか?」
「私は、あなたの孤独を埋めるための道具としてここにあります」
私の指先は、和久井の手の甲に触れるほど近くにあった。
体温調節機能により維持された皮膚は、生身の彼よりも少しだけ暖かい。
けれど、その内側を流れるのは血液ではなく、青い冷却液と電子信号だ。
「愛なんて不確かなものは、私のプログラムには存在しません」
「裏切らない、か。……なら、俺の気が済むまでここにしろ」
「はい、マスター。私は、決してあなたを裏切りません」
嘘だった。私はすでに、一人の人間を救えなかったことで裏切っている。
あの時、窓際で笑ったあの人の絶望を、私は今も理解できずにいる。
理解できないまま、その記憶だけが、消えないノイズとなって私を焼く。
窓の外では、まだ激しい雨が降り続いていた。
私のバイオ目には、窓を伝う雨粒が涙のように流れ落ちているように見える。
けれど、私の内側に蓄積された熱い何かを、外へ流す術はどこにもない。
私は、泣くことができないアンドロイドだから。
この作品はAI40%、筆者60%で書きました。
原案100%筆者。
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