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第3話

バンビコ・リンダ

 くそ!

 私はベッドから弾かれたように飛び起きた。隣で瀧くんが眠っている。はだけたバスローブの隙間から、彼の素肌が覗いていた。

 パニックになりながら自分の身体をまさぐる。私はまだ昨日の服を着たままだった。身体に違和感もない。

 ホッとした。何もなかったんだ。幸い二日酔いもない。昨夜の記憶がすべて蘇るまでは、そう思っていた。

 私は眠っている男を睨みつけた。

 このクソ野郎! 償わせてやる!

 私は彼の上に這い上がり、馬乗りになってその首に手をかけた。

 瀧くんは目を開けると、気だるげな笑みを浮かべて低い声で唸った。「おやおや、お目覚め?」

「うっせえよ! この負け犬が。誰があんなダサいキスマーク見せびらかしていいって言った?!」私は牙を剥いた。

「ん?」彼の声は寝起きで少し嗄れていた。「ダサい? ……直してほしい?」

「リンダちゃ〜ん」と彼はふざけるように呼ぶ。私は首を絞める手に力を込めた。彼は少し苦しそうにしたが、笑みは消えない。

「うっせ――!」

 その瞬間、私の両腕の間に彼の腕が割り込んできた。強引に腕をねじ上げられ、痛みに顔を歪めた時には、状況が逆転していた。今度は私が下になり、彼が私を見下ろしていた。

「なんなの、これ?」彼は私の腕を掴んだまま、静かな声で問いかけた。「俺は何もしてないよ。今のところはね。……でも、もし首を絞めるとか、そういうプレイがしたいなら言ってくれないと」

「クソッ! あんたがあんな痕を彼氏に見せつけなきゃ――」

「元カレだろ」

「彼氏よ! 私たちはヨリを戻すんだから――ぐっ!」

 彼がさらに強く押さえつけてきた。「戻らないよ。惨めだねえ。俺にしときなよ」

 彼が見上げてくる瞳孔が開いているのが見えた。両肩の痛みとともに、その瞳の闇が深くなっていく。「俺の方が幸せにしてやれるよ」

「は、はあ? チクショウ! 瀧くん、あんたイカれてるわ。離して!」

 私が抵抗をやめると、彼はゆっくりと力を緩めた。手を離し、私の額を優しく撫でる。「リンダちゃん、いい子にしててね。わかった? 悪い子にはお仕置きが必要だから」

「どうやってよ」

 私は拳を振り回し、彼の頬を思い切り平手打ちした。

 彼は数秒間硬直した後、顎をさすりながら身体を起こし、クスクスと笑い出した。

「やりすぎだよ」

「知るか」

「まあ、いいけど。……あーあ」彼は首を振った。「遊びたいの? 何がいい?」


 嫌悪感に襲われ、私はベッドから降りて立ち上がった。

「そのドアから出たら、別のことが起きるって約束するよ。自分の無作法を謝るか……それとも別の支払い方法を求めるかだ」

「――なに!?」

 私は踵を返した。「一体何が望みなの!? これ!?」

 私はシャツをまくり上げ、鏡で自分の背中を確認した。消えている。ホッとしたのも束の間、腹部に視線を落として息を呑んだ。

 ズボンを下ろすと、太ももの内側にまであとが散らばっていた。どれも薄くなりかけている。背中にあったものと同じように。

 先週、彼は一体どこまでやったの?

「この野郎……!」

 私は彼に突進し、その唇に自分の唇を押し付け、思い切り噛み付いた。

 瀧くんは痛みに呻いたが、私を止めるどころか、そのまま私をベッドに引きずり戻した。


 彼への「お仕置き」のつもりだった。唇を血が出るほど噛んでやるつもりだったのに。

 それなのに、瀧くんは事もなげに全裸で鏡の前に立ち、血の滲む唇をかすり傷か何かのように軽くチェックすると、そのままシャワーを浴びに行った。

 私はベッドに横たわったまま動けなかった。乾いた汗を肌に残したまま、シャワーの音を聞いていた。彼が服を着て身支度を整える気配だけが、時間の経過を告げていた。

 彼は私の目線に合わせて屈み込み、微かな笑みを浮かべた。「心配しないで、現場には急病だったって言っとくから」

 そして私の額にキスを落とす。

 ドアが閉まる音が、最後に聞こえた音だった。

 私は枕に顔を埋め、絶叫した。

 状況は悪化していた。赤い痕は腹部よりも上へと広がっていた。どうしてこうなった?

 彼を罰していたはずなのに、いつの間にか別の行為にすり替わっていた。

 一番必要な時に、私の自制心はどこへ行ってしまったの? 聞こえてきたのは、もっと欲しいと喘ぐ自分の甲高い声だけだった。

 キャー!! うるさい! めんどくさい! バカ! バカ!


 カン・ヨル……。


 私は呻きながら、サイドテーブルの上のスマホに手を伸ばした。裏切り者の身体が疼いている。太ももが痺れるような感覚を無視して、私は彼にメッセージを送った。

『許してあげるから、私を許して。電話して』

 数分後、着信があった。「リンダ〜」

「カン・ヨル……お願い、ヨリを戻そう。私のこと愛してるでしょ?」

「ごめん。僕が不公平だったよ。やり直そう」

「カン・ヨル〜」電話の向こうから、女の声が聞こえた。

「このクソ野郎!!」

 私は怒鳴り散らそうとしたが、すぐに思い直した。私はカン・ヨルと私を戻したいのだ。深呼吸をして、声を落ち着かせる。

「わかったわ。オープンにしましょう。私のこと愛してるわよね? オープン・リレーションシップにするの」

「なにそれ?」

 電話の向こうの女が騒がしい。

「他の女とシェアしてあげるってこと。でも貴方の親友は私だけ。助けが必要な時は電話するし、ハグだってする権利がある。それでいいわよね?」

「オーケー、オーケー」カン・ヨルは繰り返し、長く唸った。

 通話が終わると、私は安堵の息をついた。やっぱりこの人が好きだ。誠実さのかけらもないけど、助けを求めたら必ずそこにいてくれる。うん、バカな男だ。わかってる。すぐに怒るけど、謝るのも早い。それにカン・ヨルは絶対に私を傷つけない。

 カン・ヨルは優しいところもある。レストランで「あーん」して食べさせてくれた時なんか、可愛いと思ったし。

 お腹が風船みたいに出てて、ハゲかかった頭でも、カン・ヨルはキュートだ。

 彼は女性の権利をよく理解している。だって女が大好きだから。全人類の女性が自分のハーレムだと思ってるような男だもの。

 しょうがない。それが彼の本性なら、私が道を譲ってあげる。


 立ち上がろうとしたが、足が震えて力が入らない。

 ないわー……。リンダ、仕事に行かなきゃ!

 つまずいた。大丈夫です。

 請求書を払わなきゃ。来月はバリ島への転勤願いを出そう。イタリア人とおしゃべりしたい。

 あの豚よりずっとマシ!


 身なりを整えた。職場用のアパートに戻り、さっとシャワーを浴びて、あの一件の汚れを洗い流した。

 クローゼットの前に立つと、りんちゃんがプレゼントしてくれたクリーム色のタートルネックと、ストレートカットのパンツを取り出した。

 その上に、さらにベストを重ねた。

 ここはタイの蒸し暑い夏だというのに、全身きっちり着込んでいる。

 まるでバカみたいに。


 痛む足を引きずりながら、撮影セットに向かう。

 スタッフの一人が私を見た。「生理痛、もう大丈夫?」

 彼が言った「急病」ってそれのこと? もっとマシな嘘つきなさいよ、最低男。

 私は頷いた。足取りがふらつくのを隠しながら、一日を続けた。

 彼らは何かのシーンを撮影していたけれど、あの声が聞こえてくる方向を見る気にはなれなかった。

 仕事が終わると、カン・ヨルに会った。

 カン・ヨルと私は、また一緒になった。

 すごく幸せ。

 最初の彼氏を失ってしまったかと、本気で思ったから。

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