消えた隠れ狼
松本が住むアパートを訪ねた。
松本は不在だった。管理人に頼んで、ドアの鍵を開けてもらった。若い男の一人暮らしの部屋だ。斎藤の部屋も雑然としていたが、こちらは更に酷かった。ペットボトルや空き缶、コンビニ弁当の空容器が散乱し、ゴミ屋敷の一歩手前といった有様だった。
「ひどい臭いね。獣の臭い」と明日香が言った。
「いや、若い男の臭いだ。獣の臭いなんかじゃない」
「狼の臭いじゃないってこと?」
「違う。これは狼の臭いなんかじゃない」
「どういうことよ」
どういうことだ。俺が知りたかった。
「狼男に変身するたって、月に一度でしょう。臭いが残っていなくても不思議じゃないんじゃない?」
「満月の夜から日が浅い。臭いが残っていないなんて変だ」
「じゃあ、満月の夜、部屋にいなかったとか」
「何処にいた? 登録が無いということは、薬物治療を受けていなかったということだ。満月の夜に狼男に変身したはずだ。そうなると、必ず人目につく」
「斎藤芳樹の部屋にいたとか」
「満月の夜に隠れ狼が他人の部屋に遊びに行く? そんなこと考えられないな」
「そうとしか考えられない」
「いや。ああ、そうか」
ひとつ言えることは――
「松本龍城はWCPではないかもしれないってことだ」
「えっ⁉」と明日香が目を見張る。「と言うことは・・・」
「ああ、そうだ。斎藤の部屋で肉片になっていたのは、松本龍城だった可能性がある訳だ」
「・・・」
――被害者と加害者が入れ替わっていた。
「DNA鑑定が必要だ。松本龍城のDNAが取れそうなものを探そう」
俺たちは歯ブラシや鼻をかんだティッシュなど、松本のDNAが取れそうなものを持ち帰った。
「WCPは斎藤芳樹だった。彼は自分の部屋で松本龍城を襲い、食った。そして、逃げ出したってことね。斎藤がWCPだったのだとしたら、何故、虐められて黙っていたのかしら? いじめっ子なんて、簡単にやっつけることができたはずなのに」
「俺にはやつの気持ちが分かる気がする。隠れ狼として生きて行く為には、目立つことをしちゃあならない。いじめっ子を懲らしめたりなんかしたら、あっという間に隠れ狼であることがバレてしまう」
「バレたって構わないじゃない」
「君はWCPとして生きる辛さを知らないから、平気でそういうことが言えるんだ」
「そうかもね。あなたも辛い人生を歩んでいるの?」
「俺か? 俺は・・・」
どうだろう。俺は狼班の刑事として、真っ当に生きている。だが、それは、仲間を犠牲にして成り立っている生活なのかもしれない。
DNA鑑定を依頼し、俺たち二人は松本龍城の友人、いや斎藤虐めの共犯だった長谷川信也を訪ねた。高校卒業後、サラリーマンをやっており、会社に尋ねると、「刑事さんに尋ねて来られると・・・困ります」と困惑顔で二人を迎えた。
「斎藤芳樹さん、松本龍城さんについて、お話をお聞かせください」と言うと、「ああ~龍城が何かしましたか?」と長谷川が答えた。
「何故、松本さんが何かしたと思うのですか?」
「だって、あいつ、最近、仕事にも行かずに、ぶらぶらしていたみたいだから」
「何かあったのですか?」
「いいや。何もない。ただ、真面目に働くことに飽きただけ。ねえ、刑事さん。俺、真面目にやっているんだ。だから、こうして訪ねて来られるの、迷惑なんだよ」
「だったら、知っていることを全て教えてください。でなければ、また訪ねて来るかもしれませんよ。あなたたち、高校時代、斎藤芳樹さんを虐めていましたね」
「そ、それは・・・」と長谷川は動揺しながら、斎藤との関係を話し始めた。
高校時代、無口で要領の悪い斎藤を松本、長谷川、中川の三人で虐めていた。「虐めったって、可愛いものだったよ。松本は少々、度が過ぎていただけど、俺や中川のは、たいしたことなかった。松本に言われてやっていただけだったから」と自分を正当化して見せた。
加害者にありがちな発想だ。
高校卒業後、中川は大学に進み、松本と長谷川は就職した。「高校出てから、松本や中川とあまり会わなくなった」と長谷川は言う。大学生の中川とは生活のリズムが合わないし、松本のような人間と一緒にいるところを会社の人間に見られたくないので、会うのを避けていたということだった。
松本は工務店に就職した。一年ほど、真面目に働いていたが、その後、ちょくちょく仕事を休むようになった。長谷川曰く、「あいつ、こつこつ働く――なんてことが出来ない性格だから」ということだった。
そして、松本はファミレスで働いている斎藤と出会った。
「斎藤のやつ、運が悪かったんだよ。何時もは厨房にいて、表に出て来ることなんてないらしい。だけど、その日は、たまたまホールにスタッフがいなくて、仕方なく出てきたら、龍城がいた。龍城、そのファァミレスには初めて行ったんだって」
「それで?」
「良いカモを見つけたって龍城が言っていた」
「良いカモ?」
「龍城、真面目に工務店に出なくなって、暇にしていたから。金にも不自由していた。斎藤からカツアゲしていたみたい」
「カツアゲ⁉」
「龍城に言わせると、斎藤のやつ、働いてばかりで全然、使わないから、金が溜まって仕方がない。だから、俺が使ってやっているんだって」
「ほう~」
「斎藤のやつ、龍城を部屋に入れるのを嫌がっていたらしいけど、この前、ついに斎藤のアパートに行ったらしい。こっそり、合鍵を持ち出したので、これからは好きな時に部屋に入ることが出来る。斎藤、どうせ仕事で部屋にはほとんどいないから、別荘が出来たみたいなものだって言っていた」
なるほど。見えて来た。
松本龍城は斎藤芳樹と再会し、再び、彼の人生に干渉し始めた。そして、あの満月の夜、松本は仕事に行ったものと思い、斎藤の部屋を訪れた。だが、斎藤は家にいた。満月の夜だ。仕事に行く訳には行かなかった。
そして、悲劇が起きた。松本は狼男に変身した斎藤に食われてしまった。
やがて、我を取り戻した斎藤は愕然とした。自分が松本を食い殺したことを知り、慌てて部屋から逃げ出した。
「そんなところだろう」と俺が言うと、「そんなに寂しそうな顔、しないでよ」と明日香が言った。




