隠れ狼
被害者が住んでいるアパートに着いた。
1Kのアパートだった。住人の名前は斎藤芳樹、独身、二十一歳。近所にあるファミレスで働いていた。事件の被害者と見られた。身元がはっきりとしなかったのは、遺体の損傷がひどかったからだ。いや、ひどいどころの騒ぎではない。肉片となっていた。バラバラになり、肉片になって、部屋中に飛び散っていた。
ここで襲われ、食われたようだ。
玄関先から、部屋の前の廊下まで点々と血痕が続いていた。恐らく部屋から逃げ出す時についたもののだろう。
血痕を見て驚いた住人が通報し、事件が発覚した。
「WCPの仕業ですか?」と捜査一課の刑事、多門明日香が聞いて来た。
明日香は射撃の名手で、柔道、剣道の有段者だと聞いている。しかも美人だ。「邪魔だから」とショートカットにしているが、髪を伸ばし、女の子らしい服を着て、ちゃんと化粧をすれば、人目を惹く美女に変身するはずだ。だが、本人は着飾ることに興味がないようだ。
「私の生きがいは悪い奴をやっつけること」と子供のようなことを平然と言う。
明日香はWCPではない。普通の人間だ。WCP絡みの事件となれば、俺たち狼班の仕事となる。明日香に聞かれるまでもなく、WCPの仕業であることが俺には分かり過ぎるほど分かっていた。
俺は嗅覚が異常に鋭い。部屋に狼の匂いが充満していた。嗅覚の鋭い女性であっても、この微かな臭いをかぎ分けることは出来ないだろう。
「間違いない。マン・イーターだ」
狼男に変身した者は、時に人を食らう。身近にいる、最も狩りやすい生き物だからだ。一度、人の味を覚えてしまうと、変身する度に人を襲うようになってしまう。
被害者の周辺にWCPがいないか確認した。WCPはデータベース化されており、警察の人間ならネットで所在を確認することができた。
だが、被害者のアパート周辺、三キロの範囲内にWCPはいなかった。被害者の小学校の同級生まで遡って関係者を調べてみたが、WCPは見つからなかった。
――隠れ狼の仕業だな。
と俺は直感した。こうなると厄介だ。見かけだけでは区別がつかない。狼男の存在が認められてから、僅か十年だ。血液検査を受けていない者など大勢いる。そういった人間を虱潰しに当たって行くしかない。だが、俺は違う。
俺が外に出ると、明日香がついて来た。
「何処に行くのです?」
「痕跡を辿ってみるだけだ」
「臭い――ですか。狼の臭いがするのでしょう」
明日香は鋭い。
「・・・」俺は答えずに歩き始めた。
そうだ。狼男の臭いを辿るのだ。
俺は臭いを辿った。
「何をしている?」
明日香がついて来る。
「このヤマ、狼班に移管されるまでは、一課のヤマでしょう」
「隠れ狼の仕業だ。危ないから、俺に任せておけ」
「危ないと言われて引き下がる訳ないでしょう」
その通りだ。男勝りの明日香が、狼男を前にしてひるむ訳がない。
「勝手にしろ。いざとなっても、俺を当てにするな」
「最初から当てになどしていない」
確かに、人並外れて身体能力の高い明日香だ。だが、狼男の身体能力は人を遙かに凌ぐ。所詮、人では太刀打ちできないが、満月は過ぎた。狼男でないWCPなら、明日香の敵ではないかもしれない。
「何か分かりましたか?」と明日香が聞く。
「迷いがないな」
部屋を出たやつは迷いなく歩いている。人を食ってしまい、動揺していたようには見えなかった。
「迷いがない?」
「悪い予感がする」
「山城さんの予感は、よく当たりますからね」
「人を占い師みたいに言うな」
「はは」と明日香が笑った。笑うと、笑顔が可愛い。
「お前、笑顔は女の子だな」と言うと、「うるさい!」と背後から尻を蹴られた。
男勝りのやつだ。
「おっ!」と悲鳴を上げると、「痛くも痒くもないでしょう」と言って、また明日香がころころと笑った。
まあ良い。明日香の笑顔は貴重だ。今日は良いものを見せてもらった。
臭いは近くを流れる川の土手で消えていた。
「どういうことだ?」
「川に飛び込んだのさ」
「川に飛び込んだ? この時期に?」
「やつは臭いの消し方を心得ていたようだ。川に飛び込まれると、そこで臭いが消えてしまう。追跡不可能になってしまう」
「なるほど。こいつは――」
明日香の言葉を引き継いで、俺が言った。「厄介な相手になりそうだ」




