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一章 猫のフリッツ(後編)

 鯖丸は、コーウェンのオフィスを出てからも、しばらく黙り込んでいた。

 このコロニー内では標準的な衣服らしい、地味な色のツナギを着た女が、四人の身の回りの事を手配してくれた。

 仕事に必要な備品についても、手配すると言った。

 とりあえず、重装宇宙服のサイズを合わせる為に、低重力エリアに戻された。

 宇宙空間で長時間の活動が可能な重装宇宙服は、軽装服よりシビアな設定になっている。

 ある程度サイズを合わせてから、内装を調整するので、その辺にある物を、すぐに着られる訳ではない。

 排泄物を再利用するシステムも組み込まれているので、内部の装備も、男女兼用には出来ない。

 本体重量も、かなりの重さなので、補助動力があるとはいえ、高重力エリアで動かすのは、バッテリーの無駄遣いだ。

 トリコの宇宙服を調整するのは、女性の技術者に任されたが、ジョン太は、鯖丸に紙で書いたメモを渡して言った。

「どうせ、こっちは三人分だから、時間がかかる。お前、トリコと行って、調整手伝って来い」

「分かった」

 鯖丸が、メモを持って出て行くのを、フリッツは驚いて見送った。

 重装服の調整は、けっこう恥ずかしい格好もしなければならない。

 何の為に、男女別々にしたと思ってるんだ。

 いや…いくら十四年も前に引退したロートルでも、それくらい知っているはずだ。

「どういうつもりだ。いくら仕事仲間でも」

「あいつの調整は、ちょっとややこしいんだよ」

 ジョン太は答えた。

「翻訳機だけじゃ無理だ。慣れてる奴が同行しないとな」

「だったら、貴様が行けばいいだろう。あんな若い奴よりは、まだ恥ずかしくないだろうが」

 フリッツは反論した。

「人を枯れじじいみたいに言うな。俺だってまだ四十三だ。現役バリバリよ」

 あれ…そんな若かったのか…と、フリッツは内心驚いた。

 それじゃあ、木星戦争の頃は、まだ二十代じゃないか。

 少数精鋭の特殊部隊を率いていたと云うから、もっと年寄りだと思っていた。

「トリコはな、魔界に入ると体格が変わってしまうんだ」

 ジョン太は言った。

「ああ見えて、お前よりずっと年上だし、今の所フリーだけど、子供も居るぞ」

「そう言う意味で、聞いたんじゃない」

 フリッツは、そっぽを向いた。

 ああ、本当分かりやすいなこいつ…と、ジョン太は思った。

 鯖丸も分かりやすい奴だが、それとはまた、別のベクトルだ。

 ちょっと、ダメ押ししてみる事にした。

「あいつら、去年の暮れまでは付き合ってたし、まぁ、見慣れたもん久し振りに見るだけだから、俺が行くよりマシだろ」

「あのガキが…?」

 どう見ても、十代のガキだ。魔界関係の奴は、リンク張るとか称して、性的に自由な感じの奴が多いとは聞いていたが。

「ガキとか言っても、大学の四年生だし、別に普通だろう」

「それは、飛び級とかしないで四年生なのか」

 飛び級どころか、バイトばっかりしているので、留年しそうになった事もあるくらいだ。

「普通に四年だけど」

 それじゃあ、三つか四つくらいしか、年は変わらないじゃないか。

 ガキだと思って手加減していたのに。

「あの野郎…」

 自分で勘違いしていたくせに、一人で怒っている。

 こいつ、面白い。

 今まで、いじられる一方のキャラだったおっちゃんが、新たなオモチャを見つけてしまった。


 鯖丸は、一時間以上過ぎてから、戻って来た。

 魔界で、メジャーだけで測定して、紙にメモしたローテクなデータを頼りに、3Dモデルを作って、重装服の調整をしていたのだ。

 おまけに、裸に近い格好で計測している所へ入り込んだので、痴漢と間違えられて、女性技師のびんたを食らっている。

 顔に手形が付いている奴なんて、初めて見るなぁ…と、ジョン太もフリッツも思った。

「こんだけ苦労してさ。魔界で重装服って、作動するのかよ」

 珍しく、愚痴を言っている。

「調査隊が、重装服のまま、魔界まで入っている。作動はするよ」

 ジョン太は言った。

「このタイプの重装服は、月面の魔界でも、動作確認されている」

 フリッツは、ジョン太も知らなかった情報を出した。

 逆に言うと、それを踏まえて、このタイプの宇宙服が採用されたとも言える。

 最新型で、もっと高性能の重装宇宙服もあるからだ。

「どっちにしても、これ、古いタイプだから使えないって」

 鯖丸は、首の後ろに付いたジャックインプラグを指差した。

「最悪」


 プラグを装備していないジョン太とトリコは、一時的に外装プラグを取り付ける事になった。

 ジョン太が現役だった頃は、骨格の異なるハイブリットに、プラグを装備するのは、無理ではないが面倒くさい手術が必要だったのだ。

 更に、トリコがどうにか重装服を扱える様になるのに、数日かかるので、U08への出発は、早くても三日後になる予定だった。

 いい機会だからと、コーウェンが、鯖丸の着けているプラグを換装する様に勧めて来た。

「基盤の交換だけだから、手術は二、三十分で済むし、翌日から使用出来るよ。折角、フル装備のプラグなんだから、使えないなんてもったいない」

 接続部分の人工皮膚を、金属光沢の外縁で巻いている、割合目立つ外装を見て、付け加えた。

「こんな目立つ外装を着けていたら、地球ではデジタルジャンキーと間違えられるんじゃないかな。もっと目立たない物と取り替えられるが」

 費用は、こちら持ちで構わないと言われた。

「流行遅れだけど、自分では気に入っているんです。外装はこのままにしてください」

「確かに、レトロな感じだけど、中々センスはいいね」

 外装は、暁が選んだ物だった。

 昔からそうだが、暁は、自分と違って、センスがいい。

 中身も、八年前には最新型だった、高性能機種だ。

 確か、電脳技師をたぶらかして、一般人には出回っていない様な仕様に、無料で換装させたという話だった。

「規格が変わったのは、ごく最近だし、まだ古いタイプを使っているコロニーもある。運が悪かったね」

 コーウェンは、気の毒そうに言った。

「どちらかと云うとラッキーかも。只で最新型に変えてもらえるんだから」

 地球に戻ったら、二度と使わない様な物の為に、簡単とはいえ外科手術を受ける羽目になるのだから、あまり気分は良くないだろうと思ったが、鯖丸は全然気にしている様子はなかった。


 重装服の操縦訓練で、その日が終わってしまったトリコは、へろへろになって戻って来た。

 ジャックインして重装服を操縦するのは、ジョン太も初めてだったので、しばらくは一緒に教わっていたが、すぐにトリコを教える方に回ってしまった。

「大体、俺らみたいなハイブリットが、プラグ使うメリットってあるのかよ」

 居住区域の食堂は、けっこう混んでいた。

 そこそこの広さがある食堂が、満席に近くなっている。

 家族連れや、仲の良い同僚等のグループに固まって、それぞれいつもの席が決まっているらしく、空いている場所を見つけるには苦労した。

 トレーにチョイスして来た食事をテーブルに置いて、もう食べ始めているフリッツに、ジョン太は言った。

「反応が早いだろ」

 パンをちぎりながら、フリッツは、何当たり前の事を聞くんだという顔をした。

「機体の反応が、ワンテンポ遅れるんだよ。イライラする」

 戦闘用ハイブリットの反射速度は、人間や、普通のハイブリットより、遙かに早い。

 ジャックインプラグで反応が早くなると、機体の動作が付いて来ないのだ。

「その辺は、慣れだ」

 フリッツは言った。

「外装プラグ着けた所が痒いんだよ。俺、お肌弱いのに」

 耳の後ろを、ぼりぼり掻いている。

 お肌が弱いハイブリットなんて、聞いた事がない。

 見た目はほぼ原型タイプだが、やっぱり混血なんだな…と、フリッツは思った。

 トリコが、コーヒーを持って来て、座った。

 すっかり、目が死んでいる。

「お前、メシは」

 ジョン太は尋ねた。

「いらない。気持ち悪い」

 俯いて、甘そうなコーヒーをすすっている。

「ダメだ。食わないとバテるぞ」

 ジョン太は、席を立った。

「適当に取って来る」

 トリコと二人でテーブル席に残されたフリッツは、しょんぼりした感じで座り込んでいる小柄な女を見た。

 確かに、外見は子供だが、時々、動作や雰囲気が大人なので、普通の子供ではないのは分かる。

 分かるが、こんな素人を、無理をしてまで連れて行かなければならない理由は、やっぱり分からない。

「大丈夫か」

 聞いてみたが、翻訳機のコードが、外れたままになっている。

 自分の耳の後ろを指差して見せると、気が付いたのか、不慣れな手つきで外装プラグにコードを差し込んだ。

「疲れている様子だな」

 イヤホンで聴くよりも、ずっと音声が鮮明なのに、周囲の音も邪魔しない。

 トリコは、驚いた顔をした。

「お前は、魔法使いとしては一流だと聞いたが」

「自分の面倒も見られないって、呆れてるんだろう」

 うんざりした風に言った。

「いや…魔法使いというのは、普段もこんな、危ない仕事をしているのか、聞いてみたくて」

「私らは、大体そうだな」

 トリコは、聞き返した。

「この仕事も、危ないのか?」

「俺の所に回って来るのは、そういうのばかりだ」

 フリッツが言うと、トリコはちょっと笑った。

 ジョン太が、トレーに食事を盛りつけて、戻って来た。

 トリコは、うんざりした顔で、素材が不明な塊と、スープ状の何かと、見た事もない野菜のサラダと、パンの様な物を見た。

「食欲無いのに、こんなに盛って…」

「お前、成長同調不全の治療してただろう。育ち盛りなんだから、もりもり食わないと」

「ごはんと味噌汁が食べたい…」

 文句を言いながら、もそもそ食べ始めたが、聞いた。

「鯖丸はどこ行ったんだ。あいつが食事時に居ないなんて」

 食べきれない分を、押しつけようと思っていたのに。

「プラグの基盤交換したから、まだ寝てるんじゃないのか」

 トリコは諦めて、黙々と食事を続けた。

 水耕栽培プラントを扱っている企業のせいか、サラダの野菜は、新鮮で美味しかった。


 鯖丸は、空腹で目を覚ましていた。

 顔の部分だけ穴が空いた、専用の台に、うつ伏せに寝かされている。

 麻酔が効いているのか、起き上がると少しふらふらした。

 ケータイがないので、時間が分からないが、体感としては夕食時だ。

 宇宙で昼や夜がある訳ではないが、便宜上区切ってある生活時間でも、夜が来ているはずだ。

「お腹空いたよぅ」

 ぶつぶつ言いながら辺りを見回した。

 誰も居ないのだが、人の気配がある。

 ざわざわした複数の気配が、入り口の隙間から、こちらを窺っていた。

 歩いて行って引き戸のドアを開けると、子供の集団が転げ込んで来た。

 年齢も人種もまちまちだが、ほぼ小学生の集団だ。

 うわー見つかった…と言って逃げようとする子供の、手近に居た奴を捕まえると、皆が止まった。

「ケントが捕まったぞ」

「地球人はのろまだから、取り返せるはずよ」

「後で言いつけられないかな」

 口々に勝手な事を言いながら、飛びかかって来た。

「何なんだよ、お前ら」

 十人近い子供に、体中にたかられた鯖丸は、うんざりして聞いた。

 低重力エリアではないが、地球に比べれば体が軽いので、子供が十人ぐらいたかっていても、どうにか動ける。

 一人ずつむしり取って、さっきまで寝ていた台に座った。

 こんな、大企業の共同出資コロニーなら、外から来た人間が珍しい訳でもないだろうに…。

「僕らは、メアリーの…」

 さっき捕まっていた男の子が言った。

「やめとけよ。ここへ来てたのバレるぞ」

「先生に叱られるよ」

 そんな事気にしなくても、どうせ叱られるんじゃないかなぁ…と、鯖丸は思った。

 経験上、絶対そうだ。

「俺に何か用?」

 尋ねると、一番年長に見える女の子が、一歩前へ出た。

「私達は、U08で行方不明になっているメアリー・イーストウッドの友達です」

 しっかりした口調だ。

「メアリーを助けに、地球から来たんだよね」

 別の子供がたずねた。

「俺達は、プラントのデータを、回収しに来た」

 鯖丸が言うと、皆の間に重い空気が広がった。

 枕元に置いてあったシャツを着て、用意されていたサンダルを履いて、鯖丸は台を立った。

「先生には一緒に謝ってやるから…」

 皆の顔を見て、言った。

「ちょっと付き合ってもらえる?」


 食後のコーヒーをゆっくり飲んでいる所へ、鯖丸がやって来た。

 何がどうなっているのか、十人ぐらいの子供を引率している。

「こんな所で、ベビーシッターのバイトを始めるな」

 コーヒーを飲みながら、ジョン太は言った。

「ジョン太、この子達、U08から避難して来たんだ」

 所在なげな顔で、鯖丸の後からついて来た子供達は、ジョン太とフリッツを見て、戸惑った。

 コロニーでは、ハイブリットの人口比率が地球より高いし、子供達の中にもハイブリットが居るが、こんな原型に近いタイプが、二人で連んでいるのはめずらしい。

 こういうタイプは、物騒な仕事に就いている確率が高い。

 ジョン太が視線を移すと、子供達は一歩下がった。

 良く見ると少し動作が重たい。

 子供は順応が早いが、もっと低い重力で生活していた証拠だ。

「このおじさんが、今度の調査で、一番偉い人だから」

 鯖丸が、無責任な紹介をした。

 反論するも間もなく、子供達は口々に訴えた。

「おじさん、メアリーを助けて」


 鯖丸と十人の子供達は、人もまばらになって来た食堂でメシを食っていた。

 食事時に設定されている時間帯を過ぎると、品薄になってしまうのか、デザートのプリンが人数分ないと言って、子供達は騒ぎ始めた。

「ジャンケンだ、ジャンケンで公平に決めないと」

 率先して騒いでいる鯖丸の頭を、トリコがはたいた。

「譲ってやれよ、大人なんだから」

「大人って、損だな」

 寝言を言い始めた鯖丸を無視して、ジョン太は子供達を見た。

 小学校の低学年から高学年まで揃っているが、とにかく全員子供だ。

「君達は皆、U08から来たのかい」

 見た目によらず、意外と柔らかい口調で聞かれて、子供達は緊張を解いた様子だった。

 口々に、色々な事を言い始めた。

 子供は先に逃がされたが、大人の人がたくさん死んだり、怪我をしたりした事。

 小型艇で脱出して、救助されるまでとても怖かった事。

 知らない場所で、重力も違うハンマーヘッドでの生活に慣れた今でも、やっぱりU08に帰りたいと思っている事。

「メアリーは、学校が終わったら、いつも森に入ってた。あの時も居たはずなんだ」

「森って云うのは、実験プラントの事かな」

 子供達はうなずいた。

 閉鎖生態系なら、今でも生存可能な環境が保たれている可能性はあるが、回転の止まってしまった無重力のコロニーで、どんな風に魔導変化しているか、見当もつかない。

「お前は、どうなってると思う?」

 一通り通訳してから、ジョン太はトリコにたずねた。

 魔界の事なら、トリコが一番詳しい。

 鯖丸の皿に、食べ切れなかった変な固まりとパンを押し込んでいたトリコは、顔を上げた。

「無重力の影響は分からないが、まずいな。その子供は、事故から半年も放置されてるんだろう」

 肉を残すなんて、もったいない…と、文句を言っていた鯖丸も、一緒に顔を上げた。

 ていうか、その変な固まり、肉かよ。

「まともな精神状態を、保っていないかも知れない。プラントも、その子の意識に引きずられて、魔導変化している可能性がある。植物が怪物化しているなら、たぶんそうだ」

 昔、似た様な事件が、地球上の魔界で起こっていると付け加えた。

「山林一帯が、怪物化したそうだ」

「どうやって解決したんだっけ」

 ジョン太は尋ねた。

 聞いた事のない事件だ。

 外界には報されていない事件か、でなかったら、相当昔の出来事だろう。

「核になっている子供を、疲れて寝ている間に、外界へ運び出したそうだ。百年以上前の話かな」

 本当の昔話だ。

「どうせ、その子供は救助するんだろう。先に救助を済ませてから、ゆっくりデータを回収すればいい」

 何の問題もないという口調だ。

 気がすすまない顔で、自分の皿に残した、フライドポテト的な何かをつまんでいる。

「その子達に、メアリーはどんな子だったか聞いてくれ。精神的にタフな子供なら、それ程ひどい事にはなっていないはずだ」

 鯖丸が、飯を食いながら子供達と話し始めた。

 子供らが、口々に話すので、翻訳機がついて行かない。

 子供目線と云うより、同レベルで話し込んでいる鯖丸を、しばらく待った。

 子供相手に話を聞き出すには、適任だ。

 由樹も、こいつには懐いてたなぁ…と、一人息子の顔を思い浮かべた。

 鯖くんどうしてるかなぁ…と、時々聞かれると、返事に困る。

 今頃どうしているだろう。日本が今何時なのかも、もう分からない。

 あまり、楽しそうな顔はしていなかったのだろう。

 気が付くと、一番年長の女の子が、肩に手を置いて、こちらに話しかけていた。

「あなた、大丈夫?」という合成音声が、頭の中に聞こえた。

 背が高くて、周囲の子供達より、随分大人っぽく見える。

 実際年長なのだろうが、子供は子供だ。

 子供に心配される様な顔をしていたのかと思って、苦笑いした。

 二つ三つ年上か、もしかしたら同年代に見られているかも知れない。

 翻訳機で、向こうの言葉はだいたい分かるが、こちらから話しかける方法が分からないので、笑ってうなずいた。

「あなたも、どこかから避難して来たの?言葉も分からないなんて、大変でしょうね」

 フリッツが、横合いから手を出して、トリコの翻訳機を手に取った。

 ここを押せば、外部音声に出来るから、翻訳モードを双方向に切り替えて…と、説明している。

「精度とスピードは落ちるが、翻訳機を持っていない相手とも、簡単な会話なら…」

「ありがとう。後でいいよ」

 トリコは、フリッツの手から翻訳機を取った。

「子供には、聞かせたくない話になるかも」

 鯖丸と子供達の会話は、白熱していた。

 何をそんなに議論しているのかと思っていると、ジョン太が適当なところでツッコミを入れた。

「ゲームの話なんか、後でやれ、バカ」

 脱線していたらしい。

 怒られた鯖丸は、トリコに説明した。

「変わった子らしいよ、メアリーって。植物に話しかけたり、一人で遊んでたり。でも、心が弱いタイプじゃないと思う」

 少し安心した。

「良かった。一人で居るのを好む様なタイプなら、普通の子よりダメージは少ないかも」

 ほっとした様子で言った。

「お前みたいに、寂しいと死んじゃうタイプだったら、暴走して大変な事になってるところだ」

「俺は、そんなじゃないよ」

 鯖丸は反論した。

「探すのは簡単だが、連れて帰るのは、けっこう大変だな」

 鯖丸を無視して、トリコは言った。

「プラントと、リンク張った状態になってるかも知れない」


 食事が終わる頃に、子供達が先生と呼んでいるらしい女性が、現れた。

 本気で一緒に謝り始めた鯖丸は、子供達と一緒に、先生にしばかれていた。

 ジョン太が、慌てて間に入って事情を説明し始めた。

「その子達には、調査に協力してもらっていて…。帰りが遅くなると連絡しなかったのは、こちらの落ち度です。申し訳ない」

 おっちゃんが説明すると、説得力がある。

 鯖丸は、不満そうに二人のやりとりを眺めた。

「俺、今度は何歳くらいに見られたんだろう…」

 もっと年下に見られるトリコは、慣れているので、上手い事食器を戻しに行くとか言って、逃げてしまっている。

 程なく、先生が連絡したのか、子供達の保護者がやって来た。

 たいがいは両親のどちらかで、もう少し年齢が離れていたり、近かったりする、祖父母や年上の兄弟か親戚に見える者も居た。

 ここに居る子供達は皆、事故に遭っていて、身内を亡くしている者も多いのだと思い出した。

 最後に、誰も迎えに来ない二人が取り残された。

 ケントという男の子と、意外だったが、年長のしっかりした少女だ。

 先生はまだ用事があるから、二人で帰れるわね…と、声をかけられて、年長の少女はうなずいた。

「あの…俺、送って行っていいですか」

 鯖丸が申し出た。

 事故ではないが、昔コロニーに居た子供時代に両親を亡くしているし、他人事には思えないのかも知れない。

「じゃあ、お願いするわ」

 先生はうなずいた。

「先生は後から帰るから、お兄ちゃんに送ってもらってね」

 二人の子供に言った。

「嫌だなぁ、お兄ちゃんなんて…レイジって呼んでください」

 いつの間にか先生の手を握っている。

「学校の先生って、昔から憧れてたんです。あとでゆっくりお茶でも…」

「いちいち口説くな、バカ」

 ジョン太が、後ろからしばいた。

「おい、トリコ。お前も一緒に行け。こいつが悪さしない様に見張ってろ」

「分かった」

 最近本気で、信用度ゼロだ。

「子供相手にそんな事しないってば」

「知ってるけど、子供をだしに先生にちょっかい出す気だろう」

 黙り込んだところを見ると、当たりだったらしい。

 トリコは、肩をすくめて後に続いた。


 先生と云うのも、U08からの避難者で、今は身内の居なくなった二人の子供と生活しているという話だった。

「そうか、ご両親も亡くなったんだ」

 他人事なのだが、トリコは辛そうな顔をした。

 姐さん、けっこう人情家なのだ。

「ケントは、地球にお母さんが居るらしいよ。何年か前に離婚したんだって」

 翻訳機は、通訳の内容が雑なので、鯖丸が補足した。

「シンディーは、カナダに親戚は居るみたいだけど、あんまり、付き合いは無かったって」

「そうなんだ」

 姐さん、辛い顔で黙り込んでしまった。

 自分と似た境遇の子供達の通訳をしているのに、鯖丸は平気そうだ。

 薄情な奴ではないが、まぁ、性格の違いだろうな…と、トリコは思った。

 経験的に、割合どうにかなると分かっているからかも知れない。

「シンディーが、トリコと友達になりたいって言ってるけど、本当の年とか、仕事で来てる事とか、言っていい?」

「別に、隠す事じゃないだろう」

 トリコが言ったので、鯖丸は早口でしゃべり始めた。

 翻訳機の精度もあるだろうが、ジョン太とフリッツの言葉は、もっと早く正確に訳せていた。

 英語のネイティブスピカーじゃないと、翻訳精度が格段に下がってしまうらしい。

 鯖丸の話を聞いたシンディーが、驚いた顔でこっちを見た。

「ごめんなさい。大人の人だと分からなくて」

「いいよ、分かれと云う方が無理だ」

 鯖丸がまた通訳しているが、翻訳機にはエラー表示が出ている。

 こいつの英語って、どんだけ訛ってるんだ。

 人間相手には何不自由なく通じているらしいので、深く追求しない事にした。

「友達と云うには年が離れてるけど、機会があったらまた一緒に食事でもしようと言っておいてくれ」

 通訳が終わると、シンディーは嬉しそうにうなずいた。


 先生の部屋に子供達を送り届けて、二人は元来た道を戻って行った。

 エレベーターと、入り組んだ通路だが、トリコは全然迷わなかった。

 普通、地球から来た人間なら、こういう人工空間に放り込まれると、自分の現在地が分からなくて、下手をするとパニックになるものだ。

 都会育ちならともかく、トリコの様な魔界出身の人間が、コロニーの中を迷わず歩き回れると云うのは、意外だった。

「方向感覚、いいんだ…」

 先に立って、さくさく歩いているトリコを見て、鯖丸は言った。

 四ヶ月ぐらい一緒に生活していたけど、お互い知らない事はまだまだあるんだろうな…と思った。

「魔界じゃ、GPSもコンパスも、利かないからな」

 来る時に乗って来たエレベーターに着いた。

 何人か降りて来たが、同方向に行く乗客は居なかった。

 地球で言うと、通勤電車と逆方向に乗ってしまった感覚かも知れない。

 何だかお互い気まずくなって、黙り込んでしまった。

 本当に二人きりになってしまうのは、久し振りだった。

 去年の暮れに、関西魔界に出かける前の日以来だと思う。

 今まで、そんな事が無かったのは、たぶんジョン太が気を遣っていたからだ。

 二人で子供らを送って行けと言ったのは、彼らしくないうっかりミスなのか、他に考えがあったのか、分からない。

 空気が重い。

 何か話さないと…と、トリコの方を見た鯖丸は、驚いた。

 少し背が高くなっている。

 以前は、自分の肩より小さかったのに、今は同じくらいだ。

「少し大きくなったんだ」

 言うと、トリコはちょっとだけ嬉しそうな顔をした。

「少しだけどね」

 特に、健康上何の害も無いとはいえ、病気は病気だ。

 子供に見えるので、日常生活にはけっこう不自由があるのも知っていた。

 治った方がいいに決まっているのに、何だか辛い。

 俺の知ってるトリコが、居なくなる。

「そうか、良かったね」

 何で、思った通りの事を言えなくなったんだろう。

 エレベーターが止まった。

 トリコは、案内表示を見て、割り当てられた部屋番号に近い数字の方へ、歩き出した。

 鯖丸は立ち止まった。

「俺、用事があるから、先行ってて」

「うん」

 トリコはうなずいた。

 入り組んだ通路を歩き出してから、振り返った。

 何か言いかけたが、結局何も言わないで通路の奥に消えた。

 鯖丸は、それを見送ってから、壁にもたれた。

 いつの間にか涙が出ている。

「くそ、まだこんな…」

 顔を上げた目の前に、フリッツが居た。

 何時から居たのか、気配も全く感じなかった。

 かっこ悪い所を見られたとか、それ以前に、突然だったので本気で驚いた。

 ナンパでバカっぽいガキに見えるが、一応高レベルの魔法使いだし、外界でも剣道の達人だ。

 人の気配に気が付かない事は、ごく希だった。

「フリッツ」

「伝言だ」

 フリッツは、ポケットからカードキーを出して寄越した。

「部屋の割り当てが、変更になった。三十分後にコーウェンとミーティング。場所は、最初に会ったオフィスだが、分かるな」

 うなずいた。

「それから、外界ではバーナードと呼べ。魔法使いの習慣には馴染めない」

「魔界に入ってすぐに切り替えが出来るなら、俺の事は本名で呼んでかまわない」

 鯖丸は言った。

「でも、俺は自信がないからフリッツで通すよ」

 フリッツは、暫く黙った。

「フリッツも魔法使いだから、この仕事に配属されたんだと思ってたけど」

「軍に専門職の魔法使いは居ない」

 フリッツは言った。

「俺の様なタイプのハイブリットは、危険な任務を任される事が多い。ノーザンテリトリーと、雲南省の魔界に入った経験がある」

「二回だけ?」

 鯖丸は驚いた。

「学生のバイトよりは、マシなつもりだ」

「素人じゃん」

 鯖丸は、鼻で嗤った。

「俺は、二年のキャリアがある、ランクSの魔法使いだよ」

「女関係のトラブルも、対処出来ていないくせに」

 フリッツは反撃した。

 鯖丸は、フリッツの胸座を掴んだ。

 油断していたとは言え、普通の人間にこんな事をされたのは、初めてだった。

「お前に何が分かるんだよ、このツンデレ軍曹が」

 日本語で言ったが、翻訳機は、半分くらいしか訳せなかったらしい。

 一応、悪口を言っているのは分かった様子だった。

 フリッツは、冷静な顔で鯖丸の腕を振り払った。

「ガキと遊んでいる暇はない」

 もう一枚のカードキーをトリコに渡すつもりらしく、くるりと踵を返した。

「俺が渡しとくよ。忙しいんだろ」

 鯖丸は後を追った。

 普通に歩いている様に見えるのに、走らなければ追いつけない。

「そんな顔で会いたくないだろう。親切で言ってるんだ」

 鯖丸は、慌てて手の甲で顔を擦った。

「それから、医者がお前を捜していた。予定より早く麻酔から覚めて、勝手に抜け出したそうだな」

「勝手に帰っちゃいけなかったんだ…」

 当たり前の事を、驚いた様に言っている。

「顔を出しておけ。2ブロック上だ。場所は…」

「分かるよ、それくらい」

 鯖丸は、エレベーターに引き返した。


「こんな時間に、申し訳ない」

 コーウェンは、インスタントのコーヒーを、自分で容れて渡してくれた。

「色々忙しくて」

 様々なトラブルを処理する役職らしく、そこそこの地位もあるらしかったが、自分専用のデスクは置かない主義なのか、食堂にあったのと同じ様な椅子とテーブルを部屋の真ん中に置いて、そこに仕事用の資料や道具を積み上げてある。

 夜間シフトの者以外は、夕食も終わってプライベートで寛いでいる時間帯だ。

 医者に捕まっていて、時間ぎりぎりにやって来た鯖丸は、急いで椅子に座った。

 皆はもう、揃っている。

「まず、私とバーナード軍曹で、明日様子を見て来ます」

 ジョン太は言った。

 調査報告書には、一通り目を通しているらしいが、それでは足りないという様子だった。

「如月は宇宙服の操縦訓練、武藤は換装したプラグが安定するまで、如月のサポートで残します」

「明日から使えるのに」

 鯖丸は、日本語で文句を言った。

「24時間で戻って、必要なら新しく申請しますが、今の所備品はこれだけです」

 壁に、文字と画像が映った。

 大半は、保護した子供を連れ帰る為のエマージェンシーキットと、プラントのデータとサンプルを持ち帰る為の道具だ。

 一度目の調査で持ち込んで、そのままU08に置いて来る事になっていた。

 子供用の軽装宇宙服も用意されていたが、ジョン太は脱出用の小型カプセルを使うつもりらしかった。

 自分では自由に動けないが、放り込んで閉めるだけなので、早く対処出来る。

 最後に、地球からわざわざ送られて来た銃と刀が表示された。

 宇宙空間に曝されても破損しない様に、厳重にパッキングされている。

「げっ、頭悪そうな刀」

 フリッツが、思わずつぶやいた。

 日本刀としては、けっこう刃渡りの長い部類に入る長刀は、その辺のザックからちぎって来た様な、変なストラップが付けられて、おまけに鞘には、インディーズバンドとか、アウトドアメーカーとか、駄菓子のおまけとかのシールが、べたべた貼られていた。

 お前は子供か…と、突っ込みたくなる有様だ。

 拳銃二丁は、ウィンチェスターの備品らしいが、コルトの32口径と、S&Wの44口径という、訳の分からない品揃えになっている。

 コブラの32ニューポリスと、俗に言う44マグナムだ。

 そんな、アンバランスな物を二丁持つ位なら、S&Wよりもうちょっと口径が小さくて、マグナム弾も打てる拳銃一丁にしておけば、装備も軽いのに…とフリッツは考えた。

 実は、一方は会社の備品で、もう一つはジョン太の私物なので、特に選ぶ余地もなく使っているのだが。

 他人には、銃は一丁にしておけとか思っているくせに、フリッツ本人もサバイバルナイフを二本持って来ていた。

 両手に武器を持ちたがるのは、戦闘用ハイブリットの芸風かも知れない。

「あの…本当にこんな物を持って行くんですか?」

 コーウェンが不安そうに聞いた。

 ナイフはともかく、回転式の拳銃と日本刀は、武器というより骨董品だ。

「宇宙服を着ていたら、引き金も引けないでしょう」

「ああ、魔界に入ったら引けなくても撃てます。どうせ、宇宙服は向こうで脱ぐし」

 恐ろしい事を言い始めた。

 破損したコロニーの中で、宇宙服を脱ぐって…このおっさんは正気なのか。

「なるべくそういう事はしないでください」

 コーウェンは、やんわり止めた。

「何か、人体に有害な物質か細菌が発生している可能性でも?」

 ジョン太はたずねた。

「いえ…そんな可能性はきわめて低いですが」

 じゃあ問題ないという顔で、コーヒーを一口飲んでから、微妙に顔をしかめた。

 鯖丸も少し飲んで思ったが、ジョン太の好みとしては甘すぎる。

 このメンバーの中に居るから、忍耐強くて心の広い人間に見えるが、一般的に考えるとジョン太もけっこうわがままだよなぁ…と思った。

 さすがに、甘いとか口には出さないが、きっと残りはもう飲まないだろう。

「回収するデータとサンプルのリストを出します」

 壁から備品一覧が消えて、文字が流れた。

 聞いた事もない動植物の名前が羅列されて行く。

 続いて、回収するデータのファイル名がずらりと並んだ。

「一覧は、後で皆さんにお渡ししますが…」

 ポケットからメモ帳を出して、翻訳機と見比べながら細かくメモし始めたトリコを見て、コーウェンは言った。

「サンプル回収はトリコが仕切れ。データ回収は、せっかく高性能プラグに換装したんだから、鯖丸が担当な」

「俺達は、こいつらの護衛か…」

 やれやれという顔で、フリッツが肩をすくめた。

「お前、植物とか詳しいか」

 ジョン太が尋ねたので、フリッツは首を横に振った。

「俺もだ。こいつに至っては、菜の花とぺんぺん草の区別もつきゃしない」

「どっちも食えるから、一緒だ」

 鯖丸は断言した。

「トリコが一番観察力が鋭い。俺とフリッツは、サンプル採取のサポートと、メアリー・イーストウッドの救出」

「お願いします」

 ジョン太が、思いの外メアリーの救出をメインに計画を立てている。

 コーウェンはほっとした様子だった。

「俺らが帰って来るまでに、きちんと準備しとけよ」

 鯖丸とトリコはうなずいた。

 ああ、そうか。シフト的に、こういう事になるから、二人だけにしたんだ…と鯖丸は思った。

 もうそろそろ、ジョン太が気を遣わなくていい様に、ちゃんとしないとダメだ。

「分かった」

 うなずくと、ジョン太は少しだけほっとした顔をした。


 翌日。

 一緒に朝食を取ったジョン太とフリッツは、シャトルでU08に出かけて行った。

 トリコの重装服操縦訓練に一通り付き合った鯖丸は、昼休みを挟んで、午後からは回収するファイル名の暗記を始めた。

 記憶力はいい方なので、それ程苦労せずに内容を頭に入れた。

 トリコは、回収するサンプルを、翻訳機で訳して、メモ帳に書き込んでいる。

 元々のデータに入っていた画像も、自分なりの絵にして、解説付きで細かく記入していた。

 熟練度の高い魔法使いは元々、イメージを具現化するのに慣れているので、絵が上手い者も多い。

 技術的に上手いのかどうかは分からなかったが、トリコが描き込んだ絵は、傍目にも分かりやすかった。

「そんなに真面目に描き込まなくても、自分が憶えてればいいんじゃないの」

 鯖丸は聞いた。

「お前みたいに、何でもすぐ憶えられる訳じゃないし」

 サンプルの方が、数が多い。

 回収も、自分一人ではなく、皆に手伝ってもらう事になるので、指示を出せる様に、完璧に憶えるつもりなのだろう。

「これが魔界で作動したら、憶えなくてもいいのにね」

 鯖丸は、データの入ったディスクを振った。

「プリントしてもらって、持って行ったら?」

「一応やってもらったけど、見分けが微妙な植物もあるからな」

 絵でのメモは、その為らしい。

「まだ時間かかるから、その間暇つぶしててくれ」

 メモをにらみながら、トリコは言った。

 三時間後にまた、操縦訓練を入れている。

 それまで、二人だけでここに座っているのも気詰まりだった。

「じゃあ、ジムで運動して来るよ。このままじゃ体なまるから」

 骨密度を維持する薬も、気休め程度の効き目だと言うし、低重力という程でもないが、地球より遙かに低い重力で、まだ何日も過ごさなければならない。

 だらだらしていたら、折角ここまできっちり作った体が台無しだ。

「トリコもちょっとは体動かした方がいいよ。地球に戻った時、大変だし」

「うーん」

 元々、スポーツ全般の苦手なトリコは、メモを睨んだまま、気のない返事をした。


 宇宙へ出ると、檻の中でくるくる滑車を回しているハツカネズミの様に、運動したくてたまらなくなる人間は多い。

 地球に戻らなければならない一時滞在者は、特にそうだ。

 コロニーで生まれ育った人間は、健康維持のためにスポーツはするが、そこまで必死にはならない。

 自分の行動パターンが、いつの間にか地球人になっているのに気が付いて、鯖丸は苦笑いした。

 周囲には、見知った顔が何人か居た。

 宇宙服を調整した時に会った技師と、食堂で、カウンターの向こうに居た調理師と、コーウェンの秘書らしき女性と…。

 隅の方にケントが一人で居て、黙々とランニングマシンで走っていた。

 子供がそんな事をしているのは、めずらしい。

 低重力エリアでの球技の方が、子供達には人気があるからだ。

 周囲には、付き添いも友達も見当たらなかった。

「地味な事やってるなぁ」

 近づいて、声をかけてみた。

 こちらに気が付いたケントは、ゆっくりとスピードを落としてから、マシンを降りた。

 どれくらい走っていたのか分からないが、けっこう息を切らしている。

 よく見ると、手足と腰の所にウェイトを付けていた。

 こういうのには、心当たりがある。

「そんな、無理な負荷かけない方がいいよ」

 ウェイトを指さすと、ケントはこちらを見上げた。

「自分だって付けてるのに」

 給水器の所へ行って、水を飲み始めたので、鯖丸も後から並んで、水を汲んだ。

「俺はいいんだよ。地球から来てるんだから」

 まだ呼吸が整わないで、ケントは水を持ったままベンチにかけた。

「何これ。自主トレかなんか?」

「体育の授業中です。皆と別の事をしたいって言ったら、先生が許可をくれたので」

「へぇ」

 自分から言い出したにしては、楽しそうには見えない。

「地球にでも行くつもり?」

 たずねると、ケントは俯いたままうなずいた。

「僕みたいに、低重力で育った子供は、地球環境には馴染みにくいって言われたけど…」

 母親が地球に居るという話は、昨日聞いていた。

「そうだね。大変だと思うよ」

「やっぱり…」

 大丈夫、どうにかなるとか、無責任な事は言えなかった。

 どれくらい辛いか、良く知っている。

「でも、地球にお母さんが居るなら。一緒に暮らすのは、悪くないと思う」

 ケントは、顔を上げた。

「無理なウェイトトレーニングは、ここの高重力エリアにもっと慣れてからの方がいいんじゃないかな」

「ドクターにもそう言われたけど」

 ケントは、暫く黙ってから、たずねた。

「お兄さんは、地球人じゃないのに、どうやって鍛えたの」

「ええ、何で分かったんだよ」

 今まで、地球人にしか見えないと散々言われていたので、驚いた。

 宇宙で働いている人間なら、地球出身でもプラグを装備している事は、珍しくない。

「地球の人は、もっと動きがぎごちないもの」

「そうだけど、こっちへ帰るの八年振りだし、まだ昔みたいに動けないんだけどなぁ」

 ケントは、水を飲んでから、ちょっと肩をすくめて笑った。

「じゃあ、低重力エリアでのリハビリに付き合うからさ」

 交換条件を出して来た。

「僕のトレーニングにも付き合ってくれる?」

「仕事に差し支えない範囲内なら、いいよ」

 鯖丸はうなずいた。


 ジョン太とフリッツは、きっかり24時間後に戻って来た。

 向こうで何があったのか知らないが、フリッツのジョン太に対する態度は、少し変化していた。

「えらい事になってたぞ」

 ジョン太は、コーウェンに報告する前に、先ず二人に言った。

「プラントが広がってる。奥の方は確認出来なかったが…」

 おそらく、魔界部分にあるコロニーのほとんどは、プラントで埋め尽くされているだろうという話だった。

「境界部分でも、酸素濃度は15%以上ある。中はほぼ、上下のないジャングルだな。計器類は働かないが、体感としては20%以上、気温は大体25度。快適な環境だ」

「本当に宇宙服脱いだのかよ」

 鯖丸は呆れた。

「こいつ、襲って来たモンスターをぶちのめして、宇宙服の隙間に入れて持って帰ったんだ。クレイジーだな」

 フリッツは、信じられないという口調だ。

「隙間に入る大きさだったんだ…」

 鯖丸も、驚く所がちょっと違う。

「虫だからなぁ…中では一メートルくらいあったんだが、外へ出したら手の平に乗ったよ」

 それを宇宙服の隙間につっこんで帰ったという事は、酸素濃度の低い境界へ、アンダースーツのままで出たという事だ。

 フリッツがクレイジーだと言うのも、無理はない。

「どんな虫だった」

 翻訳機が訳すのを待って、トリコが尋ねた。

「さぁ…羽が生えてて飛ぶやつ」

 ジョン太は、いい加減な事を言った。

「ほとんどの虫はそうなんだけど」

「蜂っぽいやつ。受粉かなんかの為に入れたんだろう。サンプルとして回収されたから、見たいならコーウェンに言ってくれ」

 ジョン太は、コーヒーを取って来て、食堂の椅子に座った。

 ハイブリットは、個人差はあるが二三日くらいは、不眠不休で動けるとはいえ、少し眠そうだ。

「お前らの方は、準備はどうだ」

「大体終わったよ」

 鯖丸は言った。

「でも、重装服の操縦訓練は、あと一日欲しいかな。いざとなったら、外部接続して、俺が二体とも操作してもいいんだけど」

「お前のプラグ、そんな高性能だったのか」

「一応マルチチャンネル」

 基盤交換くらいで改造が出来る訳無いから、最初からマルチだったはずだ。

 一般人で、まだ子供だった頃に、そんな高性能プラグを装備出来るはずがない。

 暁が何かやったんだろう。

「最悪そうしてもらうが、操縦訓練はちゃんとやっとけ」

 ジョン太は釘を刺した。

「四十六時間後に、U08へ出発する。そのつもりでな」

 皆は、神妙な顔でうなずいた。

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