表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/7

一章 猫のフリッツ(前編)

『大体三匹ぐらいが斬る!!』の、続編です。

こちらから先に読んでも、特に不都合はありませんが、前後関係が分かりにくい部分もあります。

 宇宙空間を横切って、古い人工衛星の残骸が流れた。

 地球上に落ちれば、流れ星として願い事を三回ぐらい唱えられる事になるそれは、小規模なマイナーコロニーをかすめて飛んだ。

 大型宇宙船をそのまま改造したマイナーコロニーは、公転軌道と自転の両方をめちゃくちゃに乱された。

 衛星がぶつかった衝撃で、多数の住人が死んだ。

 酸素を供給する装置が破壊され、残った者はコロニーを脱出した。

 宇宙空間での活動に慣れた住民達は、二週間近い漂流に耐えて、救助された。

 放棄されたコロニーは、軌道を外れ、宇宙空間のある一点に偶然漂って行って、止まった。

 宇宙空間で確認されている、数少ない魔界、H201に機体の半分を突っ込んだコロニーは、その場所で静止した。





 ノートパソコンに、変な動画が流れていた。

 剣道の道着を着た、ごつい青年達が、一カ所に集まっている。

 何かの大会の、表彰式の様にも見えた。

 マイナーなスポーツらしく、大仰な観客もセレモニーもないが、一応、インタビューらしい男が、カメラの前でマイクを向けている。

 優勝者と、二位の、いかにも武道やってますという顔立ちの二人は、普通にそれなりの返答を返していた。

 三番目の青年は、どう見ても回りと芸風が違う。

 まず、顔が全然強そうじゃない。

 自分より上位に入った二人を睨んでいて、気は強そうだ。

「武藤選手は、地球外出身では、学生剣道で初めて全国大会出場を果たして来ましたが、初の三位入賞について、感想を聞かせてください」

 たぶん、ケーブルテレビかネット放送の、マニアックなスポーツ専門チャンネルのインタビューだろう。

 何となく素人臭い。

「ええと、今日は全員に勝つつもりで来ました。死ぬ程悔しいです」

 武藤君が、とんでもない事を言い始めた。

「こいつら、絶対帰りに闇討ち…」

 恐ろしい形相の男が、すごい速さでぶっ飛んで来て、武藤君に抱きついた。

 カメラから隠しているつもりらしいが、みぞおちにがっつり突きを入れているのが、かすかに見えている。

 後から駆け寄った、同じ学校の選手らしき団体が、カメラの前に群がった。

 怖い顔の男は、ぶっ倒れた武藤君を抱き上げている。

「ああっ、倒れてしまった。彼は、低重力環境で育っているから、体が弱いんです」

 セリフが棒読みだ。

「道を空けてくださーい。医務室に運びまーす」

 同じ学校の部員らしき青年が、手際よく先導して、何か武道家にあるまじき暴言を吐こうとしていた青年は、てきぱきと撤収された。

 動画は、しばらく、呆然と見送る周囲を映してから、同じ内容をループし始めた。

 ジョナサン・ウィンチェスターは、出前のソバをすすりながら、動画を眺めた。

「何回見ても面白いなぁ…特に、溝呂木の慌て振りが」

 NMCこと西谷魔法商会の事務所は、昼休みだった。

 今年の春に行われた全国大会の動画だったが、入手したのは最近だ。

 当人の武藤君が、何も語りたがらないので、どこからともなく手に入れて来たのだ。

「そんなもん、何回も見返して。悪趣味だぞ、お前」

 隣の机で、持参した弁当を食べていた如月トリコがつぶやいた。

 二人と画面上の武藤君は、仕事上のパートナーだ。

 魔界出身のトリコは、仕事でもそのまま、普段の名前を使っているが、二人はジョン太と鯖丸という、いいかげんに付けたとしか思われない名前で仕事をしている。

 魔界で本名を名乗るのは、危険だからだ。

 魔界というのは、この世界と異世界が接触した場所に出来る穴で、お互いの世界の法則が、周囲に少し漏れ出している。

 穴の周囲では、人やその他の生き物が持つ概念が強く働き、魔法と呼ばれる力を発動させる。

 もちろん、魔界関係の便利屋なんかやっている三人は、魔力が高い。

 外界と呼ばれる、通常の世界では、何の役にも立たないが。

 西谷商会は、他に四人の魔法使いと、事務のパートのおばちゃんと、所長、それに、最近雇った魔界の宅配専門の、バイトの男の子一人の構成になっていた。

 まぁ、鯖丸も学生だからバイトなのだが、日本では、民間で一番魔力の高い魔法使いとして、けっこう有名だ。

 魔法使いとしてのキャリアも、もう二年くらいになる。

「いいじゃねぇか、面白いから」

 ジョン太は、適当な事を言った。

 この事務所では唯一のハイブリットで、先祖返りタイプなので、犬っぽい顔立ちをして、全身毛皮に覆われている。

「面白がってないで、ちょっとは注意したら? 最近あの子、生活態度悪過ぎ」

 夫婦でコンビを組んでいる、斑が言った。

「何だっけ、ほら、どっかのベンチャー企業の、女社長の愛人やってるとか…」

「それ、だいぶ前の話。今は…ええと、キャバ嬢と同棲してるんだっけ」

 トリコは尋ねた。

「それは、二ヶ月前に別れた」

 当の本人が、ドアを開けて入って来た。

 大学も四年生になって、以前よりは大人っぽく見えるが、相変わらず年の割に童顔だ。

「何か、生活時間帯が合わなくて、最後はとうとうルームシェアみたいになっちゃってさ」

「少しは相手に合わせてやれ」

 ジョン太は注意した。注意する点は、そこじゃないはずだ。

「早寝早起きは譲れないね、武道家として」

 公共の場で、闇討ちとか言う奴が、武道家を名乗るな…と、ジョン太は思った。

「確か、五股かけて、全員にボコられたって聞いたけどな、俺は」

 斑の夫の平田が言った。

「うーん、最初は二股だったんだけど、股がいくつになったらバレるか、試してみたくなって」

 ひどい話だ。昔は、こんなダークなキャラじゃなかったんだが。

「それで確か、今は同じ大学の普通の娘と付き合ってるんだろ」

 さんざん悪さをした挙げ句、地球を七周半ぐらいして、普通の地平に着地してしまったらしい。

 本当にひどい話だ。

「先週別れた」

 鯖丸は、俯いてつぶやいた。

「ペース早いよ、お前」

 ジョン太は、本気で驚いた。

「どうせお前の事だから、鬼畜の様なセックスで、素人娘に引かれたんだろう」

「人をそんな、どす黒いキャラに仕立てようとするな」

 空いた机の前に座って、パソコンの電源を入れた。

 持って来た領収証の処理を、てきぱきやっている。

 最近、現場だけではなく事務関係の仕事も、一通り出来る様になっていた。

 本人は、普通の会社に就職するつもりらしいが、このまま魔法使いをやればいいのにと、皆が思っていた。

「何か、貧乏に耐えられないって言われて」

「それは、言っても仕方のない事を…」

 鯖丸が貧乏なのは、一目見て分かるはずなのだが。

 というか、大学生同士のカップルが別れる理由としては、あんまりだ。

「気を落とすな。また、年上で金持ってる女でもひっかけろや」

 ジョン太は、すごい慰め方をした。

「そういう路線目指してる訳じゃないのに」

 言いながらふとジョン太の方を見た鯖丸は、顔色を変えた。

 ジョン太のノートパソコンに、先程の動画がループしていた。

「まさかこれ…」

 あ、やば…という顔をしたジョン太が、こそこそと逃げかけた。

「これ動画サイトに投稿したの、やっぱりジョン太かよ。英語で字幕まで付けやがって」

「いや…面白かったから、つい」

「ついじゃねぇ」

 珍しく、鯖丸がジョン太の首を絞めた。

「ただでさえ先生に怒られたのに、これ以上世界に広めようとするなー」

 一応、まずい事をしでかしたのは分かっているらしい。

 黙って話を聞き流していた所長は、鯖丸をちょいちょいと呼んだ。

「何ですか」

 鯖丸は、机の前を離れて、所長の所へ行った。

「一昨日の話なんだけど、やっぱり断るつもりなのかい」

 一昨日、所長から、久し振りの大仕事が入りそうだと連絡があった。

 正直、まとまった金の入る仕事はしたいが、大仕事なら二三日で終わるとは思われない。

「すみません。卒論の進み具合が芳しくなくて、短期以外の仕事は、今ちょっと…」

 卒論なんて、まだ全然手を付けて無くて、間際に適当な事をやって切り抜けようと云う学生も多い中、相変わらずその辺は真面目にやっている様子だ。

 下半身は、悪魔将軍の様な暴れっぷりだが。

 今年の春で、あんなに打ち込んでいた剣道部も、引退してしまっている。

 以前から、今年は学業に専念すると言っていたが、言った事は本当にやる奴だ。

「君以外には、出来ない仕事かも知れないんだが」

 所長は言った。

 鯖丸は、怪訝な顔をした。

 いくら、魔力が高くても、俺の代わりぐらいいくらでも居るでしょうという表情だった。

「今度の仕事は、地球じゃないんだ」

「ええっ」

 ジョン太も、まだ聞いていない話だったらしい。

 驚いた様に言った。


「マイナーコロニーのU08で事故があった事は、知っているか」

 ジョン太とトリコも、近くに呼んで座らせ、所長はたずねた。

 ジョン太以外は、首を横に振った。

 大きな扱いのニュースにはならなかったが、似た様なマイナーコロニー出身で、しかも理工学部の宇宙工学科に居る鯖丸が知らないのは、どうかと思う。

「魔界に、船体半分突っ込んだまま、半年近く放棄されていたんだけどな。何度目かの調査が入る事になった」

「へぇ…」

 鯖丸は、うなずいた。

「魔界に墜落したコロニーって、U08だったんですか」

 多少は知っているらしい。

「U08って、何やってたコロニーなんだ」

 ジョン太はたずねた。

「水耕栽培プラントの、実験かなんか、やってたと思ったけど」

 鯖丸は答えた。

「大金をかけた、貴重な実験プラントを、回収したいという話だ。出来なければ、データとサンプルだけでも」

「それはそうでしょうね」

 真顔でうなずいている。

「何のんきに相づち打ってるんだ。回収はお前らが行くんだよ」

 所長は、三人を睨んだ。

 元ヤンなので、相変わらず怖い。

「えーっ、それ絶対、何かの間違いでしょう」

 ジョン太が言った。

「あの…私も行くんですか」

 トリコが、恐る恐るたずねた。

「もちろんだ」

 所長は言い切った。

「断れ、鯖丸。私は、宇宙船どころか、飛行機に乗った事もないんだ」

「それは、断るけど…」

 鯖丸は、首をかしげた。

「何で、民間で、しかもバイトの俺なんか指名したんです。普通は、軍とか、レスキューとか、研究機関とかが対処する問題なんじゃ…」

「ジョン太にも、指名が入ってる」

 所長は言った。

「昔、国連宇宙軍に居たし、魔界でのキャリアも長いからな」

「そんな、何十年も前の事言われても」

 ジョン太はぼやいた。

「十四年前だろ。自分の事ぐらい憶えてろ。ツッコミのくせにボケるな」

 納得いかない事まで怒られてしまった。

「鯖丸に関してはな、魔力ランクが高くて、宇宙での船外活動経験が100時間以上ある人間が、他に居なかったからだよ」

「えーと、魔力が高くて船外活動経験のある人なんて、コロニーや月で捜せば、いっぱい居るんじゃないんですか」

 国内に居るランクSは、自分も含めて二十数人だと聞いていたが、実際の発生率はもっとずっと高い。

 一生魔界なんかには出入りしない人間や、一度か二度、観光で入って、自分の魔力が何となく高いなと思う程度の人間の中にも、高確率ではないがランクSは存在する。

 月やコロニーで捜せば、そういう人間も沢山…。

「どうやって捜すんだ」

 月面にも、魔界は確認されているが、地球の様に気軽に観光で入れる場所ではない。

 宇宙空間なら、尚更だ。

 事故でもなければ、一生魔界なんかには入らないだろう。

「地球上で、現在確認されている、船外活動経験のあるランクSは、六人だけだそうだ」

「六人も居るなら、その人達に頼んでくださいよ」

 何で俺がと言いたげだ。

「お前は、百才の老人とか妊婦とか病人に、そんな危険な場所へ行けと言うのか」

 俺には行けって言ってるくせに…。

「普通に、調査隊を送ればいいんじゃないですか。どうせ、宇宙空間に生物なんて居ないんだから、危険な事なんてないでしょう」

「それは、もうやったらしい。魔界じゃない部分は、くまなく調査したが、魔界部分に入ったとたん、何かモンスター的な物に襲われて逃げ帰ったという話だ」

 うわぁぁ、やっぱりそんな危ない所に放り込むつもりだったんだ。

「それはそれとして、とにかく行って来い」

 とうとう、身も蓋もない言い方になって来た。

「ボーナスいっぱい出るぞ」

 一瞬、鯖丸がぐらっとなっているのが、傍目にも分かった。

「お断りします。俺は地球で、こつこつ地道に生活費を稼ぎます」

「おおっ、鯖丸が貧乏に勝った。偉いぞ」

 誉めたトリコは、所長にスポーツ新聞ではたかれた。

「お前は、自分が行きたくないだけだろうが」

「もちろん、その通りです」

 あの…俺は行ってもいいけど…というジョン太の意見を、二人は強引に握りつぶした。


 鯖丸が帰った後、所長はジョン太だけを呼んで耳打ちした。

「鯖丸を説得して来い。無理だったら騙してでも強引に連れて行くんだ。こんな儲け話、チャラにする訳にはいかん」

「あの…トリコはどうします」

 ジョン太は、不機嫌な顔をしているトリコを振り返った。

「あいつ、宇宙どころか日本から出た事もないんです。上じゃきっと、言葉も通じませんよ」

「どうにかしろ。足手まといかも知れんが、魔界に入ったらあいつは必要だ」

 所長は、腕組みした。

「あいつなら小さいから、引きずってでも連れて行けるだろ」

「俺に何を期待しているんですか」

 ジョン太は、ため息をついた。


 二日後、ジョン太は西瀬戸大理工学部に来ていた。

 鯖丸は、またケータイの電源を切って、逃げ回っていた。

 バイトも、最近は手広くやっているらしく、何処にいるのか見当が付かない。

 確実に居る場所で、捕まえるしかない。

 あらかじめ聞いて来た倉田教授の研究室は、研究室と言うより、町工場に見えた。

 破壊された壁を、トタン板で塞いだ形跡がある。

 中からは、恐ろしい物音が聞こえていた。

 入口を捜して、周囲を一回りしている内に、振動と共に物音は轟音に変わった。

 轟音の音階がどんどん高くなり、鉄骨に波板を貼り付けただけの、四角い建物がゆらいだ。

 これはまずいなと思う間もなく、外れたトタン板が、ジョン太を直撃した。


「いや…申し訳ない」

 倉田教授は、ジョン太に椅子を出してコーヒーを勧めた。

「用があるなら、こっちに来てくれれば良かったんだが、怪我が無くて幸いだった」

 色んな物を爆発させる教授だと聞いていたので、もっと、コントのマッドサイエンティストみたいな男を想像していたが、倉田教授の印象は、全然違った。

 つなぎの作業着の上から白衣を着た初老の男で、どっちかというと、学者と言うよりバイク屋のオヤジみたいに見える。

 通された場所は、先程の建物に隣接する、もっと小さいが普通の部屋で、本当の研究室はこちららしかった。

 本やパソコンや、工作機械類が雑然と並んでいる。

「西谷魔法商会中四国支所のウィンチェスターです」

 ジョン太は、名刺を手渡した。

「ああ、今朝連絡をくれた…」

 教授はうなずいた。

 窓の外では、教授の手下らしい学生が、慣れた手つきで外れたトタン板を張り直している。

 良くある事らしい。

「うちの武藤が、いつもお世話になっとります」

「いや、こちらこそ。いつも連れ出して、ご迷惑かけます」

 良かった…見た目もそれ程怪しくないし、言ってる事も普通だ。

 ジョン太は、少しほっとした。

 鯖丸を説得するより、外堀を埋めた方がいいと考えて、教授にアポを取ったのは正解だった。

 もう一人の、剣道部の外堀、溝呂木先生と初めて会った時は、大変だった。

 正座させられるわ、日本刀は抜かれるわ。

 今度はまともな人だ。

 名刺を受け取った教授は、自分の名刺を渡そうと考えたのか、ポケットを探った。

 それから、背後の机で、パソコンに向かっていた学生に声をかけた。

「篠原君、僕の名刺、知らんかね」

「この前使い切ったから、自分で作ると言われて、印刷用紙買って来てたでしょう」

 学生は雑然とした机の上から、名刺用のプリント用紙を引きずり出した。

「忘れてた」

 プリント用紙をぞんざいに開封した教授は、一枚分ちぎり取って、ボールペンで名前とメールアドレスを殴り書きしてから、ジョン太に渡した。

 ああ、やっぱり普通の人じゃなかった…。

「それで、ご用件は」

「武藤君の事なんですけど」

 U08の現状と、依頼内容を手短に説明した。

「教授の方で、行く様に説得していただけないかと…」

 ジョン太は、一応付け加えた。

「はっきり言って、報酬もかなりの額ですし、この仕事を受ければ、しばらくは、アルバイトもしないで、学業に専念出来ると思うんですが」

「学問という物はですねぇ、そんな、あっちをがーっと片付けてから、一気にこっちをやってしまおうとか、そういう物ではないんですよ。

 地道な作業の繰り返しで、一歩ずつ進めていく物なんです」

 ああ、まともな事言ってる。名刺は手書きなのに…。

「それはそれとして、U08は、カナダとEU連合の企業コロニー所属でしたねぇ」

「そうだったと思いますけど」

 ジョン太は、あいまいに誤魔化した。

 正式に依頼を受けた訳ではないが、依頼内容にはたぶん、企業秘密も含まれるはずだ。

 ドアが開いて、コンビニの制服を着た鯖丸が駆け込んで来た。

「すみません、バイトの引き継ぎに手間取って。ストームの稼働実験、もう終わっちゃいました?」

「うん、今、録画したやつ確認してるから」

 倉田教授は、パソコンの前に座っている学生を指差した。

 画面を覗き込もうとした鯖丸は、ジョン太と目が合った。

「げっ、ジョン太」

 速攻で逃げ出そうとする鯖丸の首根っこを、ジョン太は目にも止まらない動きで捕まえた。

「待て、コラ」

「見逃してくれよぅ」

 鯖丸は、じたばた暴れ回った。

 大柄な剣道の達人を、小動物の様に扱っているハイブリットを、倉田と篠原は、驚いた顔で眺めた。

 魔界でならともかく、外界でジョン太に勝てる訳がない。

 鯖丸は諦めて大人しくなった。

「何て言われても、行かないからね、俺。ストームの実験も佳境だし、卒論も…」

 先程トタン板が吹っ飛んだ建物の入り口から、スケールダウンされたエンジンらしき物体が見えた。

 どっちかというと、卒論よりこれが気になって、地球を離れたくないらしい。

「まぁまぁ」

 倉田教授は、鯖丸をなだめた。

「いい機会だから、行って来なさい。君が戻って来たら、もう一回動かして見せてやるから」

「えっ」

 行くなと言っていた訳じゃないのか。

 良く分からない人だが、助かった。

 ジョン太はほっとしたが、教授は鯖丸の首に腕を回して、部屋の隅に引っ張って行った。

「それでな、仕事で行くなら、軍関係と接触する機会があるはずだ。EUの戦闘機に積んでる新型エンジンの設計図、盗み出して来い」

「あの…教授…」

「卒論の〆切り、延ばしてやるぞ」

 うわー、こいつ変人どころか犯罪者だよ。

 鯖丸は、必死でしゃべるのを止める様にゼスチャーしていたが、教授が止めないのでとうとう口に出した。

「ダメです。あの人、聴覚が犬並なんだから、全部聞こえてますよ」

「冗談はさておき」

 教授は、すっくと立ち上がって、微笑んだ。

「行って来なさい、武藤君。宇宙での経験を積むのも、将来的には役に立つぞ」

 とうとう綺麗事言い出したよ、このおっさん。

「分かりました。盗み出すのは難しいと思いますが、出来る限り憶えて帰りますから。卒論の〆切りはよろしくお願いします」

 二人は、がっつり手を取り合った。

「交換条件だから、ジョン太も協力してもらうよ」

「俺を犯罪に巻き込まないでくれ」

 ジョン太は一応お願いした。


 トリコは、デスクの足にしがみついて、だだをこねていた。

 元、政府公認魔導士で、ビーストマスターの二つ名を持つ姐さんが、こんな態度を取るのは珍しい…というより、初めてだ。

「嫌だぁ。宇宙になんか行くくらいなら、地面に埋まってた方がマシだ」

 パスポートを取りに行かせようとしただけで、このざまだ。

「そんな怖い所じゃないよ。俺もジョン太も付いてるから、大丈夫だって」

 利害関係が一致してしまったので、鯖丸はジョン太側に回った。

「だって、宇宙酔いしたり、宇宙線を浴びて病気になったり、低重力で体が弱ったりするんだろ」

「迷信だ」

 鯖丸は言い切った。

「そんなに長期間、由樹を預かってくれる所もないし」

 トリコは、来年小学校に上がる一人息子の名前を出した。

「所長がちゃんと手配してくれてるだろ。由樹を言い訳に使うな」

 去年の暮れまで付き合ってた相手に、よくあんな厳しい事が言えるな…と、ジョン太は呆れた。

「お前は、自分が行きたいだけだろうが」

 トリコの方も遠慮がない。

 けっこうひどい別れ方をしたのに、二人ともよく平気で元通り仕事出来てるなぁ…と思った。

 まぁ、全然平気という訳でもないんだろうが。

 あれ以来、鯖丸は女関係がやんちゃになってしまったし、トリコは逆に、すっかり大人しくなっている。

「宇宙は、いい所だよ。気持ち悪い生き物も居ないし、土とか泥とか、汚い地面もないし…」

 鯖丸は、遠い目になった。

 それ、地球生まれの人間には、全然いい所じゃないんですけど。

「まぁ、お前が上でちゃんとやれるとは期待してないよ」

 ジョン太は、言った。

「魔界に入るまでは、特に役に立たねぇんだから、観光気分で気楽に行けばいいじゃないか」

 割合ひどい事を言われているのだが、追いつめられているトリコは、気が付かない。

 何だかいい話をされた様に、うなずいてしまっている。

「本当に、それでいいの」

 心が弱っていると、人は騙されやすいのだ。

「もちろんだ。俺も鯖丸も、宇宙の経験はけっこう長いんだから、全部任せてのんびりしてればいいさ」

「うん」

 普段、この中では一番厳しい事を言うジョン太が、優しい口調になったので、トリコはうなずきかけた。

「そうだよ。俺らに任せて」

 鯖丸は、一点の曇りもない爽やかな笑顔で言った。

「お前のはウソだな」

 さすがにしばらく同棲していただけあって、見切られている。

「えっ、何で分かるの」

 鯖丸は驚いた。

「お前は、ウソ付いてる時の方が、見た目がいい人になるんだよ。分かるわ」

「バカ野郎、バレても本当だと言い張らんか。この根性なし」

 ジョン太は、鯖丸の首を絞めた。

 いつも通り、ぐだぐだになって来ました。


 翌週、幕張宇宙港に、三人の姿があった。

 パスポートを作ったり、健康診断を受けたり、仕事以外の出発準備に振り回されていたトリコは、すっかり大人しくなってしまっている。

 魔界出身の人間は、普通親以外本名は知らない物だが、トリコの場合元政府公認魔導士だったので、更に戸籍上の名前すら、実生活では使っていない。

 周囲の者は、魔界での本名はともかく、戸籍上の名前は如月トリコだと思い込んでいた。

 手続きは、大変手間取った。

 戸籍上の本名を書かれたパスポートを持って、トリコはむすっとしてゲートに並んでいる。

 ここへ来るまでに、生まれて初めて飛行機に乗ったので、この時点でもうよれよれだ。

「意外と、もっさりした名前だったんだねぇ」

 鯖丸は、意外そうに言った。

「黙れ。自分だって、もっさりした顔のくせにホストみたいな名前しやがって」

 ジョン太はジョン太で、行く先々で金属探知器を鳴らしてしまい、一行は遅々として先に進まなかった。

 去年、ハンニバルとやり合った時の弾丸が、まだ体の中に残ったままなのだ。

「こんな事なら、めんどくさがらないで摘出手術受けておけば…」

 ゲートを通ってからも、色々な手続きが必要だった。

 大気圏脱出と、無重力になってからの注意事項について講習があり、退屈な話を一時間程聞いてから、乗船時間を待った。

 ジョン太は、宇宙へ出た経験がある他の乗客と一緒に、講習を免除されて、その辺をぶらぶらしていたが、鯖丸が一緒に講習を受けていたのは驚いた。

「お前、十四、五くらいまで、コロニーに居たって言ってなかったか」

「居たけど、地球から行った事ないから、講習免除されないんだって…」

 お役所仕事って…と、嘆いている。

「俺、あと一個身体検査があるから、ジョン太と待ってて」

「健康診断なら、来る前に受けただろ」

「地球外出身だと、大気圏離脱に耐えられない事もあるから、一応全員検査だって」

 どう見ても、普通の地球人よりごついのに、気の毒に。

 数人の、華奢な体格の人々と一緒に、鯖丸は奥の方へ消えた。


 鯖丸は、検査に入った乗客の、一番最後に戻って来た。

 てっきり、一目見るなりはいオッケーとか言われて、突き返されて来ると思っていたので、二人ともちょっと不安になった。

「あいつ確か、もう骨密度も普通になってるはずだったよな」

 ジョン太は尋ねた。

「その辺は、厳しく管理していたからなぁ」

 トリコは言った。

「今でも月イチぐらいで、食生活の記録をレポートにして提出して来るよ」

 そう言えば、鯖丸が渡したノートを、赤ペンで添削しているのを見た事がある。

 半年以上前に別れた男の健康管理をしているなんて、どうなんだそれ。

 お前ら、べつに別れなくても良かったんじゃ…と、つい言いそうになってしまった。

 遅くなったくせに、鯖丸は割とご機嫌で戻って来た。

 二人が暇つぶしに食べていたアイスを見て、あ、俺も食べようとポケットの小銭を引っ張り出した。

「遅かったなぁ。何かあったのか」

 ジョン太はたずねた。

「写真撮ってた」

 鯖丸は、アイスのメニューを睨みながら、変な事を言った。

「低重力コロニー出身で、こんなごつい奴珍しいから、記録させてくれって医者が」

「断れよ、そんなの」

「別にいいじゃん。写真ぐらい」

 絶対、いい気になって服を脱いで、ポーズまで取っていたに違いない。

 体育会系にありがちな、悪い病気だ。

「えーと、チョコチップバナナとマーブルミントと小倉」

 よりによって、変なアイスばっかり三段にしようとしている。

 注文を通した所で、アナウンスが流れた。

 ばらけて待っていた人々が、乗船口に向かい始めた。

「時間がない、行くぞ」

「ええっ、アイスー」

 ジョン太に引っ張られた鯖丸は、乗船口に向かった。


 出発時の加速と、長時間無重力状態の船旅で、軌道ステーションに着いた時には、トリコはすっかりダメになっていた。

「うわー、この体の軽さ、懐かしいー」

 船内から広い場所へ出て、はしゃぎ回っている鯖丸を捕まえて、ジョン太は言った。

「俺、色々手続き済ませて来るから、トリコの面倒、ちゃんと見てろよ」

「分かった」

 どこか、自分でも分からない方向に飛んで行き始めたトリコを捕まえて、手すりしかないエスカレーターの様な物に掴まらせた。

「ほら、これ持ってれば、重力がある所まで連れて行ってくれるから」

「先に行ってて、いいのか」

 器用に体を捌いて、反対方向へ行ってしまったジョン太を、トリコは振り返った。

 とたんにまた、体があらぬ方向に持って行かれそうになる。

「俺ら、観光で来た訳じゃないしね。観光客とは別行動」

 一緒に乗って来た乗客のほとんどは、添乗員に手助けされて、広いロビーへ向かっている。

 反対方向から飛んで来た、子供達の集団が、こちらを見て笑いながら通り過ぎた。

「地球人だ」

「だせぇ、ふらふらしてるー」

 日本語しか分からないトリコは、子供って可愛いなぁという顔をして見送っている。

「こら。てめーら、勝手に入って来るな」

 鯖丸は、トリコには分からない言葉で、子供達に怒鳴った。

 トリコは、驚いて鯖丸を見た。

 子供達は「やべっ」と言い合って、見事な身のこなしで飛び去った。

「あいつら、たぶんどっかのコロニーから来て、月か何に研修旅行にでも行く小学生だな。何で、地球側のゲートに入って来てるんだろう」

「一緒じゃないんだ」

 鯖丸が、英語しゃべってるのも、初めて聞いた。

「地球の感染症に、免疫がない子も多いから、分けてるはずなんだけど、抜け道があるし」

 昔、そう言う事をしでかしてそうなタイプだ。

「後で、ケツの穴まで消毒された後、謹慎して反省文書かされると思うけど」

 絶対昔やらかしてる、こいつ。

 エスカレーターが、通路を抜けて、重力のあるエリアに入った。

 体が向いていたのとは、全然別方向へ器用に着地してから、鯖丸は、トリコが尻から着地しそうになるのを受け止めた。

 一人では、自由に動く事も出来ない。

 先が思いやられる。

「俺ってもう、地球人に見えるんだなぁ」

 武藤君的には、色々感慨があるらしかったが、トリコは、別の事が心に引っかかっていた。

 ケツの穴まで消毒されるのって、この流れで行くと私らの方なんじゃないか。


 その通りだった。

 更に、何種類もの薬を処方され、注射を打たれた。

 白っぽい服を着た、背の高い黒人の女は、相手が片言の単語すら話せないと分かって、問診は諦めたらしかった。

 モニターにカルテらしき物を呼び出して覗き込んでいたが、驚いた顔をして、画面とトリコを見比べた。

 程なく、東洋人の女が呼び出されて来た。

 まだ若い。

 学生の様にも見える。

「村上です。ここで通訳のアルバイトをしています」

 言葉が通じる相手が出て来て、ほっとした。

「医療関係者ではないので、専門用語は分かりませんが、何か成長不全の様な病気の治療を受けていますか」

「はい」

 トリコは、うなずいた。

「診断書と、服用している薬の処方は、健康診断の結果と一緒に、送られているはずですが」

 村上が通訳すると、黒人の医者らしき女は、画面をスクロールさせた。

 見つけたらしく、別ウィンドウで呼び出して、うなずいている。

 機械の操作に、全く手を使っていない。

 良く見ると、首筋に鯖丸が付けている様な接続プラグを埋め込んでいて、そこからコードが伸びていた。

「手違いで、別の場所に添付されていました」

 村上が、けっこう長いセリフをしゃべっている女の言葉を、ざっくりと短く訳した。

「珍しい病気の様ですね」

 トリコには心身成長同調不全症候群という、ややこしい名前の持病がある。

 魔界出身で、魔力の高い人間だけが罹る病気だ。

 無意識に、魔力で身体能力を底上げする為に、体の成長が遅れたり、最悪止まってしまう事もある。

 魔界を出るまでは、普通に成長している様に見えるので、本人すら気が付かない。

 外界に出ると、中学生の様な外見になってしまう以外、特に健康上の問題はないのだが、思う所があってこの春から治療に通っていた。

 少し、身長が伸びて来ているのが、自分でも分かる。

「副作用が起こる可能性があるので、骨密度を維持する薬を、違う種類に変えるそうです。仕事で同行して来た方と、取り違えて飲んでしまわない様に気を付けてください」

 そんな薬を処方されていたのも、分からなかった。

 医者らしき女が、通訳を呼ばずに適当に流して仕事をしていたら、大変な事になっていた所だ。

「処方箋が別の所へ行ってたのに、どうして分かったの」

 トリコは聞いてみた。

 黒人の女は、何でそんな事聞くのかという顔で、大笑いを始めた。

「いくら東洋人が若く見えると言っても、不自然だったそうです」

 村上は言った。

「ミセス・アリシアは、有能な検疫技師ですから」

 医者とは、少し違う職種らしい。

「そう。ありがとうって伝えといて」

 トリコは、村上に言った。


 村上は、思った通り大学生で、通訳はアルバイトだと言った。

「出身は九州の大分なんですけど、両親の仕事で子供の頃こっちへ来て、もう十年になります」

 鯖丸とは逆のパターンだ。

 通訳は、ざっくりして愛想がないが、意外と親切な娘で、連れの二人と合流するまで、一緒に居ましょうと言ってくれた。

「案内板の表示も読めないのに、一人で行動するのは無理ですよ」

「匂いで捜してくれると思うよ。連れの一人はハイブリットだし」

 ロビーの様な場所は、割合賑わっていた。

 地球に比べると、ハイブリットもかなり多い。

 それでも、ジョン太の様なタイプは、少なかった。

「もう一人は、こっち出身で、地球に住んでる学生のバイト。話が合うかも」

「学生なのに、重要な仕事を任されているなんて、羨ましいです」

 村上は言った。

「まぁ、バカで軟派だけど」

 トリコは言った。

「連絡先なんか教えたら、あっという間にどっか連れて行かれるから、気を付けろよ」

 当のバカが、ジョン太と二人でやって来た。

「この子、通訳の村上さん。彼女のおかげで、医療事故が起こらないで済んだよ」

 トリコは、二人に説明した。

「そうか、ウィンチェスターです。うちの如月がお世話になりました」

 ジョン太は、礼を言った。

「いいえ、こちらで通訳のご用があったら、いつでも呼んでください」

 村上は言った。

 じゃあ、私はこれで…と去りかけて、ふと立ち止まって聞いた。

「あの…ウィンチェスターさんって、木星の…」

「ああ、別人。親戚でも何でもないから」

 ジョン太は、適当な事を言って、その場を後にした。

 鯖丸は案の定、どこに住んでるの…とか聞いている。

 昔は、こんな子じゃなかったのに。


 その日は、ステーションで一泊する事になった。

 明らかに観光客向けではない部屋の鍵をもらい、送っておいた荷物を受け取った。

 重量の制限があるので、中身は着替えくらいだ。

 周囲は、どこまで行っても建物の中で、この辺りから宿泊施設で、ここからが商業施設という様に切り替わりはするが、当然、何処まで行っても外には出られない。

 トリコは、低重力で歩く練習の為に少し遠出したが、すぐに飽きて来た。

 食事は変な味だし、空気も水も、何の匂いも味もない。

 何だかもう、地球に帰りたくなって来た。

 人の少ない方に歩いていたら、突き当たりに大きなドアがあった。

 勝手に入っても良さそうなので、ドアを押して入った。

 中は、少し薄暗かった。

 床にだけ照明を入れた、体育館くらいの場所に、ぱらぱらと人が居て、思い思いに寛いだり、話し込んだりしている。

 上を見上げると、巨大な青いものがあった。

 落ちて来そうだ。

「地球だ…」

 初めて見た。

 しばらくぼんやり見上げて、回りの何人かがしている様に、床に寝転んでみた。

 いい感じだ。

 観光客が入れる区画ではないし、周囲はここの住人と、コロニーの人間なのだろうが、特に話しかけられたり、じろじろ見られる事もなかった。

 寝転んでいる間に、ちょっとの間うとうとしてしまった。

 部屋に戻って、寝る事にした。


 部屋に戻ると、ジョン太がドアの前でイライラしながら待っていた。

「一人で、どこ行ってたんだ」

 心配していたらしい。

「散歩」

 トリコは答えた。

「歩く練習しとこうかなと思って。ぶらぶらしてたら、展望室みたいな所に出たから、しばらく寝てた」

「ほんと、自由な感じだよな、お前ら」

 ジョン太は、ため息をついた。

「よく、一人で帰って来れたな」

「来た道を戻るだけだろ」

 それが出来ない奴も、いっぱい居るんだが…。

「お前らって、鯖丸も居ないのか」

 トリコは聞いた。

 まさか、本当に村上とどっか行っちゃってるのか。

「どうにかしてくれ、あの、暴れん坊悪魔将軍」

 ジョン太はしばらく頭を抱えていたが、全てを投げたらしく、自分の部屋の戸を開けた。

「十時間後に集合。遅れるなよ」

「分かった」

 四畳間ほどの部屋に、必要な物は全て揃っていた。

 風呂はないが、シャワーも使える。

 アラームをセットして、体を洗ってから、用意されていた服に着替えて寝た。


 特に、昼夜の設定はされていないらしい。

 十時間後に、身支度を調えてドアの外へ出ると、寝る前と全く変わらない光景があった。

 ジョン太も、ぼんやりした顔で、目をこすりながら部屋から出て来た。

 何度も、仕事で一緒に泊まっているので、寝起きはいつもこんな感じなのは知っていた。

 強面のおっちゃんが、すっかり素に戻ってしまっている。

 鯖丸だけが、寝起きなのに元気いっぱいで、廊下の向こうから、すごい速さでぶっ飛んで来る。

 きっちり身支度を調えて、少ない荷物を入れたいつものディバッグを持って、何で泊まってる部屋じゃない方からやって来るんだ。

「お早う、待ったー?」

「待ってねぇけど、お前には色々聞きたい事がある」

 ジョン太は言った。

「別にいいじゃん。仕事中って云っても、休み時間だし」

 だから、連絡先教えるなって言ったのに…。

 トリコは、村上の顔を思い浮かべた。

 どんな悪さをされたんだか…。

「いいけどお前、あんな真面目そうな娘を、カメハメ師匠伝授の、四十八の必殺技で」

 ジョン太は、鯖丸の首を絞めた。

「やってないよ」

 鯖丸は反論した。

「一回しか…」

 小声で付け加えた。

「彼女、地球に行きたくてバイトしてるって言うから、色々話してて。何て言うか、その場の流れで」

「お前が、土石流を引き起こして、強引にそっちへ流したんだろうが」

 信用度ゼロだ。

「もういい。後はカメハメ師匠、説教しとけ。行くぞ」

 歩き出してしばらくして、トリコは気が付いた。

「ええ、カメハメ師匠、私?」


 一つ下の階層に降りると、シャトルバスが走っていた。

 ステーション全体に番号が割り振られた路線図が、壁のあちこちに表示してあって、バスは内回りと外回りの二種類が、リング状のステーションを運行していた。

「山手線みたいなもんなんだ」

「基本的にはそうだな」

 字が読めないトリコでも、迷わない構造になっている。

 別れていた観光客も、交通機関では合流している。

 観光なのに、あの検疫は厳しいだろうなぁ…と、トリコは思った。

 地球にも、観光地なんていっぱいあるのに、そんなしんどい思いをしてまで、宇宙に行かなくても…。

 検疫まで受けて、この辺をうろうろしている観光客は、ここから更に月まで行く団体だという事を、トリコは知らなかった。

 観光客も、ステーションの人間も、誰一人乗り降りしない場所で、ジョン太はバスを降りた。

 案内表示の文字が読めている鯖丸にも、どこへ向かっているか分からないらしく、怪訝な顔で後に続いている。

 ここに着いてから渡された身分証を提示し、どんどん奥へ進んだ。


 奥まった場所にあるあるその部屋は、何となくオフィスだという事が分かった。

 中に入ると、二人の人間が待っていた。

 どちらもハイブリットだ。

 一人は、多少特徴が出ているだけの、通常のタイプで、三十代後半から四十歳くらいに見えた。

 もう一人は、ジョン太の様な先祖返りタイプで、こういうタイプにはありがちだが、外見からは年齢が分かりにくい。

 何となく、若そうだなという印象だ。

 通常タイプのハイブリットの男は、部屋に入って来たジョン太を見ると、ひどく懐かしそうに、表情を崩した。

 歓迎しているというより、今にも泣き出しそうだ。

「お久し振りです、中尉殿」

 びしりと敬礼して、言った。

「止せよ。退役して何十年経つと思ってるんだ」

 ジョン太も、旧知の親友に、久し振りに会ったという表情だ。

 二人は抱き合って、互いの背中を叩いた。

「十四年でしょう。ボケたんですか」

「気持ちの問題として、それぐらい経ってんだよ」

 ジョン太は、鯖丸とトリコを振り返った。

「今回の依頼者の代理人で、昔の同僚。国連宇宙軍のマクレー少佐だ」

 二人に、日本語で説明してから、英語に戻った。

「出世したなぁ…。ああ、こいつらがトリコと鯖丸だ。うちで、一番腕の立つ魔法使いだよ」

 マクレー少佐は、不審げに、二人の東洋人を見た。

 どう見ても、子供だ。事前に渡された資料には、二十二才と三十三才という、信じられない設定の年齢が書いてあったが。

 それから、気が付いて尋ねた。

「もしかしてこの子が、R13の…」

 どうせ、宇宙に来れば、この話題は出ると思っていた。

 鯖丸は、聞かれる前に自分から名乗った。

「武藤玲司です。R13出身の」

「驚いた。地球人にしか見えないな」

 マクレー少佐は言った。

 そんな事を言っている本人も、がっちりした体格で、宇宙で暮らしている様には見えない。

 目鼻立ちにハイブリットの特徴は出ているが、外見はおおむね、ラテン系の白人だ。

「雄次郎とは、何度か一緒に仕事をした事があるが」

「父をご存じですか」

 鯖丸は尋ねた。

「優秀な建築技師だったな。君も、そういう方面に?」

「いいえ、エンジン開発志望です」

 英語が分からなくて、会話に入って行けないトリコは、辺りを見回していて、もう一人のハイブリットと目が合った。

 ジョン太とは違って、猫科のハイブリットらしく、外見は随分違うが、毛皮に覆われているのは同じだ。

 短い、真っ黒な毛に覆われた顔の中で、金色の目がこっちを睨んだ。

 外見から年齢は分からないが、雰囲気は生意気な若造だ。

 ちょっと肩をすくめて、やれやれという感じで笑ってやると、視線を逸らせた。

 二人の様子に気が付いたマクレーは、少し離れた場所に立っているハイブリットに目をやった。

「バーナード軍曹です。あなた方のサポートとして、同行させます」

 猫っぽい男は、ふん…という感じで、三人を見てから、腕組みして壁にもたれた。

 あまり、態度は良くない男だ。

 上下関係の厳しい軍隊で、よくやって行けるなぁ…と、ジョン太は感心した。

 それだけ、能力は高いのかも知れない。

 よろしくと言って握手を求めたが、無視された。

「すみません。こんな奴ですが、仕事はきちんと出来ますから。魔界に入った経験もありますし、多少は魔法も使えます」

 大体、軍人として上手くやって行ける様なタイプの人間は、魔法使いには向いていない。

 こいつなら、魔力はそこそこ高そうだ。

「バーナード軍曹、皆さんをシャトルに案内しろ。現地へ向かう」

「はい、少佐殿」

 一応、形通りに敬礼して、バーナードは付いて来いと言う風に三人を振り返って、歩き出した。


 三人には何の説明もなく、バーナード軍曹はシャトルへ向かった。

 低重力に慣れていないトリコには、付いて行けないスピードだ。

 ディバッグを背負って両手を空けた鯖丸は、トリコを小脇に抱えて後を追った。

「待てよ。こっちは素人も居るんだから」

 バーナードは、ちらりと振り返った。

「連れて来るな、そんな奴」

 どんどん先へ行こうとするバーナードを、ジョン太は襟首を掴んで止めた。

「待ってやれ」

 振り返って、鯖丸にも言った。

「自分で歩かせろ。早く慣れてもらわないと困る」

「最初からは無理だよ」

 鯖丸は、文句を言いながら、トリコを床に下ろした。

「こんな仕事、俺一人で充分だったのに…」

 バーナード軍曹は、不愉快そうに言った。

「何で、ガキとじじいのお守りなんか…」

「ジョン太、この猫、殴っていい?」

 鯖丸は聞いた。

「やめとけ、こいつ戦闘用ハイブリットだ。お前が竹刀持ってたって、かすらせるのも無理だよ」

 ジョン太以外の戦闘用ハイブリットを初めて見た鯖丸は、へぇ…という顔をした。

 ジョン太よりは、体も一回り小さくて、体型も華奢だ。

 身のこなしがただ者でないのは、歩いているだけで分かる。

「俺みたいな、先祖返りじゃなくて、生粋のハイブリットだしな。こいつとガチでやったら、五分持たねぇかも」

「五秒も要らないぜ」

 日本語で話していたのに、バーナードが言った。

 えっ…という顔をしていると、ポケットからカード型のラジオの様な物を出して、トリコの方へ投げた。

「翻訳機だ。ここに居る間、お前に貸与される」

 トリコは、飛んで来た小さな機械を受け取った。

 バーナード軍曹の胸ポケットにも、同じ様な物が入っていて、首筋から細いコードが繋がっていた。

 一応、どういう人間が来るかは、きちんと把握していたらしい。

「最初に言っておくが、俺の足は引っ張るなよ。パチもんの犬とどんくさいガキでも、それくらいは出来るだろう」

 言い捨てて歩き出したが、何げに歩調をトリコと合わせている。

 鯖丸は、本気で殴るつもりらしく、周囲に棒的な物はないかと、きょろきょろし始めた。

「いい…君はすごくいいよ、バーナード軍曹」

 ジョン太は、生意気な青年の肩を叩いた。

「自分の立ち位置が良く分かってるのが、いい」

 壁に付いたパイプ状の手すりを、強引に引っこ抜こうとしている鯖丸と、翻訳機の設定に夢中になって、周囲の状況など我関せずのトリコを、振り返った。

「人の話は聞かないわ、勝手な行動は取るわ、おまけに自覚症状がない。魔界関係なんて、こんな奴らばっかりだよ」

 確かに、こいつらひどいな…と、バーナード軍曹は考えた。

 上司のはずのウィンチェスターの話は聞いてないわ、タメ口だわ、備品は壊そうとするわ。

「君は、生意気で協調性の乏しいくそガキだって事を、自分で分かっているのがいいね。やりやすい」

 反論しようとしたが、ウィンチェスターは、鯖丸とか言うガキに近寄ってぶん殴った。

「壊すな、バカ。お前の刀なら、向こうで受け取れる」

「今、殴りたいんだよう」

 首根っこを掴んで引きずられながら、鯖丸は言った。

 いいざまだと、ちょっと笑ったバーナードは、はっと気が付いた。

 待て…ウィンチェスターの奴、今、さりげなく恐ろしい事を言わなかったか?

「おい、向こうでってどういう…」

「魔界では、何て呼べばいいんだ」

 質問を無視して、ウィンチェスターは言った。

 ダメだ、このおっさんも、基本的に人の話は聞いてない。

「フリッツ」

 バーナード軍曹は、昔のアングラマンガに出て来る、猫の主人公の名前を口にした。


 シャトルは、U08が属している、企業コロニーへ飛んだ。

 いくつかの企業が共同出資して、様々な研究開発を行っている所だ。

 昨今は、国よりも企業の方が力を持っている場合も多い。

 下手な国家予算より、莫大な金が動いているはずだ。

 ハンマーヘッドと呼ばれている中規模コロニーは、ステーションからシャトルで一日半かかった。

 狭いシャトル内で、それ程仲の良くない四人で過ごすのは不安だったが、特に何の問題も起こらなかった。

 鯖丸もフリッツも、デフォルトで敵の多い生意気な若造なので、仲の悪い奴と過ごすのは慣れ切っている。

 トリコは、マイペースで、周囲の事などあまり気にしないし、自分だけがストレスを溜めている気がして、ジョン太は釈然としなかった。

 コロニーまでは自動操縦だったが、着陸する時には、フリッツが操縦桿を握った。

「俺やりたい。替わってよ」

 鯖丸が、コクピットに食い込んで来た。

「八年ぶりに宇宙へ来た様なガキに、任せられるか」

 フリッツは、鯖丸を追い払おうとした。

「出来るよ。もっと大きい船でも、やった事あるし」

 それ、絶対無免許だ。

 人手の足りないマイナーコロニーでは、子供にも普通に船外作業をやらせたり、操縦桿を握らせたりするが、あくまで大人の監修の元だ。

 船同士のドッキング程ではないが、着陸は割合むずかしい技術なのだ。

「やってみろ」

 ジョン太は、おそろしい事を言って、フリッツを助手席に移した。

「どの程度やれるか、見ておきたい」

 失敗したら、フォローするの俺かい…。

 八年前とは、多少仕様が変わっているらしく、最初は少しもたついたが、鯖丸は、何事もなくシャトルを着陸させた。

 コードを首から抜いて、鯖丸は文句を言った。

「プラグの規格、変わったんだ…。向こうからの誘導が、全然受信出来ない」

「現場では、誰も誘導なんかしてくれないんだ。いい練習になったじゃないか」

 今、どんな危険な事が起こっていたか、全く分かっていないトリコは、やっと着いたと喜んでいる。

 何て恐ろしい奴らだ。

 八年振りに無免許運転したガキに、目視だけでの着陸なんかさせるな。

 コクピットに戻って、シャトルを出る準備を始めようとするフリッツの襟首を掴んで、ジョン太はもう一度助手席に戻した。

 ちらりと、燃料計を確認し、自分がコクピットに座った。

「俺も一回練習しとこ。久し振りだし」

 まだ開いている発着場から、勝手に出てしまった。

「待て、貴様の久し振りって、このガキどころの話じゃないだろう」

 確か、退役したのは十四年前だったはず…。

 その辺を、乱暴に一回りして、もう一度着陸態勢に入った。

 プラグを装備していない者が操縦する為に、ちゃんとヘッドレストの下に音声指示装置が入っているのに、スイッチも入れていない。

 仕様が変わったから、分からないとかじゃなくて、絶対わざとだ。

「止めろー、十四年振りだろてめぇ、殺す気か」

「神経質だなぁ、フリッツは」

 ジョン太は笑った。

「十七年振りだよ。隊長になってからは、あんまり自分で操縦させてもらえなかったし」

 さすがに、鯖丸も顔色を変えた。

「待て、ジョン太。俺と代われ」

「くそっ、こっちに操縦権よこせ」

 大騒ぎする鯖丸とフリッツを無視して、スピードを殺さず着陸点に突っ込んだジョン太は、機体をスピンターンさせて、ラインの上にぴたりと止めた。

 モニターで外を確認したジョン太は、ちょっと肩を落として言った。

「ダメだ、10センチずれてる」

 操縦させてもらえなかったのは、当然だ。何、この大人げない運転。

「普通に運転しなよ、ジョン太」

 鯖丸は言った。

「車庫入れが面倒でな」

 停止してから、格納スペースに持って行って、ライン上に並べるのが面倒くさかったらしい。

 もう降りるつもりでシートベルトを外していたトリコは、天井に張り付いていた。

 別に、怖がっている様子もない。

「えーと、じゃあ次は私?」

「それはない」

 さすがに、全員が言った。


 軽装宇宙服を着けて、シャトルを降りてエアロックを抜けるには、そこそこ時間がかかった。

 車庫入れを短縮したがった、ジョン太の気持ちも、分からないでもない。

 発着場そのものをエアロック構造にしていないのは、きっと予算の関係だろう。

 ハンマーヘッドと云うより、合体させた竹とんぼに似たコロニーは、低重力エリアの方が多い構造になっている。

 両端にある、高重力のエリアは、生活空間と、重力が必要な施設に使われているらしかった。

 宇宙服を着るのも、エアロックを使うのも初めてのトリコは、もたもたしながら皆の後に続いた。

 宇宙服の着脱は、慣れていてもある程度の時間はかかるものだ。

 子供の頃から宇宙に居た鯖丸が、一番早かった。

 どうやらフリッツは、ずっと宇宙に居た訳ではないらしい。

 着替え終わった鯖丸は、トリコが、中途半端な昆虫の脱皮みたいな状態になって、じたばたしているのに気が付いた。

 手伝ってもいいか、ジョン太に聞こうとしている間に、フリッツが後ろから掴まえて、姿勢を安定させた。

 余計な手出しをし過ぎない、的確な補助だ。

 ああいうのは、俺には出来ないな…と思った。

 宇宙服を脱ぐと、ほぼ下着の様なアンダースーツ一枚になってしまう。

 慌てて、補助しているフリッツと替わろうとしたが、フリッツはスーツを支えたまま向こうを向いて、後ろ手で着替えの入ったショルダーバッグをトリコに渡した。

「ありがとう」

 トリコは言った。

 フリッツの翻訳機には、たぶんサンキューとかメッセージが出ているはずだ。

「別に、時間がもったいないだけだ。早くしろ」

 ツンデレ…こいつもしかして、ツンデレなのか。

 アンダースーツの上から服を着たトリコは、お待たせと言った。

「じゃあ、行こうか」

 ジョン太が先に立って、エアロックから、低重力エリアへ出た。


 本来の依頼者で、U08を所有する、ハーマン社のエージェントに会ったのは、それから数時間後だった。

 高重力エリアに入り、食事を済ませて身形を整え、しばらく休憩した。

 地球よりは低いとは云え、数日振りにがっつりと重力に引っ張られて、体が重く感じる。

 しばらくの休憩は、その為の配慮だったらしい。

 フリッツは、宇宙服を脱いだ時に、軍服を仕舞って私服に着替えていた。

 軍が調査に協力するのはともかく、軍人のマクレーが、依頼者の代理人だったのも、考えてみればおかしな話だ。

 何か、複雑な事情があるのかも知れない。

 エージェントは、すっきりと片付いたオフィスの一室で待っていた。

 ヤン・コーウェンですと名乗って、握手を求めた。

 肌の色は浅黒いが、人種ははっきりしない。割合、背は高い男だ。

「ジョナサン・ウィンチェスターです」

 ジョン太は、差し出された手を握った。

「貴方が、あの?」

 その辺の話題は、軽く流したいらしいジョン太は、後ろの三人を紹介した。

「うちの魔法使いで、如月トリコと武藤玲司です。それから、サポートに入ってもらってるルイス・アレン・バーナード軍曹」

「魔法使いという職種の方は、初めて見ますが…若いですね、二人とも」

 コーウェンは、首をかしげた。

 頼りないという意味だ。

 トリコが実年齢より若く見えるのは仕方ないとして、俺は一体、幾つぐらいに見られてるんだろう…と、鯖丸は不安になった。

 日本では、最近高校生に間違われる事は、少なくなったのだが。

「二人とも、それなりの実績とキャリアのある魔法使いです。ご心配なく」

 コーウェンは、うなずいて、皆に椅子にかける様に勧め、自分も座った。

「U08の現状は、ご存じだと思いますが…」

「報道された程度の事なら」

 ジョン太は答えた。

 翻訳機の音声通訳は、ワンテンポ以上遅れるので、トリコは翻訳機を手に持って、テキストモードで確認している。

 どちらのモードも、細かいニュアンスは伝わらない。会話の内容を把握する程度だ。

「実は、魔界側に位置するエリアの状況は、こちらでも確認出来ないのが現状です」

 コーウェンは言った。

「ただ、水耕栽培の実験プラントが…何て言うんでしたっけ、魔導変化…している可能性があります」

 植物が魔導変化する事自体は、魔界では珍しくない。

 しかし、所長が言っていた様な、モンスター的な物になってしまう事は、ごく希だ。

「普通の水耕栽培プラントだったんですか」

 ジョン太は聞いた。

 コーウェンは、しばらく迷ってから、言った。

「完全閉鎖生態系の実験を行っていました」

 成功すれば、外部からの補給無しに、宇宙空間で生活出来る。

 素晴らしい技術だが、本当に完成されれば、今までコロニー相手に利益を上げていた企業や国家が、経済的に大きなダメージを受ける。

 複雑な利権が、絡んでいそうだった。

 おまけに、閉鎖生態系なら、植物だけが運用されていた訳ではない。

 様々な動植物と、複雑なバクテリアの類まで投入されていた可能性が高い。

 どんな魔導変化をしているか、見当も付かない。

「どの程度の規模だったか知りませんが、プラントごと回収するのは、たぶん不可能ですよ」

 ジョン太は言った。

「その辺りはもう、諦めました」

 コーウェンは言った。

「データとサンプルを回収していただければ充分です」

 それだけにしては、何か言いにくそうに口ごもった。

「それから、これは非公式なのですが」

 やっぱり、何かあるんだ…と、全員が思った。

「内部にまだ、生存者が居る可能性があります」

 フリッツも、全く知らなかった話らしく、ぴくりと耳を動かした。

「可能なら、救出をお願いします」


「可能ならじゃねぇだろ。そっちが先じゃないか」

 鯖丸は、椅子を立ち上がって、コーウェンの襟首を掴んだ。

「俺らなんか呼びつけてる間に、今すぐ行け。どういうつもりだ」

 怒鳴っている鯖丸を掴まえて、ジョン太は椅子に頭から叩き込んだ。

「落ち着け」

 椅子ごと床に転がった鯖丸に、ジョン太は言った。

「だって…」

 鯖丸は反論しかけた。

「二重遭難するくらいなら、救助は諦めるのが常識だろ。分かれ、それぐらい」

 鯖丸は、黙って床に座った。

「救助…というか、探索は試みました」

 コーウェンは言った。

「プラントの周囲に、酸素濃度の高い、生存可能なエリアが在るのは確かです。事故で遺体が確認されていない九人の内、誰かが内部に居ます」

 机の上のモニターに、画像を呼び出した。

 HELPと書かれた外壁の一部らしい板が、映された。

「二度目の捜索時に、魔界の外縁で発見されました。一度目には、無かった物です」

 モニターの倍率を上げて、文字をアップにした。

「これを書いた人間が、まだ生存している可能性は低いですが…」

 拙い文字だ。

 トリコの様に、ほとんど英語が分からない大人でなかったら…。

 宇宙には、そんな人間はあまり居ない。

「子供…?」

 鯖丸は聞いた。

 地球でも宇宙でも、大事故からの生還率は、子供の方が高い。

「行方不明者の中で、子供は一人だけです。メアリー・イーストウッド。プラントに係わっていた植物学者の子供です」

 モニターに、幼い子供の顔が映った。

 薄い色の巻き毛で、少し浅黒い顔の、人種は良く分からないが、可愛い女の子だ。

「私の孫です」

 コーウェンは言った。

「公式には、彼女の救出を最優先させろとは言えません」

 辛そうな口調だった。

「あなた方の、現場での判断にお任せします」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ