悪役令嬢をしなかった結果
どうあがいても原作の修正力に勝てなかった話。
アンルーチェ・フィヴリスはとある作品の悪役令嬢だった。
そんなアンルーチェになって転生した、と気づいた時点で、対策を練るのは当然の流れで。
そりゃあ、婚約者である王子とヒロインがくっつこうというのであれば、邪魔者であるヒロインを排除しようと思うのは当然の流れだったのかもしれないし、結果それが作品として見るのなら悪役令嬢になってしまったというだけなのかもしれないが。
婚約者を奪われる形になるにしても、ヒロインを虐めてその後大勢の前でそれらの事実を大々的に周知させられて婚約破棄を言われるなんて事にはなりたくなかった。
ヒロインと結ばれるにしても、それならそれで内々に婚約の解消をしてもらった方がまだマシだ。
アンルーチェの生まれを思えば、それはそれで困るのだけれど。
ヒロインを虐めるつもりは元々ない。
王子とくっつくようであるのなら、それはそれで浮気として相応の賠償くらいは……と思わないでもないが、前世で見た作品と同じ展開に果たして本当になるかしら? という思いもあった。
よく似ただけの別世界ではないのかしら、と。
ただ、それでもここが前世で知った作品と全く同一の世界である可能性も捨てきれない。
転生した事で、中身は原作と異なるのは断言できるのだけれど、それ以外の部分が原作と異なるか、というところまでアンルーチェには判断できなかった。
それでも悪役令嬢として断罪されるのはごめんである。
だからこそ、アンルーチェはとにもかくにも頑張った。
周囲の人間関係も、将来王妃となるべく必要なあれこれも。
誰が見ても素敵な淑女として、余計な敵を作らないように立ち回った。
ついでに、婚約者の王子含め、その他の登場人物たちの悩みも解決するべく奔走した。
本来ならばヒロインが解決するべき部分である。
原作では王子とヒロインがくっつくだけなら、周囲の反応は微妙だったかもしれない。悪役令嬢サイドの言い分はあくまでも婚約者と不貞行為に及ぼうとした泥棒猫を排除しようとした、という事なので、その言い分であればまぁ、他にもそうだね、と賛同してくれた人はいたはずだ。
しかし原作ではヒロインがその他の登場人物たちの悩みを解決し、味方を増やしていた事で。
王子以外にもそれなりに権力を持った相手がヒロインの味方について、結果悪役令嬢は失脚するのである。
だからこそ、アンルーチェは彼ら彼女らの悩みを解決するべく一肌脱いで、見事にヒロインと同じくやり遂げたのだ。
しかしその結果何が起こったか、と言えば。
「すまないアンルーチェ、婚約を、解消してほしいんだ」
婚約者であった王子――ロレンスからの婚約解消である。
「どうして……」
「既に陛下には伝えてある。してほしい、という言い方は適切ではなかったね。既に僕たちの婚約は無かった事になってしまった」
「えっ……」
「僕はね、どうしても一緒にいたい人ができてしまった。彼女と生きたいと願ってしまったんだ。
こんな僕は王族失格で、将来の王になんて到底相応しくない。
だから、下りる事にしたんだ」
わけがわからなかった。
ロレンスが本来ならば次の王で、アンルーチェの夫となるはずだった。
「それでは、次の王は」
「あぁ、弟に譲った。イアンならきっといい王になれる。
きみには申し訳ないと思っている。できる事なら、僕の事を忘れてイアンを支えてやってほしい。
ここだけの話、彼の初恋なんだ。きみは」
「えっ……」
ロレンスの弟であるイアンは、年齢としては一つしか違わない。
年子というわけではなく、ロレンスが正妃の産んだ子でイアンは側妃が産んだ子だ。
ロレンスの母――マリアンヌはあまり丈夫とはいえない方で、それ故に自分だけで世継ぎが生まれるかどうか……という不安を抱えていた。
故に結婚直後にすぐさま側妃を迎えて下さいと懇願したのである。他の家臣から言われたのであれば王とて耳を貸さなかったかもしれないが、愛する妻からの言葉である。
万が一の可能性があまりにも高いから、と不安に陥り、せめて側妃がいるなら自分の子が産まれずとも……とあまりにもマリアンヌが必死に懇願するものだから、王とマリアンヌを支えたいと側妃としてマリアンヌの従姉でもあるロザンナが選ばれた。
まるで予言だったかのようにマリアンヌはロレンスを産んだ直後に死に、世継ぎが一人だけでは万が一の可能性もある。
病気や事故、はたまた暗殺の可能性。そういったものだけではなく、とんでもなく無能に育ってしまってこれでは後継ぎにはとてもじゃないが……なんていう、教育係でも匙を投げるかもしれない可能性まで未来には様々なものが潜んでいるので。
マリアンヌの生前の願い通り、王はロザンナとも子をなして、そうして生まれたのがイアンである。
ロザンナはマリアンヌと仲が良かったので、彼女が産んだ忘れ形見とも言えるロレンスも我が子のように可愛がった。
故に、正妃だ側妃だと言ってもロレンスとイアンの仲は良好ですらあったのだ。
そもそも身分的にもマリアンヌとロザンナの差は無いと言ってもいい。
家同士の確執だとか、身分差だとか、正妃と側妃という立場の違いだとか。
そんなものは無いに等しかった。
イアンにもまたロレンスと同様の教育がされていたのもあって、ロレンスが王の座を辞退するとなっても特に問題はない。
強いて言うならば結婚相手に関してだが、王妃として相応しい女性として教育もされたアンルーチェがそのままイアンの妻となれば何も問題はない。
しかもイアンは昔からずっとアンルーチェに恋焦がれていた。
「きみなら立派に国母としての役目を果たしてくれるだろう。
僕は、王族として相応しくなかった。ごめんね」
自嘲するような笑みに、アンルーチェは言葉を失ってしまって。
どうして、という気持ちと、引き留めたい気持ち。けれど引き留めるにしたって何を言えばいいのかわからなくて。
言いたいことだけ言って去っていくロレンスを、アンルーチェはただ見送るしかなかったのである。
もしもの展開を、想像しなかったわけじゃない。
前世で読んだ別の作品では、悪役令嬢に転生したけどヒロインがやるはずだった攻略を一足先に実行して、全員こっち側につける、なんていうのもあった。
その場合、同じく転生者だったヒロインが悪役令嬢に敵対して、原作では断罪されるはずだった悪役令嬢が断罪されず、ヒロインがその立場になってしまう、なんていう展開もなかったわけじゃないのだ。
けれど、アンルーチェは。
ヒロインを虐めるつもりなんてなかったし、本来ヒロインがやるはずだったお悩み解決を自分がやったのは虐めのつもりでもない。自分はただロレンスと結婚して、国を支えていくつもりだっただけなのだ。
そのために、ヒロインがロレンスとくっつくのを回避したかっただけなのである。
もし、仮にヒロインが転生者で、ロレンスと結ばれるのは自分のはずだったのに! なんて言われたら申し訳ないがその場合はどうにか対処するつもりではあった。
けれども、ロレンスではなく他の登場人物の誰かを狙っている、とかであれば、協力することもやぶさかではなかったのだ。
そうでなくとも原作にいない誰かを好きだというのなら、それを応援するつもりでもいた。
ヒロイン――メリッサはどうやら転生者ではなかったようだけど、少々どんくさい少女であった。
おっとりしていて、優しくてお人好し。だから、困っている人を見かけるとつい手を差し伸べようとする、まさしくヒロインといった感じの少女であった。
けれどもアンルーチェがメリッサの活躍の場を奪う形となってしまったからか、原作開始時間軸に突入してもヒロインとしてやる事はほとんどないと言ってもいい。
結果として、メリッサは周囲の令嬢よりもおっとりしていて、時々ドジな面もある、というそそっかしい令嬢として周囲には知られていた。
原作が始まる前に既に登場人物たちのお悩みは解決しているので、メリッサがそんな彼ら彼女らと出会ってもこれといって繋がりはできなかった。
出会いの時点でハプニングに見舞われて、そうしてうっかり縁ができてしまった、みたいな状態が何一つとして存在しなかったのである。印象に若干残るかもしれない出会いも、次に繋がらなければその記憶が薄れてしまう。そうなれば次に出会った時には、「誰だっけ?」となってしまっても何もおかしくはないのだ。
だからメリッサがロレンスと出会って恋に落ちて……なんていう可能性も完全に消えていたはずなのに。
一体何がどうなってかは知らないが、ロレンスとメリッサは原作と異なる出会いをし、そうしてロレンスはヒロインらしい活躍をしてもいないのにメリッサに惹かれた。原作補正とするにはどうかと思う。
今更補正したところで、原作展開になるのは不可能だったからだ。
ロレンスにもまた悩みがあって、しかしその悩みはとっくにアンルーチェが解決に導いた。
自分を産んですぐ亡くなった母の事を、従姉とはいえ聞いてよいものか、という悩み。
イアンと同じくらい大切に育ててくれているけれど、しかしロザンナの子はイアンで。ロレンスではない。
自分の事が重荷になっているのではないか、と悩んでいたロレンスに寄り添って、原作よりも早い段階でその悩みを解決に導いて、これで安泰だと思っていたのに。
学園で出会い恋に落ちるはずのヒロイン。
けれども彼女と出会っても、ドラマチックなイベントなんて何も起きなかったはずだ。
本来原作でヒロインがやるはずだった部分は事前に全て、アンルーチェが終わらせてしまったのだから。
故に学園生活では何か大きな事件が起きるだとか、様々なトラブルが発生するだとか、そういった事は何もなかった。
平穏で穏やかな学生生活。
何事もなく終わり、そうして卒業後、アンルーチェはロレンスと結婚して王妃になるはずだったのに。
何も、本当に何もなかったはずだ。
学園で見かけたメリッサはどんくさくて、アンルーチェが見かけた時、たとえば足をもつれさせて転んだりだとか、持っていたレポートが風に飛ばされてしまったのを慌てて追いかけていたりだとか。
アンルーチェの周辺は穏やかであっても、メリッサの周辺は少々賑やかというか騒々しくはあったのかもしれない。
けれども、ロレンスがメリッサと関わるような事はなかった。
少なくとも、アンルーチェが把握している範囲では。
けれどもこうなってしまった以上、ロレンスはどこかでメリッサと出会い、そうして大きなトラブルや自身の悩みなどといったものに関するあれこれがなくとも。
穏やかで、それでいて少しだけ騒がしい日常を過ごし、そうして惹かれたのかもしれない。
大勢の前で婚約破棄を突きつけられたりはしていない。
断罪とかざまぁ返しとか、そういったものをアンルーチェだって別に望んじゃいなかった。
結果として、ロレンスは自ら王族である事をやめ臣籍降下し、メリッサと結ばれる事を選んだ。
原作でもメリッサと最終的に結ばれる二人ではあった。けれども原作では、悪役令嬢を断罪しそうして今までアンルーチェがいた立場に、ヒロインであるメリッサが、という流れだった。
メリッサが王妃となる事はない。
けれども、ロレンスが王となる事もなくなってしまった。
既に話は通してあると言っていた。
後日、何もなかったかのようにアンルーチェの婚約者はロレンスからイアンへ変更されるのだろう。
原作では王妃として相応しくないと言われ婚約破棄をされ追放された悪役令嬢であったアンルーチェではあるが、しかしここではそのような事はなかったのだ。
それどころか先程ロレンスからは国母に相応しいとまで称された。
嬉しいはずなのに、嬉しくなかった。
悪役令嬢にさえならなければ。
そうしたら、メリッサとロレンスはきっとその恋を燃え上がらせるような事になどなるはずがないと思っていたのに。
けれども、そんなアンルーチェの思惑とは異なり、原作での立ち位置こそ変化しはしたものの、ロレンスとメリッサはやはり結ばれてしまった。
そうならないために、事前に何もかもを解決させようとしただけなのに。
アンルーチェはアンルーチェなりにロレンスを愛していたから。
だからこそ、事前に障害を排除したつもりだったのに。
「結局こうなるの……だったら、いっそ悪役令嬢としてあの人の心の傷にでもなって残れば良かった……」
両手で顔を覆ってぽそりと呟く。
嫌われ続けてでも、あの人の心に残った方がこんな事ならマシだったかもしれない。
そう思っても、今からそう振る舞うわけにもいかず。
人知れず零れた涙は、アンルーチェの白いレースの手袋を濡らす事となったのである。
ちなみに最初からヒロインちゃんを殺して亡き者にしておけば……という蛮族的なルートを選ぶと何の非もないヒロインちゃんを害した事がどこからともなく噂として広まって嫌われるルートになります。どうあがいても上手くいかない。
次回短編予告
真実の愛 婚約破棄
けれどその真実の愛はおおっぴらにできないもので……!?
大衆に真実は明かされないけどまぁ大体皆幸せになってるはず。そんな話。