第35話③
みはる君と遊び始めて数ヶ月、私に生理が来なくなった。
それは、私の腹に命が生まれた事を意味する。
この時を待っていた。
最初は隠していたけれど、少しお腹が膨らんだあたりで父に話した。
「……そうか、なら相手の男とどこへでも行くがいい」
姉の時は怒っていた父は、私にはそれしか言わなかった。
予想通りの返答だ。
「……それは無理よ」
私は自分でも分かるくらいに不気味な笑みを見せた。
「だって、お腹の子の父親は、みはる君だもの」
そう言った瞬間、その場に居る全員が動きを止めて私を見た。
「は?みはるとの子供?あんたは何を言ってるの?みはるはまだ10歳よ?」
最初に発言したのは姉だった。
状況が理解できていない様子だった。
「だから、そのみはる君との子供よ姉さん」
私は事実だけを口にした。
それでも理解できないのか、姉は鼻で笑う。
父は机を強く叩いて言う。
「お前は相変わらず嘘が好きだな。4年前の時もそうだ。お前には呆れ……何がおかしい?」
ずっと笑みを崩さない私を見て、父は言う。
そして視線を私のお腹に向ける。
「……まさか、本当、なのか?」
「ふふ、ふふふ」
初めは、みはる君を自分のモノにする目的だったのが、私を見下した家族を絶望させるという目的に変わっていた。
私は全てを赤裸々に語った。
生々しく、当時の状況と、日付もしっかりと言った。
話していくうちに、姉や義兄さんも事実だと分かり始め、表情が青くなっていく。
父は声を荒らげているが、私には届かなかった。
この時は、絶望の表情へと変わっていく彼らしか目に入らなかった。
私は追い出されるように家を出た。
父には殴られ、姉には暴言を吐かれ続けた。
義兄さんは何も言わなかった。
けれど、母は違った。
私が出ていく日、母だけは駅まで一緒に歩いた。
何も話さず、さよならの言葉すら交わさなかった。
それなのに、最後に見た母の顔は、悲しそうな顔だった。
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「そうだ。あの時の目だ」
みはると呼ばれた男を見て、花野井 みさきはポツリと呟く。
「あの時の母と同じ目をしてる。悲しそうな顔」
みはるさんに向ける表情は、俺達に向けるものとは違う。
俺達に向ける視線が憎しみなら、彼に向けている目は恐れだ。
「……叔母さん、あなたは悲しい人です。家族に人生を壊され、幸せを失った」
「その目で見ないで!私を哀れむな!」
みはるさんは事実だけを淡々と述べるが、花野井 みさきは聞いていない様子だ。
それでも、みはるさんは続ける。
「大人を信用出来なくなったあなたは、何も知らない子供にだけ愛情を持つようになった。そして、何度も一線を超えたのでしょう。あなたの人生には同情します。けれど、許容はできません」
その言葉は花野井 みさきに届いたようで、彼女はみはるさんを睨みつける。
「ふざけるな!だったら、あんたの母親と父親が私にしてきたことは許容できることなのか!?私には子供達しかいないのよ!子供にしか、私の価値は理解されないの!だから─」
叫び続ける花野井 みさきをみはるさんは優しく抱きしめた。
警察の二人はみさきさんから手を離す。
驚いたのか、みさきさんは動けるようになったのに、動こうとしない。
「……もっと早くに会いに来るべきでした。子供だったからと言い訳にして、あなたを歪ませてしまった」
「……何言ってるの?あの時、あなたは何も悪くなかったのよ。あなたを襲ったのも私で、あなたとの子を産むと決めたのも私よ」
みはるさんの言葉は彼女に届いたのか、静かに言葉を紡ぎ出す。
「……でも、そうね。私を見ていたのは、あなただけだったわね」
「叔母さん、僕は─」
みはるさんが言いかけたところで、突き飛ばされる。
警察二人が構えるが、みさきさんは両手を上げて言った。
「自首するわ」
その言葉に警察二人は警戒したが、特に何も起こらず手錠をかけることに成功する。
あまりにも呆気ない幕引きに、俺達も混乱する。
「叔母さん……」
「勘違いしないでね。あなたに言われたからじゃない。もう疲れただけ」
その言葉通り、表情は暗いものだった。
もう逃げられないと悟り、諦めた表情。
みさきさんは親父の方を見ることはなく連れていかれそうになる。
「待てよ」
それを親父が止める。
警察二人も空気を読んでか、歩くのをやめ、みさきさんは親父の方をチラリと見る。
「言っとくが、俺はお前を好きになって結婚したんだからな」
予想外の言葉に、俺達全員が腰を抜かす。
ただ、みさきさん本人は動じない。
「ふっ、自分の息子が襲われといてそんな事言う?」
「確かに、結婚した事は後悔した。でも、あの時、お前と結婚しようって決めた時、俺はちゃんと花野井 みさきって女が好きだったんだよ」
俺はちゃんと見ていたぞ。
そんな気持ちを込めた親父の言葉。
「……その気持ちに、素直に応える事ができていたら、何か違ったかもね」
それを最後に、みさきさんは外に出る。
みゆうの方を見ることはない。
みゆうも母の顔を見ることができず、俯いている。
(これで終わり、でいいのか……)
そう思っても、俺には動くことができない。
みゆうも動かない。
みさきさんは警察に連れられ、パトカーに乗り込もうとしたその時
「お母さん!」
みゆうが家から飛び出し、そう叫ぶ。
みさきさんは足を止め、振り返る。
「お母さんがした事は、許されるようなことじゃないし、償わないといけないことだと思う。でも、」
みゆうは涙を堪え、笑顔で叫ぶ。
「でも、私に向ける愛情は温かかった、私にとっては、たった一人のお母さんだから!ずっと、待ってるから!」
その言葉を聞いたみさきさんの瞳には、涙が浮かんでいた。
膝から崩れ落ち、ただ一人の娘を見つめている。
それでも警察はみさきさんをパトカーに乗せて連れて行く。
「……どうして、もっと早く……」
そんなみさきの独り言を警察官だけが聞いていた。
みさきさんの乗ったパトカーが見えなくなり、その場は静まり返った。
俺はみゆうの隣まで行く。
見えなくなったパトカーの方をみゆうはじっと見ている。
「……もう、泣いていいと思うぞ」
「優しくすんな……」
みゆうが泣くことはなかった。
あんな女でも、みゆうにとってはたった一人の母親だ。
その母親と別れたというのに、強がりとはいえ大したものだ。
その時、後ろで砂を踏む音が聞こえた。
「……後は親子水入らずで」
それを最後に俺はみゆうの隣をどく。
みゆうが振り返ると、みはるが居た。
「……えっと、久しぶり、だね」
「……はい」
歪な親子の決着がつく時が来た