第35話①
玄関の前で一度深呼吸をする。
怖気付いてしまうかもと思ったが、意外にも俺は落ち着いていた。
みゆうも落ち着いているようで、逃げようとはしていない。
俺達は目を合わせ頷き合う。
みゆうが持っている鍵で解錠し、ゆっくりと開ける。
中は静まり返っており、物音ひとつしない。
「……ほんとに居るのか?」
「出かけてるって事は無いと思うけど……」
そう言った矢先、玄関から見て正面の扉が開かれる。
予想通り、扉からは花野井 みさきが出てくる。
いつものような取り繕った笑顔はなく、俺達を睨んでいるように見えた。
二人とも喉を鳴らす。
鼓動が早くなっているのが分かる。
「……みゆう、どういうこと?一週間は帰ってきちゃダメって言ったでしょ」
重く、暗い声、けれどしっかりと聞こえる。
「……もう、逃げるのはやめたの。この罪悪感からも、お母さんからも」
みゆうは気取りながらも、しっかりと自分の意思を伝えている。
みゆうの言葉に、花野井みさきの視線が俺に移る。
「……あなたの仕業?」
「なんのことですか?」
俺は敢えてとぼける。
「みゆうはこんな反抗的な子じゃなかった。あなたがそそのかしたんでしょ?」
「そそのかしてなんかいませんよ。これは、俺とみゆうの意思です。あなたに縛られ続けるのが嫌なので」
自分でも驚くくらいに落ち着いていた。
一度乗り越えた壁だからか、体も震える事はない。
「これ以上話しても私は変わらない。黄名子の弟はどこ?まあ、予想はついてるけど」
そう言って、みゆうは花野井 みさきの後ろの扉を見る。
おそらく寝室だろう。
「……ついに反抗期が来たのね。お母さんは嬉しい」
ここまでの敵意を見せてもなお、花野井 みさきはみゆうを我が子として愛している。
ここまで来ると、その愛情だけは認めなければならない。
けれど、その愛情がみゆうを苦しめている。
「みゆうに反抗期が来たのも、あなたたち親子のせいなのかしら……」
独り言のように呟く。
そして、俺ではなく、みゆうを睨みつける。
「……あなたまで、そんな目をするのね」
みゆうは言葉の意味が分からず首を傾げる。
「……私の事を見下している目。母さんも父さんも姉さんも絢也さんも絢士郎君もその目を私に向ける。そしてあなたも……」
そこまで言うと、花野井みさきはみゆうから目を逸らす。
それが何を意味するか、分からないほど俺達はバカではない。
愛情のこもった目は陰り、愛情のこもっていない目がみゆうを見据える。
「その点、子供はいいわ。みんな純粋で、私を好いてくれて、しっかりと見てくれる。私がここに居るって証明になる」
花野井 みさきが後ろの扉をチラリと見て言う。
ニヒルに笑うとは、こういう事を言うのだろう。
それほどに恐ろしい笑みだ。
その笑みを向けられても、みゆうの目は変わらない。
昨日までなら、ここで怖気付いたかもしれない。
でも、今は逃げられない。
友達を巻き込んでしまった以上、みゆうは逃げる訳には行かない。
その覚悟をしてきてる。
「……その部屋の中に、居るのか?」
「……ええ、でも、あなた達に何かできる?」
できないでしょ?と言うように笑う。
余裕のある表情だ。
自分が負けることなど考えていない。
その表情を見て、俺はニヤリと笑った。
「言質取った!親父!」
そう叫ぶと同時に、俺はみゆうの腕を引っ張り端に寄る。
玄関の扉から警察が二人と親父が乗り込んできた。
「な!」
これは予想外だったのか、花野井 みさきは驚きの表情を隠せない。
その隙に警察二人が花野井 みさきを抑える。
刃物の類は持っておらず、簡単に拘束できた。
親父は部屋の中に入り、一人の少年を見つける。
「男の子は無事。眠ってる」
その言葉を聞いて、俺は安堵の息を漏らす。
みゆうは何が何だか分からない状態でほうけている。
説明してやりたいところだが、今はそれどころではない。
親父は花野井 みさきの前まで歩み寄る。
「……久しぶりだな。みさき」
花野井 みさきは未だ困惑している。
「……あなたが動いてるいるのは知っていた。でも、まさか、絢士郎君を使うなんて……」
「使ってねえさ。むしろ、使われたのは俺だ」
親父の言葉に花野井 みさきは疑問を募らせる。
「まあその話は置いといて、お前に会いたいって人が居る」
親父の「入ってこい」という掛け声の後、若い男性が部屋に入ってくる。
みゆうには見覚えがあるのか、男性の顔を見て驚いている。
「……みはる、君」
「……お久しぶりです。叔母さん」
花野井 みさきの消え入るような声に、みはると呼ばれた男性は悲しそうな目で答えた。