第34話④
家に帰った俺は、リビングの扉を勢いよく開ける。
音に驚いた花野井はビクリと肩を跳ねさせ、ソファに座ったまま振り返る。
「な、何!?」
テレビが付いていないところを見る限り、ただ座ってボーッとしていたのかもしれない。
「話がある」
それだけ言えば、内容については予測できるだろう。
花野井も理解したらしく、顔を俯かせる。
「……ないでしょ。話すことなんて」
「お前になくても、俺にはある」
それでも黙り込む花野井、俺は許可をとることも無く花野井の隣に一人分空けて腰掛ける。
それからしばらく沈黙が続く。
どれだけ長い沈黙だろうと、俺から話すつもりは無い。
話があると言っておきながらなんだが……
それから何分経ったかは分からないが、花野井が諦めたのか口を開いた。
「……一週間、家を空けてくれってお母さんに頼まれたの」
「……それはなんで?」
「……数ヶ月前、よくウチに出入りしてる小学生がいたの。それがバレかけて、一時期来なくなったんだけど……」
「また、来てるのか?」
その問いに花野井は頷く。
「来てた子の中に、お母さんに特別懐いてた子がいたの。今思えば、あの時既に標的にしてたのかも……」
花野井は拳を震わせながら続ける。
「その子が、この一週間、家に帰らずずっとウチに居る。だから、私は追い出されたんだと思う」
それは、花野井 みさきがこの一週間で何かをするという証拠だ。
「……何も言わなかったのか?」
「……私があの人に、逆らえるわけないじゃん」
花野井 みさきが異常だと知っている。
だからこそ、自分の言葉では変わらない事も理解している。
「その話をお義父さんにしたら、明日警察と一緒に突入するって……」
「警察?確証もないのに動いてくれるのか?」
「知り合いに頼むって言ってた」
本当に顔が広い男だ。
警察にまで友達が居るとは。
「なら、尚更急がないとな」
「急ぐ?」
「明日の朝、親父が突入する前に、みさきさんに会いにいく」
俺の言葉に花野井は驚かない。
予想出来た言葉なのだろう。
「……私は行かない」
「……いつまでも縛られたままでいいのか?」
ここで動かなければ、花野井 みゆうは一生あの女に縛られる。
たとえ自立したあとても、あの女のしてきた事を知っているという事が、みゆうの罪悪感を強くさせ、やがて押しつぶされる。
「……いいじゃない。私は関係ないんだから、私にはどうすることもできないんだから、逃げたっていいじゃない!」
苦しそうに叫んでいる。
罪悪感を感じながら、それでも見て見ぬふりをする。
それが、みゆうの選んだ道なのだろう。
けれど、そうはさせない。
楽な道へは行かせない。
「なら、最悪の事実を教えてやる」
まだ逃げられる程度の罪悪感なら……
「お前の家に居る男の子、和道の弟だぞ」
逃げられないほどの罪悪感を与えればいい
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「お前の家に居る男の子、和道の弟だぞ」
その言葉を聞いた瞬間、私は言葉を失った。
頭の整理が追いつかないまま、ケンは続ける。
「確証はないけど、和道の弟が家に帰らなくなった日と一致する。ほぼ間違いないだろ」
確証はないという言葉に安堵はできなかった。
それでも、認めたくはなかった。
「……確証がないなら、そんな酷い事言わないでよ」
ケンには似合わない言葉だ。
彼は、私達を傷つける言葉を言うような人ではない。
「確証はないが、可能性は大いにある」
優しく言っているが、ケンの中ではきっと確信しているのだろう。
「いいのか?友達を傷つけて。もし今逃げて、次に和道と会った時、あいつの目をちゃんと見れるか?」
痛いところを突いてくる。
今更理解した。
これは、私に向き合わせるためだ。
今まで逃げてきた母親に、私を愛してくれるからと目を瞑ってきた母親の愚行に、私が今まで見捨ててきた少年達に、その全てに決着をつけさせるためだ。
最後の言葉で、私の退路を完全に絶った。
「……ほんと、優しいね」
手は震えている。
今すぐにでも逃げ出したい。
けれど、今逃げれば、きっと私は……
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翌朝、いつもの休日よりも早く目を覚ます。
親父達は昨日の夜中に帰ってきている事を確認している。
今日の昼過ぎまでは時間があるだろう。
俺は準備をしながら、昨日のことを思い出す。
麗奈の手を振り切った事を思い出す。
「結局、親父と同じだな」
彼女を放り出して、もう関わる必要のない女の子を助けようとしている。
自分のためでもあると言い聞かせても、罪悪感は湧く。
それでも、逃げる訳にはいかない。
俺は一度自分の頬を叩き、家を出る。
既に準備を終えたみゆうが目を瞑って待っていた。
「なんだ?瞑想か?」
「こんな時にふざけないで」
キッと睨みつけてくる。
「昨日とは大違いだな」
「覚悟は決めた。今日で全部終わらせる」
「ああ、行こう」