第25話④
「ごめんなさい、取り乱して」
落ち着きを取り戻した奏多母は、ソファに座り奏多が入れたお茶を飲んで一息つく。
「お義母さん、ほんとに大丈夫?」
「ええ、ありがとう奏多ちゃん」
奏多は心から心配しており、義理の親子とは思えないほど信頼しあっている。
俺の家とは大違いだ。
「えっと、絢士郎君とあなたは?」
奏多母がこちらを向き、彩華に名前を聞く。
「三井 彩華です。絢士郎の妹です」
「もしかして、環奈ちゃんの?」
「環奈ちゃん?」
環奈さんの名前が分からず、彩華は首を傾げる。
「いえ、彩華は今の妹です。環奈さんとはもう離婚してます」
彩華が下手なことを言う前に俺が質問に答える。
「ていうか、知ってるんですね環奈さんのこと」
「ええ、知ってるわ、絢也君のこともね。二人とも大学時代の同級生なの。今の主人もね」
奏多母の発言でひとつの疑問が解けた。
昔、親父が話していた相手が奏志さんなら、どこで知り合ったのかと思っていたが、そういう繋がりだったようだ。
奏志さんも再婚だと言っていたし、時期的に相談を受けていたのかもしれない。
「奏多ちゃん、少し席を外してくれる?」
「え?どうして?」
「ちょっとね、絢士郎君と話がしたいの、お願い」
まさかの指名に驚くが、断ることではなかった。
何故かは分からないが、俺もこの人と話がしたいと思ったからだ。
「別にいいけど、じゃあ話が終わったら呼んでね」
奏多は快く了承し、自分の部屋へと戻って行った。
「改めまして、私は内田 桜、奏多ちゃん達と仲良くしてくれてありがとね」
「いえ、こちらこそ」
今日再開したばかりだが、それを指摘する必要はない。
「あの子、ひとつのことしか見えないから、相手するのも大変でしょ?」
その言葉を俺は否定出来なかった。
今日一日見ていただけでも、その性格が全面的に出ていたからだ。
「そこがあの子のいい所なんだけど、心配なところでもあるのよ。だから、これからも気にかけてくれたら嬉しいわ」
桜さんは奏多の事を話す時、本当に愛おしそうな顔をする。
「……本当に仲がいいんですね。」
「家族ですもの」
「でも、あなたにとって、奏多は実の娘じゃないですよ」
言ってすぐ気づく、失言だったと。
黙っている彩華もさすがに困った顔をする。
「……すみません」
桜さんは穏やかに笑う。
その笑顔をどこかで見た気がした。
そして、俺の目を見て言う。
「血の繋がった親子の方が、血の繋がりのない親子よりも愛があるって、誰かが言ったの?」
その言葉は、俺の核心を刺す言葉だった。
「絢士郎君は、血が繋がっていなければ家族とは思えない?」
「……少なくとも、壁はあると思います」
俺の場合は壁が何重にも重ねられているが、他にも似た境遇の人は大小関係なく壁があるはずだ。
「そうね、壁はできると思うわ」
俺の意見を桜さんは肯定する。
そして続ける。
「でも、だからこそ向き合って、話し合って、その壁の高さを少しずつ下げていけばいいの。お互いにね」
壁を下げていく。
それは、今まで聞いたことの無い表現の仕方だった。
桜さんは穏やかな表情のまま続ける。
「別に、壁を壊す必要はない。人には見せたくない自分の心もあるしね。でも、ほんの少し壁を下げて、顔が見えるくらいまで下げれば、真の意味で、向き合うことが出来るわ。まあ、私の場合はそんな事しなくても奏多ちゃんと仲良くなったけど、あなた達はどう?」
その質問に、俺ではなく彩華が答える。
「私は、もうその段階に入ってるつもりです……」
「え!?」
彩華の言葉に、つい声を出してしまった。
「何よ」
「いや、お前あの態度で壁下げてるつもりだったのかと思って」
「どういう意味よ!」
彩華が怒った顔で俺に掴みかかってくる。
それを俺は避ける。
そんなやり取りを見て、桜さんがクスリと笑って言う。
「大丈夫、あなた達十分仲のいい兄妹よ!」
「そう、ですか?」
「そうよ、絢士郎君、ちゃんとお兄ちゃんじゃない」
桜さんはより一層穏やかな笑顔になる。
その顔は、やはりどこか見覚えのある顔だが、思い出せない。
「あの、俺達どこかで会ったことありますか?」
親父の知り合いなら、昔に会っていたのかもしれない。
そう思い聞くが、
「……いいえ、今日が初対面よ」
俺の予想は外れた。
数秒沈黙が流れた後、桜さんが言っていた事を思い出す。
「そういえば、俺達に話したいことって?」
わざわざ奏多を追い出してまで話さなければならないこととはなんなのか、俺は聞く。
「ああ、大した事じゃないの、絢士郎君が絢也君みたいになってないか見たかっただけ」
「それはどういう?」
「ほら、あの人って誰にでも優しいでしょ?それって、大切なものがないのと同じじゃない?」
「そう、ですかね?」
「いや、あの人の場合はそうじゃないわね、あの人にとっては全部が大切なものなんだわ」
「まあ、言いたい事は分かります…」
基本的に親父は困っている人を放っておけない。
というよりは、この世の全てが大切なものなのだ。
そして、厳選することができない。
それこそが、三井 絢也が善人である証明であり、俺にとっては嫌悪する事だ。
「分かるって言うけど、絢士郎も似たようなものじゃない?」
彩華が思い出しながら言う。
「やっぱりそうなの?絢也君の背中見ちゃってる?」
そして何故か桜さんが心配そうにしている。
「誰彼構わず助けてるわけじゃねえよ。俺が手を貸すのは、大切だと思っている人にだけだ」
言った後に恥ずかしくなり、頬が赤くなる。
彩華も驚いたのか黙り込んだ。
「ふふっ、やっぱり親子ね、絢也君に似てる」
「それは、ちょっと嫌ですね…」
「そんな事言ったら可哀想よ、別に悪い人ではないしね。絢也君とも、一度話してみたら?」
「あれ?言いましたっけ?親父と仲悪いって」
「見てれば察するわ」
「……そんなに出てました?」
「私以外には分からないかもね。でも、それによく似た顔はずっと見てたから」
その発言に彩華が恐る恐る聞く。
「えっと、桜さんとお義父さんって、ただの同級生なんですよね?」
「ええ、そうよ。でも─」
桜さんは昔の事を思いながら言う。
「私が初めて愛した人だっただけ」
「「え!?」」
俺と彩華は同時に叫ぶ。
「さ、もうこんな時間だし、お開きにしましょうか」
「いや!流そうとしないでください!ちょっと詳しく!」
「それはまたいつかね。奏多ちゃん、2人が帰るわよー」
「えー!お義母さんと長話してただけじゃん!」
「また呼べばいいでしょ」
「それもそうだね、じゃあね二人とも」
「いや、こっちはそれどころじゃ─」
詳しく話を聞きたかったが、人様の家で喚く訳にもいかず、結局俺と彩華は帰路についた。
「最後にとんでもない爆弾落とされたね」
彩華が疲れた表情で言う。
「あれだけで話全部持ってかれた」
そう言いながらも、俺は桜さんの言葉を思い出す。
俺は今まで、家族になるというのは、壁を壊して全てを見せる事だと思っていた。
最初から家族ならそうなのかもしれないが、俺達は違う。
だから壁は壊したくないから歩み寄れない。
そう思っていた。
けれど、俺の中でその考えは既に消えていた。
麗奈と本音で語り合った。
花野井 みさきを克服した。
そして、桜さんに言われた言葉、壁を下げて向き合う。
全てをむき出しにしなくても、家族にはなれる。
そんな意味が込められた言葉。
「彩華」
「何?」
「これからは、ちゃんと向き合うよ。お前とも瞳さんとも……親父とも」
俺は横を歩く彩華に向かって決意表明をする。
「ちゃんと、家族になれるように。今からでも、遅くないよな?」
その問いかけに、彩華は黙って頷いた。
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絢士郎の決意表明に、彩華の心には黒い嫌な感情が湧いていた。
(家族として向き合う?それは、私には妹として向き合うってこと?それでもし、本当に家族になれたら?私が妹であることに、絢士郎が幸せを感じたら?私のこの感情はどうすればいいんだろう……)
彩華の中に黒い感情が生まれてしまう。
その気持ちは抑えられず、今にも溢れだしそうなものだった。
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正面玄関の掲示板の体育祭の詳細が書かれた貼り紙の前に、一人の少年が仁王立ちしている。
通る生徒達は、その異様なオーラに若干引いていた。
「冬咲 麗奈さん、俺が必ずあの男の呪縛を解いて差し上げます!」
男は血が出る程拳を握りしめ、同じく掲示板に張り出されている一学期最優秀生徒数名の名前が記載された紙を殴る。
男の拳が当たる所には、『三井 絢士郎』と記されている。
「待っていろ三井 絢士郎!お前は、俺が必ず……」
男と男の熱い戦いが、当事者の知らぬところで始まろうとしていた。