第19話③
自分の母親がおかしいと知ったのは、10歳の頃だった。
異常で、異質で、おぞましい母を私は憎んだ。
けれど、憎み切れなかった。
そんな母は私を愛していたからだ。
虐待なんてものとは正反対に愛情を注いでくれた。
だから、切り離せない。
放っておけない。
いっその事、愛されていなかった方が楽だったのに
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ケンがトラウマを思い出し、それを薫が慰めている事など知らない私は、部屋で一人勉強をしていた。
まだ休みは始まったばかりだが、課題を早くに終わらせておいて損はない。
最近まで家に出入りしていた小学生の子供達はキッパリと来なくなった。
母に飽きたのかそれとも、異常性に誰か気づいたのか。
私にとってはどっちでもいい。
ただ来なくなったということに安堵した。
時計は昼の1時を指していて、小腹が空いていた。
家に食べる物はこれといってなく、外に食べに行くことを決める。
昼食を食べるだけなので、部屋着のまま外に出る。
太陽がぎらりと照っていて、思わず1度扉を閉める。
そういえば、朝テレビで最高気温37℃と言っていた。
玄関に置いてある帽子を被り、改めて外に出る。
幾分かはマシだが、それでも日差しはキツかった。
日傘を買っておけば良かったと心底思う。
1番近くの定食屋まで歩いて15分だが、それすらもしんどく、手前にあるコンビニで済ませることにする。
「あれ?みゆうじゃん。」
コンビニに入ると、誠がアイス売り場のところに立っていた。
「何でここに?もっと近くにコンビニあるでしょ。」
誠の家はケンの家からすぐだ。
ここのコンビニよりも近くにいくらでもある。
「実は結構良い自転車貰ってよ。その試運転がてらにな。」
そういえば、コンビニの前に高そうなロードバイクが止まっていた。
おそらくそれのことだろう。
「みゆうは?昼飯か?」
「ご名答。定食屋まで行こうと思ったけど暑くて。よくこんな暑さの中自転車で来たね。」
「自転車に乗れば風が来るからな。案外気持ちいいぞ。」
本当に活発な男だと思う。
中学の時から勉強ができて、運動神経抜群で、クラスのムードメーカー。
男女問わず人気があり、スペックだけならそれ以上のはずのケンよりも大層モテていた。
けれど、その本人はケンを1番尊敬していたし、ケンも誠を信頼していた。
あの出来事の後も、誠にだけはケンも心を閉ざさなかった。
「あんたって本当に能天気だね。」
「いきなりディス?」
「褒めてんのよ。」
「どこが?」と首を傾げる誠がなんだからおかしくて、笑ってしまう。
「・・・みゆうは変わったな。」
「そう?」
「いや、変わったと言うより戻っただな。お前もケンも、中3時はヤバい空気あったからな。」
「もう2年も経ったからね」
その頃は、間違いなくあの出来事のすぐ後だろう。
私達2人の仲を完全に終わらせた出来事だった。
今、学校で仲良く話しているのも、ただ友達になったからだけではない。
お互い、無意識のうちにあの女を、私の母を気にしている。
だからなのか、無神経で、好きなように話す彩華の事が少し羨ましかったりする。
「それもそうだな。ケンも最近じゃ笑うことも多いし、トラウマもなくなってるんじゃないか?」
それは私には分からない事だった。
もしそうだったら、どれだけ幸せだろうか。
「まあ、トラウマを克服してても、ケンの問題は解決しないけどな。」
誠の言う問題とは、ケンの家族のことだろう。
私もお義父さんの事はあまり好きじゃない。
人としてはいい人だけれど、あの女とケンを巡り合わせた張本人だからだ。
まあ、それがなければ、私とケンも出会わなかったけれど。
もし、あの女と関係なく出会っていれば、どんな関係を築いただろうか。
考えても仕方がないことだけれど…。
「お!結構良い時間だな。俺はそろそろ行くわ。また時間合わせて遊びに行こうぜ。」
誠は慌ただしくコンビニを出ていった。
結局アイスは買っていない所を見るに、涼んでいただけなのかもしれない。
中から誠が自転車で去っていくのを確認してから、私はパスタ弁当をひとつ買い、帰路に着く。
道中、誠との会話を思い出す。
ケンの中の『家族』を壊した罪。
私は、償えているだろうか。
「償えてたら、あんな事言わないか。」
ケンはいつも言っている。
あの家を出たい。自立したいと。
私は、どうすればいいだろうか。
元妹として、友達として、彼に何をしてあげられるだろうか。
そんな事を考えながら、太陽の下を歩く。
遠くに見える道路は、私の心のように揺らいでいた。