第8話③
この数日、私の周りでは何もない。
そう、何もないのだ。
これは異常事態だ。
このひと月、私は同じ陸上部の4人の女の子からいじめを受けていた。
物を隠されたり、呼び出しを受けて暴力に近い事をされたり。
原因は私の性格だろう。
男に媚びを売って、ぶりっ子のように接する。
そんな態度が気に入らなかったのだろう。
私だって、好きでそうなった訳では無い。
けれど、今更やめるのは怖く、結局ただの怒りがいじめまで発展した。
でも、それが突然無くなった。
理由は、クラスにいる4人の当事者を見れば分かる。
1週間前までは、4人で仲良くしていたのに、今は3人と1人に分かれている。
孤立しているのは主犯だった子だ。
喧嘩をしたにしても、こんなに綺麗に分かれるだろうか。
第三者である誰かが手を加えたのではないか。
その確信があった。
いじめの事を知っているのは、当事者を除けば1人しか居ない。
放課後、心当たりのある人物の教室に走る。
一言文句を言わないと気が済まない。
目的の教室である1組の扉を勢いよく開けた。
周りの人達に見られるかと思ったが、ホームルームが早く終わったのか、残っている人は2人しか居ない。
目的の人物はその内の1人だった。
「それでは。また明日」
もう1人の女子が何かを察し、教室を出ていく。
「ひとつ、貸しですよ。」
すれ違いざまにそんな事を言われた。
一体何のことだろうか。
そんな女子、冬咲の言葉の意味を考えるよりも、私は目の前の男に向き直った。
目的の男である絢士郎は何食わぬ顔で立っている。
「何したの?」
そんな絢士郎に私は曖昧に聞く。
「何の話だ?」
とぼける絢士郎を見て、より怒りが増す。
歯をギリっとさせて怒声混じりに言う。
「とぼけんな!あいつらに何したの!?私の問題だって言ったよね?余計な事しないでよ!」
言ってやった。
いつものように悪態をついてやった。
助けた奴からこんな事を言われたらムカつくでしょ?
怒られると思ってなかったでしょ?
言葉も出ないでしょ?
「だったら…」
絢士郎が、私をまっすぐ見つめる。
「もっと鬱陶しそうな顔をしろよ。」
「は?」
何を言っているのだ。この男は。
してるでしょ。十分。
すると、私の手に1滴のしずくが落ちた。
それに続いてポロポロと落ちてくる。
「なん、なんで…」
私は、泣いていた。
ぐしゃぐしゃな顔で泣いていた。
分かっていたのだ。
最初から怒ってなど居ない。
余計なお世話だなんて思ってない。
本当は、助けて欲しかった。
惨めでもいい。ダサくてもいいから。
私にもあの2人のように手を差し伸べて欲しかった。
そんな本音が漏れていた。
現場を見られたのも、リビングで口が滑ったのも、全部漏れ出た本音だ。
私は膝から崩れて、今までにないくらい泣き喚く。
それでも、これだけは聞いておかなければならない。
「なん、で、助けたの?」
泣きすぎてガラガラになった声で私は聞く。
いつも悪態ばかりつく私を。
ウザくて、うるさくて、形だけの妹を、なぜ助けてくれたのか。
「・・・別に。ただ─」
絢士郎は私の前まで来て、優しく頭を撫でる。
「少しは、兄らしい事をしようと思っただけだ。」
優しくされた事で、より涙が流れてくる。
止まる気配がないほどに。
「ははっ!顔ぐっしゃぐしゃ!」
そんな私を見て、絢士郎は笑う。
私に向かって、初めて子供のような笑顔を見せる。
それを見て、私の心臓は跳ねた。
今までにないほど早く動いている。
私を助けてくれた人が、私の頭をぽんぽんと撫でながら、私に笑顔を向けている。
(これは、反則でしょ。)
さっきまで泣き止む気配のなかった涙がスっと引いていく。
代わりに、熱い何かが込み上げてくる。
すると、頭から手が離れる。
「事情は家で話すよ。落ち着いたら帰ってこい。」
そう言って、絢士郎は教室を出て行った。
1人残った私は、胸に手を当てて、心音を確認する。
これは、認めるしかない。
私は、絢士郎を尊敬している。
兄として、人として。
けれど、この気持ちは、この高鳴りは、それだけでは表せない。
私は、兄に、三井 絢士郎に恋をしている。
この本音はもう、隠すことができない。
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彩華を残し、教室を出た後、靴を履き替えながら俺はさっきの光景を思い出す。
(まさか、あんなに泣かれるとは。)
てっきり悪態をつかれて、嫌われると思っていた俺は、内心動揺していた。
助けた理由もその時パッと思いついただけで、本音と言われれば怪しい。
(まあ、ムカついてたのは事実だし…)
彩華を無視する程度なら口を挟まなかっただろうが、暴力まがいのことまでしてたならさすがに見過ごせないと思ったのは事実だ。
だが、一番の理由はやはり、親父に挑発されたからだろう。
本当に俺の扱いを分かっている男だ。
親父以下なんて俺が言われたら、意地でも首を突っ込むに決まっている。
(まんまと親父にやられたな。)
そう考えると、俺が彩華を助けた理由は、自己満足。
これがしっくりくるだろう。
彩華の反応は予想外だったが、いじめ自体はなくなっているようで良かった。
「とりあえず、一件落着かな。」
ふとグラウンドを見ると、陸上部の男子数人が見るからにソワソワしている。
きっと彩華が居なくて焦っているのだろう。
仕方ない。ここはひとつ。
「そういえばさっき、1年1組の教室に三井 彩華が1人で泣いてたなー。なんだったんだろうなー」
グラウンドに少し近づき、わざとらしく言うと、陸上部男子は走って校舎へと向かった。
これで彩華へのポイント稼ぎでもしてくれ。
少し良いことをした俺は、清々しい気分で門に行くと、冬咲が待っていた。
無視したかったが、今回の件でお世話になった手前、無視できない。
仕方なく話しかける。
「今回はありがとな。手伝ってくれて。」
「なら、もう少し感謝が伝わる顔をしてください。」
そう言われ、表情筋を和らげる。
どうやら無意識に引きつっていたらしい。
そのまま横並びに冬咲と帰る流れになる。
「それにしても、今回の仕事は簡単でした。あんなことでいじめが無くなるなんて。」
「今回はたまたまだ。絶対そうなるかは分からん。」
彩華の件は運が良かった。
それだけ脆い関係だった事に感謝だ。
「それでも、三井君がここまでするとは思いませんでした。」
「お前、別に俺の事詳しく無いだろ。」
妹気取ってるが、冬咲が妹だったのは随分前だ。
もう元妹という立場すら怪しいレベルである。
「それで?どうしてあれだけの事でいじめが無くなったんです?」
冬咲が聞いてくるので、俺達が今回した事を説明する。
話は彩華とリビングで会話をした翌日まで遡る。
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彩華と話した翌日から、俺と冬咲は行動に出た。
まるで凄い事をするような言い方をしたが、実際は大した事では無い。
まずは当たり前の事だが、証拠写真を撮る。
これがないと始まらないのだ。
俺はこの日、朝8時前には学校に来て、靴箱を見張っていた。
何か隠したり仕掛けたりする場合、人目につかないようにするのがセオリーだ。
そうなると、学校という狭い空間では、朝か放課後くらいしかできない。
予想通り、彩華をいじめている4人がまだ他の生徒は登校しないような時間に来た。
1人は意気揚々としているが、他の3人は退屈そうに欠伸をしている。
この様子から、3人の方は、彩華に対してそこまでの感情はないように思う。
反抗すると面倒だからとかそんな理由で主犯の1人とつるんでいるのだろう。
その主犯が、彩華の靴箱を開けて、画鋲を入れた。
ベタないじめだが、立派な証拠となる。
俺は音を消して、スマホで写真を撮る。
4人が居なくなったあとに、こっそり画鋲は抜き取っておいた。
昼休みになり、新たな情報が手に入る。
面倒くさそうにしていた3人のうち、2人には彼氏がいるらしい。
これは有益な情報だった。
その日の放課後も同じように証拠を集めた。
集めてみると、酷い物もあり、4人がかりで暴力まがいな行動もしている。
ただ、直接手を出しているのはやはり主犯の1人のようだ。
たった1日で十分過ぎるほどの証拠写真が集まった。
1日でこんなにも被害が出ると考えると、彩華は相当に無理をしていそうだ。
次に、その写真に細工するために、パソコン室の使用許可を取った。
甲真では、勉強に活用するべく、放課後のパソコン室の開放を行っている。
しかし、今の時代家にパソコンがある者も多いので、使用率は悪い。
俺の家にもあるが、彩華に知られないように学校の教室を使う。
写真にする細工、もとい加工は、主犯の1人を消すことだ。
そうすることで、まるで3人が彩華をいじめているような写真が出来上がる。
それを3枚ずつ作り、帰り道にある写真屋で現像する。
これで準備は終わりだ。
翌朝、前日同様に朝早くに学校に来る。
この日は、冬咲も早く来た。
俺達の手には、前日に現像した写真を入れた封筒がある。
それを、予め調べておいた5つの靴箱の中に入れる。
これで、俺達がやった事は終わりだ。
その日の昼休み、よく彩華が呼び出されている校舎の裏手に行くと彩華はおらず、代わりに4人のいじめっ子達が居た。
3人は今朝俺達が仕込んだ封筒を持ちながら、主犯の1人に抗議をしているように見える。
俺達が仕込んだ靴箱の主は、主犯についていた3人の女子と、その内2人の彼氏である。
最初驚いた事だろう。
知られていないと思われていたいじめの証拠があることにも、それがただ横に居ただけで犯人にされ、なおかつ主犯が写っていない事に。
このまま写真が出回れば、罰を受けるのは自分達で、先導していた主犯は一切咎められない。
それは、主犯に反抗するよりも面倒な事になる。
まあ、俺からすれば横にいた3人も同罪である。
その後、彼氏と別れたのかとか、どんな話し合いをしたのかは分からない。
だが結局、そのまま3人は徒党を組み、主犯の1人は孤立した。
いじめは基本、多対個で起こる事だ。
主犯の女に彩華を1人で虐められるくらいの度胸は無いだろう。
俺達がした事と言えば、写真を撮って加工したくらいだ。
たったそれだけの事で、彩華へのいじめは無くなった。
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「でもそれって、3人が彩華さんをいじめる可能性もありませんか?」
話を終えると、冬咲が疑問を呈してきた。
「それはまずありえないな。」
俺は確信を持って言う。
「どうして言い切れるんですか?」
「最初に靴箱で見た時、3人は明らかにやる気がなかった。けど、もし主犯に逆らえば、次は自分がターゲットになる。それが嫌だから彩華へのいじめに乗っかってたんだ。」
そういったケースは珍しくない。
次の標的にされる恐怖で動き出せない人間は居る。
「だからこそ、罪の大きさってのが主犯よりも小さいって思ってたんだろうな。だから平然と加担できた。でも、それが全部自分達のせいにされるってなったら、次の標的にされるとか言ってらんないからな。」
俺達がやったことは、1対4を、1対1対3の構図に変えただけだ。
たったそれだけの事で、解決したのだ。
だが、これができたのは俺達のような無関係者だけだろう。
それだけ彩華は本気で隠していた。
俺が見た一瞬の隙は、彩華の油断だったのかもしれない。
「だからまあ、その程度の事で壊れる関係だったってことさ。」
「なんと言うか、振り返ってみればいじめていた人達の薄い関係のおかげのように感じます。」
「だから言っただろ。たまたまだって。」
もしも、4人が固い絆で結ばれていたら、この程度では破綻しなかっただろう。
だからこそ運が良かった。
「そうですね。でも、三井君はやっぱり三井君でしたね。」
冬咲の言葉に首を傾げる。
「なんだかんだ言いながら、彩華さんを助けたじゃないですか。やっぱり、お義父さんの息子ですね。」
「それだけは否定したいな。そもそも、親父のようになりたくないから今回俺は動いたんだ。冬咲の言い方だと、親父が善人に聞こえるぞ。」
親父は善人などではない。
ただの浮気者の、女たらしのろくでなしだ。
「そんな事ありませんよ。」
冬咲は、何かを思い出すように言う。
「お義父さんが居たから、今の私が居るんです。」
その意味を俺は理解出来なかった。
俺と冬咲では、親父を見る目が違うようだ。
これは平行線になる話なので、俺は別の話をしようと考えると、冬咲が話し出す。
「それはそうと、約束の件。お願いしますね。」
「うっ…。まじで?」
「はい。約束ですから。」
今回、冬咲に手伝って貰うために出された条件。
それは・・・
「夏休みのどこかで、2人だけでデートをする。ちゃんと予定空けといてくださいね。」
これが条件である。
元妹とデートをするという、何とも気まずい事だが、約束は約束なので仕方ない。
俺は覚悟を決めた。
「分かったよ。俺もひとついいか?」
「はい。なんでしょう。」
俺は冬咲のいつもと違うヘアスタイルを見ながら言う。
「そのツインテールにはつっこんだ方がいいか?」
まるで、彩華のようなツインテールを冬咲はしていた。
教室を出た後にわざわざ変えたのだろう。
「三井君は、ツインテールが好きなようなので。」
「誰情報だよ…。」
そうして、無駄話をしながら、俺達は帰路についた。
兄妹だった頃よりも近い距離で。