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7 トーマ

「トーマス」


 そう呼ばれて、トーマは思い切りしかめ面をして見せた。

「やめろよ、その呼び方。もうガキじゃないんだぜ、おれら」

「お前が最初に始めたんだろうが」

 泣き笑いのような表情でシンイチが言う。

 冴えない面しやがって、とトーマは思う。

「お前がシンイチローだろうがシンジローだろうが、誰も気にしやしねえよ。なんなんだよ、トーマスって。ハーフタレントじゃねえんだからよ、この純和風な顔で、恥ずかしいだろうが」


 小学生の頃、トーマがシンイチに初めて話しかけたときの第一声が「おい、シンイチロー」だった。

「ぼく、シンイチローじゃなくてシンイチだよ」

 少し驚いた顔で、シンイチは言った。

「いいや、お前はシンイチローだ。お前はなまけものだから、『ロー』を書く手間を省くために先生までだましているんだ。おれは知ってるんだぜ」とトーマが真面目くさった顔で言うと、シンイチは白い歯を見せて笑った。

「それなら君は、トーマじゃなくてトーマスだ」


 あのとき、おれはこいつと友達になりたかったんだろうか、とトーマは思う。五年生で初めて同じクラスになったものの、優等生のシンイチと、当時より不良と目されていたトーマにはそれまで接点がなく、同じ教室に居てもろくに話をする機会もないまま二学期の半ばになっていた。教師のペットのようないやなやつではなかったが、当たり前のようにテストで百点をとり、学級委員に選出されるシンイチを敬遠する気持ちは、やはりあった。トーマは職員室に呼び出されて、ときには校長から直々に説教されることさえある問題児だった。

 だが、あの日の放課後、理由は今となっては思い出せないが、一人教室に戻ったトーマは、空っぽの教室にぽつねんと立っているシンイチを見つけて、考えるより先に話しかけていた。


「おい、シンイチロー」


 それが正しい名前ではないことは、一応同じクラスなので知っていた。だから、自分はシンイチであるとシンイチから訂正されたあとに言い返した言葉もその場の思い付きだ。 


「おまえはなまけものだから、『ロー』を書く手間を省くために先生までだましているんだ」


 おかしなもので、こんな言いがかりをきっかけに、二人は仲良くなった。悪童仲間の手前もあり(「他のやつらの前でトーマスなんて呼んだら、殺すからな」)、二人きりの時でなければシンイチに話しかけることはなかったが、人目を憚りながら、ほとんど逢引のような後ろ暗い気持ちを抱きつつ、二人は親交を深めていった。性格的には正反対であったが、自分の知らない世界を見せてくれる新しい友に、お互い魅了されていた。その結果、トーマは国内外の文学作品などをたまに読むようになり、シンイチは洋楽、特にロック(「CDじゃこの音は出ないんだよ。やっぱレコードじゃないと」)を聴くようになったし、サッカーのルールも覚えた。中学は同じだったが、高校からは道が分かれて顔を合わせる頻度が減ったものの、交友はずっと続いていた。


「なにしょぼくれてんだ、女に振られたのか?」

 途端にシンイチの顔が険しくなった。

「なんだ、図星かよ。飲みに行こうぜ」

 トーマが笑って肩に手を回し歩き出すと、シンイチは大人しくついてきた。シンイチが酒を好まないことは勿論知っていたが、今晩ばかりは飲みたそうに見えた。糞がつくほど真面目なシンイチにしては珍しいことだったが。


 最初に目についた居酒屋の暖簾をくぐると、たちまち陽気な酔っ払い達の喧騒に包まれた。満席だからと二人はカウンターの端の席に案内され、並んで席に着くや否やシンイチは大儀そうに壁に体をもたれさせた。

 トーマは物憂げなシンイチの様子を横目で見ながら、勝手に二人分の生ビールと適当なつまみを注文した。あまりアルコールに強くないシンイチは、酒の席ではビールしか飲まないはずだった。もっとも今日みたいな日は、より強い酒が必要なのかもしれなかったが。

 お通しとビールが運ばれてきても、二人はしばらく無言で箸を動かし、ジョッキを傾けた。


 口火を切ったのはトーマであった。

「で、どの女にフラれたわけ? おれの知ってる子?」

「……アヤ」

「え、お前らまだ付き合ってたの?」


 高校進学で、シンイチは進学校、トーマは推薦でスポーツの強豪校へと進路が分かれたとはいえ、二人は折に触れて顔を合わせていた。

 しかし、トーマがシンイチからアヤを紹介されたのは高校二年になってからだった。それだとて二人が肩を並べて歩いているところへ偶然トーマが遭遇したからで、交際は昨年、一年生の頃から始まっていたとアヤから聞いたトーマのニヤニヤ笑いをまっすぐ見ることができず顔を真っ赤にしたシンイチは、そのような偶然の出会いがなければ、彼女ができたなどということは一生トーマには告げないつもりだったのかもしれない。


「ええー、シンくんったら、こんな友達がいたんだ? 意外ー」


 アヤはまっすぐトーマの目をみながら、あでやかに微笑んで見せた。

 シンイチと同じ高校の制服を着ていた(ということはそれなりに勉強ができるはずだが、やたら派手なのは高校デビューなのか?)が、ブラウスのボタンを二つ目まで外して見事に発育した胸を強調し、上目遣いでシナを作って見せるアヤに対する第一印象は決して良くなかった。

 いや、親友の彼女でなければ、その日のうちにどこかに連れ込んでいたかもしれない。アヤというのは、そういうことができそうだ、と男に思わせる女だった。

「えーサッカーやってるんだ? いい体してるよね、そういえば」

 そんなことを言いながら、トーマの二の腕をぺたぺた触ってくる女。見栄えが良くて、いかにも尻の軽そうな女。一夜限り、あるいは短い期間付き合うだけなら最高の女。

 ウブなシンイチがスレた女に引っかかった、というのがトーマの見解で、遅かれ早かれひどい仕打ちを受けて捨てられるのは目に見えていた。アヤに強引に腕を組まれて少し困ったように腰が引けているものの、内心の嬉しさを隠しきれていないシンイチを眺めつつ、こいつを慰めるのは自分の役目になるのだろうか、とトーマは暗い気持ちになったものだ。

 しかし、予測を裏切って二人の交際は大学に進学してからも続いていった。おせっかいだと思いつつ、何かと理由をつけてシンイチと連絡をとり慎重に探りを入れてみたものの、急激に成績が下がるだとか、なけなしの小遣いを毟り取られるだとかいったことは、何一つ起きていないようだった。トーマの耳にはアヤの良くない噂がいくつも届いていたにもかかわらず。

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