33 後ろめたい善意
そこは広間の一室だった。部屋の中心に薄汚れた男がひざまずいて震えている。男の前には複数人の男女が立っていた。
「――自分が何をしたかは理解しているな?」
薄汚れた男を見下ろして口を開いたのは、美丈夫な紳士だった。
背が高く、精悍な顔立ち、一級品の衣装を着こなしてたたずむ姿は強い存在感を放っている。一目で只者ではないとわかる外見だった。
「我がグラウス商会の大切な商品である魔石を横流しにした。おかげで無用な騒ぎが起こってしまった。欲に目が眩み、交わした契約を破るとは実に許しがたい」
冷静で、しかし反論を許さぬ重々しい声音で言葉を続けた。
「わたしは商会の代表として、契約を破った代償を取り立てなければならない……『ソーン』」
美丈夫の手の中におさまる小さな物体がきらりと光った。それは石――魔石だった。
「た、たすけ――ぎゃあああああああああああああああああああああああああ!」
魔石から伸びた黒い触手のような束がいっせいに男にまとわりつく。やがて絶叫が埋もれ、男が闇の中に消えていった。
やがて男の立っていた場所には、一体の悪魔がいた。見た目には人間と見紛う小柄な人型である。しかし、頭部には不揃いの長さの角が数本生えていた。
「ソーン。わたし――ダンテ・グラウスの名において、契約を果たしてもらう」
「…………契約。契約なら、守る」
悪魔がぽつりとつぶやき、ゆったりとした動作でうなずいた。
「これが魔石の召喚かい。気味が悪いねえ」
美丈夫の隣にいる女がつぶやいた。妙齢で妖しい美貌の女である。片手に構える杖はうっすらと光をまとっていた。
「レディ・ベラ、身構えなくていい。ソーンとは契約を交わしている。わたしがあなたの顧客であるかぎりは決して無礼を働くことはない」
「お嬢さんはやめな、かゆくなる――何の契約をしたかは知らないけどさ。悪魔のほうが人間より律儀とはね」
ベラ、と呼ばれた女が鼻で笑って杖をおろした。笑ってはいたが、目は警戒の色を解かなかった。
ダンテ、と名乗った美丈夫が気を取り直すように手をたたいた。
「さて、あなたたちには引き続き対処を頼みたい。今回の騒動で拠点のひとつが悪魔祓いに見つかった。近々、調査の手が入るだろう。ベラ、あなたはソーンを連れて拠点を廃棄してほしい。すでにわかっているだろうが、彼の力は強大だ。きっと役に立つだろう」
「あたし一人で十分だけどね……」
ベラがソーンにちらりと目をやる。召喚された悪魔からは、思わず顔をしかめたくなるほどに大きな魔力を嫌でも感じ取っていた。
「まさか、報酬を下げるつもりかい? それならお断りだよ」
「無粋な真似はしない。もちろん報酬はそのままだ。前回と同様の成果を出してもらえればいい」
「悪魔祓いが来たら全滅させればいいんだろう? その時は別料金を払ってもらうからね」
「もちろん、それが契約だ。あなたの働きに期待している」
「金払いが良い客は大歓迎さ――念を入れるってことは、心配毎でもあるのかい?」
「確証までは得られていないが、今回の調査では優秀な悪魔祓いの部隊が派遣される可能性がある」
「へえ、どの部隊?」
「第2部隊。隊長の名は、スティーブ・アンダーソン。まだ若手だが活躍しているようだ」
「――ぶふっ」
途端に、ベラが噴き出した。ダンテが話を止めて、いぶかしげに眉を寄せた。
「知り合いか?」
「ふふふっ、そうかい。ああ、知っているとも……楽しみだねえ」
ベラが心底おもしろそうにくすくす笑った。
◇◇◇
「聞いたぞ、レイ。まだ研修の署名をしていないようだな?」
レイは、エイブラム教授に呼ばれて部屋に来ていた。暗色のカーテンが日光をさえぎって、室内は薄暗い。
机の上には1枚の書類が置かれていた。悪魔祓いの研修に参加する同意書だった。
「早く署名しなさい。ああ、家族のサインかね? レイの故郷はどこぞの辺境だったか。それなら、ミス・アンリの署名でもいい。彼女は後見人なのだろう?」
レイをうつむいて同意書をじっと見た。実際は文字など見ておらず、頭に渦巻く憂鬱とした気持ちにとらわれていた。
「マクスは……おれよりも、マクスのほうがいいと思います」
「マクス・バーナード? なにを言ってるんだ」
心底仰天したように、エイブラムが大声を上げた。
「歳を気にしているのか? いかん、いかんぞ! 魔術師は強くあらねばならん! 他者に気を遣って才能をないがしろにするなどあってはならん! レイ、おまえは選ばれた人間なのだ! 特別だと自覚しろ!」
「……おれは変じゃない」
小さく反論するレイの言葉に、エイブラムが面食らった。気まずい沈黙が流れた。
ややあって、エイブラムが思案して口を開いた。
「ふむ、そうだな……わたしからバーナードを推薦してやれないこともない」
「本当ですか!?」
意味ありげにエイブラムが微笑んだ。
「バーナードが研修に出るなら、気兼ねなく参加できるな?」
レイはほとんど無意識にうなずいた。研修のメンバーに選ばれたことを、アンリ先生はとても喜んでいた。
「任せたまえ。ああ、それと今日の授業は終わったな? ついてきなさい。特別に魔術を教えよう」
上機嫌に笑うと、エイブラムがレイの肩をぽんぽんと叩いて部屋の扉を開けた。
レイは同調するように小さく笑うと、教授の後をついていった。
これで、マクスの夢を叶えられる。
内心の後ろめたさをごまかしながら、部屋を出て扉を閉めた。
◇◇◇
後日。最後の授業が終わると、教壇に立つボイル教授が口を開いた。
「研修の参加者を発表する」
ざわっ、と教室がどよめく。すぐに静かになった。生徒の誰もが教授に注目した。
「リザ・ルィ・エイワズ」
リザの名前が呼ばれる。教室中から歓声が上がった。リザが笑顔で歓声に応えて、嬉しそうにするララと言葉を交わす。
レイがこっそりと目をやると、彼女と目が合った――ウインクされた。
「マクス・バーナード」
男子から歓声が上がった。隣の席にいたマクスが信じられない、といわんばかりに仰天した表情となる。言葉が出ない様子だった。チェスターがマクスの背中を勢いよくたたき、ジャックとダニエルが微笑んで祝いの言葉をかけた。
やがて生徒の興奮が冷めて、気が抜けた空気になると、ボイル教授が再び口を開いた。
「レイ」
一瞬、沈黙があった。まもなくざわざわとどよめきが広がった。
「研修に選ばれるのは2人じゃないのか!?」
まっさきに声を上げたのは、ジョイブルだった。ボイル教授がたんたんと答える。気のせいか、いつもよりかたい口調だった。
「例年では2人選ばれている。が、人数に決まりはない」
「くそっ!」
ジョイブルが机をたたいた。
「時間と集合場所は個別に手紙が届く。忘れずに確認するように」
ボイル教授が去ると、マクスがすぐにレイに声をかけた。
「レイ! やったな!」
「……うん」
レイはゆっくりとマクスを見た。
「よかった」
笑ったのは本心だった。
本当だ。
それはうそなんかじゃない。
自然に笑えていなかったとしても。




