28 個人戦(2)
マリアンヌは試合が終わると、重い足取りで競技場の外に向かった。目的の人物を見つけて声をかけた。
「待って……レイ……!」
先に競技場から出ていたレイが振り向く。年下のあどけない顔だ。小首をかしげる仕草がより幼く見えて、かわいらしかった。
マリアンヌの心は揺れていた。
レイは平民だ。身分が違う。
リザが彼にやたらと話しかけている場面を見て、信じられなかった。
――王女が平民にあんなに気安い態度をとるなんて。
いくらユースディアが身分対等とはいえ、リザが気分屋とはいえ、マリアンヌにとってはありえなかった。
だって、住む世界が違う。
アージュ家は大きな貴族だ。三大貴族にこそ劣るが、王国の中で上位に位置する家柄だろう。
生まれた時から、貴族としての立場をしつけられてきた。
由緒ある魔術師の家系こそが王国を守り続けた、名誉をもらうべき人々であると。
選ばれし強者なのだと。
けれども、レイは――。
平民でありながら強い。マリアンヌよりも。
六年生で最も優秀だと言われていたアラン・オータスが負けたのは、決して偶然やチームメンバーの戦力差ではなかった。
――知りたい。
「どこで、魔術を教わったの……?」
「家庭教師の先生が教えてくれるんだ。優しくて、なんでも知ってるんだよ! おれに杖をくれたんだ!」
「……そうなの」
嬉々として語り出したレイにやや呆然としながら、マリアンヌはうなずいた。初心者向けの杖を自慢するように見せてくる。マリアンヌの金銭感覚からすれば安物の杖だ。そこまで喜ぶ気持ちがわからなかった。
「あの……さっきは……」
「マリアンヌ! 大丈夫か! かわいそうに、痛かっただろう!」
急に演技ぶった大声がしたかと思うと、テオ・ジョイブルが二人の間に割って入ってきた。試合に向かっていたのだろう。ちょうど鉢合わせになっていた。
――来てほしくなかった。
マリアンヌは苦い気持ちになった。
テオとは許嫁の関係だ。親同士で決められた婚約とはいえ不満はなかった。結婚とは家の繋がりを強固にするものだと教わってきた。
これ見よがしに同級生に向かって婚約者のアピールをするところがたまにイライラするけれども、それくらいは我慢できる。
ただ、今は邪魔されたくなかった。
「おい、チビ。よくもマリアンヌに乱暴したな。マリアンヌはおれの婚約者だぞ。次の試合は覚悟しておけよ」
「テオ、やめて」
「レディファーストも知らないとは、まさに平民らしい――」
「いい加減にして! 試合だったのよ! 余計な口出しをしないでちょうだい!」
強い剣幕に、ジョイブルが面食らった。
「ま、まりあんぬ? なんで」
「もうすぐ試合でしょう!? 行きましょう!」
マリアンヌはジョイブルの腕をぐいっと引いて、早足で立ち去ろうとした。
去り際に、一瞬だけレイが視界に入った。
平民なのに……。
今までの考え方は間違っていたのか。
支えになっていた価値観がぐらついてわからなくなる。
――ごめんなさい。ありがとう。
平民だと見下した謝罪を。
怒りに任せて暴走させてしまった魔術を止めて、助けてくれた感謝を。
言えなかった。
言えばよかった。
歩きながらマリアンヌは、ひっそりと後悔した。
◇◇◇
マクスは試合の順番が回って、競技場に足を踏み入れた。
一歩ごとに緊張が大きくなっている気がする。足が震えそうになるのをごまかしながら歩いていた。
「一回戦の最後の試合になりました。テオ・ジョイブル選手、対、マクス・バーナード選手です!」
名前を呼ばれると、いよいよ足取りが重くなった。
――情けないな。
普段はおどけているくせに肝心な時におびえている。こんな体たらくでは誰も笑わせられないだろう。
「マクス!」
遠くから声がした。観客席に目を向けると、レイが杖を掲げて声援を送ってくれていた。リザとララもいた。
「おいおい……かっこ悪いところ見せられなくなったな」
心があたたかくなるのを感じながら、マクスは杖を掲げて応えた。
「勝てると思っているのか?」
前から声がした。ジョイブルだった。どことなく不機嫌そうだった。
マクスは笑ってみせた。
「負けるつもりで戦うやつなんていないだろ? おれは笑わせる魔術師になる男だ」
「……いつも目障りだったよ、バーナード。今日は特にうざったいな。そのくだらない夢を終わらせてやるよ」
たがいににらみ合う。シスター・フェリスが声を上げた。
「試合開始――!」
マクスはすぐに杖を構えようとした。が、ジョイブルのほうが速かった。
「【火炎で燃やす】」
「うおっ!?」
魔術を展開するのを止めて、マクスは急いで避けた。
「【強風が攫う】」
「ぐっ!」
さらに風魔術が迫る。避けきれず、体をかすめた。体勢を崩して舞台の上をごろごろと転がる。場外に落ちそうになるのを懸命にこらえた。
「無様だな! よ~く似合っているぞ!」
ジョイブルが上機嫌で杖を構えていた。
「【星屑を飛ばす】――!」
光弾がマクスの背に命中した。
「すぐに終わらせはしない! 楽しもうじゃないか」
「ぐ、ああああ!」
光弾の連射が次々に直撃する。這いつくばった体勢でいたぶられた。
痛みに耐えながら、マクスは必死で杖を前に向けた。
「【大きな物でも回転させる】……!」
「【硝子の盾で防ぐ】――ハハッ! 遅いし範囲も狭い! こんな魔術が当たると思っているなんておめでたい頭だな」
あっさりと魔術を防いで、ジョイブルがさらに追撃する。一方的な状況に、たまらずシスター・フェリスが試合を止めようとした。
「勝者、テ――」
「まだだ!」
マクスは声を張り上げてさえぎった。頭だけを上げてジョイブルをにらみつけた。
「遠くから撃ってばっかりかよ。度胸がねえんだな」
「なに?」
不快そうにジョイブルが顔をしかめた。
「びびってるんだな。おれは動けないのに近くでとどめを刺す勇気もないんだ。三大貴族の名があきれるぜ」
「なんだと? いいさ。もっと近くでおまえの泣き顔を拝みたかったところだ」
ジョイブルが近づいてくる。マクスは起き上がって杖を構えようとした。
「【星屑を飛ばす】」
「ぐっ!?」
マクスに光弾が直撃する。杖が飛んで場外に落ちた。
「見え透いているんだよ、バーナード! 終わりだ!」
せせら笑うジョイブルの表情が、次の瞬間、驚愕に変わった。
マクスは逃げるどころか、さらに距離を詰めていた。
「まだ、手があるだろうがっ!」
「ぶほぁっ!」
マクスの右拳がジョイブルの頬に突き刺さった。予想外の事態だったのだろう。ジョイブルがぐらついて倒れた。
「おれの顔ぉぉおぉぉ! 蛮族がぁっ!」
起き上がりながら、ジョイブルが杖を向けようとした。
「【火炎で燃やす】――!」
火花が散って消えた。
「そんなバカな!?」
魔術の不発にあぜんとする。見ると、杖が手元になかった。足下に杖が落ちていた。
たがいに杖を手放した状態で、考えることは同じだった。
二人が同時に杖に飛びついた。先にとったのは――。
「おれのだぞっ!」
ジョイブルの怒りに満ちた声が響いた。
杖の先端は、本来の持ち主である彼に向けられていた。
マクスが杖を構えていた。
「【星屑を飛ばす】――!」
光弾の連射が次々にジョイブルに命中する。押され、後退していき、やがて舞台から転げ落ちた。
「勝者。マクス・バーナード選手!」
シスター・フェリスの宣言が競技場に響く。大歓声が上がった。
「負けていない! ぶたれたんだ! おれの杖を使われた! 反則だ!」
ジョイブルが騒ぎ立てた。しかし、認められなかった。素手を使ってはいけないルールはなかったし、杖の所有者も関係ない。マクスの勝ちだった。
マクスはというと、全身の痛みにうめきながら自嘲していた。
「だっせえ勝ち方だよな……」
勝ちはしたが、褒められるようなやり方ではなかった。みっともなく見えただろう。
観客席に目をやると、レイたちが大喜びで杖を振っていた。
「……いいやつらかよ」
苦笑いして、マクスは自分の杖を拾いにいった。