26 家族のために
個人戦の組み合わせが決まり、対抗戦の一日目が終わった。レイは応援で学校に来ていたアンリ先生と帰宅した。
夜、いつもより豪勢な夕食を食べながら、レイたちは試合の話をしていた。アンリ先生はとても嬉しそうだった。
「レイ。個人戦の出場、おめでとうございます。素晴らしい試合でした」
「アンリ先生に教えてもらったからね!」
「わたしは練習方法を教えただけですよ……マジックオーバーを本番で、それも試合がはじまってすぐに成功できる人はほとんどいないでしょう」
心からの褒め言葉に、レイは幸せな気分になった――いっぱい練習してよかった。
「明日は個人戦ですね。魔術師同士の実戦ですが、危険な時は審判が止めてくれるでしょう。レイならきっと優勝できますよ」
「あ、個人戦のことだけど……」
途端、レイは言い淀んだ。アンリ先生が不思議そうに首をかしげた。
怒られるかもしれない。けれど――。
「……おれ、不参加でもいい?」
目を合わせられないまま、ぽつぽつと続けた。
「対抗戦で勝ち進んだら、悪魔祓いの研修にいけるかもしれないんだ……でも、二人だけしか選ばれなくて……みんな、真剣なんだ。マクスもリザも悪魔祓いになりたいんだって。でも、おれは別に研修にいけなくてもいいから……っ」
気まずさに耐えきれず、レイは顔を上げた。アンリ先生の表情が気になった。
「……あらあら」
アンリ先生が、ふふっと小さく笑った。まじめな話をしていたのにからかわれた気がして、レイはムッとした。
「なに?」
「レイは、自分が勝って当然だと思っているのですか?」
「ちがっ……! もし、うまくいったらいやだから……」
レイは恥ずかしくなった。たしかに勝つことばかり考えていて、負けることが頭から抜けていた。
――おれ、ジイシキカジョウってやつなのかな? チーム戦で勝てたからって、明日も勝ち進めるとはかぎらないじゃないか。
「エイブラム教授から聞きましたよ。レイは授業でもとても優秀で勉強熱心だと。ボイル教授もレイを褒めていましたよ」
「そうなんだ……」
意外だった。ボイル教授ははじめて会った時以外はそこまで話していなかったし、エイブラム教授は初対面の印象もあって、なんとなく苦手だった。
「レイ。うそをついて手を抜いても、お友達は喜びませんよ」
「……わかってるよ」
レイはドキリとした。スターレットに通っていた時と同じ言葉だった。
もう、繰り返してはいけなかった。
アンリ先生に、マクスたちに、嫌われたくなかった。
落ち込んだ様子を察したのか、アンリ先生がやわらかく微笑んだ。
「理由が必要であれば……わたしではいけませんか?」
「え?」
急な言葉に、レイは戸惑った。
「レイが立派な魔術師に育ってくれる。将来、幸せになってくれる。それが、わたしの願いです」
「そんな、おおげさっていうか、どうしたの、急に……?」
「おおげさではありませんよ。レイが許してくれるなら……本当の息子のように思っています」
「ええ!? なにそれ!?」
びっくりした。
むずがゆかった。
嬉しかった。
まともに顔を合わせられなくなって、レイは再び顔をそらした。
「レイは、いやですか?」
「いやじゃないけど……だって、もう、いっしょに暮らしてるじゃん」
――いやなはずがない。
母親はいない。父親からは放っておかれている。
レイを見てくれた人は、アンリ先生だけだった。
――普通じゃないんだ。
いっしょに暮らしている今の生活は、卒業したら終わってしまうだろう。
アンリ先生と会えなくなるかもしれない。
レイにとって今が幸せで、他の生活なんて考えたくなかった。
「レイ。対抗戦で優勝すればみんなから認められるでしょう。将来、立派な魔術師になるためには優勝することが大事なのですよ」
あたたかい感触がした。席を立ったアンリ先生が、レイを抱きしめていた。
「勝ってください。わたしたちのために」
――どうすればいいのだろう。
対抗戦がはじまる時は、チームのためにがんばりたかった。
友達を勝たせたかった。
今は、どうだろう?
先生のため? 自分のため?
なにを目指して明日を迎えればいいのか、レイにはわからなかった。
◇◇◇
朝。ユースディア魔術学校の男子寮。
マクスは目を覚ますと、窓の外を見た。薄暗かった。
「日の出かよ……」
ベッドに寝転がって目を閉じる。ところが、寝付けなかった。目が冴えているし、不自然に心臓がうるさかった。
「――っくぁ」
不意に声がして、マクスはびくりとした。隣のベッドで寝ているチェスターの寝言だった。
「ご機嫌な夢を見やがって……」
二度寝をあきらめて、マクスは起き上がった。心臓はまだ早鐘を打っている。
「……落ち着け、マクス・バーナード。いつもの勢いはどうした? おまえは祭りを楽しむ男だ……ほら、キャロットおばさんの大事な花瓶を割った時よりもよっぽど怖くないだろ……緊張なんてガラでもないくせに……」
ふと、机に置いてある手紙が目に入った。なんの気なしに手にとって中身をもう一度読む。手紙の内容は、つたない字で書かれていた。
差出人は、妹のジジだった。今年で五歳になる。
マクス、ユースディアはどう? おべんきょうしてる?
わたしは元気です。このまえは、まじゅつのれんしゅうをしたの。マクスみたいに髪の毛の色を変えようとしたけれど失敗しちゃった。でも、先っぽがちょっぴり明るくなっていたから、わたしもまじゅつしになれるよね?
わたしもユースディアに行きたいな。とびきゅうの人みたいに、マクスとおべんきょうできたらよかったのに。
ユースディアではたいこうせんがあるって聞いたの。優勝すればとってもめいよなことだって。だから、わたし、夜においのりをしています。神様に、マクスが優勝できますようにって!
本当はね、王都に行きたかったの。でも、ママもパパもダメだって。そんなお金があるなら晩ごはんのメニューをひとつ増やしたほうがいいって思っているんだわ! ウィルとアンディなんて「どうせ、すぐに負ける」だって! 信じられない!
わたしはアランをおうえんしているから。帰ってきたら、たいこうせんのお話しをいっぱい聞かせて!
優勝してね!
ジジより
追伸 次のおみやげは、マダム・マリナのマドレーヌがいい!
「欲しがりな勝利の女神だな……」
マクスは軽く笑った。手紙のやりとりは頻繁にしていて、対抗戦やレイのことを伝えていた。
着替えをはじめる。使い古した衣服に腕を通した。
バーナード家は、かつては裕福な貴族だった。
10年前、たった一体の悪魔によって領地をめちゃくちゃにされた。お人好しの父は領民を助けるために財産をほとんど使ってしまった。現在では借金を抱えるほどだ。
――ときどき、夢に見る。
好きだった街が一瞬で悪夢に変わった瞬間を。
マクスは無力だった。
昔から人を笑わせることが好きだった。ふざけて、驚かせることをして、魔術だっておもしろそうなものばかり覚えた。
けれど、芸だけではダメだった。
悪魔にすべてを壊されてはじめて知った。
魔術師は悪魔と戦うことが一番の役割だ。
強くないと、本当の意味で人を笑わせることはできなかった。
家柄の落ちたバーナード家が再興する一番の近道は、魔術師としての価値を示すことだろう。
悪魔祓いになって少しでも有名になりたい。ユースディアに通わせてくれた家族のためにも。
競技場に入り、あたりを見回す。昨日は大歓声に包まれた場所も今は静かだった。
思い出すのは、チームメンバーである最年少の同級生だ。
レイをはじめて見た時はちょうど授業に遅刻寸前で、「飛び級のすごいやつが来た」という印象だった。
けれど、見た目は他の六年生と比べてずっと小さいし、明らかに困っていた。歳の離れた同級生たちと馴染むのに苦労しそうだった。
背丈の近い弟たちの姿が浮かんだからだろう。放っておけなかった。
対抗戦のチームに誘ったのも、おせっかいな気持ちが湧いたせいだ――まさか、レイのおかげで勝ち進めるなんて思ってもみなかったけれど……。
「マクス?」
声がして、マクスは振り向いた。レイがいた。
「よう。レイも眠れなかったのか?」
「マクスが競技場にいるって聞いたから……眠れなかった?」
「おっと。墓穴を掘ったな」
マクスは頭をかいた。いつの間にか、空が明るくなっている。ずいぶんぼうっとしていたらしい。いまだに緊張が抜けきっていなかった。
二人で座って話をする。昨日のチーム戦で危なかったところや、うまくいって盛り上がった出来事を語り、笑い合った。
「おれは悪魔祓いになりたい。どんな手を使っても勝ちにいくつもりだ」
話がひと段落すると、マクスは真剣な口調になった。
「一試合目からジョイブルなんてついてるぜ。あいつの悔しそうな顔をまたおがめるんだからな。レイの相手は、マリアンヌ・アージュだろ。気をつけろよ。あいつ、強火だぞ」
「あのさ、マクス。二回戦だけど」
「ん? ああ、レイと当たるんだよな……そうだよな……」
「マクス?」
「いや、なんでもない」
マクスは首を振ってごまかした。一試合目のことばかり考えて、レイと当たることを考える余裕がなかった。
――本当はびびっている。
なにせ、ジョイブルは強い。腐っても三大貴族だ。魔力量が他の生徒とは違う。勢いでたんかを切りはしたが、模擬戦はレイがいたから勝てたようなものだ。
だからといって、諦められるはずがなかった。
夢を叶えるチャンスだ。絶対に譲れない。
気丈に笑って、マクスは自分の長い杖を差し出した。
「勝ち進もうぜ。二回戦で全力でやり合うんだ」
「……うん」
互いの杖を交差した。