12 ユースディア
王都の夜は雨模様だった。
ボイルは部屋に入ると、目が合った人物に向けて微笑んだ。
「スティーブ、久しいな」
「ボイル隊長!? ご、ごぶさたしております!」
「元、だ。とはいえ、引退した立場に甘えてしまっているな。コネを使う無礼を許してほしい。緊急だ」
ボイルが訪ねたのは、一部の人間だけが立ち入れる場所だった。
王国が誇る魔術師の部隊。その中でも悪魔討伐を主目的とする最高戦力。選ばれし精鋭の総本山。
悪魔祓いの本部である。
敬礼したスティーブをやんわりと止めると、ボイルは服の内側から小さな石を取り出した。
「辺境の街で悪魔が出た。ちょうど視察に出向いていてな。これは現場で回収した物だ。悪魔祓いに管理してもらうのが最善だろう」
赤く艶めく魔石だった。スティーブの表情が険しくなる。
「魔石……またですか」
「数か月の間に悪魔の数が急増しているな。この魔道具が原因だろう?」
「……申し訳ありませんが、捜査の詳細は話せません」
「それでいい、スティーブ。きみを信頼しているから一番に知らせたかった」
ボイルは教師に就く前、闇祓いの一隊を指揮していた実力者だった。引退した今も、部下だったスティーブをはじめ、隊員から慕われている。
「現場には子供が五人。情報によると、他に一人、壮年の魔術師がいたらしい」
「……悪魔は討伐されたのですか? 被害は?」
「子供のうち三人が魔力を吸われて衰弱している。幸い、命に別状はない。悪魔は召喚された直後に祓われた」
「さすがです」
「祓ったのはわたしではない。くだんの魔術師、となっている」
「一人で? 弱い悪魔であれば対処できるでしょうけど……おかしいですね」
「ああ、奇妙だ」
ボイルはうなずいた。
「魔石は悪魔の名を呼ぶことで起動する。しかし、肝心の名を解読する手段が容易ではない。魔石には認識を妨げる呪いがかけられている。呪いを破り、悪魔の名を解読できる者は、強大な魔力を備えた魔術師だけだ。子供ではまず無理だ」
魔石を見下ろす。レイが見た時にはあった、石の表面にきざまれていた文字が消えていた。
「つまり、姿を消した魔術師が魔石を使用したことになる。しかし、悪魔を祓ったのも当人であればつじつまが合わない」
「……魔石を処分するために、あえて悪魔を召喚した……? いえ! 的外れなのはわかっております!」
「魔石を無力化するために子供を犠牲にしようとした、過激な思想の持ち主になるな」
「被害の状況も不可解です。魔石が使われたのであれば悪魔のいけにえとなった者がいるでしょう。子供が魔力を吸われたのであれば、どうやって一命を取り留めたのですか?」
「一つだけ、無傷で救い出す手段がある」
「まさか――」
「【悪魔を祓う曙光】だ。悪魔に食われた被害者を救出できた前例がある」
ふつりと、沈黙がおりた。
「……その魔術師は何者ですか」
「スティーブ。悪魔を祓ったのが十歳の少年だと言われたら信じられるか?」
「隊長のジョークは反応に困ります」
「元、だ」
ボイルは苦笑いした。
信じられるはずがないだろう。
辺境の街に滞在していたボイルは、遠くでも察知できるほどのすさまじい魔力を感じとり、はっきりと目にした。
天上へ昇る光柱――【悪魔を祓う曙光】を。
いけにえとなったであろう子供が無事だったのは、【悪魔を祓う曙光】によって悪魔が祓われたからに違いない。
そしてボイルは、まさに【悪魔を祓う曙光】を使える魔術師の話を聞いて視察に出向いたのだ。
悪魔を祓った魔術師の正体は、レイである可能性が高い。現場から聞き取れた情報も彼の発言だったらしい。
ボイルの勘は、情報に虚偽か誤解があったと告げている。
レイは、悪魔を祓ったのは違う魔術師だと主張した。しかし、同じ街で偶然、最高位の防衛術の使い手が二人も居合わせるはずがない。
悪魔を召喚したのは壮年の魔術師。そして悪魔を祓ったのはレイと考えればつじつまが合う。
では、なぜレイは自分の功績を隠そうとしたのか。
スターレット魔術学校で授業を見学した際、レイは魔術を失敗していた。仕組まれたように滑稽な失敗の仕方だった。あれが故意によるものであれば、彼の意図が浮かび上がってくる。
レイは実力を低くみせている。【悪魔を祓う曙光】は一度きりの奇跡だった、と広めたことからも明らかだ。
普通の子供であれば力に酔い、調子に乗りそうなものだが、レイは謙虚に見えた。むしろ優れた才能を嫌がる素振りすらあった。
……異端な少年だ。
一人で、それも子供が悪魔を祓うのは現実離れしている。これだけ推測してなお、ボイル自身も半信半疑だった。
「……魔石を使ったのも、レイ? あれだけの魔力量であれば解読できるかもしれない……ならば、魔術師は最初からいなかった……しかし、魔石が子供の手に渡った元凶は…………」
「なにか気になることが?」
「いや……近頃はどうも深読みが過ぎるようだ」
浮かんだ推測がばかばかしくて、ボイルは首を振った。
脳裏には、幼い姿と不釣り合いな強大な魔力の気配が残っている。
レイはまもなく王都へやってくる。真の実力がわかるだろう。
◇◇◇
王都に着いたレイが第一にしたことは勉強だった。
ユースディア魔術学校へ転入が決まっていたものの、入学前に試験を受けることになっていた。点数が低くても入学できる、とアンリ先生は言っていたが、レイは不安だった。残された時間で一生懸命に知識を覚えた。
試験当日。新居で出発の準備を終えると、いよいよユースディア魔術学校へ行く時がやってきた。
アンリ先生はレイが迷子にならないか心配しているようだった。すでに教えた道を繰り返し伝え、最後にはいっしょに行くと言い出した。
子供扱いがいやで、レイはムキになって反論した。
「一人で行けるよ!」
王都は今までに行ったどの場所よりも広く、賑わっていた。レイは引っ越してから覚えた道を歩いて、どうにか目的の場所までたどり着いた。
ユースディア魔術学校は街の中心部にあり、建物の中でも特に大きかった。外観は城のようで、校舎が塔のようにそびえ立っていた。
校門を通ってしばらく歩くと、レイは途方に暮れていた。
どこに行けばいいのだろう? 渡された手紙を見直しても、教室名が書いてあるだけだった。位置なんてわからない。
誰かに道を聞こう、とレイは方向を変えて走り出した。近くで魔力を察知していた。その魔力は距離が近づくほどにはっきりと感じられるほど大きく、わかりやすかった。たぶん、教師だ。それにどこか、安心できるような雰囲気がある。きっと優しい人だろう。
大きな魔力の持ち主は女の人だった。レイに背を向ける形で歩いていた。
「あの、教室の場所を教えてくれ――」
声をかけたレイは、振り向いた女性の顔を見て息が止まった。
今までに見たことがないほど顔立ちの整った女子だった。大人っぽいけれど、まだあどけない若さが垣間見える。教師ではなく生徒だろう。輝くような金の長髪に、青色の目――すごくきれいな人だ。
女子生徒は振り向いた直後は冷めているようにも見える無表情だったが、レイと目を合わせると、やや不審そうに首をかしげた。
「あなた、新入生? 今日は休日よ」
「あの、おれ、違くて。テストを受けるために、この教室に行かなくちゃいけなくって」
言葉につっかえながら、レイは手紙を見せた。なんとなくどぎまぎした。
手紙を読むと、女子生徒が眉を寄せた。
「……転入試験? この教室なら、中央の階段を上がって右に曲がりなさい。一番奥の教室よ」
「あ、ありがとうございますっ」
「合格できるといいわね。それと、あなた……魔術師なら胸を張りなさい」
女子生徒が両手を伸ばす。レイの肩を押して背筋を伸ばす格好にすると、うっすらと微笑んだ。
「一人前に見えるわよ」
レイがあっけにとられている間に去っていった。