5-終わりの始まり
ノインが覚悟を決め、雷閃と立ち上がる数十分前。
セイラム――付近の集落に足を踏み入れたマリーは、左右に執事とガンマンを従えながら、この國の歪みに立ち向かっていた。
「すみません、皆さん。ほんの少し落ち着いてみませんか?
不安だとは思うけれど、怖いとは思うけれど、今の状況ではすべてが悪化するだけです。人間は、人が思っているよりも善良に在れます。少しの理解。それだけで、分かり合えるのです。人だけが、言葉を持っているのだから。
ほんの少し理解する気持ちを持つことで、小さな優しさで、世界はより良くなるのです」
「魔女共を殺せぇーッ!!」
「ひゃはは、殺し返してやんよオラァ!!」
普段であれば、彼女という善良な存在が現れた時点で人々の心は幾分か落ち着きを取り戻し、少しずつ正常に戻っていたことだろう。
決して揺るがず清く正しい少女は、こんな國だからこそ絶対的な正しさの指針として機能していたのだから。
誰よりも非力な少女なのに、どれだけ危ない時でも己を顧みず寄り添ってくれるのだから。
だが今回に限って言えば、もう彼女が出てきただけでは落ち着かせることなど不可能だ。普段なら人々に染み渡る声も、心を癒やしていく笑顔も、今は誰にも届かない。
澄み切った声は張り上げられているのに、本来心地良い声はドロドロとした地獄のような叫び声に飲み込まれていた。
「マリー様……」
「これ、やっぱ無理なんじゃねーかな」
「皆さん! ほんの少し、落ち着いてみませんか――!?」
デオン達は気遣わし気に顔色を窺うが、依然としてマリーは諦めずに立ち向かう。悲痛な色を湛える瞳が映しているのは、狂気に飲まれた人々が殺し合い、瓦礫や血が飛び散っている悲惨な光景だ。
「今、目の前の相手が反撃して来ているように!
もしも、武器を向けている相手に優しさを向けられたなら、相手からも優しさが返ってきます!
それこそ、誰もが求める平穏への第一歩で――!!」
極稀に、意識を向けてくれる者くらいならいる。
しかし、完全に正常に戻ってくれる者などいないし、仮にいたとしたらその瞬間には殺されているだろう。
事実、少し気を逸らしてしまった人達は、次の瞬間には死にかけてまた殺し合いに戻っていた。
この戦いが続く限り、彼女の声が届くことなどない。
そして、戦いはセイラム全体に広がっているため、止めるのは不可能だ。
マリーはなおも、声を張り上げ続けるが……
なんの結果も出せず、呼びかけは延々と続いている。
その、刹那。
「ッ!?」
突如として向けられた殺意に、デオン達はすぐさま反応して身構える。キッドはともかくとして、彼女は麻痺が残る身でありながら……それぞれ、レイピアと銃を敵に向けていた。
善良な心やカリスマ性以外はただの少女でしかないマリーは、状況がわからず戸惑うばかりである。
「え、え……? どうしたの?
まさか、私達も敵だと思われてしまったのかしら?」
「それよりもなお悪いですね……私達も、敵なのではありません。私達だから、敵なのです」
「これはちっと不味いぜ……!! 2人で来るんじゃなかった」
流石に呼びかけをやめざるを得なかったマリーを気遣う余裕すらなく、護衛達は厳しい表情で警戒を続ける。
彼女は何があっても守る対象なので、もちろん安全な中央にいるのだが……
この場には2人しかいないので、壁を作って完全に守り切るということができない。しかも1人は後衛であり、國中が敵になりかねない現状の中少数で護衛するというのは、かなり無茶な話だった。
協会に指名手配されてから、長らく逃亡を続け、魔女狩りをくぐり抜け、反乱も生き残ってはいるが。
構成員もいない今回ばかりは分が悪く、彼女達はつぅ……と脂汗を流している。
「私達だから、敵……? そんなの、おかしいわ。
だって、私はただ平穏を取り戻そうとしているだけで‥」
「それを望まない者が、いたのでしょうね。
ともかく、絶体絶命です。一旦逃げますよ。巻き込んではいけませんので、私達から離れすぎず近すぎずの位置をキープしてください。注意すべきは、屋根の上にいる彼女達」
マリーがデオンに示された先を見ると、そこにいたのは4人の殺人鬼。自分よりも大きなハンマーを持った幼女、さらに巨大な斧を持つ大男、杖を持った魔女のような格好の淑女、ナイフだけを持った身軽な格好の少女……
暴走しているという以上に、ただ殺すために殺しをしているような、頭一つ抜けて強い強者達だ。
とはいえ、彼女達も暗殺者ではないので、奇襲してくることはない。ギリギリの殺し合いやより魂に響く死に際の悲鳴を求めているのか、正面から襲いかかっていく。
~~~~~~~~~~
「なんで……? 戦いは、終わったんじゃないの……!?」
同時刻。数少ない正常な精神を保った者であるアビゲイルは、殺し合いに巻き込まれないよう陰を歩きながら、苦しげに声を絞り出していた。
もっとも、彼女の場合は最初から壊れていると言っても過言ではないのだが……どちらにせよ、自身の思いとは裏腹に、常に何かの元凶となってしまう諸悪の根源は、フラフラと街を進んでいる。
「あの人が、診療所の人が、止めてくれたじゃないっ……!!
シャルルの師匠だから、きっと終わらせてくれたって!!」
数多の魔女裁判、魔女狩りの元凶となった狂言師であるはずなのに、彼女はつかの間の平穏をこそ渇望して叫ぶ。
その声すらも、國中で鳴り響く殺し合いの騒音によって誰にも届かない。
フラフラと、フラフラと。誰にも気付かれないまま、誰にも理解してもらえないまま。すべてを悪い方向に進めてしまう少女は、運命の場所に辿り着く。辿り、着いてしまう。
「……え? ……ち、がう。違う、違う違う違うッ!!
あたしは、ただ少しでも多く長く生き残ってほしくて……!!
協会から逃れて隠れられるように。ただ、それだけのために……こんなつもりじゃ、こんなつもりじゃなかったのに」
少女の瞳に焼き付いてくるのは、先の反乱で自身が戦う力を与えた数名の魔女が、人を殺している光景。それも、殺人鬼となって他ならぬマリーを殺している光景だった。
デオンとキッドも抵抗しているが、敵は2倍の人数だ。
住民の暴動もあるため、守り切ることなどできはしない。
自分達もボロボロになりながら、惨たらしく殺され血を吹き出している、聖女とすら言える善良な少女の最後を見せられている。
そんな悲惨でやるせない光景を、アビゲイルもまた、なにも出来ないどころか元凶となって見せられていた。
「あの子は、誰よりも善良だった……!! あの子だけが、この國で唯一の良心でッ……清く、正しい、希望、だったのに……
あたしが、彼女のようにできたら、こんなことにはっ……」
より辛いのは、マリーがまったく断末魔の声を出さなかったことだろう。腹を裂かれ、腕を潰され、足を切られ、全身を貫かれ、噴水のように血を吹き出しているというのに。
彼女は最後まで、大切な人を悲しませないように堪え切り、また残される者を想って言葉を残そうとしていた。
だが、か細い声はアビゲイルの元までは届かない。
何も出来ず、何も受け取れず、ただこの最悪の結果を生み出した元凶として、彼女は悲痛な叫び声を上げる。
「あああああああああああああッ……!!」
叫び声は長い苦しみを反映しているのか、あまりにも大きく世界に響く。その影響で、マリーの言葉は戦っているデオンにすら届かず、彼女が狂気に飲まれる原因に。
こんなところでも、アビゲイル・ウィリアムズは諸悪の根源だった。
「あぁっ、マリー様!! ごめんなさい、ごめんなさい……
私が、護衛すると言っておきながら……あぁぁぁぁぁぁッ!!」
マリーの声ではなく、アビゲイルの悲痛な叫び声を聞きながら、デオンは焦点の合わない目で主を見る。
もはや彼女には、引きこもっているはずのノインがこの場にやって来ていたことすら、見えていない。
もちろんノイン自身にも、デオンやアビゲイルなど気にする余裕はなく。既に手遅れになっている幼馴染みを見つめて、グジュグジュと精神を蝕まれていた。
「あぁ、なんで……なんで……
私が、僕が、俺が、遅かったから? マリー……!!
あぁぁあぁぁぁあああぁぁあっ……!!」
4人の殺人鬼が意気揚々と去っていく中、集落にはノイン、デオン、アビゲイルの叫び声が響き続ける。3つの悲しみは混ざり合い、世界を揺るがす音色を奏でていた。




