2-優しさに満ちた場所
処刑人協会が滅んでから数日後。処刑人だったシャルルには、もう処刑の仕事が命じられることはなくなった。
多少、その心得があるシャルロットも同様だ。
本来の人格であるノインに至っては、言うまでもなく。
すべての罪を受け入れた彼女達は、自宅でのんびりと温かな時間を過ごしていた。といっても、もちろん彼女達の気持ちが楽になるということではない。
シャルルは依然として疲弊したまま、シャルロットも存在がフワフワと不安定で、ノインは塞ぎ込んでいる。
本来の人格が消えることはないのだが……残る2人は存在意義が揺らいだため、出てこられても途切れ途切れだ。
そんな彼女達を、マリー、雷閃、そして隠れる必要がなくなり泊まっているデオンなどが、優しく包みこんでいた。
「ノインちゃん、お腹空かない?」
今朝も、家族写真が飾られた寝室のベッドでパジャマのまま突っ伏しているノインに、マリーが優しく呼びかける。
無理強いは良くないと放っておけば、何時間でも何日でもこうしているため、頻繁に声をかけてリビングに呼んでいるのだ。
「……別に」
「うーん、でもとってもいい匂いよ?
時間的にも、そろそろ食べないとよくないわ」
「……ん。じゃあ、食べる」
もちろん、ノインはいつ声をかけても乗り気でなく、まずは断る。しかし、そう何度も断る気力もないのか、単に言われた通り動く方が楽だからか、彼女は押せば動く。
今朝も食欲や気力はなさそうだったが、勧められるがままに起き上がると、手を引かれてみんながいるリビングに降りていた。
「おはよ〜、ノインちゃん」
「おや、来ましたね。おはようございます、ノイン。
今日こそ十分に食事をし、笑ってもらいます」
「デオンお姉さん、まひ残ってるんだから大人しくしてなよ。ご飯なら、ぼく……はそこまで上手く作れないけれど、マリーお姉さんが完ぺきに作るんだからさー」
2人がトントンっ……と軽い音を響かせながら起きていくと、下にいた雷閃とデオンが笑顔で挨拶をする。
彼女も元々マリーの執事をしていたと言うだけあって、数日ですっかりこの家に馴染んでいた。
もっとも、今の彼女には脳の損傷と麻痺が残っているので、今までのように世話をすることなどできないのだが。
今日もキッチンに立とうとしていたが、すぐにノインを雷閃に預けたマリーが駆けつけ、止められてしまう。
「こうしてノインちゃんが起きるのを待ってから朝食の準備をしているのは、あなたに無理をさせるためじゃないのよ?
あの子に作ってる時の香りとワクワク感を感じてもらって、食欲とか元気とかを取り戻してもらうため。
あなたも対象なのだから、待っていてデオン?」
「……はい」
マリー至上主義であるデオンが、仕事をさせないため、助けて楽してもらうためとはいえ、彼女に逆らうことなど至難の業だ。
もう何度も繰り返している通り、不服そうにしながらもすぐに何も言えなくなって、引き下がっていく。
代わりに手伝いに入るのは、役割を交代した雷閃だった。
2人が朝食の準備をしている光景を、いくつかの意味で苦しそうに眺めながら、彼女は任されたノインの相手を始める。
「今日も元気がないですね、ノイン。
たまには笑ってあげればいいのに。
君だって、マリー様は好きでしょう?」
「……ん。でも、失いそうで怖いから」
「この場所や私達を? ふん、そんなことがあるものか。
一体なんのために、雷閃くんや私が一緒に暮らし守っていると思っているんだ。ここはこの國で1番安全だ。
そして、優しく温かい場所です」
「……それはわかってるけど」
のんびりと会話をしていたデオンだったが、どこまでも暗く塞ぎ込んでいる彼女を見ると、呆れたように息をついてやれやれと首を振る。
ノインは相変わらず無表情だが……キッチンからは、すでに食欲をそそるいい匂いが流れてきていた。
「はぁ、あなたにも直接言いましょうか?
あなたに罪があることは私も認めます。しかし、同時に誰よりも強い覚悟を持っていたことも知っている。
だから私は、あなたを赦す。あなたは決してただの罪人ではなかった。本来は悪とされることであれ、この國では仕方のないことだった。その中でも正しくあろうとしたあなたは、たしかな善性を持っていたと言えるのだと」
「……ん。2人に、言っておく」
「あなたに言ったんですよ、ノイン」
真っ直ぐ目を見て紡がれた言葉に、ノインは誤魔化すように言葉を返す。だが、デオンは臆さずはっきり気持ちを伝え、距離を詰めて頭を撫でたり髪を梳いたりし始めた。
最初、シャルロットにはやや当たりが強かったのだが……
ちゃんと向き合ったからか、今の人格が彼女ではないからか、すっかり頼れるお姉さんといった雰囲気だ。
「……万全な状態なら、もう2回は出てきて拒絶するのに」
「何か言った?」
「いいえ、なんでも。ほら、もうご飯ができたようですよ」
ノインはポツリと呟かれた言葉を捉えて聞き直すも、朝食ができたことで誤魔化される。とはいえ、元々そこまで気にする内容でもない。彼女はほんわかと料理を運んでくるマリー達を見て、かすかに表情を緩めていた。
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食後はたいてい、リビングでのんびりとする。
本心で言えば寝室に引きこもりたいだろうし、特にやることもないのだが……
読書をしている雷閃、家事や縫い物などをしているマリー、リハビリをしていたり新聞を読んでいるデオン。
彼女達の様子を眺めたり、たまに会話をしたり。
そういったことをして、穏やかな時間を過ごしていた。
ただ、今日はいつもと違う部分が1つある。
それは……
「いやぁ、無事に象徴が滅んでよかったわねー」
ポニーテールに帽子を被った、かなり薄着でスポーティーな少女が、いつの間にか紛れ込んでいるということだ。
おそらくジョン・ドゥだと思しき彼女は、マリーやノインに聞かれないよう意識しながら、デオンに情報提供している。
「ただ、ちょーっと懸念点もあるのよ。
もうピーピング・トムに聞いてるかもだけど」
「エリザベートとトッドの遺体が、消えたことか?」
「そうそう。トッドはともかく、エリザベートはあの子が姉と慕っていたみたいだし、伝えちゃだめよ?」
「わかっている」
「それから、組織が気にする余裕もない話もあるの。
マシューを含め、協会幹部の遺体まで消えたわ」
「……それは、何を意味していると思う?」
「さぁ? 私はただの情報屋だもの。調べて伝えるだけで、考えたり対処したりするのは他の人の仕事だわ♪」
少し思案してから深刻な表情で問うデオンに、ジョン・ドゥは清々しいほどのいい笑顔で言い放つ。
あまりにもあけすけな言い方で、彼女もその一瞬だけはふっと緊迫感を緩めている。
しかし、何が起こっているかは謎だが、事態は中々に深刻だ。明らかに、何かが起こる前触れだろう。
読書しながら聞き耳を立てていた雷閃同様、すぐにまた厳しい顔つきに戻っていた。
とはいえ、話から遠ざけられたノインやマリーからすれば、今はただの平和なひとときだ。不穏さなど欠片も感じることなく、のんびりと過ごしている。
「そういえば、ここ最近アマデウスに会っていないわね。
あなたもいい関係を築けていたし、寂しいでしょう?」
「……別に、私がしたことじゃない。
いい、相談役では会ったみたいだけど」
「こうしてジョンさんも来てるんだし、たまには顔を見せてくれてもいいのにねー」
「……」
なんの気無しに交わされるやり取りに、雷閃とジョン・ドゥは思うところがありそうな雰囲気で目を向ける。
だが、今起こっている不穏な出来事からも遠ざけられているのだから、口を挟むことはない。
この國で唯一、揺るぎない善性を持つ少女と、もう精神的に限界に来ている少女は、悪意から切り離された場所で穏やかな日々を過ごし続けていた。
しかし、そのすべてがやがては壊れるものだ。
どこよりも安全で、穏やかな場所であるこの家の外でも。
人々は不気味なくらい平穏に過ごしているが。
不穏な気配は、着実にこの平穏な日常を蝕んでいた。




