0-芳しき死を
「あなたは、なぜこんなことをするのです?」
レンガ造りの家が密集して、若干煙っぽくなっている街――首都キルケニー。今と変わらず、國の中央にそびえ立つ偉大なる処刑人協会の中で。
この國に死を蔓延させた元凶である、マシュー・ホプキンスを前にして、その人物は面白そうに問いかける。
処刑を始めた男であり、今なお処刑を牽引している会長は、ヨハンに負けないくらい機械的だ。
無表情で、無感情で、ただこの國に死を振りまくためだけに存在しており、有能でも容易く切り捨てる。
そんな相手を前にしているというのに、ローブで全身を隠したその人物には、欠片も臆した様子がない。
礼儀正しい口調をしていながらも、どこかヘラヘラとした雰囲気で返事を待っていた。
「……こんなこと?」
その雰囲気に当てられているのか、そこまでこの人物のことを買っているのか、マシューは質問に眉をひそめるだけだ。
注意することもなく、命令することもなく、この場には空虚な空気だけが流れている。
「とぼけないでくださいよ〜。理不尽な死と、あまりに一方的な処刑と、異端の魔女が渦巻いているこの國。
そのすべては、貴方が100年以上昔から管理していることでしょう? 正気の沙汰とは思えない!
だから……貴方はなぜ、こんなことをしてきたのですか?」
「別に、理由などない」
場違いな朗らかさで笑い、長々と言葉を紡ぐ人物に対して、マシューはどこまでも淡白に一言で済ます。
この國は血に塗れているが、地上の汚れに触れることのない月明かりだけは、綺麗に輝いていた。
その輝きを一身に受けながら、その人物は笑う。
素っ気ない反応を気にせず、さらに言葉を続けている様は、舞台に立った役者のように大仰だ。
「理由がない!? そんなはずはありませんよ!
この世界のすべてには、何かしらのきっかけがあるものだ。
腹が減ったから飯を食う。汚れたから風呂に入る。
呼吸や脈動も、意識してないだけで理由はある。
今こうして話していることにすら、理由はあるのです!
それなのに、死を生むなんてことに理由がない〜?
ありえないでしょう、そんなこと!」
「よく、喋るな」
「やぁ〜、何事も全力で楽しむ質でして。
貴方との会話も、緊張して楽しめないのはもったいない。
もちろん、殺しも大好きですよ? だから……さ。
あなたの理想を理解するためにも、目的を教えておくれよ」
片手で石を弄びながら、反対の手でナイフを回している人物は、最終的に友人か何かのような気安さで話している。
しかし、理不尽なはずのマシューが咎めることはなく、彼は遠く昔の夢を見つめるように遠い目をして言葉を紡ぐ。
「本当に、理由はない。ただ……いつか見た彼女が、女神かとと思える程に美しかったのだ。私自身にあるのはそれだけだ。あの方に憧れ、望まれるように動いている」
「うん? それが理由でしょう? あるじゃないか」
「それを理由とするかは、解釈によって異なるだろう?
私はあの神秘的な存在に成りたいのかもしれないし、ただ命じられただけかもしれない。もしそうであれば、先程の私が語ったことは、さらに一歩前の理由だ。
もしくは、理由ではなく目的だという可能性もある。
この國の処刑は、あの方のように成りたいから行っているのか、あの方のように成るために行っているのか。
後者であれば、理由よりも目的の意味合いが強いだろう」
「ニュアンスの違いでしかないんじゃないか?」
「そうだな。私としても、どちらでもいい。
元々いつやめてもいいような、大した意味のないことだ。
どうあれ、その過程で私は死ぬ」
「……は?」
珍しく長々と話しているマシューだったが、その言葉は本質をはぐらかすかのようなものばかりだ。
無関心ではない代わりに、ほとんどが無意味な戯言ばかりである。
だからだろう。唐突に放り込まれた爆弾に、その人物は虚を突かれて表情を歪めた。とはいえ、取り乱すことはない。
しばらく目を泳がせて混乱を露わにした後、呆れ返った様子で語りかけていく。
「尚更わからないな。あんたはなぜ死ぬと……いや、誰かに殺されるとわかっていながら処刑を続ける?
あんたがそこまで憧れているようには見えないし、信仰していたとしてもここまで殺し続けるもんか?」
「もし、理由をつけるとしたら……そうだな。なんとなく、やめる理由もないから。これが1番適切かもしれない」
「ぷっ、あっははは! なんだいそれは!?
本当に伽藍洞とは傑作だ、面白すぎる!」
ようやく聞き出した答えに、その人物は笑い転げる。
体を折り曲げ、床を叩き、果てには本当に転がり回り……
やっと落ち着きを取り戻した頃には、フードはすっかりずり落ちて素顔が見えていた。
「あー、面白い。面白いから、その結末を見たくなったよ。
君が殺された先に、一体なにが待っているんだろうねぇ」
灰色の髪をワックスで固めた、凛々しい顔つきの若い男は、血に餓えた表情で楽しげに笑う。
手駒にするには、やや使い勝手が悪そうではあるが……
なるほど、実力や気質は、かなりこの國やマシューの意思に即したものなのだろう。彼が買っているらしいのも納得だ。
「セイラムは、日々死が渦巻く異端の魔女と処刑の國。
その果てに生まれるのは、死そのものであろうよ。
暇なら付き合え。土壌はとうに、育っている」
「了解だ、ムッシュ。君が育み、芽を出したものは、僕が責任を持って見届けよう。その候補として、僕も弟子でも取ろうかね。どうせ暇だし、適当に歪ませた子を」
「いいのではないか? どうせ命を懸けるなら、フィナーレに至るまで良い音色を奏でてもらいたいところだからな。
我々で生み出すとしよう、この國の最高傑作を」
マシューの本性が明かされたことで、男の疑問も解消されて話はトントン拍子に進んでいく。
流れるような、舞いでも舞っているかのような軽やかさで、死の予感は密度を増す。この世はやはり、どこまでも残酷で醜悪なものだった。
「私は貴様に干渉しない。何をしようと罪に問わない。
だが……期待はしているぞ、ジャック・ザ・リッパー」
去っていく男の背中に、マシューはやはり冷めた声音で呼びかける。月明かりに照らされた若者――ジャックは、凶暴さを紳士的な笑みで隠しながら、片手を上げて応じていた。
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時は経ち、現代。ル・スクレ・デュ・ロワが起こした反乱が、処刑人協会を討ち滅ぼしていた頃。
一部、その助力をしたと言えるアビゲイルは、人々が傷付いている姿を高所から見ながら、苦しんでいた。
「みんなが、傷付いている。あ、あたしは……こんなつもりじゃ、なかったのに……みんなを落ち着かせたくて、誰にも傷付いてほしくなくて……でも、マリーのようにはできなくて。あたしにも、あの子みたいな善性があればっ……!!」
眼下で繰り広げられるのは、数多の処刑人と組織の末端構成員、そして彼女が扇動して戦う力を与えた住民による、延々と終わらない殺し合いだ。
雷が降っても、鎖が虐殺を始めても、協会が崩壊して天空要塞を形作っても。狂気に染まった彼らはそう簡単には止まらない。
もはや誰にも止められないうねりとなって、セイラムを終幕へと向かわせていた。もちろん、それを止めるべく雷閃などは動いているのだが……彼という超常の存在が現れた事自体が人々を暴走させる原因になってしまう。
デオンが釘を差した効果も薄く、人々は殺し、叫び、怒り、恨み、苦しみ、泣き喚く。終わらない死が、そこにあった。
「……え?」
だが、それも彼がこの場にやって来るまでのこと。
涙で視界が曇っていたアビゲイルは、遠目に闘争が収まっていくのを遅れて感じ、人々の前に立つ男を見る。
そこにいたのは、灰色の髪をワックスで固めた紳士。
いつもと違ってパイプを手放している、シャルルの師匠――ジャックだった。
「あの人、たしか寂れた診療所の……戦えたの?」
彼は医者でないにも関わらず、診療所を占拠している不可思議な治療者。なぜこんなところにいるのか、どうやってこの騒ぎを治めているのか、そのすべてが不明である。
しかし、なにはともあれ彼のお陰で騒ぎは収まった。
それだけは確かな事実であり、誰もが彼を信じ切るには十分な出来事だ。
処刑人協会は滅び、暴動も終わっている。
それでも……人々の前で笑う男の姿は、極一部の者――片隅にいる奏者にとっては、嵐の前の静けさに他ならない。
――さて、苦悩に満ちた少年少女よ。
――フィナーレはもうすぐそこだ。
――じきに、この國は破綻を迎える。




