17-悪性断罪神殿セイラム・後編
マシューの命令によって、シャルルのギロチンは振り上げられる。それは、魂に語りかけられる絶対の命令――言霊。
いわば、体を洗脳する不可思議な力だ。
たとえシャルロットから人格を切り替えても、耳があるのだから防ぐことなど出来はしない。
もしも彼に、命令を弾けるだけの精神力があれば別なのかもしれないが……彼らは最初から1人の意識から生まれたもの。
ここに存在している時点で、精神力の強さに関わらず存在が劣っているため、逆らうことなど不可能だった。
数多の人々を殺してきた凶器は、今まさに自分自身の頭蓋を砕こうと力を込められ……
「……先程の命令を、貴様は受けていないということか」
瞬間、マシュー・ホプキンスの足元の地面を砕いた。
しかし、絶対の命令に逆らわれたというのに、彼はまったく動じない。
この出来事にすら興味がないのか、いつも通りの陰鬱とした無表情で、淡々と事実を受け止めている。
それどころか、この状況の分析までしている始末だ。
まさに、死が渦巻く、異端の魔女と処刑の國を象徴するような邪悪であり、歪みを生んだ諸悪の根源。
相変わらずの風格を漂わせている紳士に、シャルロットはギロチンのワイヤーを握りながら凛と言い放つ。
「そうだね。シャルルに下された命令なんて、僕は知らないし関係ない。さっき僕に下されたものも、もう終わったことだ。僕達はあなたに命令されない。この世界で僕達だけが、あなたに逆らって殺せるんだ。だから……」
「人格を消耗してでも、私を殺すと」
「その、通りっ……!!」
ワイヤーに引かれるようにして迫る少女を、マシューは完全に死んだ暗い目でつまらなそうに見つめる。
その手には杖くらいしか武器になるものがなく、対する少女はいつの間にかナイフを握っているというのに。
対策を立てられていてもなお、言霊に絶対の自信を持っているのか、はたまた本当に自らの死すら気にしていないのか。
彼は無関心、もしくは余裕の態度を崩さない。
「手を離せ。這いつくばっていろ、頭が高い」
「っ……!!」
まったく揺らぎのない声で命じられ、シャルロットはやはり素直にワイヤーから手を離す。命に関わるものではないからか、抵抗すらできていない。2つ目も同様だ。
ただ自尊心を傷つけるだけの命令であり、これまでの積み重ねもあって慣れてしまっているもの。
ついでに威圧感も混ぜ込まれ、彼女は言われるままに這いつくばって地面に全身をくっつけていた。
「なに、この命令? ちょっと生ぬるいんじゃないの?
それに……ただ辱めるとか、舐めた真似しやがって!!」
四つん這いになった少女を見下ろすマシューは、相変わらず無表情で興味なさげだったが……もちろん、この隙を見逃すほど間抜けではなかった。
ツカツカと歩み寄ると、途中から人格を切り替えていた少女を杖で殴打する。命令通り這いつくばり、身構えることすらできていないシャルルが防御できるはずもない。
ほとんど無抵抗に、彼は殴り飛ばされていく。
「ぐっ、死ね!!」
「外れろ」
くるくる回転するように飛ばされながらも、可憐にスカートを揺らしながらナイフを投げるが、命令は止められない。
耳のない無機物ですら、周囲に響く音を本体に伝えて命令に従っていた。
「ギロチンはなく、ナイフも当たらねぇ。
が、まだまだ武器はあるんだよ!!」
「捨てろ」
「何をかな? まぁ僕には関係ないけど、ずいぶんお世話になったからね。この銃弾を、捨ててあげる!」
シャルルが取り出した鉄扇が捨てられることはなく、しかしすぐに使われることもない。
先程よりも目に見えて攻撃的になったシャルロットは、目にも止まらぬ速さで銃を取り出すと、すぐに撃つ。
それも言霊によって逸れていくが、次の命令が下される前に鉄扇を開き、舞うように優雅な動きで急接近する。
「足を折れ」
「誰が、テメェの命令なんざ聞くかよ!!」
「踏み外せ」
「ここまで来たら、体勢を崩してても殺せるもんね!」
精神が崩壊しかねないスピードで、彼女達は入れ代わり立ち代わり人格を切り替えて命を狙う。
言霊に予備動作などなく、言葉一つで現実となるため、少し遅れれば致命的な事態になりかねないのだが……
幸いにも、命にかかわらない命令が続いているお陰で、殺しに影響しないレベルのミスしか起きない。
シャルロットは体勢を崩したものの、ダンスの要領で正確に鉄扇をマシューに向けた。また死ねと命令されても、きっとこの距離なら止まらないはずだ。
仮に止まっても、シャルルに切り替わればすぐに殺せる距離にいる。杖で防ぐことも不可能で、この反乱は成功するかに思われた。……しかし。
「ふむ、昇れ」
「……!?」
こういった場面でのお約束とばかりに、状況は一気にひっくり返される。昇れ。たった一言だけで地面はめくれ上がり、シャルロットは天に突き立つ岩柱に弾き飛ばされていく。
しかも、マシューの言霊が動かしたのは彼の足元の地面だけではない。協会本部全体が、揺れ動いていた。
「いやいやいや、これは流石に聞いてないよ……」
なんとか体勢を立て直したシャルロットは、次々にめくれ上がって空へと昇っていく建物を見て、あ然と呟く。
視界に飛び込んでくるのは、はっきり言って天変地異だ。
命令の規模が、今までの比ではない。
協会の床はもちろんのこと、立ち並ぶチャーチチェア、奥に飾られた神秘的な十字架、弱々しく輝く燭台、奏者のいないグランドピアノ、壁や天井などの建物自体。
ありとあらゆるものが、マシューの命令によって空に昇っていた。言霊自体がとんでもない技ではあるが、それにしてもこれは明らかにやり過ぎである。
命令の対象にされていなかったシャルロットは、何もできずにただこの光景を見ることしかできない。
標的である会長も、今は遥か上空だ。
「命令は回避できるけど、これはどうやって殺せば……」
「なんだ? この國で最も優れた処刑人が、たかが天変地異一つで殺しを諦めるのか?」
「……!?」
ある程度上昇が落ち着いても動けないシャルロットだったが、いきなり背後から鋭い言葉をかけられたことで、弾かれたように振り返る。
するとそこにいたのは、足を引きずりながらも何とかこの場にやって来ていたシュヴァリエ・デオンだ。
パンツスーツを血で染めている彼女は、今にも倒れそうになりながらも、決して揺るがず言葉を紡ぐ。
「君は、多くの無実の者達を殺した。フランケンシュタインじみた軟体動物をも鏖殺し、フランソワ技師、ジル回収人を処刑した。果てに、大規模な魔女狩りも治め、吸血鬼じみた食人主義者――君の慕うアルバート老すら殺してみせたじゃないか。今さら、何を臆すことがある?」
「……ふぅ。こんな場所でも、君は僕を責め立てるんだね。
紛うことなき殺人鬼で、友や保護者すら殺したんだって」
「それはたかが一側面に過ぎないでしょう? 君はたしかに数多の者達を殺してきたが、無意味に殺してはいない。
生きるために、不安定な秩序のために、君は殺し続けた。
私からすれば、現実と向き合えない愚か者とはいえ……
これほど歪んだ國では、ただの娘が生き残ってること自体が偉業です。あまつさえ、國の混乱を防ぐ役割をも担い、今はすべての罪を背負って悪に立ち向かっている。
そんなあなたを、一体誰が責められるでしょう?
君はそれだけのことを為してきたんだ。結果として、恐怖を振りまく存在になったとしても。この事実は揺るがない。
ならば、迷うな。君は処刑人だ。すべてを殺す者だ。
この程度の天変地異、軽くねじ伏せて殺しなさい。雷閃くんの代わりにはなれませんが……私も手を貸します」
「……」
騎士のように真っ直ぐな言葉を聞きながら、シャルロットはもはや天空要塞と化している協会本部を仰ぎ見る。
その様は悲壮感に溢れており、だが同時に、救われたように晴れ晴れとしていた。
「……僕は、ただ殺しから逃げただけなんだけどなぁ。
だけど、君に認められたならビビってられないね。
君は私と違って、最初から立ち向かっていたんだから。
俺が殺してきた人達を除けば、誰よりも私達を否定する資格を持っていて、実際に否定していたはずの人なんだから」
「シュヴァリエ・デオンが認めましょう。
あなたの罪を、その覚悟を。そして同時に赦します。
あなたは決してただの罪人ではなかった。本来は許されざることでも、この國では仕方なかった。その中でもかろうじて正義を求めたあなたは、正しかったのだ……と」
魔女狩りで殺した魔女認定者――被害者であるペトロニーラ達に許され、ここでも対抗組織のリーダー――現実から逃げなかったデオンに許された。
その上、マリーのような善性を持つ少女が生きやすい世界や自分の命がかかっているとなれば、もう迷うことはない。
鉄扇を投げ、落下してきた瓦礫を使ってギロチンを自分の元に来るよう飛ばすと、キャッチしたそれを天に掲げる。
「じゃあ、始めようか。この國の悪性を滅ぼす時間だ」
「長い戦いでした。しかし、それも今宵で終わる」
「飛ぶよ、デオン!!」
「任せなさい。たかが麻痺や空飛ぶ神殿如きが、私のマリー様への忠誠を阻めるものか!!」
愛用の武器を得た処刑人と、麻痺を精神力だけで覆す組織のリーダーは、巨人の手足のように襲い来る瓦礫をものともせずに飛翔する。
降り注ぐ巨石を足場に駆け登り、みるみるうちにマシューの元へ。デオンなど、脳にダメージを受けて麻痺しているはずなのに、本当に意味がわからないレベルだ。
「――死ね」
「ギャハハハハ!! そりゃあテメェの方だろうが!!」
「死ねだと!? 私に命令できるのはマリー様だけだ!!」
「おいおい、俺が人格を切り替えて何とか言霊を防いでんのに、お前は一体なんなんだよ……」
「執事だとも」
言霊も、それによって自由自在に操られる天空要塞も。
物質的に的が2つになったことで、1人で戦っていた時よりも精度が落ちている。
シャルルやシャルロットがギロチンで大雑把に砕き、デオンがレイピアで繊細に捌き、反逆者はあっという間にマシューの眼前に辿り着いた。
「……なるほど、素晴らしい出来栄えだ。
不安定なのは気にかかるが……それもいずれは克服しよう。
ヨハンも死んだ以上、これが最高傑作か」
「何を言っているんですか?」
「っ……!!」
最後に阻むのは、瓦礫の嵐。飛べ、固まれ、塞げ、潰せ。
様々な言霊によって、より密度が上がった神殿を作り上げている。
だが、それも卓越した剣士であるデオンを前にすれば形無しだ。優雅で繊細に、しかして時には豪快に。マシューの言葉を遮りながら、最低限の動作でシャルルの道を切り開く。
……否。開かれた道を進むのは、シャルルではない。
長らく彼に死の重みを任せていた者、殺さないことで自分を保っていた不殺の人格。すべての罪過にけじめを付けるのは、シャルロットだ。
「僕は、あなたの洗脳には従わない」
「それでいい。どうあれ死は貴様に集約される。
思えば、あれの欠点は機械的で従順すぎたことなのだから。
やはり貴様こそ、結末を見届けるに相応しい」
無防備に立っているマシューは、死ぬ間際になってようやく無表情を崩してすっきりとした笑顔を見せる。
その言葉の意味は誰も知らない。分かる必要もない。
彼こそ、この歪んだ國を作り上げた者なのだから。
ギロチンの質量で殴打した後は、きっちり台に固定して首を飛ばすだけだ。そう、しなければならない。
殺さないはずのシャルロット・コルデーは、これまで重荷を背負わせていたシャルル・アンリ・サンソンに代わり、迷わずその刃を下ろす。
別に、この男に安らかな死を与える必要などないが。
ただ、間違いなく殺せしめるために。必殺の刃を振り下ろし、歪みを象徴する協会跡地に鮮血を撒き散らした。




