13-歪んだ國にも善性を
シャルロットは今にも自殺しようとしており、デオンは頭を撃たれて身動きが取れず、エリザベートは鎖に縛り上げられ絶体絶命。
首都キルケニーから東西南北に散った反乱軍の面々――ル・スクレ・デュ・ロワの幹部陣は敗色濃厚だ。
まだトッドと末端構成員は多数おり、暴動自体はまだしばらく続くのだろうが……この反乱は、今にも収束しようとしていた。
その事実は、ピーピング・トムのストーカー的監視や多数の偵察部隊のお陰で、トッドや雷閃などにも伝わっている。
もちろん、戦闘中にすべてを聞くことなどできないものの、あまりよろしくない状況だということくらい、周りの様子やわずかな連絡から察することができるのだから。
しかし、北で圧倒的な存在感を放ちながらも、その身で最強の処刑人と相対している少年は、大切な仲間を助けに行こうとしたりはしない。
少しは気にする素振りが見られるが、その目はしっかりと目の前の男に注がれていた。雷も、依然として移動ではなく、敵を打ち倒すためだけに。
繊細で優美な刀に纏わせ、屈強で無骨な大剣と打ち合わされている。
「不知火流-雷火」
戦場は森の中。無数の木々が生い茂り、町中や平野などより遥かに視界が悪い場所。まだ体ができていない小柄な雷閃は、その体躯を活かして飛び回りながら刃を振るう。
たとえ彼が雷という自然現象であるとしても。自然そのものと言える神秘なのだとしても。ヨハンもまた、特殊な訓練を積み、特殊な環境下で己を高めてきた者なのだ。
純粋なパワーだけで勝てる相手ではない。
そのため少年は、木々を盾にするようにして素早く飛び回りながら、何度も雷の斬撃を放っていた。
しかし、処刑人らしい服装をした処刑の体現者は、どれほど速く多い攻撃にも余裕で食らいついている。
いくら身体能力が高くとも、彼はあくまでも普通の人間であるはずなのに。ただの目で雷を見切り、ただの肉体で雷に追いつき、ただの大剣でそれを叩き潰していく。
「マシュー様の言霊や洗脳、フランツの常軌を逸した狙撃、ピエールの手足の如き鎖、アルバート・フィッシュの吸血、ジル・ド・レェの外界の生命、フランソワ・プレラーティの錬金術。さらには、アビゲイルが魔女認定者達に授けた、黒魔術や悪魔召喚。この國にも、不可思議な力は多数ある。
だが、ここまで規模の大きいものは、ない。
我らが行使するのは、あくまでも人の手で扱えるもの。
人が手を伸ばせる範囲だけの術。決して、生物が勝ち得ない大自然を支配し、環境を変えるような代物ではない。
それなのに、君はなんだ? 容易く雷を降らせ、今も自在に操って戦っている。そう、操って……我らのように扱うのではなく、操っている。人間業とは思えない」
雷閃からしてみれば、ヨハンはすべての攻撃を防いでいる強敵だろう。だが、ヨハンからしてみれば、この状況は反撃を一切させてもらえず、戦闘をコントロールされている。
彼はパワーで無理やりねじ伏せながらも、不服そうに。
傷一つついていないにも関わらず、畏れを抱いているかのように。命を懸けて真剣に、雷閃という得体のしれない存在の本質を理解しようとしていた。
事実、このままではデオンが負けたようにジリ貧だ。
彼が勝つためには、國の外から訪れたこの超常の存在を識る必要がある。どちらにも余裕などなく、この場には剣戟と雷が迸り続けていた。
「……正直、それはぼくも思っているんだけど。
身体のう力だけなのに、どうしてこんなに強いんだい?」
鋭い刃は森を斬り、圧倒的な雷は地面を砕く。
余裕はない。しかし、彼らは目の前の敵に勝つために。
言葉を交わして隙を窺う。
「私は、マシュー様に育てられた処刑人だからな」
「きみも、人間から片足出しているよ……!!」
言葉の合間に、ヨハンは一気に距離を詰めて一帯を斬り飛ばす。雷閃は雷そのものだというのに、パワーもスピードも、まったく負けていない。
空中に飛ばされた少年は、雷を纏って飛びながらも苦しそうな顔をしていた。
「きみは、こんなに強くなってまでなぜ一方的で残酷な処刑を続けるの? きみなら逆らうことだって、できるのに」
「それがこの國で、これが私の仕事だからだ。
それよりも、ちゃんと質問に答えてほしいものだな。
君は時代を正すなどと宣い、未来を語る。國の外には、君のような神じみたモノが跋扈しているのか?」
「これから負ける者に、答える必要なんてないよ」
「その割に、今の君は渡り合うだけで必死そうだが」
「っ……!!」
宙を舞っていた雷閃に、再びヨハンが肉薄する。
雷を纏って空を飛べる彼とは違って、何一つ特別な力はないというのに。その脚力だけで、虚空を蹴って接近していた。
雷に追いつく肉体が現れたのは、少年の背後だ。
放たれる雷すらも巻き込みながら、破壊のためにあるような大剣は振り下ろされる。
「私はこの数十年間、数え切れない程の殺しをしてきた。
恐らくは、この國で最も処刑を行ったことだろう。
だが、私では君を倒すことはできても、殺せる気がしない。
以前やり合った時に察していたが、存在の規格が違う。
君が、神なのか? あの肉塊ではなく、君が」
地面に叩きつけられ、大きなクレーターを作っている少年に、無音で地上に降り立った処刑人はなおも問いかける。
雷閃が雷閃であるだけで、疑問は尽きない。
彼は己の立場をよく理解し、思考を巡らせているようだ。
「たしかに、この箱庭には僕みたいな存在はあまりいないのかもしれない。でも、だからって僕が神であることにはならないし、君が知って勝てるようになる訳でもない。
君はいつも通り、機械のように指示に従って動いてればいいんじゃないかな? みんなが危ないみたいだから、大人しく倒れてくれるとありがたいよ」
ヨハンの問いに答えることもなく、土煙の中からは、さっきよりも鋭い言葉が放たれる。瞬間、地面から立ち昇るように迸ったのは、さらに威力が上がった雷だ。
螺旋状に荒ぶる雷嵐は、これまで雷閃を圧倒していた処刑人を、容赦なく持ち上げて弄ぶ。
「くっ、脚力では雷に弾かれるか……」
「弾き、焦がし、君を落とす。轟け、鳴神!!」
再び空中戦となったことで、有利なのは自在に空を飛ぶことのできる雷閃だ。輪を描くように飛翔した彼は、力負けすることのないよう、正面からぶつからずに雷を放つ。
やや離れた位置から空気を叩くように刀を振るう。
すると直後に現れたのは、太鼓を叩くように弾けながら飛ぶ雷撃だ。素早く、的を絞らせることなく迫った一撃は、今までよりも広くヨハンの全身を叩いていた。
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グシュッ……と、シャルロットの首から音が鳴る。
目で確認するまでもない。グロテスクなその音は、どう考えても鉄扇が自らの肉を切り裂き、血が吹き出した音だ。
室内は薄暗く、いくら光の当たる場所に出てきたとはいえ、はっきりとその光景を見ることはできないのだが……
血が滴る音やその香りがしているのだから、彼女はマシューの命令通りに自殺をしてしまったのだろう。
とはいえ、シャルロット程の処刑人がまったく抗えないとも思えないし、首が飛んだ訳でもない。おそらく、即死まではしていないのだと思われた。
そのため、まだ倒れない少女を無表情で見つめるマシューは、一歩も近寄ることなく口を開く。
「途中で手が止まったのは、本当に死んだからか?
抗って止めているのだとしたら、それは許さん。
すぐさま全力で鉄扇を振り抜き、首を飛ばせ」
「……!!」
再び紡がれた言葉は、並大抵の精神力では逆らえない言霊となってシャルロットの魂を打つ。一度は止まっていた手も、今度こそ命令通りに断ち切るべく刃を進ませ……
「ククッ、ギャハハハハッ!! そんな命令、俺が聞く義理はねぇなぁ!! 殺したければ、自分の手を汚せや卑怯者!!」
その途中で再び手を止め、先程までとは違う人格が表に出てきて豪快に笑った。中途半端に切り裂かれ、さらに引き抜かれたことで血肉が飛び散るが、殺意が弱まることはない。
むしろ、目がギラついていることもあって、強まっているとすら思える。血に染まった彼の姿は狂気的で、ゴスロリで統一された雰囲気をさらに鋭く際立ったものにさせていた。
「……シャルル・アンリ・サンソン」
こびりついた血糊を散らしながら、鉄扇を軽く払っている彼を見て、マシューは無感情にその名を呟く。
見た目は一切変わらない。しかし、彼女達を処刑人という道に引きずり込んだ会長が、2人の違いに気が付かないはずがなかった。
人を殺さない人格は命令されたという事実ごと内側に消え、人を殺すための人格は、まだ命令を受けていない状態で表出して猛っている。
「はっ、ずっと引っ込んでたから、もうとっくに消えてるとでも思ってたかァ!? なァ!? ギャハハハハッ!!
俺が消えるわけねぇだろうが!? どんだけ疲れてても、私が罪と向き合うと決めた以上、俺が人任せになんざできるもんかよ!! シャルロットがどう思ってようが、人を殺したのはこの俺だ!! シャルル・アンリ・サンソンの咎なんだよ!!」
國中に轟きそうな程の声量で叫ぶと、シャルルはワイヤーを引っ張ってギロチンを引き寄せる。直前まで握っていた鉄扇は、いつの間にかどこかにしまわれているようだ。
既に手には何もなく、巨大な質量を持つ木の塊が、男性人格を持つだけの、少女の細い身体にのしかかっていく。
だが、雷閃が雷の神秘で身体能力を上げているように、彼も見た目より遥かに力強かった。
他に誰かがいれば、潰れてしまうのではないか……?などとヒヤリとしそうなものだが、慣れた様子で担いでおり、潰れる様子はない。
叫び声は響き渡っているが、その動作もほぼ無音だ。
風が吹くこと、水が流れること、火が燃え上がるかのような自然さで体を動かし、ギロチンを担いだ動きの流れのままにマシューへと向かっていく。
もちろん、激しい運動をしているが万全ではない。
彼が駆けた背後には、キラキラと赤が舞う。
それでも殺意を昂らせる少女に、相変わらずまったく興味のなさそうな会長は、静かに淡々と言葉を紡ぐ。
「……自らのギロチンで頭でも砕いて、死ね」
誰よりも悪魔と呼ぶに相応しい男の声は、再び言霊となって絶対の命令を彼の魂に染み込ませる。数多の無実だった人々を屠ってきた凶器は、その音を聞いて振り上げられた。




