2-夢幻の旅路
「ふぅ〜、無事に人の生活圏から抜けられたね」
首都キルケニーを抜け出し、國の果てを目指して密かに馬車を走らせ始めてから数時間後。
もう1つも集落がなく、誰一人として住民がいない辺りにある森中の泉にて。
澄んだ水に浮かんでいるシャルロットは、輝く白髪を広げながらホッと表情を緩めてつぶやく。リラックスしきっている通り、周囲にはほとんど人がいない。
トッドや雷閃は論外だ。2人共離れたところで見張りをしている。そして、マリーは特に何もしていない上に、まだ肌寒い春の夜の冷気には耐えられないので入っていなかった。
唯一同行しているのは、『寒くて入れないのかな?』と挑発されたデオンだけだ。立っている彼女は髪をかきあげると、白い息を吐き出しながら呆れたように返事をする。
「まぁ、だからって水浴びは気を抜きすぎですけどね」
「いいじゃん。僕はけがが治っただけで血だらけだったし、君は準備で國中を駆け回って汗だくだったんだから。
万全の状態で調査するためには、やっぱ綺麗じゃないとね」
「分からなくはないですが……」
パチャパチャと水を蹴り、無邪気にはしゃいでいる少女の姿を見て、デオンは何とも言えない複雑そうな表情だ。
その言動に敵意や苛立ちなどはない。
シャルロットが殺しや死と向き合う覚悟を決めているため、彼女の態度もいくらか軟化していた。
しかし、だからといってのんびりすることも、年下の少女の言うことを聞くのも違う。周囲に自分達以外の人がおらず、襲撃の危険性はほぼないとはいえ、追われる立場であることには変わりないのだ。
猶予は失踪事件の解決がバレるまでの短い間。
もしも不在の間に報告されれば終わりである。
侵入者の存在やシャルロットの裏切り、ル・スクレ・デュ・ロワとの繋がりが知られてしまえば、奇襲の有利が失われるどころか、待ち構えられかねない。
当然、生活圏内のエリザベートや末端構成員もいない現状では、真正面から協会を打ち破ることは不可能だった。
必ず能動的な戦いをするために、猶予内に戻ることは必須。
それがよくわかっているデオンは、同じくわかっているはずなのにのんきな少女に、淡々と言い聞かせていく。
「あなたは処刑人協会――ウィッチハントを裏切り、敵対するのでしょう? であれば、行動は迅速に。
確実にこの歪んだ國をひっくり返せるよう、無駄死にで終わらないよう、最善の行動をしなければいけません」
「わかってるよ。でも、僕達が戻るまで事件は解決しない。
今回はね……覚悟を決める心の準備以上に、敵の混乱のため。
時間をかけるのはいい手なんだ」
「……? あなた、合流前に何をしていたのです?」
「それはねー……」
神秘的な泉に浮かびながら、シャルロットは雫に濡れている一糸まとわぬ姿の少女を見上げた。
普段はきっちりとパンツスーツで包まれている体は、見慣れないからこそ際立って意識に残る。
同じように、普段ならばすぐに解決するような事件の未解決は、解決を見届けたはずなのに続く失踪事件は、たとえ狂気の処刑人形だったとしても、心をかき乱されることだろう。
ジョン・ドゥの情報操作。
モーツァルトやエリザベートが起こす、自主的な失踪事件。
それらの話を聞いたシュヴァリエ・デオンは、感心したようでいてどこか悔しそうに引きつった笑みを浮かべていた。
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「あー、暇だなぁ。こんなとこでいきなり水浴びとか……
急ぐんじゃなかったのかよ」
シャルロットとデオンが水浴びをしている泉から、かなり離れた場所にある岩の上で。
泉の方向を見るな、近寄るな、見張りしろ、と言われていたトッドは、暇を持て余してぼやく。
隣りにいるのは、自分のように拒絶されることなく誘われるも、ちゃんと断って一緒に見張りをしている雷閃だ。
ほんわかと微笑みながら、また失言にならないようたしなめていく。
「まぁまぁ。トッドお兄さんは御者をしていたし、休みないのもつらいでしょう? けいかいはぼくがいればまったく問題ないから、のんびりしていて」
「んー? そう聞くと配慮されたみてぇに思えるなぁ。
絶対に違うと思うけどよ。うーん……だったら、水浴び終わりそうになったらすぐに教えてくれ。着替えも覗いてねぇ証拠にすぐさま逃げるから」
「必要ないとは思うけれど、わかったよ」
スウィーニー・トッドにとって、デオンは10歳近くも年の離れた少女でありながら、厳しく強い上司。
シャルロットは何度も地雷を踏んでしまって、怒られたり殴られたりした上に、そもそもの実力差も大きい処刑人。
普段の扱いや関係性、この短い期間での叱責や実力差などから、相当彼女達に怯えてしまっているようだ。
自ら外で水浴びをしていて怒られることはないはずなのに、それでも決して叱られないよう逃げる心づもりをしている。
デオンとの関わりはそこまで深くないが、シャルロットにはいつも甘やかされている雷閃は、苦笑するしかない。
だが、決して馬鹿にするようなことはなく、素直にその要求を受け入れた。
「ありがてぇ……!! いや、本当に助かるぜ。
反逆組織のボスと処刑人。そんな立場だと仕方ねぇんだろうけど、あの子達は正直気が強すぎる。デオンちゃんなんて、俺が何度デートに誘っても冷めた目で見てくるしよー。
もっと女の子らしくおしとやかな子が組織にいたらなぁ。
エリザベートちゃんも自己中というか話通じねぇしさ。まぁつまりな、俺としては絶対に近くいるだけで怒られると思うんだよ。若いのに常にカッカしちゃって更年期かってんだ」
「あ、あの……そういうところが、おこられるげんいんなんだと思うよ? それから、もうすぐ上がってくるかな」
「ぎゃーっ、ごめんなさいデオンさんっ!!」
ペラペラと2人の少女への愚痴を語っていたトッドだったが、雷閃の報告を受けるとすぐさま飛び上がる。
そのまま転げ落ちるように地面に降りると、まだいない上司に謝りながら走っていってしまった。
また失言をしていたことに自覚があるのか、単純に雷閃にそう言われたからか、既に怒られている気分のようだ。
あまりの慌てように、岩の上に残された彼は苦笑するしかない。逃げていく青年の後ろ姿を、静かに見送っている。
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勝手に怯えるトッドの悲鳴が上がっていた頃。
彼らよりは泉に近い位置では、マリーが馬車の荷台から無言で星空を眺めていた。
「……」
アルバートが死んだことにより、あの洋館で見えていたような赤い月と空はもう見えない。視界に映っているのは、本当に何の変哲もないただの夜空である。
それなのに、天を見上げるマリーの表情は目に見えて暗く、心配や不安などが滲み出ていた。
「やっほー、おまたせ!」
しばらくすると、水浴びと着替えを終えたシャルロット達がやってきて、明るく声をかけてくる。
声がした方に目を向ければ、目に飛び込んできたのはいつも通りパンツスーツ姿のデオンと、冒険家のような服装に身を包むシャルロットだ。
いつの間に持ち込んでいたのか、甚だ疑問ではあるが……
ボロボロのゴスロリ処刑人スタイルより雰囲気にあっているし、自然の中でも動きやすいことは間違いない。
服装通り軽快な足取りでぴょんぴょん近づいてくると、小首を傾げながら顔を覗き込んでいく。
「どうかしたの、マリー?」
「この子がなにかしていたのでしたら、叱っておきますよ」
「は? 裸の付き合いまでしたのに、まだそんななの!?」
「いや、別に仲良くなったとしても、叱るべきことがあれば叱るでしょう……? 当たり前のことだと思いますが」
直前まで微笑みかけていたシャルロットは、隣に来たデオンの言葉で目を丸くして驚く。幼馴染みと執事。
突如として勃発した、とても慣れ親しんだ2人の仲睦まじげな言い合いに、マリーは笑うしかない。
すぐにピタリと言い合いを止めた2人を前に、普段通りの調子で優しく微笑みかけている。
「ううん、何でもないわ」
「ならいいんだ。あの子と失言王は?」
「ぼくはここにいるけど、彼は身のけっ白をしょう明しようとはなれたよ。呼びに行こうか、シャルロットお姉さん?」
マリーの様子が戻ると同時に、近くから小さなパチッという音と光が迸り、和服の少年が姿を現す。
さらには、シャルロットが頷くと同時に再び雷鳴が走り……
「うおっ!? 俺はいつの間に馬車に!?
げぇっ、覗きとかはしてねぇからな!!」
シャルロットに怯えるトッドが、彼の横に現れた。
本当にさっきまで走って逃げていた様子の彼は、連れて来られた勢いでコケながらも、必死に弁明していく。
「別に疑ってないじゃん」
「そ、そうか……」
しかし、そもそも気にしていなかったらしいシャルロットは、むしろその発言で不機嫌になっていた。
頬を膨らませながら馬車に入っていき、ふんっと顔を背けてしまう。
当然、それは残りのメンバーも同じことだ。
肩をポンポンと叩いた雷閃を除き、呆れ返って肩をすくめるデオン達もそれに続いて乗り込んでいく。
1人ポツンと残された彼も、全員が乗り込んだのを見ると馬車を操縦するべく御者台に。どこか哀愁を漂わせながら、馬車は再び走り出した。




