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虚の天秤  作者: 榛原朔
四章 蠱毒の刃

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1-夜に紛れて

「よう、師匠。急ぎでけが治せ」

「やぁ〜。お帰り、シャルル。

随分と女の子らしい格好をしているじゃないか」


スロープを下りた彼らの前に広がっているのは、清潔感の塊のように管理が行き届いた部屋に、数え切れないほどの棚が立ち並ぶ光景。


そして、その中でもアンティークな家具で区切られた区画でくつろいでいる、いかにもな紳士の姿だった。


地下とはいえ、一応ここは診療所であるらしいのだが……

彼はジルのように白衣を着ていない。

灰色の髪も、風になびくような形でワックスに固められており、医者のイメージとはかけ離れている。


事実、だらしなく酒を飲んで酔っ払っているようであるし、清潔感はどこへ行ったのか、パイプも吸っているという始末だ。


煙で顔を隠しながらニヤニヤ笑う彼に、床に血を垂らしているシャルルは苛立ったように言葉を返す。


「ここは家じゃねぇだろ、お帰りとか言うんじゃねぇ。

服装のことはほっとけ。交代したばっかだ」

「ははっ。ん〜、でもよく来てたじゃないか」

「よく来たなとか久しぶりとかでいいだろうが。

どっちにしろ、返したりしねぇがな」

「だろうね。君の性格は知っているとも。

あぁ、なんという師匠不幸者だろう」

「初めて聞いたな、そんな言葉」


シャルルはボロボロだというのに、彼らの間で交わされるのは明らかに中身のない軽口の応酬だ。

けがの状態は緊急であるはずが、つい気が抜けてしまう。


だが、両者の間に親愛のようなものがあるのかと言ったら、そんなことはない。師匠は愉快そうに笑ってはいるが見定めるように、シャルルも慣れた態度ながら警戒している。


下手したら今にも殺し合ってしまいそうで、どうしていいかわからない雷閃は瞬きを繰り返していた。


「まぁいい。用件は殺しの依頼だったね」


師匠は豪華なソファからゆらりと立ち上がると、いつの間にか握っていたナイフをシャルルに向ける。

さっきまでと同じで、特に殺意などはない。


しかし、たとえ冗談だとしても度を過ぎた行為であり、この場には一瞬でピリリとした緊張が走った。

雷閃は刀の柄に手を添え、シャルルは目を細めてわずかに腰を落とす。


「耳はあるか? 俺がしたのは治療の依頼だ。

仮に殺人依頼だったとして、なんで俺自身なんだアホ」

「お〜っとっと、こりゃあ失敬。どうやら君は寝ぼけているようだ。急に踊りだすだなんてどうかしている」

「お前が酔っ払ってるだけな? どうしてるのもお前だ。

千鳥足でもねぇのに視界が揺れてるとか相当だぞ」


シャルルの指摘を受け、立ち姿だけはしゃんとしている彼は首を傾げる。どうやら相当に酔っ払っているようだ。


目の前にいる2人の姿もろくに認識できていない。

といっても、話を聞くことくらいはできているし、今の行動が違うこともなんとなくならわかるのだろう。


ちゃんと話を理解できたのかは定かではないが、とりあえず殺そうとするのはやめていた。


「ん〜、あや〜、すまないすまない。殺しがしたくてつい」

「殺しじゃなくて癒やしだぼんくら。それに、俺は治療って言ったからな? 間違える要素はねぇぞ」

「わかってるわかってる。治療を……う、殺したい」

「治せ!! ぶち殺すぞ!!」

「えぇ、殺し合ってくれるのかい!?」

「んな訳あるか!! ぶち生かすぞ!!」


なんとか治療だと理解してもらえるが、彼はそもそも殺しをしたい人であるらしい。衝動のように殺しへと思考が移り、シャルルがキレると表情を輝かせる。


実際のところ、酔っ払っていることなど関係なかった。

ちゃんと真っ直ぐ立っているので、そんなこと以上に彼自身の趣味嗜好が異常なだけだ。


「はいはい、治療したらいいんだろう?」


ぶち生かすなどという意味不明な単語を怒鳴られたことで、男はようやく殺人欲を抑え、大人しくナイフを消す。

まるでマジックのように、最初から持ってなどいなかったかのように。


棚に向かってスタスタ歩いていく彼を見たシャルルは、心底うんざりした様子で毒を吐いていた。


「ったり前だ、バカが。医者が死者作ろうとすんじゃねぇ」

「おいおい、僕は別に医者じゃないぞ?」


すぐに戻ってきた彼は、やはり酔っ払っているとは思えないような足取りだ。顔をしかめながら、棚から取り出した奇妙な文字が刻まれている石持ってくる。


「医者じゃなくても診療所にいて治療をすんだろうが。

治療者なんだからわかりやすく医者でいいんだよ」

「では君は殺しをする処刑人だから、殺人鬼だ」

「おう、だったら何だ? 早く治療しろ。

お前と違って暇じゃねぇ。急いでんだこっちは」


シャルルは当てつけのように告げられた言葉に顔をしかめるも、表面上はすんなりと受け入れて流し、治療を急かす。

わずかに呼吸が荒くなっているが、しばらく休んでいただけあってまだ耐えられるようだ。


隣に立つ雷閃は心配そうに顔色を窺い、師匠はつまらなそうにさっきの石でメスを研ぎ始める。ここはあくまでも診療所の地下。手術室などない。


おまけにシャルルの傷も、足を中心に噛み千切られたものだけだ。それなのに、彼は用途不明のメスを研いでいく。


「おーし、準備できたぞ。じゃ、斬り合おう」

「おう」

「え? え……!?」


2本のメスを研ぎ終わったらしい男は、やはり捉えにくい動きで立ち上がり、両手に握って不穏な宣言をする。

殺し合いではなく斬り合いではあるが、どちらにせよ穏やかではない。


だというのに、今回のシャルルは特にツッコむこともなく乗り気であり、雷閃は戸惑うしかなかった。

目を丸くしている彼の前で、男性と少女は小さな刃物同士をぶつけ合う。


まずは、真っ向から。続いて、外側から回り込むように腕を煌めかせ、体に沿って花開く軌跡を描く。

顔の横、腕の横、足の横。点をなぞるようにぶつかって火花が散り、電灯よりも至近距離から抉れた傷を照らす。


何度も刃物をぶつけ合った2人は、ここで変転。

形だけの鍔迫り合いをした後、弾ける勢いで回転しながら距離を取った。


「何だ何だ、舞いはシャルロットちゃんの専売特許じゃないのかい? ギロチンぶん回す以外もできるんだね」

「同じ体だぜ? 俺だって舞えるし、あいつだってギロチンをぶん回せるに決まってんだろ」


床に足を沿わせたまま、コンパスのようにくるくると回りながら弾けた2人は、再度独楽のように相手に接近する。

直後、一方的に斬られるのはシャルルだ。


食い千切られた足を斬られ、抉れた胴体を斬られ、ポツポツと穴が空いている手や首、顔を斬られていく。

回り、回り、煌めく剣閃は赤い汚れを消し飛ばし、新しい傷が放つ熱はジュワジュワと溶け……




師弟の舞いが終わった頃には、シャルルの傷は完全に治って破れた服だけがその名残として刻まれていた。

それを確認すると、酒タバコに溺れる紳士はさっさとメスを放り投げて報酬を要求し始める。


「うし、治療は終わったよ。代金はお酒かタバコ……」

「ノンアルコール飲料か電子タバコでも頼んどいてやる」

「僕を殺す気かぁぁぁっ!?」


すっかりけがを治したシャルルは、意外にも気に留めている人物なのか、単なる嫌がらせなのか。要求してきたものより健康的なものを報酬に提示して背を向ける。


華奢な背中には悲痛な叫び声がかけられるが、もちろん彼は完全スルーだ。苦笑している雷閃を伴って、さっさと診療所を後にした。




~~~~~~~~~~




「……あれ? ここ、どこ?」


シャルルが傷を師匠に治してもらってから数時間後。

彼に叩き起こされ交代したシャルロットは、いきなり目の前に広がった見覚えのない光景に首を傾げる。


普段ならば奥で見ているが、今回は交代して奥に引っ込んでいた訳ではない。ちゃんと気絶して意識を失っていたので、彼女にここまでの記憶はなかった。


「なんだ、中から見ていなかったんですか? 私達はこれから、セイラム國の果てに向かう。あなたが望んだ通りに」

「そっか……って、なにこの格好!?」


馬車の前に立つデオンの言葉で、彼女は瞬時に状況を理解する。同時に、現在の自分の格好にも気がついたようだ。

戦闘中は余裕がなかったのだろうが、落ち着いたことで堪らずギョッとし、服が破れて肌が見えている部分を隠す。


もちろん、過剰な露出をしている訳ではない。

だが、ニーハイはとっくに原型を留めていないし、服も全体的に穴だらけになっている。


場所によっては、食い千切られて思いっきり肌や下着が見えていた。それに加えて、オシャレ好きな彼女がこんな服装で人前に立っているという事実。


これらは少し前の殺しも含めた三重苦となって彼女を苛んでおり、叩き起こしてきたシャルルへの怒りが爆発する。


「シャルルのやつ、着替えなかったの!?

どうせ交代するからっておかしいでしょ!!

いつもの羞恥心はどうしたのさ!!」

「まーまー、こんな暗い中で見てねぇって」

「あんたは、目を、開くなーっ!!」

「ぎゃーっ!?」


この場にいるのは、マリー、雷閃、デオン、そしてトッドだ。小さな雷閃は別枠として、唯一の男性である彼はまたも彼女を刺激してしまって悲鳴を上げていた。




「……ふぅ、まぁ今着替える訳にもいかないし、もういいや。

とりあえず出発しよう。肉の壁を見るために」


しばらくして落ち着いたシャルロットは、状況的に仕方ないことと割り切って馬車に乗り込む。散々殴られたトッドは、とぼとぼと御者台に向かっていた。


「はい。いつ気づかれてもおかしくありませんからね。

操縦はお願いしますよ、トッド」

「へい、喜んで……」


デオンの合図で馬車は動き出す。

フランソワの情報をこの目で確かめるために。

アルバートの体験をこの目で確かめるために。


目指すは処刑が横行している歪んだ國――セイラムを囲んでいるという肉の壁。この世界の果てだ。


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