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虚の天秤  作者: 榛原朔
四章 蠱毒の刃

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0-未解決事件

紅く染まった月の下で。

あきらかに戦っているような音が聞こえてくる古ぼけた洋館を、その大きな人影は遠くからジッと見つめていた。


それが着ているのは、黒い上着に白いシャツ、白い手袋に黒い蝶ネクタイといういかにも処刑人といった服装。


窓が割れ、室内が真っ赤に染まり、屋根すらも突き破られ、落雷が降ってきたその場所を、その男――マシューの右腕である処刑人・ヨハン・ライヒハートは、黙って見つめている。


「……」


やがて決着がついたらしく、洋館内は静かになった。

破壊音は何事もなかったかのように消え、赤く染まっていた室内や月も正常に戻る。


誰が勝ったのか、そもそも誰が戦っていたのか。遠くの木陰から見つめていたヨハンには、それすらもわからない。


だが、少なくともこの國で戦っている以上、どちらかは罪人に近いものであり、もう片方は処刑人に近いものだ。

何もしなくても処刑される恐れがあるのに、普通の一般人が殺し合う必要などないのだから。


現在、セイラム國で起こる失踪事件を追っているヨハンは、事件が解決したことを予感しながら建物を見つめ続ける。


「……」


気配を殺して見守っていると、ほんの数秒後にはどういう訳かアイアンメイデンが中に飛び込んでいく。

普通、その拷問具に飛行能力などない。


あまりにも荒唐無稽な出来事に、今飛び込んでいったものの正体は容易く看破できた。処刑人協会に楯突く反逆者、自らを吸血鬼と称するアホ、血染めの令嬢……


「……エリザベート・バートリー、か」


ポツリとつぶやくと、彼の目はより一層鋭くなる。

処刑人協会に対抗する組織――ル・スクレ・デュ・ロワの者が現れたということは、中にいるものも十中八九反逆者だ。


罪人が勝ったのであれば強力な助っ人に、処刑人が勝ったのであれば最悪の敵になることは間違いない。

そして、彼が握っている情報を照らし合わせてみると、その場合の裏切り者はきっと……


「……シャルロット・コルデーは、本格的に裏切ったな」


ヨハン・ライヒハートは処刑するための機械だ。

ほとんど自分の意思を持つこと無く、ただ命じられるままに目の前の処刑を遂行するため生きている。


そのため、雷閃という明らかに手強い侵入者の存在を知っても放置しており、本当に報告すらしていない。

関連付けて裏切りの可能性があったシャルロットも放置で、確信を持った今でさえ、ひとまずは様子を見ていた。


もちろん、任務を受けている失踪事件が解決したのだから、明日にでも報告は行われるだろう。

しかし、特に命令を受けていない今は、わざわざ数的不利な状況で手を出すこともないのだった。


「あれは……シャルル・アンリ・サンソンに代わったな。

例の少年と2人だけで出てきた。ということは、エリザベートが失踪事件の犯人――アルバート・フィッシュの死体回収か」


やがて古ぼけた洋館から出てくるのは、案の定勝者であったシャルロット……現在はシャルルである少女と、以前彼と剣を交えた少年――雷閃である。


ヨハンは彼らに気づかれないくらいに気配を殺し、遠くから奪取すべき死体を持つエリザベートを待つ。

すると、その数分後。洋館からは、先程のアイアンメイデンとそれに乗るゴスロリ少女が現れた。


「来たな……」


エリザベートの姿を確認したヨハンは、近くに置いてあった妙に丸い大剣を持ち上げる。それは長身の彼が持つに相応しい、2メートルはある巨大な質量の塊だ。


普通ならば、持ち上げるだけでも一苦労なのだが……

彼はその大剣を持ったまま、とんでもない脚力で跳躍した。


狙いはもちろん、アイアンメイデンに乗って空を飛んでいるエリザベート。冷たい月明かりに照らされながら、処刑人は弾丸のような勢いで獲物に向かっていく。


「死体隠蔽はさせないぞ、エリザベート・バートリー」

「きゃあ!? な、なんですのあなた!?」


ただのジャンプで飛行物体に追いついたヨハンは、その勢いのままに大剣を振るい、凄まじい金属音を響かせる。


恐らくは中にあると思われる死体を傷つけると面倒なため、真っ二つになることはない。

だが、それでも優雅に飛んでいただけで唐突に襲撃を受けたエリザベートからしたら、堪ったものではなかった。


殴打された勢いでずり落ちながら、目を見開いている。

とっさに耳を押さえているので、掴まるものもなく完全なる落下中だ。


「ひやぁぁぁっ〜!? お、落ちてしまいますわ〜っ!!」

「私はヨハン・ライヒハート。

任務でその中にある死体を回収しに……む?」


叩き落されたアイアンメイデンごと落下している彼女を気にせず、ヨハンは名乗る。相手は指名手配された反逆者で、ル・スクレ・デュ・ロワの一員。


死体も既に物でしかないため、回収さえできればいいのだ。

とはいえ、エリザベートがただ落下しているだけであるはずがない。


すぐに異変に気がつくと、彼は自分の手足に目を落とす。

その目に映ったのは、どこからともなく現れたぬいぐるみ達が、何十体とまとわりついてくる不気味な光景だった。


あまけに、視界の端からはさらに異質な物体が飛んでくる。

月明かりを反射して、黒く輝いている鋼鉄の物体……言うまでもなく、アイアンメイデンだ。


ぬいぐるみの集団にまとわりつかれている彼は、ろくに防御態勢を取ることもできずに直撃した。


「ぐっ……!!」

「おーっほっほっほ、お吹き飛び遊ばせ〜!!

わたくし、このまま飛んで逃げますわ〜っ!!」


追加のアイアンメイデンをぶつけられたヨハンは吹き飛ぶ。

そんな彼を尻目に、落下しかけていたエリザベートは最初のものを操って乗り、逃げていった。


どうやら体勢を崩しても自由に操れるようで、バラバラに落ちていたのに既にセットのように揃っている。

流石の空中では処刑人も為すすべないので、両者の差は開くばかりだ。そう、思われたのだが……


「ふぅーッ……!!」

「へぁっ!?」


複数のアイアンメイデンに押し潰され落ちていたヨハンは、空を物凄い威力で蹴ることで、無理やり落下を止める。


さらには、顔や胴体、手すらも障害物で包まれているというのに、その風圧だけで空を飛び始めた。

ぬいぐるみの塊となった処刑人の、常識外れな飛行。


あまりにも力技で人間離れした飛行に、優雅に逃走しようとしていたエリザベートも堪らず悲鳴を上げていた。


もちろん、彼女も飛んではいるので人のことは言えない。

だが、吸血鬼が飛ぶのはまだわかるし、アイアンメイデンが飛ぶのはそういう技だと思えばいいだけのことだ。


しかし、ヨハンはただ空を蹴っているだけである。

雷閃の雷、フランソワやジルの触手など、不思議なものは数多くあるこの國だが、何もなしで空まで飛ぶのは流石に異常と言う他なかった。


再び距離を詰められる彼女は、みるみる近づいてくる異常者に震えながら詰問していく。


「あ、あ、あなた!? え、あなた何なんですの!?」

「処刑ではないが、これも任務だ。

私は、その死体を回収しなければならない」

「ひぃぃっ!? だ、誰か助けてくださいまし〜ッ!!」


徹底的に、任務。常軌を逸した言葉と身体能力に、死体回収を押し付けられた少女は涙ながらに空を飛んでいた。




~~~~~~~~~~




翌朝。結局あの後エリザベートに逃げられてしまったヨハンは、失踪事件が集結した証拠を持たずに協会本部を訪れる。


とはいえ、アルバート・フィッシュが死んだ以上、もう失踪事件が起こることはない。雷閃やシャルル、エリザベートらの報告もするのだから、ありのままを語るだけで終わりだ。


彼は不機嫌そうにしながらも、落ち着いた様子で聖堂を進んでピアノを弾くモーツァルトに問いかけた。


「……マシュー様は?」

「んー♪ いつも通り、すぐに来るんじゃないかい?

でも、その前にこの新聞を見てみなよ。

朝一番にジョン・ドゥが届けてくれた、確かなものさ」

「……?」


いつも通り演奏をやめないモーツァルトは、やけに上機嫌だ。朝っぱらから暗い雰囲気の曲を弾きながら、弾くことをやめてまで読んだらしい新聞を勧めてきた。


自分よりも昔から協会にいる人物に勧められると、ヨハンも報告を優先して断ることはしにくい。

眉をひそめながらも、素直に手を伸ばす。奏者は当然演奏をやめないため、新聞を取るのは自分の手である。


「再び失踪者が出た、だと……!?」

「うん、そのようだよ。君も大変だね」

「……」


任務を終えた彼としては、朝刊などマシューがやってくるまでの時間つぶしに過ぎない。だが、その内容を見るとすぐに表情は一変し、固まってしまう。


ヨハン・ライヒハートの硬直は、その後会長のマシューが声をかけるまで解かれることはなかった。



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