表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虚の天秤  作者: 榛原朔
三章 吸血憑依

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

71/130

24-悪食な老紳士

「キャハ、キャハハハハッ!!

アナタ、痛い!! ワタシ、痛い!! うぅっ……!!」


無理やりテンションを上げ、正気を失ったシャルロットは、ふらふらとしながらもアルバートに向かっていく。


その手に握られているのは、雷を帯びた何本ものナイフ。

もちろん懐にも、鉄扇やワイヤーやらと数多の武器を仕込んでいた。


「イヒ、イヒヒヒヒッ!! ここが私の終点ですか……?

ですが、まだ腹は満ちていない!! 本能は、血を求める!!」


部屋の隅に追いやられていたアルバートは、不格好に噛み千切られた足で向かってくる少女を見ると、息を吹き返す。

彼が動けなかった時から、状況はまったく変わっていない。


背後には雷の結界があって逃げることはできないし、彼では雷閃に勝つことはできないだろう。

だが、大方吹き飛ばされはしたものの、食堂には依然として濃密な血肉の匂いが漂っていた。


おまけに、今目の前に迫ってきているシャルロットも、特に足は皮膚の下がグロテスクに露出しているのだ。

彼の食欲や本能を刺激する、血肉の匂いそのものである。


そんな状態の彼女が近づいてきて、美味しそうな血肉の香りを漂わせているのだから、我慢できるはずがない。

ほぼ確実に負けると、きっと殺されてしまうのだとわかっていても、彼は嬉々として霧化し血の剣を生み出している。


「キャハハハハ!! また水中、アナタ、痛い!!」


今のシャルロットに機敏な動きなどできない。

だがそれ以上に、彼女は何度も自分を苦しめ、さっきは体を喰われてしまった霧を見ても臆さず前進していく。


先程と違うのは、当然この場には雷閃が合流していて、彼の協力を得られていることだ。

下手したらトラウマレベルである食人霧は変わっていないが、ただその一点のみを支えに彼女は進む。


一気に拡散していたアルバートを見ても回避しようともせず、先程のように血の霧の中に突っ込んでいった。


「イーッヒッヒッヒ!! また口の中に、香ばしい血肉が!!」


際限なく広がっていく血煙は、懲りずに食堂を覆い尽くす。

絶対に食べるという意志を反映したかのように、新たに現れた雷閃すらも喰らおうとするかのように。


しかし、その霧は既に破られた。ここにいるのは、圧倒的な力と善性を併せ持つ聖人――雷閃なのだ。


腰の刀に手を添え、ほんわかとした様子で脱力している彼は、自身をも飲み込んだ霧に動じず、一閃。

雷速の居合い切りにて、すべてを斬り裂く。


「くっ、やはり落下の勢いなどでは……!!」

「ないよ。残念ながらね」

「……!?」


食堂を包み込んでいた霧が真っ二つにされたアルバートは、霧化した体で距離を取りながら再び霧を撒き始める。


だが、気がついた時には真後ろに納刀状態の雷閃がいた。

軽く笑いかけられた直後、遅い来るのは狂い咲くような雷鳴とドリルのように螺旋を描く斬撃だ。


周囲の霧は瞬く間に斬り払われ、霧となっていた彼自身の体も強制的に人の形に戻されてしまう。


「ぬうぅっ……!! 早く霧に、私の口の中に……!!」

「キャハハハハッ!! アナタ、痛い!! ワタシ、痛い!!」

「ぐわぁッ!!」


霧から弾き出されたアルバートは、床に落ちて尻餅をつきながらも、すぐさま霧化しようとする。

螺旋の雷で阻まれていようとも、この状況でなお足掻く方法などそれしかなかった。


しかし、もちろんシャルロットがそれを許すことはない。

暴走状態の彼女は血を撒き散らしながらも駆け回り、生身の彼をナイフで深く突き刺す。


壊れたテーブルや台などを足場に回転していたため、弱った今の力でも威力は絶大だ。凶器は軽々と背中にまで貫通し、老紳士は弾けたように吹き飛んでいく。


「キャハハハハッ!! アナタ、痛い!!

ワタシ、痛い!! うぅっ……!!」


突き飛ばされたアルバートは、周囲に広がっていた螺旋状の雷に打たれてさらに自由を奪われる。

わずかに朧げだった体の端ははっきりとした形を持ち、今では完全に実体だ。


霧化して攻撃を受け流すこともできず、飛んで逃げることもできず、ただただ床に転がされていた。

そんな老紳士を見ても、シャルロットの動きは鈍らない。


理性を飛ばすことで無理やり殺しを行う少女は、問答無用で死を吸血鬼に突きつけていく。


「ま、まて……」

「キャハハハハ、キャハハハハ!!」


食堂を染めていた赤は、既に雷に払われている。

不気味な空に浮かぶ月は半分が赤いままだが、室内ではもう血の煙すら残っていなかった。


流石に血自体の色や血の香りまでは払えないものの、圧倒的に有利なのはシャルロット達であることは疑いようがない。

だが、彼女を追い詰めているのは、その人格を蝕んでいるのは、この状況そのものだ。


おかしくなったテンションのままに暴れるシャルロットは、止まらないのではなく止まれない。


もう首を斬れば終わることなのに、無駄に傷つける必要などないのに。殺しができない少女は、それでも殺しを行おうと暴走し、何度も何度もナイフで体を斬り裂いていた。


「シャルロットお姉さん……」

「キャハハハハッ!! アナタ、痛い!!

ワタシ、痛い!! うぅっ、ううぅっ……!!」


その痛々しい有様を見た雷閃は、悲しげに表情を歪めて彼女の名前をつぶやく。暴走は止まらない。

彼の声は耳に入っていないのか、少女は殺しの痛みを上書きするかのように滅多刺しにしていた。


もちろん、よりキツイのはアルバートの方だ。

首や心臓、動脈などの一撃で致命傷になる場所は避け、腕や太もも、脇腹など、即死はしないであろう場所を的確に。


ただ痛めつけるためのような一撃を、延々と受け続けることになるのだから、あきらかに処刑よりも苦行だろう。


自身から流れ出た血肉の池で溺れる中。

すっかり抵抗する気力も失って、薄れていく意識の中で切られるだけの人形になっていた。


「キャハハハハ、キャハハハハ!!」


とはいえ、切る側だって楽ではない。

たとえ正気を失っていても、テンションで誤魔化していても、自らの心を揺るがすものなのだ。


返り血を浴びながら斬り続ける少女の顔には、ピチャピチャ跳ねる血を洗い流すように、綺麗な涙が流れていた。


切って、流して、切って、流して。

もうとっくに相手が動かなくなっていた頃。

彼はようやくピタリと動きを止め、たった今刺そうとしていた右手を左手で押さえつける。


「よう、雷閃」

「シャルル、お兄さん……?」

「嫌なもん見せちまって悪かった。出てくるなとは言われたが、やっぱこいつに殺しはできねぇみてぇだ。

願われた通り、俺が代わりに終わらせる」


名前を呼ばれた雷閃が顔を上げると、そこにいたのはさっきまでと同じ姿でありながら、間違いなく別人だと感じさせる処刑人の姿だった。


ピクリとも動かない老紳士を見下ろしている彼は、荒々しくも悲しげな表情を浮かべている。しかし、いまさら殺しや罪から目を逸らしはしない。


女の子らしい格好を嫌がることもなく、ただ血で汚れた体を不快そうに払ってからギロチンの元へと向かった。


「……君は、もう疲れたんじゃないの?

僕がやってもいいんだよ? 博愛主義者じゃないんだから」

「いいや、俺がやる。俺は殺しができねぇこいつの代わりに人を殺す、人殺しの人格。これが俺に与えられた役目なんだから、生まれた意味を放棄するつもりはねぇ。

それに、俺達の罪は俺達が向き合わねぇとな」


雷閃は手を差し伸べるが、最初に殺しや罪と向き合うと決意したシャルルは、迷いなく首を横に振る。

シャルロットに蹴り飛ばされた愛器を回収し、再び倒れ伏すアルバートの元へ。


下部についたトゲでギロチンを固定しながら、動けない彼を台座に乗せていく。準備は完了した。あとは刃を振り下ろすだけで処刑終了だ。


「アルバート・フィッシュ。よりあんたと関わり、慕ってたのはシャルロットの方だが……俺も別に嫌いじゃなかった。

……うん。あんたとの日常、悪くなかったぜ。あばよ‥!?」


今にも刃を振り下ろそうとしながら、最後の挨拶をしていたシャルルだったが、彼はいきなり表情を歪め額を押さえる。

次の瞬間、その体に宿った人格はもちろん……


「ごめんね、シャルル……!! おじいちゃんは僕の大切な人だ。君にとってフランソワが居場所になっていたように、彼は僕の居場所だった。ちゃんと、僕がッ……!! この殺しは、死は、罪はッ……僕が、背負うべきものだからッ……!!」


再びその体に戻ってきたシャルロットは、一度中に引っ込んで休んだからか、正気に戻っていた。

だが、今まさに人を殺そうとしている彼女は、これ以上ないくらい苦しげだ。


ただ刃を落とすだけなのに、見方によっては直接殺す訳でもないのに、青ざめた顔で震えている。


「シャルロット、さん……」

「おじいちゃん……!!」


刃が振り下ろされるギリギリのところで止まっている中。

死の淵にきて、ようやく本能を振り払ったアルバートが声をかける。この今際の際に、彼はただの祖父だった。


「私は嫌でも人を食べてしまう、殺人鬼です。年齢的にも、早く死にたかったくらいですよ。深く気にせず、またねと手を振るように、終わらせてください」

「でも、殺しは……!!」

「これは救いです。不幸を振りまく者は、地獄を広げる前に裁かれなければいけない。これは、偉業なのです」

「……」

「私はただ眠るだけ。消えはしませんよ。

またいつか会いましょう、シャルロットさん」


アルバートの言葉を聞いたシャルロットは、ギュッ……と唇を噛みしめる。行うのが殺しであることには変わりない。


しかし、決して理不尽に与えてしまうものではないのだと、ここで眠れないことこそ悲劇を生むのだと。

少しでも追い詰めないようにかけられる言葉を受けて、彼女はシャルルに丸投げすることなく動き出す。


「……うん、おじいちゃん」


食人主義者であるアルバート・フィッシュは悪だった。

人を喰らうアルバート・フィッシュは殺人鬼だった。


だが、その終幕はこれ以上ないほどに穏やかに。

容赦なく振り下ろされるギロチンによって、眠りについた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ