20-偏食探究所
少女は罪と向き合い、死と向き合い、自分と向き合う。
処刑人である彼女は、間違いなく悪であり、罪人。
それらを真っ向から受け止めた上で……
少女は今、圧倒的な善性を持つ聖人の正義を信じて、邪悪の巣食う洋館の前に立っていた。
「……」
時刻は深夜。洋館の主である老紳士が、いつもほとんど気配を感じさせなくなる時間である。
目の前にそびえ立っているのは、古ぼけていながらも立派な洋館。集落の家どころか、キルケニーにあるほとんどの建物よりも大きく、下手したら城とも形容できるような豪邸だ。
昔からよく訪れる場所であり、ここ最近も泊まっていたその館に、彼女は冷たい表情で足を踏み入れる。
暗闇が染み渡る不気味で広い庭を横断し、呼び鈴を鳴らすことなく玄関の扉を開いて静かに入り込む。
今はここで暮らしている者でもあり、深夜に帰宅したことも何度もあるので、それを咎めるような者はいない。
「……あの子はまだデオンを探しているのかな。まぁ、すべて頼り切るつもりはなかったから、ちょうどいいね」
いつにも増して人の気配を感じない室内で、シャルロットは別行動中の善人のことを思ってつぶやく。
彼女は処刑人だが、殺しはできない。
万が一の場合、きっと何もできなくなることだろう。
たとえ動けたとしても、まともに機能はしないはずだ。
自分でもそれがよくわかっているからこそ、彼女はあの善人を待ちわびていたのだった。
とはいえ、もちろんつぶやいていた通り、最初から最後まで頼り切るつもりもない。まだこの場にいない彼を待つことなく、少女は冷たく静かな廊下を進んでいる。
カツン、カツン……と死の足音が響く。
窓から差し込む月明かりが華奢な少女の体を照らし、神秘的に白髪を煌めかせて瞳を冷たく輝かせる。
誰よりも優しく美しい死神は、館の主が待ち構える食堂に。
唯一人らしき気配のする部屋の扉を、思い切り開いた。
すると、その目に映し出されたのは……
「こんばんは、おじいちゃん」
「は、はい……こ、こんばんは、シャルロットさん」
豪華なシャンデリアの光が消え、暗くなった食堂の中。
リフェクトリーテーブルの奥に座って彼女を待ち構えている、軽装鎧に厚いマントを羽織った老紳士――月明かりに照らされるアルバート・フィッシュの姿だった。
この来訪は、特に予告などしていない。
だが、シャルロットがここにいることを察していたのと同じように、彼も自分を訪ねてくることを察していたようだ。
こんな時間だというのに、まるで驚いた様子を見せずに挨拶を返している。それどころか、真っ赤な飲料が入ったワイングラスを揺らしており、完全にリラックスしていた。
「じゃあ、最後のお話をしようか。なんにも悔いを残さないように、すっきりと全部を終わらせるために」
普段とまったく変わらない彼の様子に、シャルロットも普段通りの態度で椅子に座る。上座に座るアルバートの反対側、入口に近い位置にある端っこの席に。
「そ、そうですね。とても申し訳ないのですが……
ふぅ……少しでも心が軽くなるよう、そうしておきましょう」
黙ってそれを見ていた彼も、テーブルの上で手を組む彼女に応じて口を開く。給仕はおらず、飲み物は出てこない。
血の繋がりがない擬似的な祖父と孫娘は、不気味に紅く輝き出した月明かりの下で、最後の対話を始めた。
「その飲み物、随分と生臭いね。あなたは血を飲むの?」
組んだ手に顎を乗せ、足をぶらぶらと揺らすシャルロットは、一見楽しげにも感じられる様子で質問する。
開口一番、彼の本質をつくようなまったく容赦のない問い。
口調とは裏腹に重い内容を受け、アルバートは悲しげに視線を下に向けながらグラスを揺らす。
「そうですね。これは血のワイン。私は……血を飲みます」
現在、このセイラムという國で起こっているのは、日々横行している処刑とは違った失踪事件。
その成れの果てが、彼女の目の前にはあった。
だが、そのこと自体はもうとっくにわかっていたことだ。
犯行の協力者、賛同者、ある種の現場などを調べ、すべてを理解した上で少女はここに……祖父の前に座っている。
「じゃあ、やっぱりあなたが失踪事件の犯人。
屋敷の使用人や外にいる人達と共に、死体も残さず人を消し去る殺人鬼。目的は……はぁ、食人なのかな。趣味が悪いね」
「はは、は……私自身でも、いつもそう思っていますよ」
「なのに、やめないんだ?」
自分でも趣味の悪さを認めるアルバートに、シャルロットは冷たく鋭い視線で問いかける。食人行為……それは処刑人であるシャルルでさえも、決して容認できないとするもの。
否定してもらえなかったことで、薄っすら光る瞳はより強い覚悟を湛えていた。詰問された彼の目は、暗い空へ。
掲げたワイングラスを通して月を見ながら、紅く変色した世界に微笑み口を開く。
「そう、ですね……私も、やめたいとは思うのです。
しかし、これは私の意思でどうこうできる問題ではない。
アルバート・フィッシュという名が、その本能で食人行為を求めてしまうのです。まるで、憑依されたかのように」
「あぁ、だからこんな事ができてしまうんだね。
臆病なあなたらしくないな、とは思っていたんだ。
ジョン・ドゥを雇うような人間は限られる。
犯行が起きた範囲にもいた中では、あなたくらい。
それでも……性格にそぐわない。あきらかにおかしいなと」
悲しげな彼に、シャルロットはようやく合点がいったという風に目を見開く。
情報をもらった時点で、ある程度疑いの目を向けていたとはいえ。実際に調査することで確定していたとはいえ、微かに血の匂いを感じたことがあったとはいえ。
彼女が幼い頃から見てきた彼は、長年優しくしてくれていた臆病な彼は、決して殺人鬼などではなかった。
泊まらせてもらっている間どころか、こうして対峙している今ですら、そのような人間には見えないのだ。
もちろん取り乱したりはしていないが、予想外の発言で意表を突かれてしまっているのも無理はない。
静かに驚く彼女を見たアルバートは、ワイングラスを置いてゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……一つ、昔話をしましょうか。
私はかつて、この國の外に出たことがあります」
「っ!?」
「いえ……もしかすると、あれは夢だったのかもしれません。眠る私は空を飛び、肉の壁を越え、夢幻を迎えた」
「……夢幻?」
さらに予想外の発言を聞き、シャルロットは今度こそ愕然とする。それも、そこらの一般人が國の外に興味を持ったような、ちっぽけな妄想の類などではない。
むしろ、彼自身は夢かなにかでもおかしくはないと思っているようだが、肉の壁に言及した以上ほぼ確実に事実だ。
とはいえ、だからといって自分の身に起きたことを信じていない、という訳でもないようだった。
一瞬で聞き手に回り、軽く身を乗り出しながら真剣な表情をしている彼女に、少し遠くを見つめて語りかけていく。
「特に、そういう用語がある訳ではありません。
ただ単に、私がそう感じただけのこと。自分と世界の境界がどこか曖昧に感じられ、夢か幻のように揺蕩う視界。
まるで、宇宙に引き寄せられる牛のような気分でした」
「また、宇宙……」
「ははは、私はジル・ド・レェほど支配されてはいません。
あそこまでいくと上書きの類ですが、私のは憑依に近い。
だからこそ、こうして自分を保てているのです」
「それで、あなたの食人行為は……」
「えぇ。私は國の外で、とある科学者の前に出されました。
打ち込まれたのはどのような薬品だったのか……
どちらにせよ、私はそれ以降人肉を好むようになった」
前回、シャルルだった彼女は國を囲む肉の壁についての情報を耳にした。そして今回、シャルロットである彼女は、國の外に広がっている世界についての情報を……
「私が主犯になっているのは、立場によるものです。
以前から、この國には食人主義者が生まれていた。
肉と共に血をすする我らは、まさに吸血鬼」
彼女の思考を遮るように、アルバートは唐突に立ち上がって言葉を紡ぐ。その目は既に心優しい祖父のものではない。
変色した月と同調するように紅く染まり、その歯は血を欲するようにキラリと輝く。軽装鎧に身を包んだ若々しい老紳士は、紛うことなきヴァンパイアとして立っていた。
「……ふぅ。お話は終わりかな、アルバート・フィッシュ」
「えぇ、そのようです。シャルロット・コルデー」
瞬間、食堂の窓は粉々に砕け、外からは複数の人が――吸血鬼が降ってくる。空を染める紅を呼び込むように、この洋館を血に染めてしまうように。
だが、降ってきたのはヴァンパイアだけではなかった。
彼らよりもさらに上。悪を弾圧するかのような位置からは、館の屋根を突き破ってギロチンが降ってくる。
それは、屋根を突き破ってもまったく勢いを衰えさせることなく、テーブルを叩き割っていく。
空には下僕のヴァンパイア、下には主と処刑人。
中央に突き刺さったギロチンを挟んで、彼女達は対峙した。




