19 -向き合う覚悟
犯人グループを泳がせ、大体特定し終わったシャルロットは、深夜になってようやくアルバートの屋敷に戻る。
彼はもう老いているので、すでに寝ていることだろう。
本当にいるのか怪しいくらい静かだ。
怒られるにしても明日になるため、彼女は特に警戒することなく、冷たく静かな廊下を進んでいく。
もっとも、間違っても誰かを起こしてしまったりしないように、処刑人らしく息を潜めてはいるのだが……
今日は珍しく、バッタリと鉢合わせる人物がいた。
「おや、あなたは……」
「……? あぁ、ラボにいた人だね。こんばんは」
廊下でたまたま鉢合わせたのは、ジル・ド・レェの死体処理場……もしくはフランソワのラボで働いていた女性だ。
以前は白衣姿だったが、今は執事のようにスーツを着ているためここで働いているらしい。
相変わらず聡明そうな瞳の彼女は、どこか喜んでいるような雰囲気を醸し出しながら口を開く。
「えぇ、こんばんは。客人とはあなたのことだったのですね。孫娘のような言い方でしたが、あなたなら納得です」
「ふふふっ、孫娘か〜」
「……ここまでの関係性は、中々得難いものです。
大切にしてくださいね。あなたの行く末に幸あらんことを」
「……ありがと。おやすみお姉さん」
人形のように表情が薄いながらも、かすかに優しさが滲んでいる言葉を受けて、シャルロットは少し寂しそうに微笑みを浮かべて手を振る。
名前は知らないながら、要所要所で現れる顔見知りの女性は、キチッと頭を下げて去っていった。その背中を見送ると、彼女も自分が借りている部屋へ向かっていく。
窓から月明かりが差し込む中、昼間と変わらずパタパタっと長すぎる廊下を歩き、借りている寝室の扉を開けた。
すると、まだ寒いのに薄いTシャツにショートパンツという、あまりにも薄着の彼女の視界に飛び込んできたのは……
「あっ、ようやく帰ってきたわね!?
シャルちゃん、こんな時間まで何をしていたの!?」
「お帰り、シャルロットお姉さん」
朝昼晩、ずっと今か今かと帰って来るのを待っていたマリーと、ぼんやりと奥の椅子に座っている雷閃だった。
彼はすぐにまたぼんやりとし始めるが、本当に心配そうにしていたマリーは、飛ぶように駆け寄ってくる。
さっきまでくるくると落ち着き無く歩き回っていたようなので、予備動作もなくあっという間の接近だ。
「あなた、どうせ今日一日何も食べていないのでしょう?
今からでも何か作ってあげるから、ちゃんと食べて?」
「いや、お腹空いてないし、ここは僕の家でもないんだよ?
こんな時間に起こしちゃったら悪いから、流石にやめてね」
もう逃さないとばかりに肩を掴んでくる幼馴染みを相手に、シャルロットは困ったように眉を下げながら言葉を返す。
何も食べていないことは否定しないが、それでも本当に空腹ではないらしく、食事は断固として拒否していた。
肩を掴む手を優しく剥がすと『こんな時間に帰ってきたのは誰かしらね〜?』という彼女の横を抜けて雷閃の元へ。
ぼんやりと窓から星空を眺めている彼に、ボソッと小さな声で語りかける。
「明日、君はマリーをデオンの元に送り届けて欲しい。
できるなら朝、僕が活動を始める前までに」
「……きみは、いつも1人でやろうとするね。
ぼくは彼女をあずけたら、すぐにかけつけるよ?」
「うん、問題ないよ。僕は最初から君を頼るつもりさ。
シャルルを揺るがした善性を、聖人という名の象徴を。
僕は僕の正義にする。自分の罪と、向き合うために」
シャルルとは違って、素直に自分を受け入れるシャルロットに、雷閃はパチクリと瞬きを繰り返す。
性格は確かに穏やかにはなったが、行動傾向は変わらない。
これまでの行動も相変わらず単独行動だったので、頼られるとは思っていなかったようだ。
しかし、すぐにぼんやりとしていた目を現実に引き戻すと、重い覚悟に満ちた直前の言葉を噛み締めて言葉を紡ぐ。
「悲しいね、シャルロット・コルデー。
君の歩む道は、きっと苦痛に満ちているよ」
「この歪んだ國でそれを選んだのだから、望むところさ。
それに、この選択を後悔するつもりもないよ。他でもない、人を殺すために生まれた人格が選んだのだから……」
おそらくは、彼の中に混じっているという大人の雷閃が色濃く出ている言葉に、シャルロットは真っ向から対峙する。
今着ている服のように軽く、だが何よりも重い自分自身の魂……自らと同義である分身の決断を背負って。
彼女に着せる服を取りに離れていたマリーも、雰囲気の重さを感じ取っているのか、近づいてきながら神妙な表情を浮かべていた。
「2人でコソコソと、何のお話をしているの?」
「んーん、何でもないよ。僕達は2人に感謝しているって話をしていだけさ。君達がいる限り、僕達はこの國に光を見いだせる。生まれてきてくれて、生きていてくれてありがとう」
暖かい服を持ってきていたマリーを、シャルロットはいつになく素直にギュッと優しく抱きしめる。
普段からも甘えてはいるが、これは受け取るのではなく与えようとするものだ。その表情もついさっき雷閃が言っていた通り、苦痛や決意に満ち溢れていた。
これには、普段から甘えられている彼女も驚きを隠せない。
抱きしめられていて表情は見えないものの、またもなにかを感じ取ったように抱きしめ返す。
「……最後に、この質問を聞いておこうかな」
しばらく経って、ようやく2人が離れた後。
またぼんやりと星空を眺めていた雷閃は、お風呂に入る準備をしているシャルロットに声をかける。
マリーは気がついていないが、まだ彼の中には大人の雷閃が多く混じっているようだ。重く、正しく、完成された聖人の言葉に、シャルロットも神妙な態度で口を開いた。
「なんだい、雷閃くん?」
「……君の殺しは、一体誰を殺すことなのだろうか。
いや、君の場合はこう問うべきだね。
君の不殺は、一体誰を守ることなのだろうか」
それは、以前ジル・ド・レェを殺しに行く夜にも投げかけられた問い。殺しではなく不殺である彼女に、彼とは違う彼女という別人格に、改めて問われる本質を識るための問いだ。
自らと直面したシャルロットは悲しげに微笑み、離れた位置で微かに聞き取ったらしいマリーは痛ましそうに顔をしかめる。
「……さぁ、なんだろうね」
重い沈黙の果てに、少女は仮面に隠した心でシャルロットをこぼす。仮面が見せているのはひび割れたような笑顔。
洋館に生まれていた温かな平穏は、セイラムに押し潰されたかのように冷えていた。
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翌朝。朝日が高く昇って死の冷たさを塗り替える頃、マリー達がとっくにデオンを探して屋敷を出た後。
いつものゴスロリ処刑人スタイルになったシャルロットは、アルバートやその使用人達に怪しまれないよう、細心の注意を払って屋敷の調査をしていた。
彼は基本的にこの屋敷を出ないが、老いているので大体同じ場所にとどまっている。使用人も多くはなく、静かに仕事をしているため、気をつけていれば見つからない。
彼女は明らかに処刑人の格好をしていても、まったく怪しまれずに屋敷中を見回ることができていた。
(庭師、使用人……案の定ここの人だったね。
隠し通路らしきものもあったし、おじいちゃんは定期的に外に出ている。場所は昨日最初に行ったの集落かな?
あの夜は薄かったけど、シャルルが泊まった時にははっきりと血の匂いがしたらしいし……はぁ、趣味が悪いね)
犯人に協力している容疑者について、外の人物と行っている取引の情報について、庭で感じた違和感について、屋敷の所々にある違和感について。
隅々まで洋館を調べ上げた彼女は、その足で2階のベランダへ。外の景色を眺めている、軽装鎧に厚いマントを羽織っている老紳士に話しかける。
「やぁ、アルバートさん」
「お、おや……ど、どうかしましたか、シャルロットさん?」
アルバート・フィッシュは話し始めに毎回どもる。
これは、長い付き合いを経ても変わらない彼の癖だ。
そこに動揺などは関与しておらず、ただ単に臆病なだけ。
すべてを調べ上げたシャルロットも、そのことをよく知っているため何も言わずに会話を続けていく。
「特に用事はないよ。少し、話そうかと思ってね」
「そ、そうですか……では、なんのお話をしましょうか」
「んー……じゃあ、あなたが譲れないものとか?」
「ははは、なんですかそれは。……そうですねぇ。
こうしてのんびりと暮らせる平穏は、譲りたくないですよ。
私は、好きなものを食べて、日の下で暖まっていたい」
思いの外深い質問に笑うアルバートだったが、少し考えてから真面目に答えを返す。答え自体はありふれたものだろう。
しかし、そのありふれたものこそが大切なのだと、たしかにそう思っている様子だった。
このありふれた日常が、家族とのんびり暮らせる平穏が大切だというのは、シャルロットからしても同じだ。
彼女はつまらない答えに笑うことなく、長い髪を揺らしながら探るような目で問いかける。
「そうなんだ。だけど、おじいちゃんはいつもスープばかり飲んでいるよね? そんなに好きなの、スープ?
もしかして、具材が特別だったりするのかな?」
「いえいえ、ただのスープですよ。こう見えても、かなりの歳ですからねぇ。あれくらいの方が、飲みやすいのです」
「あははっ、本当に? 見た目は20代でも通るのに」
「それは流石に無茶だと思いますが……ふふ、そうですかね」
彼女の思惑に、アルバートは気づかない。それとも、気づいた上でなんとも思わないのか、受け入れているのか……
ともかく彼は、心から楽しそうに笑っていた。
つられて同じように笑うシャルロットも、今だけはこの会話を心の底から楽しんでいる。孤児である彼女にとって、幼い頃から知っている彼は、まさに祖父なのだ。
ケラケラと笑い、思いを紡ぎ、心のままに問いかけていた。
「じゃあ、おじいちゃんにとって僕は、どんな存在?」
「大切な子ですよ。小さい頃から知っていますからねぇ。
こんな國ですが、歪むことなく健やかに育ち、幸せになって欲しいと……心から思っています」
「そっか」
冷たい風が吹くベランダで、孫と祖父は楽しげに笑う。
長く続く会話の合間には、ざわざわと周囲の木が不穏な物音を立てていた。
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アルバートとの団らんが終わった後。
薄っすら辛そうな表情をしているシャルロットは、やはり1人で首都キルケニーの図書館……その資料室を訪れていた。
「処刑、処刑、処刑、処刑……仕方がなかったとはいえ、よくもまぁこんなにも殺し続けていられたものだね。
はは、は……本当にごめんなさい、シャルル。
君にこれだけの罪を押し付けてしまって。だけど……
だけど、僕はどうすればよかったのかなぁ?」
今の彼女は1人で、万が一の時に自分以外に頼れる人はいない。それでも……自分達が犯した罪と向き合うために、呼吸を荒くしながらも改めて資料に目を通す。
他ならない人殺しの人格が選んだのだから、圧倒的な善性を持つ雷閃とマリーを尊く思ってしまうのだから。
罪人である彼女は、今からでも聖人の正義を選ぶのだ。
「僕達が殺してしまったのは、ほとんどみんな逃亡者や殺人否定者。ただ、当たり前のように國の外に興味を持ったり、この歪な國の在り方を否定しようとした善人。
一体、彼らにどんな罪があったと言うんだろう?
一体、僕達にどんな正義があったと言うんだろう?
おまけに、その興味すら……協会の手引だと言うのに」
今にも倒れそうになりながら、処刑人の少女は自らが犯した罪と向き合い続ける。たとえそのように在らなければ生きていけないような世界だったとしても、悪は悪。
決して目を逸らさない聖人は、今度こそ正しく在れるように強く覚悟を固めていた。




