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虚の天秤  作者: 榛原朔
三章 吸血憑依

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11-報告を遅らせるために

「だいじょうぶ、お姉さん?」

「ん……」


キルケニーの図書館で、処刑人ヨハン・ライヒハートと遭遇してから数時間後。


シャルルが処刑してきた人達の資料を見て、意識がなくなる程に消耗してしまったシャルロットは、どうにか組織の倉庫まで運ばれてきてソファに横になっていた。


とはいえ、街を出る前にかなり休んでから戻ってきているので、今は意識がはっきりしている。

明らかにふわふわとした雰囲気ではあるが、顔を覗き込んでくる雷閃にも一応は受け答えができていた。


「少しお話したいことがあるんだけど、もう少し休む?」

「いや……もう大丈夫だよ。聞くだけになるけど、お願い」

「わかった」


彼女がわずかに体を起こしながら話すように促すと、雷閃もそれ以上何も言わずに頷く。もちろん無理はさせられないが、事態は急を要する。


場合によっては、彼ごとシャルロットやマリーにまで飛び火してしまうことなのだ。ソファから少し視線を外した彼は、デオンに叱られているトッドに合図をして呼び出した。


「おう、少年。緊急会議だな? 一応、デオンさんにも報告はしてるから……すぐに本題に入れるぜ」

「ありがとう」


彼の言葉を受けた雷閃は、倉庫にいる他の人達にも呼びかけて注目を集め、真剣な面持ちで話し合いを始めようとする。


今いるのは昨日いた通りのメンバー……シャルロットの真横にあるソファで心配そうにしているマリー。

ある程度の状況を聞いているデオン、奥で1人パーティをしているエリザベートと彼ら2人だ。


トッドが給仕係になってドリンクを配っている中、デオンもソファに座って会議は開始された。


「さっきぼく達は処刑人に会った。そのせい……でもないかな。彼が失踪事件の任務を受けたことで、図書館に来ることになったことで、ぼく達はき機的じょうきょうにいる」

「あなたの立場がバレたことですね」


彼女たち組織の隠れ家に使われているだけあって、倉庫内に余計な物音はしない。唯一、エリザベートが1人で騒いでいる以外ほとんど物音がない中で、彼はみんなに語りかける。


その言葉を継いだのは、彼個人の事情をほとんど知らないはずのデオンだ。マリーも関係してくることなだけあり、彼女は頭をフル回転させて会議に臨んでいるようだった。


「うん、ぼくはこの國の外から来た侵入者。このままじゃ、ぼくをかくまったシャルロットお姉さんが、また処刑対象になってしまう。これをどうにかしなきゃいけない」


軽く頷く雷閃は、もったいぶることなく自分の身分を明かし、素早く問題を提示する。


普段はほんわかしており、特定の場面でも超然とした態度で焦ったりはしないのに、珍しく焦燥感に苛まれている様子だ。


奥で繰り広げられる場違いな1人パーティでも、その緊張感が完全に緩和されることはない。侵入者の存在を知ったのは、協会トップの右腕なのだから。


処刑人協会に対抗するための組織――ル・スクレ・デュ・ロワのリーダーであるデオンも、誰よりそれを理解していた。

戦うではなく、どうにかすると言う彼に、容赦のない言葉を浴びせかけていく。


「しかし、マシューの右腕に知られたのなら、もう隠すことはできないと思いますよ。戦いますか?」

「……シャルロットお姉さんは、戦えないよ」

「ふん、そんなものはただの甘えですよ。どこまで逃げれば気が済むんだい、シャルロット・コルデー?」


顔を伏せた雷閃が戦いを避けようとすると、デオンは途端に冷たさを数段上げて横になる少女を責め立てる。


昨日、シャルロット達とル・スクレ・デュ・ロワが協力関係を結んだ時点で、万が一の時は共闘することが明言された。

関係を持った以上、もはや抜けることはできず、その万が一というのはこのような状況に他ならない。


それなのに、現状の彼女はほとんど選択肢が残されていない状況でも倒れ、戦う選択肢を自然と消している状態だ。

無理もないことではあるが、シュヴァリエ・デオンは静かに激怒していた。


彼女の怒りを一身に受けるシャルロットも、これには流石に傍聴人ではいられない。

苦しそうにしながらも、マリーに支えられることでどうにか起き上がり、息も絶え絶えに言葉を紡ぐ。


「嫌なのに逃げるのは、たしかに甘えなんだろうね。

だけど、僕は君よりも弱いから。僕は、人を殺さないことでなんとか生きている。人殺しの人格を生み出してまで、自分が殺さないことで人格を保っているんだよ。

……それでも僕は、殺しと向き合う覚悟を決めた。

今はまだ、これだけでも必死なんだ」


必死に紡ぎ出されるシャルロットの言葉に、デオンはほとんど表情を動かさない。どこまでも冷たい目で、ただ弱々しい少女を見つめていた。


もちろん、共闘を持ちかけているくらいなのだから、彼女に対して価値を感じていないということはないだろう。


彼女達はどちらも処刑に否定的だ。

同時に、それでもこの國で生き残り続ける実力もある。

だが、決定的に違うのは……


シャルロット・コルデーがシャルル・アンリ・サンソンという別人格に逃げたことに対して。

シュヴァリエ・デオンは一度も逃げることなく、指名手配されても立ち向かっていることだった。


今、ようやく逃げずに向き合い始めた少女に対して、ずっと逃げずに抗い続けていた少女は、価値を認めているからこそ冷たい目でなおも言い放つ。


「そうですか。しかし、事実としてタイムリミットは近いのです。殺しと向き合う以上の覚悟を持つべきでは?

折れた包丁()に代わって、ちゃんと自分で殺す覚悟を」

「強大な敵に挑む場合、戦力が減る前に、敵に気づかれる前に強襲するのはたしかに必要だと思うよ。

でも、まだ時間があるのなら、焦るべきでもないと……思う」

「……私は、常に冷静であることで今も生き残っていると自負しています。あなたに怒りを覚えていることは認めますが、焦っているとは思いません」

「なら、まずは調べない? 準備を整えながらでいい。

だけど、戦うと決めつけずに、この國をちゃんと」


いずれにせよ、協会とは戦う。

だが、戦いのみを目指して動くのと、戦いも視野に他のことにも注力するのでは結果が少なからず変わってくる。


長引かせて得るものがあるとは限らない。

そもそも、時間があるかもわからない。


それでも、戦いを回避するためではなく、より敵を知るためにも残された時間を使いたいというシャルロットに、デオンは口を閉じて考え込んでいた。


「……」


奥には騒ぐエリザベート。その声すら、どこか遠くから聞こえてくるように感じられる中で、シャルロットは自分の力で立ち上がりながら息を吐く。


「それからね、君達は1つ忘れているよ。

ヨハン・ライヒハートはこう言ったんだ。『今の私は事件の調査に忙しい』ってね。彼はまだ報告をしない。

処刑は機械的にこなす彼だけど、始まらなければ動かない。

報告すらも、優先事項があればしないんだ」

「……!! つまり、失踪事件が続けばバレることはない?」

「うん、そう思うよ。だけど事件は必ず解決される。

僕達にできるのは、あくまでも、引き伸ばすこと……

ごめんね、デオン。あと少しだけ時間をちょうだい。

協会を滅ぼす前に、まだ確認しておきたいことがあるんだ」


意外にもちゃんと資料室でのやり取りを聞いていて、なおかつ覚えていたシャルロットによって、時間はほぼ確実に保障される。


バレていた衝撃でそのことが頭から抜けていた様子の雷閃達は、大きく目を見開いていた。


エリザベートの騒ぐ声は、ついに緊迫した空気を乗り越えて彼女たちの耳に。心地よい平和の象徴として耳朶を打つ。


もちろんデオンも、自分よりもヨハンを知る彼女の言葉には納得せざるを得ない。彼女達に時間はあるのだ。


であれば次は、シャルロットが確認したいことは何か?

たかが引き伸ばしに過ぎないのに、その貴重な時間を使ってでも知りたいことを記憶から引っ張り出す。


「セイラムを囲う肉の壁……ですか?」

「うん。僕……俺は相棒からその情報を聞いた。

事実なのかはわからない。でも、知りたい」


殺しの記録を見ただけでも消耗し、ふらつきながら辛うじて立っている彼女の強い瞳を、デオンは見つめる。


しばらく騒がしい声を聞きながらそれを見つめ続けた彼女は、やがて側に控える年上の青年に、怒りの欠片すらも見えないポーカーフェイスで問いかけた。


「トッド、失踪の間隔は?」

「早くても5日おき、大抵は一週間ごとだな。

もしも密かに事件を止めた場合、猶予は一週間」

「ふぅ……では、時間は十分確保できますね。

私達は準備を進めます。指名手配されている以上、表立っては動けませんので、失踪事件はあなた方に頼みます」

「うん、任せて」


彼女達の方針は決まった。まずは失踪事件を密かに解決し、雷閃が侵入者だとバレるまでの時間を引き伸ばすことだ。



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